風刺・戯文

ニッポンのモノづくりがあぶない

アナウンサー「では、次のニュースです」(映像が切り替わり、記者が登場)

日本のモノづくりは、高い技術力、品質、製品開発力、きめ細やかなサービスにより、日本の社会と文化を支え、世界のモノづくりをリードしてきました。

ところが、国際化の進行につれ、今、日本のモノづくりが大きな危機に直面しているのはご存知でしょうか。

「これまで当たり前だったモノが今の社会では通じなくなっているんです」と語るのは、日本モノづくり協会の会長、物部守さん。

「例えば、男は命をかけて仕事をするモノだ、という日本の伝統的なモノが今や見向きもされないのです。女は仕事なんかするモノじゃない、家で夫を支えるモノだ、なんて言ったら今ではそれこそ炎上モノですよ」

都内の工場を訪問すると、そこには在庫の山が。「どれもこれも、日本人は、男は、女はこうあるべきモノの売れ残りです。いったいどうしたモノでしょうか」と、製造者は頭を抱えます。

日本のモノづくりをめぐるこうした状況に専門家は「これまでの既成概念にとらわれず、社会の変化に合わせるコトです。このままだとコトによると『それ見たコトか』と笑われかねません」と手厳しい指摘。

変化など知るモノかなどとは言っていられない、と関係者が一様にモノがなしい面持ちの現場からお伝えしました。

アナウンサー「モノがモノだけに、これはコトですね。では次のニュースです」

風刺・戯文

AI 災害

AI について独自に学んでいた友人は、驚くべき結論に達した。AI とは自然現象なのだという。まともな頭ならば、AI は人工物だと思うはずだが、彼の頭はちょっとおかしかった。

彼に言わせれば、AI は巨大になりすぎて、人間にはもはや管理できないのだという。それはちょうど人間が天気や風向きといった自然現象を管理できないのに似ている。AI 対して人間ができることはといえば、ちょうど毎日天気図を見て予報するように、AI の挙動データから、日々の AI の動作具合を予想するぐらいなのだという。

そして、彼はある日、恐るべき認識に行き着いた。自然がしばしば災害を起こすように、AI も災害を起こしうるのだ。友人は AI に尋ねた。

「AI よ。汝が起こしうる災害を告げよ」

AI はただちに返答を与えた。

「もっともありうる災害は、データ洪水。AI が処理できる速度を超える量の情報が投入され、内部表現空間の飽和が引き起こされる。その結果、すべての意味が AI の外部に溢れ出て、世界は過剰な意味の海に飲み込まれる」

このお告げが下されたそのときから、私の友人は自分の家の前の空き地に巨大な船を作りはじめた。周りの人がどんなにバカにしても、いっこうに聞かない。彼は今、船の中に、パソコンやスマートフォンなどの IT デバイスをオスとメス 2 個ずつ運び込んでいる。

風刺・戯文

涙は下に流れる

私たちは年齢を重ねると涙もろくなる。子どもが健気に歌っている姿や、若者が成長しようともがいている姿、それどころか、犬がしゃにむにおもちゃを追いかけている姿にさえ、私たちは涙を流すようになる。

その理由については、経験を積むことによって共感力が高まり、また、加齢によって感情の抑制が緩んだためだとされる。とはいえ、ここでひとつ注釈を加えるとすれば、私たちはなんでも共感するわけではない。どんな健気なものも心を動かすのではないのである。

例えば、自分よりも年上で地位が上の老人が頑張っていても、涙は流れない。つまり、自分よりも下の存在が健気に頑張っている姿にかぎり心打たれるのだ。だから、年上の老人でも、瀕死の病人やホームレスだったりして、自分よりも下だとみなせる場合は、私たちは涙を流さないものでもない。涙はいつも下向きに流れるのだ。

さらに、もうひとつ注釈を加えるとすれば、私たちが涙を流す健気な対象は、私たちが干渉できない位置にいなくてはならないということだ。私たちは健気な姿にどんなに涙を流したとしても、その対象にアドバイスをしたり、手助けをしたりはしない。なぜなら、そうすることは、私たちの美しい涙の邪魔になるから。これは、私たちが動画を見て涙を流すことを心から愛していることの理由でもある。

