旅・観察

ジェルバ島へ

翌朝、私たちはマトマータを出て、ジェルバ島に向かった。

ジェルバ島もまた、いくつかの村でベルベル語が使われている。マトマータ地域よりもずっと話者人口が多いという。

ジェルバ島はチュニジア有数の観光地でもあるが、私たちが行くのはガッラーラというベルベル語の村だ。せっかく南部に来たのだからと、Sさんが立ち寄ることにしてくれたのだ。村にはSさんの友人がいた。

マトマータからおよそ二時間の道のりで、ローマ時代にまで遡るという橋を通ってジェルバ島に渡る。ガッラーラに入る。マトマータやターウジュートよりはずっと大きいし商店も並んでいる。村というより町だ。私たちはSさんの友人に会う予定で、待ち合わせ場所に向かっていた。Sさんは途中で車を止めて、道を歩いている若者にアラビア語で道を尋ねる。それから、ベルベル語に変えた。若者もベルベル語で答えた。

「町ではみんなベルベル語を話すかい、と聞いたら、みんなそうだ、と言っていたよ」と、車を運転しながら教えてくれた。私は興奮を禁じえなかった。

Sさんの友人は私たちをある陶器店に案内してくれた。ベルベル語を話す人がやっている店だという。車を停め、店の敷地内に入ると、巨大な素焼きの壺、梅干しを漬けられそうな壺、用途のわからない陶器が所狭しと並べられ、積み重ねられていた。売店の屋根や庇に壺が置かれ、外壁は陶器が埋め込まれている。

しかし、主人は不在のようだ。名前を呼ぶが誰も出てこない。私たちは売店や右隣にある焼きがまを見て回る。

少し離れたところに工房もあった。まるで穴倉みたいだ。中に入ると、やはり壺が所狭しと並べられている。奥の部屋には粘土の塊が置かれている。呼んでも誰も返事をしない。Sさんの友人が看板に記されている電話にかける。

すると、工房の作業台に置かれた携帯電話が明滅した。電話を置きっぱなしで留守にしているのだ。

売店も開けっぱなしだ。主人がいないまま、私たちは売店の中に入り、壺や花瓶を見る。

「チュニスでこんなことしていたら、瞬く間に店が空になってしまうよ」とSさんが笑った。

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理由

水の問題はターウジュート村だけではない。周辺の村でも同じだそうだ。

日本でもどこでもそうだが、結婚式は大きなイベントだ。チュニジアの昔話の結びには、幸せに結ばれた王子とお姫様の結婚式は七日間続き、さらに七日間続きました、といった定型句がよく出てくる。これに続いて、そのあいだ町の人々は料理をしませんでした、という文句も出てくることがある。つまり、結婚式の間は、町中の人々に食事がふるまわれるのでその必要がないということだ。

二週間というのはおとぎ話の誇張だが、今でも七日間おこなう地方もあるそうだ。ターウジュート村周辺にもその伝統は続いているとのことだが、ある村で最近あった結婚式は三日間だけだったという。なぜなら、食事をふるまうためには水が必要だから。

またあるベルベル語の村では、毎年一週間の祭りが開催される。その期間、村はチュニスやフランスから里帰りする家族や、一緒にやってきた友人たち、その他観光客でにぎわう。

村にとっては年に一度の書き入れ時だ。レストランでは、伝統的な料理が提供される。カフェはほとんど二十四時間営業だ。このときだけ使われる特別な宿泊施設もあって、そこらのホテルより高い。

だが、水がなくなった。水も出なければ、シャワーも浴びられない、そんなところに遊びに来る観光客はいない。村は貴重な収入源を失い、住民たちの暮らしはますます厳しくなる。村を離れる人も出てくる。

ターウジュート村を後にしたSさんと私は、山地にある村をいくつか通り過ぎたが、崩れかけた空き家をよく目にした。ターウジュートにあるSさんの家も同じだ。

水がなくなると、人がいなくなる。この村の言語が消えつつある理由のひとつに、私はようやく気がついた。

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断水

私たちが訪れたとき、ターウジュート村は断水中だった。村では水道が止まることはよくあることのようだった。山地にあるので、低地の観光地で水をたくさん使うと上がってこなくなる。そういう話なのだが、今はオフシーズンだ。結局のところ、村人たちにも原因はわからないらしい。

