旅・観察

六月の旅のあとがき

六月三日に日本を発ち、二十九日に帰ってきた。このブログでは、以前からその準備については書いてきたが、旅そのものについて書き始めたのは、六月三日の「出発」からだ。あまりしないことだが、日記のように書いてみようと考えていた。しかし、旅の時間と書く時間は違い、結局のところ、そうはならなかった。もっとも、時間が経ったら消えてしまうような事柄は書き残せたのではないかと思う。

書いた内容は三つに分けられる。ひとつはチュニスからターウジュート村への二泊三日の旅行についてだ。六月十二日から六月二十三日までの記事がそれにあたる。

もうひとつは、その前後でのチュニス滞在のことや、Sさんとの調査のことを書いたものだ。六月六日から十一日まで、六月二十四日から七月二日までのもので、「犬の友だち」(全六回)もここに含まれる。

そして三番目は、イタリア滞在記で、ほとんどがシチリア島のカターニアでの学会参加の記録だ(七月三日から七月九日)。

チュニジアでの調査も、イタリアでの学会発表も、科研費(26K03906)なしには実現しなかった。今回の旅に関わるさまざまな人々の尽力にも感謝したい。

とはいえ、このブログに書いたことは、学術的な成果ではなく、私がどのように、そしてどのような環境で研究課題を遂行したかということだ。なので、研究に関係のないこともたくさん書いたし、自分の失敗についてもたくさん書いた。

研究者ならば書かないことかもしれない。しかし、手裏剣に始まり、犬が歩き回り、はなやかな青のドレスに終わる旅の記録は、私にはふさわしいようだ。

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ローマの休日

六月二十六日にシチリア島のカターニアで学会発表を終えて、私はその午後、ローマに飛んだ。二十八日の午後に日本に向かうから、二十七日はまる一日休みということになる。

もっとも私は、それまでのチュニジアとイタリアの滞在で疲れ果てていて、観光に行こうなどという気は起こらなかった。ただ、気力を振り絞って、古書店三つと普通の本屋二つに行った。ローマのテルミニ駅にある本屋はとくに大きくて、そこには何度も行った。古書店はさすがにローマだけあって数百年前の革の装丁の本や地図がずらりと並んでいた。とはいえ、私はこれだけ本屋巡りをして何も買わなかった。古典作家のペーパーバックぐらい買ってもいいのではといくども手に取った。その度に自分が読む可能性を冷酷に計算したが、常にゼロが弾き出されるので、結局棚に返した。

二十八日の朝はさすがに元気を取り戻して、早朝からローマの街を歩き回った。コロッセオやフォロ・ロマーノといった有名な観光地は外から見て歩くだけでも、それなりに楽しめる。

街を歩いていると、白いベールをかけた女性たちが建物の入り口に集まっているのを見かけた。近づいてみると、日曜日の礼拝をしていた。讃美歌らしきものも聞こえてくる。Ethiopiques というエチオピアの大衆音楽を集めた大シリーズがあるが、私はそれを聞いたときの印象を思い出した。後で地図で調べたら、エチオピア正教会の礼拝所だった。エチオピアでは、アラビア語の親戚にあたる言語がいくつも話されていて、私が行きたい場所のひとつだ。

教会を離れて歩いていると、青い花柄の服を着た若い女性が白いベールをかけ直しながら向かってきた。急いでいるようだ。そのとき、やはりベール姿の若い女性が車道を電動キックボードで走ってきて、歩きの女性を追い越していった。歩きの女性は笑いながらキックボードの女性に声をかける。二人の休日は教会から始まるのだろう。

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AIDA での口頭発表

六月二十三日から二十六日にかけて開催されたアラビア語方言国際学会(AIDA)の大会で、私は「Broad-Negative Sentences in Tunis Arabic」というタイトルで口頭発表を行った。内容については別に書くつもりなので、周辺的なことを書きたい。

この発表は、前から気になっていた現象を扱ったもので、珍しい例も含まれているとは思うが、例文そのものが少なくて内容としてはちょっと物足りなかった。アラビア語方言の専門家が集う AIDA で通用するものかどうかも不安だった。それでも、チュニジアにいるあいだに、ベルベル語の勉強でお世話になっているSさん(当然ながらチュニス方言の話者でもある)に確認したりして、なんとか体裁を整えることができた。

当初、私は現象そのものを論ずるだけの発表にしようと考えていた。しかし、AIDA でいくつかの発表を聞いているうちに、その方言がどんな状況で話されているか、その方言にはどんな資料があるか、ということもけっこう関心を持って聞かれているということに気がついた。

