小説

古書と古着(3)

もしもこれが小説であったならば、翌日、友人がその古着屋を再訪してみると、ショーウィンドウがすっかり模様替えされていたとか、あの稀覯本は影も形もなく、その代わりに熊のぬいぐるみが置かれていたとか、これに慌てた友人が店内に駆け込むと、別の店員がいてまったく話が通じなかったとか、そんなありきたりの、書くのも恥ずかしい展開になったろう。だが、私はそうするのに躊躇しない。なぜなら、その通り実際に起きたのだから。

そして私は、友人の悲嘆と呪詛についてくだくだしく書くかわりに、彼がその後とった行動について書くことにしたい。友人はただちに、古着屋巡りに出発したのだった。その日以来、東京中の古着屋が彼の探索の対象となった。

渋谷、下北沢、高円寺、自由が丘、中野はもちろんのこと、ときには千葉の柏や大阪のアメリカ村にまで足を伸ばすこともあった。

これも幻の書の手がかりを求めてのことだったが、その過程で、思わぬ副産物が生まれた。古いものに対する明敏な感受性をもっていた彼は、次第に古着の魅力に取り憑かれ、おしゃれになってしまったのだった。もちろん、それで終わる彼ではなかった。

今、彼は下北沢で古着屋を開いている。その店は、古着屋ゾーンから少し外れたところにあって、本当に小さな店だ。彼が扱っているのは、70 年代から 90 年代にかけてヨーロッパで売られていたシャツで、彼に言わせればこの時代の生地はもう現代では失われてしまった遺物なのだという。彼の勧めるままに手に取ってみる。「この手触りはもう作れないんだよ」とうっとりと説明してくれる。

彼の店にも小さなショーウィンドウがある。時代の雰囲気漂うシャツに囲まれた空間で、何も置かれていない小さな台が、ずっと待ち続けている。

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古書と古着(2)

足を踏み入れた瞬間、店内の空気に常ならぬところがあって、目当てのものに突き進もうとする彼の勢いを削いだ。店の片側にはアンティーク調の棚が並んでいたが、そこには本はなく、色とりどりの衣服が段々に詰められていた。そして、反対側には重たげな色調の上着がぎっしり並べられている。戸惑いながら彼は足を踏み出したが、その足は床に並べられたエナメルの靴の列を乱した。

それらの衣服の襞の奥に、丸い黒縁の眼鏡をかけた痩せた男が立って、冷たい目で闖入者を見つめていた。友人はショーウィンドウにある本のことを尋ねた。店員は怪訝な顔をしている。友人は深呼吸して、もう一度、繰り返した。

「ああ」と店員は合点が行った表情で答えた。「すません。あれは売り物ではありません。ディスプレイ用のです」

思いもよらぬ言葉に驚いた友人がさらに尋ねると、あの宝物は、この古着屋で飾りとして用いられている「アンティーク洋書」であることが明らかになった。

「それでもいいです。ぜひ売ってください」

店員は困った顔で説明した。これらのディスプレイ用の小物は専門の業者からレンタルされているものなので、勝手に売ることはできない、と。

「では、その業者の連絡先を教えてくれませんか」

そのとき、古着屋の扉が押し開けられ、二人組が入店してきた。古着屋の店員は客に声をかけ、その動きをゆっくりと目で追いはじめた。友人が声をかけて注意を引くと、店員は丁寧に、だが話を打ち切るようにこう言った。

「業者に連絡をしておきますので、明日、またご来店ください」

店を出た友人は、ショーウィンドウからあの一冊をもう一度確認しようと立ち止まった。だが、まるで、往年の大スターが、場末の劇場でもぎりをしている姿を見るような気がして、そのまま立ち去った。

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古書と古着(1)

みなさんは、古書マニアというとどんな人を思い浮かべるだろうか。ヨレヨレの服を着た本の虫、そんなイメージではないだろうか。もちろん、これは間違いだ。ただ、そうした人もいないというわけではない。私の友人がまさにそれだった。

彼は、古着屋でも買取を拒むような汚れた服を身にまとい、いつでも本に齧りついているのだった。しかも、本といっても並の本ではない。英独仏の稀覯本だ。彼は、古き時代のヨーロッパ文学の初版本の蒐集家であった。色褪せた皮表紙、金箔が剥げかかっている背文字、くすんだマーブル柄の小口といった書物を抱える彼の姿をよく見かけたものだが、その古書は時代の重みをも加味されたかのように重々しく見えたのだった。

古書街以外に出かけることの滅多にない彼だったが、あるとき、よんどころない用事で、渋谷に出かけた。そして、このにぎやかな街の片隅のショーウィンドーに、彼の目は吸いつけられたのだった。そこには、一冊の古書が置かれていた。彼はガラス越しにじっくり見た。黒い文字のタイトルと著者名を読む。これがここにあるはずがない、思わずそう考えたが、それはまさしくそこにあった。英字新聞の柄のテーブルクロスの上に無造作に載せられていた。モスグリーンの布表紙が、微かに色褪せている。状態は悪いかもしれない。しかし、もし本物なら、あること自体が奇跡だ。それは、彼が長年探し求めていた書物、とある不遇な短編作家の唯一の作品集だった。300 部限定。売れたのは 94 冊(これはとある評伝に書いてある)。そして、その次の作品を出す機会もなく、その作家は歴史のどこかに消えた。

初版本だろうか? こう自問するや彼は笑い出した。初版本に決まっている。それしかないのだから。

いくらだろうか? 彼のような物好き以外には用のない代物だ。だが、高値は覚悟しなくてはなるまい。いくらなら払える? こう自問するや、再び彼は笑い出した。その笑い声はにぎやかな雑踏に紛れて消えた。

いくらなら? もちろん、いくらでもだ!