水の問題を解決してもらおうと、行政にも働きかけたが、うまくいかなかった。ある村人が専門家を連れてきて、水脈を見つけて井戸を掘ってもらった。「国が何もしてくれないから、結局自分たちで解決したよ」とSさん。

そもそも南部は雨もほとんど降らず、水の乏しい地域だ。昔から雨水を貯水して使う生活を送ってきた。貯水槽はどの家にもある。詳しいことはわからないが、地下の空間に水が溜まるようになっているようだ。井戸と貯水槽があるから、断水でもやっていける。

Sさんのおじの家にいるあいだ、私はトイレを使わせてもらった。「水が流れないときは、バケツの水を使ってください」 そういわれたので私は、用を済ますと、バケツに浮かぶカップで水をすくって便器に注いだ。四杯ほどでやめた。何事も完璧を目指すとよくない。

トイレを出ると洗面台がある。昼食の後、そこで私は「兄」と一緒に手を洗った。洗面台の上にたらいが置かれ、水が入れてあった。「兄」は液体の石鹸を手にちょっと垂らして、たらいの水で手をゆすいだ。「弟」も同じようにした。

ソファのある部屋で歓談していると、村の子どもがペットボトルの水を運んできて、グラスと一緒にテーブルの上に置いた。1.5 リットルのペットボトルは冷蔵庫から出てきたばかりで、水滴が表面に浮かんでいた。家の主人が蓋を開け、グラスに水を注ぎ、私の前に置いた。

私は感謝し、水を飲んだ。そのときSさんが私に言った。

「飲んで大丈夫かい? それは貯水槽の水だよ」

私はペットボトルの水を見た。外の光が透けて見えた。私はもう一口飲んだ。

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ひとつの皿

私が村でどんなものを見たか、どんな人に会ったかは、ここではあまり書かない。Sさんのおじの家に招かれると、そこには朝食が準備してあった。

ホテルですでに食べたので「二度目の朝食だ」とSさんが笑う。

テーブルの真ん中に平皿が置かれ、薄い黄色の液体が入っている。これはオリーブオイルとシャーミーヤという甘い胡麻のペーストを混ぜたものだ。家の主人がパンをちぎってそれをつけて食べる。私も同じ皿からパンですくって食べた。二度目だというのに食べ過ぎてしまった。

それからソファのある部屋に移動する。別の親戚たちが集まってきて、歓談をしている。みな老人だ。ターウジュート村に限ったことではないが、村にいるのは老人と子どもばかりだ。若い人や働ける人はガベスやチュニスに行ってしまった。帰ってくるのは夏休みだけだ。

私がベルベル語を勉強していると聞くと、老人のひとりが喜んで「あなたと私は兄弟だ」と言ってくれた。かなり年の離れた「兄弟」に若干ひっかかりを覚えたが、あたたかい言葉だ。

お茶を出してくれた。小さなグラスに甘いお茶が入っている。アーモンドを入れた「緑の茶」や、濃くて苦味のある「赤い茶」を飲む。

話しているといい匂いが漂ってきた。テーブルが運ばれてくる。昼食だ。

真ん中に大皿がある。山盛りのスパゲティの上に細長いピーマンとじゃがいもを揚げたもの、そして肉の塊が乗っかっている。大皿の脇には、パンと、サラダの皿、オムレツの皿、焼き肉の皿が置かれている。山羊の肉だそうだ。

四人で大皿を囲むように座る。フォークを渡される。老人のひとりがフォークで大皿のパスタを巻いて食べはじめた。私も同じ皿にフォークを突っ込んで食べた。日本流に麺をすすらないように注意して食べたが、ときどき忘れてしまった。

隣に座る私の「兄」が気を遣って、私の手の届かないところにある焼肉やオムレツ、パンを次から次へと取ってくれた。私も次から次へと口に入れ、お腹いっぱいになった。

昼食後、私たちはこの家を後にした。強い日差しのなか、村を歩いて一周し、車に乗ってマトマータに戻った。

後で、Sさんは「あのとき私たちはいったい何杯お茶を飲んだ?」と笑った。

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入り口

ターウジュート村の入り口に聖者廟がある。白い建物で、屋根のドームが緑色に塗られている。私たちの車はそこからさらに周囲をぐるりと回って村にたどり着いた。

道と村の間に広がる窪みを指してSさんがいう。「思い出した。昔はここに水が溜まってプールみたいになっていたんだ」

Sさんが村を離れたのはまだ子どものころだ。その時以来、帰ったのは一度しかない。それも日帰りだった。彼にとっては二度目の里帰りということになる。ただし、家はずっと無人のままだ。

