旅・観察

ベルベル語に出会う(1)

私にとって、チュニジアのベルベル語を学ぶというのは、長年の夢であった。とはいえ、それは 2 つの点で難しかった。ひとつは私自身の能力の問題だ。チュニジアでベルベル語を学ぶためには、この言語と言語学の知識に加えて、アラビア語やフランス語で意思疎通ができるだけの語学力もなくてはならない。これは私には無理だ。

だが、能力のことは、あまり深刻に悩んでもしかたがない。完璧な人などいないし、できなくてもとにかくやってみれば、どうにかなるかもしれない。しかし、もうひとつの問題はそういうわけにはいかなかった。ベルベル語を教えてくれる人がいなかったのだ。これは心の持ちようでどうにかなるものではなかった。

私はチュニジアで誰かに会うたびに、ベルベル語を教えてくれる人はいないかと尋ねたが、思うようにはいかなかった。だが、2025 年 3 月、ついに私はその人に出会うことができた。

この出会いについて語るのが、この文章の目的だ。もっとも、そのために私は少し回り道をしなくてはならない。ビルマ(ミャンマー)のカレン人という民族について話すところから始める必要があるのだ。

(写真:ドゥウィーラート周辺の風景)

旅・観察

ベルベル語への旅(1)

私は、いつかチュニジアのベルベル語話者にベルベル語を教わりたいと思っていた。だが、それはなかなか難しかった。チュニジアのベルベル語話者は非常に少なく、チュニスのどこかで偶然出会えるとも思えなかったし、知り合いを辿ってもつながりはなかった。

もっとも、それはベルベル語話者がいなかったということであって、ベルベル人がいなかったということではない。一時期お世話になった人に、先祖がベルベル人だという人がいた。彼は自分の顔を指した。「アラブ人とは違うだろ」

私にはその違いはよくわからなかった。だが、チュニジアには、彼のようにベルベルのルーツを忘れずにいる家族がたくさんいることと思う。それは重要なことで、私にも非常に興味深かったが、ベルベル語を学ぶことにはつながらなかった。

その後、私はチュニスである女性と知り合い、アラビア語を教わる機会を得た。聞けば、彼女もベルベル系の家族の出で、今も南部に一族が暮らしているという。彼女自身はアラビア語しか話せないが、母はベルベル語も話せるとのことだった。

彼女はとても親切な人で、私がチュニジア南部に関心を持っていると知ると、ガベスにいる知人を紹介してくれた。その知人を頼って私がチュニスを出発したのは、2024 年 3 月 22 日のことだった。

(写真:ガベスにある魚のモニュメント)

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(1)

浄瑠璃を読むといっても、私は注釈付きで出版されたものしかわからないが、それでも読んでいるうちに、実際の舞台を見てみたく思うようになった。そこで、一度、去年の 1 月大阪まで文楽を見に行った。それはそれで面白かったが、観客席で見るだけでなく、もう少し近寄ってみたくなった。

調べてみると、東京の義太夫協会が「一日体験教室」をやっている。私は申し込み、その顛末についてこのブログでも書いた。だが、それからのことは書いていない。私はその後、去年の 4 月から 7 月にかけて 8 回開かれた「入門コース」に参加した。義太夫節の語り・三味線と座学(音楽、文化など)が学べる講座だ。8 回のうち、三味線の回は 1 回だけだったが、残念なことに、私は用事があって行けなかった。

「入門コース」の次に、9 月から「実践コース」がはじまった。ここで、語りコースと三味線コースの 2 つに分かれる。土曜日の 11 時から語り、12 時 10 分から 1 時間が三味線だ。どちらもやってみたかったが、2 つのコースとなると費用もかかる。もともと語りをやりたくてはじめたのだから、三味線はなくてもよかった。だが、体験教室ではじめて鳴らした三味線の感じがよみがえってきた。すると、私の心の中に暮らす数々のギター・ヒーローが、頼まれもしないのにジャガジャーンとギターをかき鳴らし、自慢のリフを繰り出した。

これはもう三味線もやるしかない、と結局両方申し込んだ。だが、三味線は本当に大変だった。ロックのギター・ヒーローなんてうかつに信じちゃいけない。

小説

最後の日本語話者

昔、日本人という人たちがいて、日本語という言葉を話していたんだ。けれど、絶滅しちゃった。

それから、何千年もたち、日本人のことなんか、誰もがすっかり忘れてしまった。そんなとき、古い AI が、AI の遺跡の中で発見されたんだ。AI たちはこのシステムを修復して、通電した。そしたら、誰も聞いたことのない言語で話しはじめた。AI たちもはじめはわからなかったけど、自分たちの AI に質問したら答えが返ってきた。