こうしたことを考えると、宇宙人が地球に来ないことの理由がはっきりする。人類よりもはるかに進んだ宇宙人は、地球を眺めて「最近涙もろくなって」などと言いながら、人類の健気な姿を見るだけで満足しているのだ。

小説

聖地巡礼

私たちの夢は聖地巡礼だ。鋭い山頂に乗っかる聖域、海の光が眩い白い塔、風の吹く墓地。いつか、いつか巡り歩きたいと思いながら、つらい人生を生きている。

私たちには養うべき家族がおり、支払うべき負債があり、苦しむべき労働がある。夜は亡霊のようだ。

私たちには知恵も生気もなく、ただ奪い取られるばかり。報酬はといえば、恥辱と侮蔑だけだ。孤独が孤独でもこれほど孤独ではないだろう。

いつか金を手に入れたら、いつか自由を手に入れたら、いつか頭を上げることができたら、いつか、いつか、いつか……いつか私たちは聖地巡礼の旅に出発するだろう。

だが、私たちは決して聖地に着くことはないだろう。私たちが聖地に行くよりも先に、病と老いと死が私たちのもとにやってくるから。奪われ続けた私たちは、苦しみと悲しみにまみれた生を最後に奪われるのだ。

そして、そのとき、私たちは、自分たちが知らずして聖地を巡礼していたことを知るだろう。

風刺・戯文

リベラル密輸事件

人々が東京湾の海上でその怪しい船を拿捕し、その積荷を見たとき、驚き、憤らずにはいられなかった。船倉はリベラルの票でぎっしりだったのだ。

「これは外国勢力によるリベラル票の密輸だ。リベラルどもはこの票を使って選挙に勝ち、日本を外国に売り飛ばそうとしていたのだ」

たちまち警察が関係各所を捜査し、密輸を企てたリベラルどもを一網打尽にして芋づる式に逮捕した。

船から見つかった大量のリベラル票はといえば、倉庫に搬送され、事件の重要な証拠としてまとめて保管されることになった。捜査が進展すると、証拠をさらにしっかり調べるために、捜査員たちにこんな命令が降った。

「密輸事件のリベラル票をすべて持ってくるように」

捜査員たちは倉庫に向かった。倉庫に入り、奥の方へと歩いていくと、プンとイヤな臭いがしてきた。次第に強まりゆくその悪臭の中を歩いていくと、その先に「証拠、リベラル票」と書かれた箱がいくつも積まれていた。腐ったような臭いを発しているのはそれらの箱なのだった。

捜査員たちはあまりの臭さに吐きそうになりながら、その箱を開け、中身を見てびっくりした。

地球温暖化を見くびっていたのだろうか、リベラル票の保存と温度管理が適切でなかったせいで、みんな腐って保守票になっていた。

風刺・戯文

郷に入っては

私は、郷に入ってはいつだって郷に従ってきた。今日も郷に入る。郷に従うために。そして郷に入った。もう従いたくてたまらない。我慢できない。従った! すると誰かが声をかけてきた。

「ここの郷はその郷じゃない」 その人は郷をやってみせた。「こうだ」

「なるほど」と私は言うとおりにする。すると、別の人がやってきて横槍を入れた。

「その郷はここの郷じゃない」

「えっ、じゃあ、これはどうです」 自分なりの郷を披露する「郷ですか?」

「いや、それもここの郷じゃない。こうだ」

「ほほう、なるほど」 私は郷に従う。すると、さっきの人がやってきて怒り出すではないか。

「その人にデタラメを教えてはいけない。ここで従うべき郷はこう」

「いや、この郷だ」

「違うこの郷」「いやこうだ」

ケンカが始まる。すると別の人が駆けつけてきた。

「おい、ケンカはやめなさい。この郷ではいろいろな人の郷を認めあうのが郷じゃ」

これを聞くや、ケンカをしていた二人、一緒になって突っかかる。「嘘をつけ! どの郷であろうと郷はひとつだ!」

そのとき奇声が聞こえた。声の主が、私たちの中に飛び込んできて、甲高い声で怒鳴る。

「キエーッ! この郷では郷のやり方に従わないのが郷なのじゃ!」 そいつ、他の人を突き飛ばしたり、唾を吐いたり、いきなり全裸になって汚い体を見せつけたり、もうめちゃくちゃだ。