「家は荒れ放題だ。おじが羊と山羊をそこで飼ってるよ」

車は村の中の坂道を登っていく。緩やかな丘の斜面に石造りの家が積み重なっている。子どもがパンを抱えて歩いていた。Sさんは、斜面に立つ一軒の家の前に車を停めた。車を降りる。

その家の入り口は道路より高いところにあって、短い階段があった。入り口の小さなバルコニーのようなところに五歳ぐらいの男の子がいて、鉄の柵に寄りかかっていた。Sさんによれば、おじのひ孫だそうだ。

Sさんは男の子のところに行き、話しかける。ターウジュートの言葉で、お父さんはどうした、というようなことを尋ねた。高いところにいる男の子は、鉄柵に体を押しつけながら、なにやらもごもご言っている。

私は長い間、チュニジアでベルベル語を学ぶことができないかと考えてきた。そして、昨年ついにSさんと出会い、一緒にチュニスでベルベル語を記録する機会を得た。今回の滞在で合わせて四週間ほどになる。その間、私はSさんが電話でお母さんとベルベル語でやり取りするのは聞いていた。しかし、目の前でベルベル語が使われているのを見るのは初めてだった。

入り口に立つまでにずいぶんと時間がかかったように思う。

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ターウジュートへの土産

翌日の朝、私たちはターウジュートに向かって出発した。マトマータを出る前に、Sさんは八百屋でスイカとメロンを買い、食料品店でクッキーとジュースを買った。村へのお土産だ。

私たちが夜を過ごしたマトマータは、地中海に面した街ガベスから南西に向かう道路を一時間ほど進んだところにある。車はさらにその道を西に進む。十キロほど進むと、タマズラットという小さな村がある。この村でもベルベル語が話されている。

道をさらに西に向かうと、南部の都市ドゥーズに至る。また、タマズラットを起点に北に進む道もある。ターウジュートに向かう道だ。曲がりくねった山道を三〜四キロ進むとターウジュートに着く。

その道中、iPhone の地図を見ながら私は、ターウジュートの先にはなにがあるのか、Sさんに尋ねた。というのも道はそこで終わっていたから。

「なんにもないよ」と笑う。

同じベルベル語が話されている村でもタマズラットは違う。ガベスとドゥーズを結ぶ道の途中にあり、車が行き来し、観光バスも通る。大きな家もある。しかし、ターウジュートは通過点にもならない。行き止まりだ。そんな場所にベルベル語が生き残っている。

タマズラットに近づいたとき、Sさんが水を買い忘れたと言った。タマズラットで車を止め、Sさんは店に水を買いに向かった。車で待っていると、Sさんが一リットル半の水を十二本ぶら下げて出て来るのが見えた。私はてっきり自分の飲み水を買いに行ったのかと思っていたが、お土産だったのだ。

そういえば、前日の夜、ターウジュートでは断水が一週間続いているとSさんが話していた。ペットボトルの水がお土産になる場所に私たちはやってきたのだ。

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マトマータの戦い

マトマータ(マトマタ)に到着したのは十六時過ぎで、五時間越えのドライブだった。

マトマータは岩山に囲まれた小さな観光地で、穴居住居で有名だ。これは、地面を掘り下げ、その周囲の壁をさらに掘って部屋にした家だ。マトマータにはこの洞穴を客室にしたホテルがいくつかあり、私たちはそこで二晩過ごした。洞窟部屋は夏は涼しく、冬は暖かい。入るとひんやりしている。

マトマータはまたスターウォーズの聖地のひとつでもある。この穴居住居が、惑星タトゥイーンのルーク・スカイウォーカーの家のモデルとなった。実際に撮影地として使われたホテルもあり、その入り口はスターウォーズのキャラクターや戦闘機で派手に飾られている。もっとも、私たちが泊まったのはもっと安い洞窟宿だった。

長期の旅行に出るときは、捨ててもいいような着古した服を適当に詰めて持ってくるが、マトマータで着替えようとしたとき、スーツケースの中のTシャツを取り出して愕然とした。そこにはR2-D2が描かれていたから。着るべきか迷ったが、ほかに服もないので着ることにした。だれにもなにも言われなかったが、見る人が見たらイタいスターウォーズおじさんと思われたことだろう。