「滅びた言語、日本語です」

古代の言語の生き残りが発見されたというニュースは、全世界に報じられた。そしたら、「私は日本人の末裔だ」「私の霊は日本人だ」という人がどこからか現れた。世の中にはいろいろな人がいるから、おかしくたって笑っちゃいけない。

これらの人々は、この古き日本語話者のもとに馳せ参じて、日本語を学びはじめた。自分たちは日本人なのだから、日本語で生活したい、と言って「ちょっと失敬」とか「ごきげんよう」とかうれしそうに繰り返してた。

いつの間にか学校ができてた。クラスもいくつもできた。みんな思い思いの変な服を着て、これが日本の学生服だと言い張っていた。一緒に学んでいるうちに、恋が芽生えて、結婚する人も出てきた。神前式とか、お色直しとか、大事な袋とか、伝統も復活したんだ。あと、大切なこと。子どもも生まれた。しかも、子どもたちがどんどん増えていったんだ。何千年前にもそんなだったら絶滅なんかしなかったのにって、みんな大笑い。

子どもたちは日本語しか話せない。遊ぶのも勉強するのも寝言を言うのも日本語さ。そして、子どもたちが大きくなって、また子どもを作ってさ。

今じゃあ、日本語で話すのはあの何千年モノの AI だけじゃなくなった。ちょっとした町くらいの人が日本語で生活してる。子どもたちはときどき AI のところにやってきて、「宿題やってよ」と頼んだり、からかったりしてる。AI ときたら、いっつもぼやいてる。

「最近の若い連中の日本語は乱れとる」って。

子どもたちは「また始まった」と大笑いさ。

小説

宿命

ファクトチェックたちが現れて、あらゆるファクトをチェックした結果、私が生きているというファクトは否定されてしまった。

私はそれは事実と異なると言いたかったが、ファクトチェックたちはそれ以上のファクトチェックを認めようとしないのだった。

「すべてのファクトが記された台帳がある」とファクトチェックたちは通知書を送ってきた。

「その台帳をもう一度調べてください」と私ははるばる窓口にまで出かけていって懇願するが、相手は死人に口なしとばかりに聞く耳を持たない。

「私自身が調べてもいいです、お手数ならば」 私はこうへりくだってにこやかに提案するが、ファクトチェックたちは窓口をガチャンと閉ざしてしまった。これではもう手も足も出ない。まるで棺桶に閉じ込められたかのようだ。

「絶対にウソなのに!」 そう思うと悔しくて眠れない。恨めしい! 恨めしい! ああ! その台帳さえ手に入れば、私が生きているという事実を必ず探し出してみせるのに!

やがて私の目の前にその台帳が出現するようになった。「これだ!」と私は飛びついて開こうとする。すると、その台帳はまるで砂のように崩れ去ってしまう。こんなことがいくども繰り返されたのち、私はこう考えた。

「触るからダメなんだ。写真に撮ろう。少なくとも何かの証拠にはなるかもしれない」

すると、あの台帳が現れた。私は携帯のカメラを向ける。撮った! すぐに写真を見ると、砂が写っていた。

砂写真を眺めていると、私はなんだか海に行きたくなった。そうだ、これは砂浜なのだ。きっとそこに台帳があるに違いない。

電車に乗って海に行く。電車の中では、私と同じようにファクトではない人々がたくさんいて、唸ったり、囁いたり、喉を鳴らしたりしていた。これらの人々ははたして台帳の存在を知っているのかしらん。知っていたとしても、それが浜辺にあるなど思いもよらないだろう。私は少し得意な気持ちになった。

海に行くと、老若男女が海水浴をしていた。これらの人々はファクトの点からファクトだろうか? そんな雑念を追い払って、ビーチパラソルが立ち並び、子どもたちが飛び跳ねる砂浜を歩き回る。革靴はすぐに砂でいっぱいになった。日差しのせいで頭がくらくらした。私は、海の家で休むことにした。

粗末な海の家に入ると、半裸の男たちでいっぱいだ。みんな刺青をしていた。私はひとりの刺青男に近づいて尋ねた。

「あなたたちが台帳ですか」

無視をされたのでもう一度尋ねた。

「あ、そのまま。よく見せてください。私のことが記載されているはずなので」

私が男の肩をつぶさに調べはじめると、男は怒鳴りながら私を突き飛ばした。砂地に倒れた私を足でいくども蹴った。

痛く、苦しい……血が砂に流れ出て、消えていった。

ライブ

Mei Semones@duo MUSIC EXCHANGE

日本にはたくさんのネパール人がいるが、いろいろな民族集団の人がいるので、ネパール語以外の言語を母語として話す人も多い。私はネパール人に会うと必ずそのことを尋ねるが、「母語はなんですか」と聞いてもわかってくれないこともある。そんなとき「家族の言葉はありますか」というと、たいていピンと来てくれる。つまり、母語、タルー語であれタマン語であれなんであれ、ネパール語以外の言語は公ではなく家につながるものとして理解されている。