私がいつも資料として用いるのはチュニス方言の資料『アル=アルウィー物語集』(全四巻)だ。長らく入手困難で、三年前に新しい版が出たが、今はどこの本屋でも見かけない。そういう資料なので、この本についての少し詳しい紹介も、発表の冒頭に加えることにした。知っている人には意味がないが、みんながみんな知っているとはかぎらない。それに、この本は紹介するだけの価値のある本だ。

発表でこの資料について話しているとき、聞いている人の何人かがメモをとっている様子が見えた。私は、少なくとも発表を修正した甲斐はあったと思い、これで本論がつまらなくても大丈夫、と安心した。

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AIDA のディナー

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会の三日目の夜は、夕食会があった。カターニア大学の外のテラスに十人掛けの円卓が並べられている。百人ぐらいは参加したと思う。立食ではないので、どこに座ろうか迷ったが、二人の若いオマーン人の隣に座った。

聞けば、二人ともジッバーリ語(シャフリ語)の話者だという。ジッバーリ語というのは現代南アラビア語で、アラビア語の親戚のような言語だ。二人が話しているのに聞き耳を立てていると、アラビア語ではない。そのことを言うと、その通りだと笑われた。

日本から来たのなら「アキオ」を知っているか、と言われた。中野暁雄先生のことだ。ジッバーリ語に隣接するホビヨート語の調査研究でも有名で、以前、セム語の関係の学会に出たときも同じことを聞かれた。こうした若い人にも先生の名が知られていることに驚きながら、知っていると答えると、写真はないかと言われるので、見せた。これも以前と同じだ。今後はセム語関係の国際学会に行くときは、中野先生の写真をスマホのホーム画面にしておこうと思う。

学会では、カターニア大学の学生たちがスタッフとして走り回っていた。皆、アラブ世界を専門としている人のようだった。どういうわけかみな女性だった。あと、大事なことを書き忘れていたが、AIDA そのものが女性の多い学会で、発表によっては参加者の男性が数名ということも珍しくなかった。AIDA の会長も、大会の運営委員長も女性だ。

それはともかく、運営スタッフのひとりが隣に座っていて、カターニアの文化やシチリア語のことなどをいろいろ教えてもらった。カターニア方言もあるが、家庭でしか使わないということだった。なお、この記事の写真はディナーのデザートとして出されたカターニアのケーキだ。とても甘い。

私は翌日の発表が気がかりで、また、そもそも日本でもこうした食事会には出ないので、帰ってしまおうと思っていた。しかし、日本にいるときに支払った夕食会費(五十五ユーロ)が惜しくなって、思いとどまった。結果としては、周りの人たちが親切に相手をしてくれたため、楽しく過ごすことができた。

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AIDA の発表

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会で、私は二十の発表に参加することができた。面白いのが発表が時間通りに始まらないことで、最後までいると別の会場で行われる次の発表に間に合わなくなる。時間になったので急いで行くと、その会場でもまだ前の発表が行われていたりした。

私が聞いたかぎりでの全体的な印象を簡単に記す。

*アラビア語方言の音声を非常に精密に記録する研究がいくつかあった。特定の子音が語中や語末でどのように変わるか、あるいは、文末で子音や母音がどのように変わったり、無くなったりするか、というもの。これは細かいように思えるが、将来的な音変化にも関連しうるので、重要な研究だ。また、私は今、ターウジュートのベルベル語の音声で苦労しているので、非常に参考になった。

*談話標識(エジプト方言)、モダリティ(チュニジアの方言)、動詞の意味変化(方言比較)に関する発表もあった。とくに「戻る」という動詞が「なる」という意味を持ったり、談話標識的に用いられたりする現象は、私の今していることに直結しているので、有益であった。私のやっていることは、国際的に見てそう外れてもいない、という印象だ。

*フィールドワークの倫理の問題、テクノロジーの活用の問題なども取り上げられた。WhatsApp や Facebook などもデータとして利用している研究もあり、参考になった。

*アラビア語方言だけでなく、オマーンのジッバーリ語(現代南アラビア語)、モロッコのアマジグ語(ベルベル語)の発表もあった。また、私は参加できなかったが、社会言語学的な研究も多かった。

三日目には総会が開催され、役員選挙と次回(二〇二八年)の会場選定が行われた。三つの候補地のうち、第十七回大会の会場と決まったのは、モロッコのフェズ。次回も参加できればと思う。