中途半端な時間に着いたせいもあり、またオフシーズンのためでもあるが、私とSさんは開いているレストランを探すのに苦労した。ようやく見つけたレストランでも、提供できる料理はひとつしかなかった。

木陰に据えられたテーブルに座る。暑さも和らぎ、いい風が吹いてくる。やがて料理が運ばれてきた。鶏肉のエスカロープ、オムレツ、サラダ、フライドポテトが皿に盛られている。レモンが添えられているので、絞ってたっぷりかける。

外なので、何匹も蝿がやって来る。片手で払いながら食べる。鶏肉が硬い。フォークで押さえてナイフで切ろうとするが、なかなか切れない。両手が塞がっているのを好機とばかりに蝿たちが集中攻撃をかけてきた。レッド中隊にブルー中隊だ。

食べ終わると、Sさんは手をつけずにおいたレモンを取った。そして、自分の手のひらに絞ると、両手を擦り合わせた。手にレモンの香りが残るのだという。粋なので私も真似してやってみようと思う。

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国境の向こうへ

Sさんが借りた車でホテルの前までやってきて、私たちは南部への旅に出発した。

以前、南部に行ったときは列車だったので、あまり風景には注意を払わなかった。しかし、高速道路で南に向かうと少しずつ風景が変わってくるのに気がついた。

チュニスを出たばかりのときは、私は周りを走るいろいろな車を見るのが楽しかった。チュニジアではフランス車、イタリア車、ドイツ車が主流だ。それに韓国車、日本車が混じる。インドやルーマニアの車もある。日本車は少数派だが、トラックではいすゞが存在感を見せている。

高速道路の料金所では通過する車が並んでいた。それらのあいだを売り子たちがティッシュやアーモンドの袋を持って歩き回っていた。暑いのに大変な仕事だ。みな若い人々だ。私は気の毒になった。

しかし、料金所に近づくと、係員のボックスの前の日陰の部分に、お茶とアーモンドとスナックを乗せた台の前に人が座っているのが見えた。あれらの若い人々は仕事のない悲しい人々ではなく、わりとちゃんとしたビジネスを担っているようなのだ。私はやや明るい気持ちになった。

さらに南に進むと、また料金所があった。そこにも同じような売り子たちがいたが、今度はお茶だけでなく、つばの広い帽子と車の日除けも売っていた。ニーズに合わせて商品も変えているのだ。

私たちはスファックス周辺に入った。見渡すかぎりのオリーブの果樹園が広がっている。オリーブオイルの名産地だ。私たちがオリーブオイルのビジネスについて話していると、オリーブの木はまばらになり、やがて消えていった。薄い茶色の地面にポツポツと緑が生えているだけだ。ゴツゴツとした岩山も目立つようになってきた。Sさんが言った。

「ここからサハラが始まっていくのだ」

いきなり砂漠が現れるわけでなく、その手前に乾燥地帯が広がっているのだ。見回せば、車もだいぶ少なくなっていた。料金所も通ったが、売り子もいなくなっていた。最後の料金所にいたっては無人で荒れ果てていた。

「どこで料金を払えばいいのか」とSさんも呆れ顔だった。

なくなっていくものばかりだが、そのかわりに増えてきたものもあった。リビアナンバーの車とリビア行きのトラックだ。チュニジアのナンバープレートは黒だが、リビアは白だ。車はグレーか白が多い。どんな人が乗っているのかはわからない。ずっと南にリビアとの国境があり、そこに向かっているのだ。トラックは、内戦の最中のリビアで売れるものを運んでいく。乗用車でチュニスまで医療を受けにやってくる人も多い。

私はビルマのことを思い出した。内戦の続くビルマでも、少しお金のある人はバンコクやシンガポールの病院に行く。だからたぶん、リビアからチュニスに来る人もお金持ちだろう。

私はいつかリビアに行きたいと考えてきた。それでSさんにリビアに行ったことがあるか聞くと、内戦の前に行ったことはあるが、今はとてもじゃないけど無理だとの答えだった。

「あそこの人たちはみんないい人だったよ」とSさん。

チュニジアの昔話にもたまにリビアが出てくる。たいていは、地の果てというイメージだ。例えば、冒険の旅に出た主人公はチュニスを出て南に進み、ついにリビアの国境を越える。さらに先に行くと魑魅魍魎の暮らす砂漠が広がっている。リビアは異界の手前にある土地だ。