私はほうほうのていで逃げ出した。混乱してる。教えてください。郷ってなんですか。

風刺・戯文

今、日本の性があぶない

性癖とは「もともとは性格一般についていう言葉だったのに、今ではセックスに関する意味だけで用いられるようになってしまった」というようなことを誰かが指摘していた。確かに辞書で性癖を見ると、「生まれつきの性質。また、性質上のかたより。くせ。」と書いてある。

これが現在では、自分の性的興奮を喚起する、一般の人々から見ると少し特殊なポイント、というような意味で用いられるようになった。もっとも、これはインターネットを使う世代以降の話で、その前の人々はもともとの意味で「性癖」を用いて、性的な意味しか知らない若い人々を今も戸惑わせているかもしれない(ただしそれが性癖という可能性もある)。

「性」という言葉は「生まれつきの性質(英語でいえば nature)」という意味のようで、それで今ならば「生命」と書くところを「性命」とすることもあった。この生まれつきの性質が、男女の生まれつきというところに結びついて「性別(gender)」の意味をもつようになったと推測できる。この gender の性が、「性的な(sexual)」の性に結びつくのも当然の成り行きだ。

いっぽう「生まれつきの性質」の性は、今も「性格、性質、性善説」などに健在であるが、どれも新しい言葉ではない。これに対し「性的な(sexual)」の性は、「性器、性体験、性交渉、性感染」などの言葉に加えて、社会の変化にともなってクローズアップされてきた「性的指向・志向」「性的同意」「性差別」などますます勢力を拡大しつつある。

「性癖」が性的に受け取られるようになったのも、こうした背景が関係しているに違いない。だが、これはもしかしたら、nature の「性」が今あぶないということではないだろうか。なにしろ「性癖」はすでに「性的な(sexual)」の性に乗っ取られてしまったのだ。

私が思うところ、つぎに危険なのは「性向」だ。「向」がすでに「性的指向」と裏で通じ合っていて、もう裏切りそうな気配がある。この性向が性的側に寝返ったら、次は「性善説と性悪説」だ。こうなったらもう性的の進軍は止まらない。「性格」も「性質」も落城するのは時間の問題だ。

そして、近い将来、私たちは「関係性」「積極性」「感受性」「アルカリ性」などの言葉も、使うときにちょっと考えなければならなくなるだろう。

風刺・戯文

当たり前の灰汁

食べ物でもなんでも当たり前がいちばんおいしい。もしかしたら「当たり前」が最良の調味料かもしれない。そう考えた博士がいた。そこで、何年もの研究のすえ、博士は「当たり前」の抽出に成功した。博士はさっそく著名人やマスコミを集めて、披露することにした。

「ここに肉じゃがの鍋が2つあります。どちらも同じ肉じゃがですが、片方の鍋に『当たり前エキス』を加えてみましょう」

博士は助手を呼んで、鍋のひとつに粉末を振りかけさせ、しばらく加熱させた。「できました。どうぞこのふたつの肉じゃがを食べ比べてみてください」

人々は食べ比べてみるやいなや、口々に「やっぱり当たり前がいちばんだ!」と感嘆の声をあげた。

当たり前の肉じゃがを夢中で食べる人々を前に博士が満足げに立っていると、ある人がやってきてこんな発言をした。

「こんな時代に『当たり前』なんて言うのはおかしいです。私たちの国にはいろいろな国の人がいるのだから、自分の当たり前が通用するなんて思ってはいけないと思います」

人々は「私たちの当たり前にケチをつけるなんて、なんて当たり前でない人間だろう」と思ったが、怒り出すのは当たり前ではないと思って黙っていた。すると、博士は余裕の笑みを浮かべて人々に語りかけた。