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AIDA の内容

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会(六月二十三日〜二十六日)では、およそ百の口頭発表が行われた。エジプト、オマーン、湾岸地域、レヴァント地域の方言の発表もあったが、マグレブ地域(チュニジア、モロッコ、アルジェリア、モーリタニア)の発表がとくに多く、私にとっては興味深い発表ばかりだった。

アラビア語が使われている地域では、戦争や紛争が常態化しているところもある。今回の AIDA での地域の偏りには、もしかしたらそうした影響もあるのかもしれないが、いずれにせよ、平和が重要なのはいうまでもない。

口頭発表のほかにも、特別なプログラムが開催された。ひとつはカターニアのベネディクト会修道院のツアーだ。これは今回の会場のカターニア大学がそもそもベネディクト会修道院を校舎として利用していることによる。

ベネディクト会修道院としてはヨーロッパでも有数の規模というだけあって、広い。開会式が行われたホールも、もともとは修道士たちの食堂だったという。教員の研究室も修道士たちの居室だったそうだ。雰囲気ある建造物の中でならさぞかし勉強も捗りそうに思われた。ただし、構造上の理由からか、トイレが少なかったので、我慢強さが必要だろう。

これらは大学校舎なので誰でも入れるが、ツアーでは地下の古い修道院の跡や、それより古いローマ時代のモザイクなども見ることができた。また、一六六九年のエトナ山の噴火でカターニアを壊滅的状態にした溶岩の生々しい岩壁も残っている。

もうひとつ、パレスチナの短編映画の上映会も開催されたが、私はこれには行かなかった。シチリアは美しい海とおいしい魚介でも知られるが、これも私はほとんど食べる機会がなかった。カターニアの古い街並みをゆっくり歩いて回るなどということもほとんどできなかった。

なぜなら、私の発表が学会最終日の、終わりから二番目に組まれていたから。そのせいで心の余裕がなく、のびのびと楽しむというわけにはいかなかった。

しかし、私が他の学会で先の方に発表して心の落ち着きを得ていたとすれば、それは最終日に発表する誰かがいたからなのだ。そう思って、せめてイタリアのコーヒーでも味わおうと、街角のスタンドで一ユーロのコーヒーを二杯ばかり飲んだら、夜眠れなくなった。

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AIDA 16th Conference

AIDA(Association Internationale de Dialectologie Arabe)というのは、アラビア語方言学の国際学会だ。二年に一度、大会が開催される。今年二〇二六年に、第十六回の大会がイタリアのシチリア島にあるカターニア大学で開催された。日程は六月二十三日から二十六日の四日間だ。

私はチュニジアのアラビア語方言を勉強しているから、一度はこの学会で発表してみたいと思っていた。二〇二四年はマルタ島だったが応募に間に合わず、ようやく今年、発表できることになった。

どうせならチュニジアでの勉強にくっつけてしまえば、旅費も浮くと考えて、チュニジア滞在ののちにシチリア島に行くという計画を立てた。もっとも、いろいろ旅程を変更しなければならなかったので、結果的に旅費は安くならなかった。

私がチュニジアに到着したのが六月四日で、途中、ターウジュート訪問や、犬と男との出会いを挟みつつ勉強を続け、六月二〇日までチュニスに滞在した。そして六月二十一日にチュニスからカターニアに向かった。チュニスエアが直行便を出しているので便利だ。

午後一時四十五分に出発して、一時間十五分後にはカターニアに到着する。飛行機はとても小さい。窓際の席だったので、地中海を眺めることができた。ときどき、青い海に浮かぶ小島が見える。飛行機の小ささも相まって、私はまるでジブリ映画の飛行機に乗っているような気分になった。だが、発表のことを思い出すと、そんな気分も吹き飛んだ。

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犬の友だち(終)

日曜日の午前、いつものようにホテルの会議室で私はSさんにベルベル語を教えてもらった。勉強を終えて、私たちが会議室を出ると、フロント係が言った。

「明日から金曜日まで会議室の予約が入っているので、もう使えませんよ」

私は会議室に、いつもはないプロジェクターやプリントが置いてあったのを思い出した。夕方や夜は空いているか、と尋ねたがはっきりとはわからないようだった。

私はホテルを移ることにした。というのも、会議室が使えないのならば、ここにいても意味はないから。それに、会議室はなくても、もっと安くて、設備や朝食がいいホテルもある。さいわい、そのホテルを予約することもできた。