リビアの車は私たちを猛スピードで追い抜いていく。どの車も不思議なほど急いでいる。

それにしても、と、遠ざかっていくリビアの車の背中を見ながら私は考えた。国境を越えられないリビアの人々は今、どんな暮らしをしているのだろうか。

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カッラーカの臭い

レンタカーの事務所から少し歩くと、ラグレットという海辺の町に出る。海水浴場にはパラソルが並び、泳いでいる人たちがいる。私たちは海辺のカフェでお茶を飲み、チュニスにはない静けさを味わった。

それから町中に入りタクシーを探した。遠くに茶色い壁が見えた。古い城塞のようだ。行きにも見かけたこの建物についてSさんに尋ねると、これはカッラーカといって昔の牢獄の跡だという。今はイベント会場として使われているとのこと。

チュニスに戻ってからネットで調べると、十六世紀にスペイン人が作ったもので、カッラーカもスペイン語に由来すると書いてあった。私はなんとなくこの語にどこかで出会った気がしてきて、手持ちのデータを見直した。すると出てきた。

karraːka(複数 karraːkaːt)刑務所

面白いことに複数形まであった。これはチュニジアの物語集に出てきたもので、こんな例文もメモしてあった。

「カッラーカの臭いが彼から漂っている(=ムショ帰りだとすぐわかる、くさい飯の匂い)」

Sさんによると、カッラーカはあまりにも有名なので、転じて刑務所そのものを表すようになったのだという。このメモは二〇年前のものだが、ようやくその語の生誕の地に至ったというわけだ。

悪いことをした子どもに「そんなことをすると、カッラーカ行きだよ」と脅すこともある、とSさんはまた教えてくれた。

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車を借りに

Sさんの故郷、ターウジュート村には車で行くことになった。チュニスから六時間だという。だが問題はその車だ。Sさんは車がないので借りなくてはならない。

去年の八月、やはり車でターウジュート村に行くことを計画していたが、直前になって車がキャンセルされてダメになった。チュニジアではなんでも計画通りにいかない、とSさんは怒っていた。

今回は大丈夫そうだ。午後に車を取りにいくから一緒に行かないか、とSさんが提案してくれた。レンタル料を払うのは私だから自分で行ったほうがいいに決まっている。面倒くさかったが行くことにした。

私たちは待ち合わせ場所に集まり、歩き出した。どこに向かうのかと思ったら、郊外電車の駅だという。てっきり歩いてすぐのところかと思っていたが、目的地はずいぶん遠くなのだ。

郊外電車の駅までもけっこう遠い。駅に着くと、Sさんが言った。「カバンを前にかけて、携帯電話に注意するんだ」 私はこの電車には何度も乗ったことがあるが、そんなに混まないし、スリがいるような雰囲気ではない。現地の高校生たちがワイワイ騒いでいるような電車だ。

Sさんは切符を窓口で買うと駅を出て、その脇に止まっているバスに乗り込んだ。

「路線工事で今は電車は走っていないんだ。それで代わりのバスで行くっていうわけだ」

バスは満員だった。みなおしゃべりに夢中で、携帯を見ている人はわずか数人だ。私も携帯を見たかったが、Sさんの注意を思い出して我慢した。

「工事はいつ終わるんですか」

「チュニスではそういうことはいっさいわからないよ」

満員の上にさらに何人かが乗り込み、バスは動き出した。

もし私が同行しなかったら、車を借りるためにSさんがどんな苦労をしているかわからなかっただろう。そしてそのぶん私は、ちょうど日本の電車が工事だからといって運休しないのを当たり前だと思うのと同じように、Sさんがレンタカーで私を迎えに来てくれるのを当たり前だと思ったことだろう。

私は彼に感謝した。そして揺れるバスの中で考えた。行きは確かに大変かもしれないが、帰りはレンタカーだから楽に決まってる、と。

バスは目的地に到着し、私たちはレンタカーの事務所に行った。壁に大きく会社のロゴと車の絵が描かれ、模型の小さなフェラーリが天井から吊るされていた。中に白い電灯があった。デスクにいた若い女性がビニール袋から車の鍵をいくつも取り出して目の前に並べた。

そして私たちは、車が明日の朝にならなければ用意できないことを知った。帰り際、私がフェラーリの写真を撮りたいというと、女性は隣の部屋にも別の車が吊るされていると自慢げに教えてくれた。