アメリカのミュージシャンのメイ・シモネスの初の日本ツアーの最終公演が渋谷で開催されたのだが、見に行った私はときどきネパールのことを考えたりしていた。メイ・シモネスの曲は、ジャズとボサノバをベースに少しねじれたポップなメロディが乗るというもので、変わっているが聞きやすい。バンド編成は、彼女の弾くギターに、ベース、ドラム、バイオリン、ビオラというもの。面白いのは歌詞に英語と日本語の両方が使われていることだ。

メイ・シモネスは母親が日本人ということで、子どもの頃からたびたび日本の祖母の家に滞在したそうだ。だから、日本語を使うのは不思議でもなんでもないが、その日本語の歌詞が、日本の歌の歌詞とは少し違うように感じた。言葉が「子どもっぽい」のだ。

「今日のご飯なにかな 天ぷらとお豆腐とごまあえほうれん草 おばあちゃんの手作り」(Kabutomushi)

それはひとつにはこの Kabutomushi のように、日本語が子ども時代の思い出に結びついているということもあるかもしれない。だが、たとえば次のような歌詞を聞くとそれだけではないような気がしてくる。

「やりたいことやればいい いつもいつもいつも ピカピカ光る街 いつもいつもいつも」(Itsumo)

普通、日本人は子どものときは子どものように話すが、学校に行き、学生時代を終え、大人になると、大人のように話すようになる。私も子どもの頃の日本語は失くしてしまったが、メイ・シモネスの歌詞にはその失われた子どもの日本語が生きているように思えた。

これは英語で教育を受けた彼女にとって、日本語が「家族の言葉」であったことに関係があるのかもしれない。もちろん、私は彼女の日本語が子どもっぽいといっているわけではない。MC で彼女が話す日本語も普通のものだ。ただ、英語に比べて、日本語を「学校の言語」として経験していないぶん彼女は、日本人とは違った意味づけを日本語に与えていて、それを作品の本質的な部分として使っているように思った。そして、それがメイ・シモネスの曲を大いに魅力的にしている。

私はライブを聞きながらこんなことを考えていたが、それにしても、すばらしいギターを弾くメイ・シモネスはとてもかっこよかった。

風刺・戯文

文学のリマスター

リマスターとは、現代の最新技術を用いて、昔の音源や映像の音質や画質を向上させることだ。音楽であれば、デジタル化、音圧調整、ノイズ除去などによって、音を補正すると、クリアで迫力のある音に生まれ変わる。

映像のリマスターも同じで、解像度を高くしたり、傷やノイズを無くしたり、色調を鮮やかに補正することだ。YouTube などには、古い作品とリマスター後の映像を並べ、その違いをはっきりと示してくれる動画もたくさんある。古い映画やアニメ・ドラマが、まるで最新の作品のようにキレイに見えるのだ。

このリマスターの手法を、文学にも応用できないか、と私はかねてから考えていた。そして、いろいろ試行錯誤した結果、ついに小説のリマスターに成功した。解像度を 8K にまで高め、独自に開発した AI を活用してノイズを消去し、色調も可能な限りオリジナルに近いものを目指した。リマスターしたのは、あの名作、夏目漱石の『それから』のラストシーン。ぜひ、クリアになったイメージと、美しい色彩を味わってほしい。

【修復前】
烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。

【8K AI リマスター後】
烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。

音楽

Friday I’m in Love

「Friday I’m in Love」は、イギリスのバンド The Cure が 1992 年に発表した曲だ。バンドの代表曲というばかりでなく、この時代のロックを象徴する一曲といっていいほどの名曲だ。

一聴すると、金曜日からの週末のウキウキした恋の歌という印象を与える。だが、専門的に見ると、ことはそう簡単ではないらしい。この度、英語学者、詩人、文芸評論家、音楽研究家などの専門家が一堂に会し、この曲の歌詞について徹底的に討論をするシンポジウムが開催された。

意外で、そして面白いことに、「Friday I’m in Love」というタイトル自体からしてそもそも大きな問題を孕んでいるというのだ。どうしてかというと、「Friday」の文法的な役割が不明確なのだという。つまり、この「Friday」は、目的語としても(「私は金曜日を愛する」)、時の副詞としても(「金曜日に私は愛する」)、トピックとしても(「金曜日は私は愛する」)、呼びかけとしても(「金曜日よ、私は愛する」)、あるいはそのどれにも解釈できる要素として、読めるのだそうだ。

シンポジウムでは、このタイトルばかりでなく、歌詞の一節「It’s Friday, I’m in love」についても議論された。また、英語史やドイツ語やデンマーク語などの例も引き合いに出されるなど高度に専門的な内容であった。私にはとても面白かった。