その晩、買い物に行こうと部屋を出た私は、うっかり鍵を部屋に忘れてしまった。これでは入れない。エレベーターで降りて、フロントに行く。そこには以前の滞在から顔馴染みのスタッフがいた。

私が部屋から閉め出されてしまったことを告げると、スタッフは「ちょっと待ってください。一緒に行きましょう」と、マスターキーを取りに行った。

私はエレベーターの前で待ちながら、もしあの男と犬について尋ねるならば、今以上に自然な機会はない、と考えた。スタッフがやってきて、私たちはエレベーターに乗った。そして、少し間をおいて私は尋ねた。

「ホテルの外にいつも男の人がいますね」

スタッフはすぐに答えた。

「犬と一緒にいる人? 彼はあなたのことを友だちだと言ってましたよ」

スタッフは鍵を開け、私は愉快な気持ちで部屋に戻った。先日、あの犬の写真を撮ったとき、私はブログの素材にしようかと軽く考えていた。だが、やめた。友だちにはそんなことをしないものだ。

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犬の友だち(5)

男がどんな経緯でこの街角で暮らすようになったのか、そして、犬との関係がどのように始まったのか、私は知りたく思っていた。

男は、私の滞在するホテルのフロント係やガードとも挨拶する関係のようだった。だから、フロント係に聞けばなにか教えてもらえるかもしれなかった。私はいくどかその可能性について考えた。だが、いつもは話をしないフロントにそんな質問をするのはいかにも不自然だったし、たとえそれでなにか知り得たとしても、かえって味気ないような気がした。それに、私は男と犬のことを書こうとも思いはじめていた。ならば、そういう「取材」はなおさら悪趣味だろう。

ならば、本人から聞けばいいかというと、そうでもなかった。周りの人々とのやりとりからは、少し変わった人という印象を受けた。騒ぐわけでもなく、酒を飲むわけでもなく、いつも飄々としているが、だからといって、私にわかるように話してくれそうでもなかった。そもそも、用もないのに、ただ自分の好奇心を満たすためだけに、男に話しかけるのもイヤな感じだった。もっとも、私に車があって洗車を頼むというのならば話は別だ。だが、そうでない以上、男と犬の謎は、心の中でときおり取り出し、眺めるのがいちばんと思えた。

とはいえ、私と男のあいだに交渉といえるようなものがなかったわけではない。ある昼間、ホテル脇の小便臭い路地を歩いていると、すれ違いざまに「こんにちは」と声をかけられた。驚いて目を上げると、あの男が片手をあげている。私も慌てて挨拶を返した。このときの男は、黒いTシャツを着ていて、それで気がつかなかったのだ。数日はその姿のままだったように思う。

また、ある夜、ホテルの入り口に立っていると、少し離れたところの縁石に座っていた男が、私に声をかけてきた。

「バチャバチャ! バチャバチャ!」

彼の知るアジアの言葉のようだった。私は軽く頭を下げると、ホテルに引っ込んだ。

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犬の友だち(4)

夜、遅い時間に水を買いに外に出た私は、男の新たな一面を目撃した。男は洗車をしていたのだった。スポンジで車を擦り、片手にもった大きなペットボトルから水を注ぎ、泡を洗い流していた。

チュニジアでは日本のように頻繁に洗車をしないから、埃だらけの車も多い。そもそも、洗車したら水没してしまいそうな古い車も走っている。そんな車事情でも、この男が洗車をして稼ぐだけの余地が残されていたのだ。男が働いているあいだ、犬は少し離れたところで丸まったり、のっそりと男の周囲を歩き回ったりしていた。

犬はまったく他の人に関心がないようだった。ちょうど私がそうであったように、初めて見る人は、汚れて焦茶に見えるのか、もともと焦茶なのかわからないこの大きな犬を怖がる。だが、犬が誰かに吠えかかったり、脅かしたりしたのを見たことがなかった。

もっとも、犬はしばしば大胆になった。道路の真ん中で横になるのだ。車が進入してきてもすぐにはどかない。悠々と立ち上がると、待っている車を尻目にゆっくりと道を開ける。そして、チュニスの運転手も、犬相手にクラクションを鳴らすなどということはしない。あれほど人間には鳴らすのに不思議といえば不思議だ。

ある午後、私は例の犬がやはり道の真ん中で座っているのを見かけた。周りにはあの男はいなかった。私は携帯を取り出すと、その犬の写真を撮った。男がいたらそんなことはしなかったろう。犬は私のほうを少し見て、目を瞑った。