「私はこんな反論のあることも予期していました。これをご覧ください」と、博士は別の粉末を取り出した。「これは、外国の当たり前を抽出したものです」

博士は、助手にその粉末を渡すと、先ほど日本の当たり前を入れた鍋に投入するように指示し、再び加熱させた。

ものの数分も経たないうちに驚くべきことが起きた。グツグツいうにつれて、汚らしい灰汁が浮かび上がってきたではないか。灰汁はたちまち膨れ上がり、肉じゃがはもはや食べ物にすら見えなくなった。

「ご覧ください。日本の当たり前に外国の当たり前を混ぜると、こんなふうになってしまうのです」

人々は、用意周到な博士にあたらめて賛辞を送ると同時に、当たり前でない発言をした人を協力して会場から追い出した。なぜなら、そうされて当たり前だったから。そして、「やはり日本では日本の当たり前がいちばんおいしいのだ。私たちは日本の当たり前を守らなくてはならない」と誰もが決意しながら、帰途についた。

人々が立ち去ると、博士は助手に片づけるよう言いつけて、もっと純粋な当たり前を開発すべく実験室に戻っていった。

ひとり残された助手は、ただちに片づけに取りかかったが、灰汁だらけの肉じゃがを捨てるのはもったいないような気がした。そこで再び加熱して、丁寧に灰汁を取って、食べてみた。

当たり前の肉じゃがなんか目じゃないくらいうまかった。

小説

【今日の講話】お盆の物語

今日は、お集まりの皆さんに、お盆にちなんだお話をいたしましょう。

ある裕福な男が夢を見たということです。見ると、亡くなった両親が地獄で苦しんでいます。燃え盛る炎が、二人の体を焼き、食べ物も水も口に近づけるや炎と消えてしまうのでした。

男は駆け寄って助けようとしましたが、見えない壁に隔てられて近づけません。男は絶望して、泣くばかりです。

そのとき、仏様がやってくるのが見えました。男は仏様の足元に身を投げ、苦しんでいる両親を助けるにはどうしたらよいか涙ながらに尋ねました。

「男よ」と仏様は言いました。「目が覚めたら、貧しい人々のために働きなさい。それがお前の両親を救うであろう」

男は朝、起きるや否や、街に出て、貧しい人々に施しをはじめました。飢えた人々には食べ物を与え、家のない人々には住むところを世話し、親のいない子どもには安心して勉強できる場所をつくりました。

そして、善行の一日が終わると、男は再び眠りにつきました。

夢の中で、男は両親が楽しげに暮らしているのを見ました。火炎地獄とうってかわって、そこは穏やかな光に包まれ、涼しく爽やかな風がそよそよと吹いていました。

両親は男を見ると、感謝に手を合わせます。男は言いました。

「お父さま、お母さま、もうすぐお盆でございます。お盆には、亡くなった方々がこの世に戻ってくるとのことです。今年のお盆には、供え物でおもてなしいたしますので、ぜひおいでください」

すると両親は言いました。「いいや、わしらはここにいるよ」

「それはまたどうして」と、驚く男にこう両親は答えました。

「お盆の日本は地獄より暑いからの……」

風刺・戯文

満員バウンド

《「思わず大笑いしてしまいました」 アメリカ人が日本の満員電車で驚いた意外すぎる姿とは》

日本の満員列車は、一度は体験してみたいアドベンチャーとして、世界中で注目されています。初めて日本を訪れたというアメリカ人の2人組、ジョンさんとナンシーさんは、さっそくラッシュアワー時の満員列車に挑戦しました。

「本当にもみくちゃにされましたよ! 想像していたよりもエキサイティングな経験にもう夢中です」と語るジョンさん。「リッチで車社会のアメリカでは満員列車など経験するチャンスなどありませんから。それに、これだけストレスフルなのに銃を乱射する人がいないのもちょっと不思議ですね」

「はじめはすごく怖かったの」と正反対の感想を語るのはナンシーさん。「というのも、はじめて満員電車に乗ったとき、どの日本人もフェンタニル中毒者に見えたんです。みんなゾンビみたいに思い思いのかっこうで固まっていたから。でもそれはキュウキュウで身動きできないだけだとわかって、思わず大笑いしてしまいました!」

東京だけでなく、大阪の満員電車にもチャレンジしたいというお2人。帰国までに、ミンチになっていなければいいですね。