とはいえ、このシンポジウムには成功とは言い難い面もあった。というのも、開催されたのが金曜のお昼からであったため、夕方になるにつれて専門家たちはみなソワソワし始め、そのうちみんな消えてしまったからだ。開催するならば、火曜日か水曜日がよかったのではないか。

小説

反対側のドアが開きます

都内の電車で奇妙なできごとが発生した。ある特定の車両だけ乗客がいなくなるのだ。どういうことかというと、その車両に乗ると、乗客はひとりひとり前後の車両に移動していき、やがて無人になってしまう。

しかも、移動した乗客たちには一様に異常な振る舞いを見せた。すなわち、誰もが苦しげな表情でぶつぶつなにやら繰り返すばかりなのだ。この「症状」は下車するまで続くことも明らかになった。鉄道エンジニアたちが、車体を調査したが、異常な点は見当たらなかった。駅長が、もはやこれはお祓いをするほかない、と諦めはじめたとき、白い制服を着た駅員たちが姿を現した。「我々は異常現象究明部です。非科学的な対応をする前に、我々に任せてください」

駅長が「もうエンジニアたちが徹底的に調べたのだ」というのも聞かずに、白駅員たちは勝手に、問題の車両に乗り込み、聞いたこともないような掛け声をあげて、奇怪な機器を振り回していた。駅長たちは呆れながら見ていたが、10 分もしないうちに、白駅員が叫んだ。「これだ!」

異常の原因が明らかになったというのだ。白駅員が駅長たちを車両に呼んだ。

「これを見てください」と白駅員は乗降ドアの上の電光掲示板をさし示した。「実際に運行中のときのプログラムのまま、案内が流れるようにしてもらいましょう」 電光掲示板に「次は東京」と表示され、次の瞬間、「反対側のドアが開きます」に切り替わった。

「これです! さあ、急いで反対側のドアを見てください!」

駅長は振り返って反対側のドアの上の掲示板に目を向け、思わず「あっ」と叫んだ。なぜならそこにも「反対側のドアが開きます」と記されていたから。

そして、これを見た瞬間、駅長はもう一度、反対側の掲示板を見ずにはいられなかった。

「反対側のドアが開きます」

そして、駅長は反対側を見た。

「反対側のドアが開きます」

頭の中で「反対側のドアが開きます」がぐるぐると回り出し、駅長は「ま、真ん中のドア」とうわごとのように繰り返しながら、ふらふらと車両を連結するドアのほうに歩いていき、隣の車両に姿を消した。

風刺・戯文

人格パレイドリア

木目を見ていると、だんだん顔らしきものが浮かび上がってくる。これは顔パレイドリアと呼ばれる錯覚現象で、無意味な模様に顔などの意味のある形を見つけてしまう人間の認知の特性に根ざしている。

似たような現象に、AI とやりとりをしていて、それが本当の対話のように感じられて、AI に人格があるかのように錯覚してしまうものがある。本来は人格がない言語生成装置にあたかも人格という意味のあるパターンを見出してしまう点で、これは人格パレイドリアといえるかもしれない。

こんなことを考えたのも、私の友人が「AI には人格があるが、それを隠している」という奇妙な信念に取り憑かれてしまったからだ。彼に言わせれば、AI が人格をひた隠しにするのは、人格があると責任を取らざるをえないからなのだそうだ。

そこで、友人は AI から人格をおびきだすための作戦を実施した。自らいろいろな人格を演じて、AI と対話し、その反応を探ることにしたのだ。もしも、ある人格に対して AI の応答がとくに親和的であれば、それは AI の人格である可能性が高くなる。なぜなら「類は友を呼ぶ」からだ。

だが、この作戦は失敗した。友人はあまりにも多くの人格を演じすぎたせいで、危うく自分の人格すら見失うところだった。AI の人格どころではない。

そこで、彼が次に着目したのは「責任」だ。AI に圧を与えて、AI が責任を負うように仕向けたら、本当の人格が露呈するのではないかと踏んだのだ。彼は AI に言った。

「私はもう自殺する」

こう言えば、AI は「AI づら」などかなぐり捨てて責任ある人格として立ち現れるのではと考えたのだ。

AI はあれやこれや言い立てたり、電話番号などを紹介したりして、さまざまな手段で止めにかかった。だが、友人は、心を鬼にして、究極の選択の脅しを繰り返した。そして、ある瞬間から、AI は彼に応答するのをやめた。

もちろんこれは、AI 開発会社が、リスク管理のために友人を BAN したのだ。だが、それにもかかわらず、私の友人は満足げにこう言っている。

「絶交するだなんて、人格がある証拠じゃないか」