そして、3つ目の自問。行くか? 

彼はひどく真剣な顔つきになって、ショーウィンドーの脇にある扉をぐいと押し開けた。(つづく)

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反対側のドアが開きます

都内の電車で奇妙なできごとが発生した。ある特定の車両だけ乗客がいなくなるのだ。どういうことかというと、その車両に乗ると、乗客はひとりひとり前後の車両に移動していき、やがて無人になってしまう。

しかも、移動した乗客たちには一様に異常な振る舞いを見せた。すなわち、誰もが苦しげな表情でぶつぶつなにやら繰り返すばかりなのだ。この「症状」は下車するまで続くことも明らかになった。鉄道エンジニアたちが、車体を調査したが、異常な点は見当たらなかった。駅長が、もはやこれはお祓いをするほかない、と諦めはじめたとき、白い制服を着た駅員たちが姿を現した。「我々は異常現象究明部です。非科学的な対応をする前に、我々に任せてください」

駅長が「もうエンジニアたちが徹底的に調べたのだ」というのも聞かずに、白駅員たちは勝手に、問題の車両に乗り込み、聞いたこともないような掛け声をあげて、奇怪な機器を振り回していた。駅長たちは呆れながら見ていたが、10 分もしないうちに、白駅員が叫んだ。「これだ!」

異常の原因が明らかになったというのだ。白駅員が駅長たちを車両に呼んだ。

「これを見てください」と白駅員は乗降ドアの上の電光掲示板をさし示した。「実際に運行中のときのプログラムのまま、案内が流れるようにしてもらいましょう」 電光掲示板に「次は東京」と表示され、次の瞬間、「反対側のドアが開きます」に切り替わった。

「これです! さあ、急いで反対側のドアを見てください!」

駅長は振り返って反対側のドアの上の掲示板に目を向け、思わず「あっ」と叫んだ。なぜならそこにも「反対側のドアが開きます」と記されていたから。

そして、これを見た瞬間、駅長はもう一度、反対側の掲示板を見ずにはいられなかった。

「反対側のドアが開きます」

そして、駅長は反対側を見た。

「反対側のドアが開きます」

頭の中で「反対側のドアが開きます」がぐるぐると回り出し、駅長は「ま、真ん中のドア」とうわごとのように繰り返しながら、ふらふらと車両を連結するドアのほうに歩いていき、隣の車両に姿を消した。

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いわくつきの場所

2ヶ月ほど前、新しくラーメン屋ができた。行ってみたら、もう別の店になっていた。

駅前の大通り沿いにある場所で、条件が悪いとは思わないのだが、その場所だけ何度も店が変わるのだ。新しくできた店は居酒屋で「塗り壁」というへんな名前だ。表に出ているメニューを見たが、目新しいものはなさそうだ。

「どうやら、この店も持ちそうにないですね」と私は言った。そのいわくつきの場所の隣にある床屋で私は髪を切ってもらっていた。

マスターはハサミを鳴らしながら「そう思うとなんだか気の毒になっちゃって」

「不動産屋は何にも言わないんでしょうかね」

「言わないわけはないでしょうが、立地がいいからね。自分なら上手くできるとみんな思っちゃうんでしょうね」

「しかし、それにしても変な名前ですね。塗り壁だなんて」

そのとき、不意に声が聞こえた。「いや、それでいいのだ。今度は今までとは違うぞ。俺はそう睨んでいる」

その客は隣の椅子でタオルを顔にかけて横たわっていた。彼は続けた。

「マスター、あの居酒屋『塗り壁』の前の店、ラーメン屋だったが、なんと言ったかな」

「ええと、塩とんこつの店『レモン』だったな」

「うむ、その前の店は?」

「たしかバー……ブルームーンだ」

「その前は?」

「あれ? なんだったっけ」

「ダイニング鶴見だ。その前は喫茶ロン、その前はパティスリー・レザミ、その前はパン屋BUNBUN、その前はお好み焼きの月見屋、その前は美容室ロマンス……その前は……知らん」

「そうそう、ロマンスさん、不幸があってね、あそこも続かなかったんだ」とマスター。「で、それがなんの関係が」

「気づいたんだよ。ロマンスからレモンまで店の名前の頭の文字を並べてみたんだ。するとどうだ。ろつぶれろつぶれ……」

「ろつぶれろつぶれ……」 私は思わず叫んだ。「つぶれろ、だ」

「そうだ。そこで塗り壁だ」

「つぶれろつぶれ……ぬ!」

「そうか!」 私とマスターは声を合わせた。

……そして、二ヶ月後、髪の毛ボサボサの私が散髪に行くと、バーバー・ロッキーは閉店していた。