散文

ラバー・ソウル・アンユースト

十月二日にビートルズの『ラバー・ソウル』のスペシャル・エディションが発売された。どんな内容かと曲目を見ていると気になるものがあった。

DISC 2 の十二曲目の「In My Life (Extract With Unused Organ Solo)」だ。この曲は印象的なチェンバロ風のソロでも有名だが、それをオルガンで弾いた別テイクがあり、その間奏部分だけを抜き出したものだ。括弧内を日本語にすれば「未使用オルガン・ソロ付きの抜粋」とでもなる。

私が気になったのはこの抜粋のカタカナ表記だ。Apple Music でも、ユニバーサル・ミュージック・ジャパンのサイトでも「イン・マイ・ライフ(エクストラクト・ウィズ・アンユースト・オルガン・ソロ)」となっている。

私は英語はよくわからないが、「未使用」という意味ならば、unused の s は z で発音するのではないかと思う。つまり「アンユーズド」だ。濁点のないアンユーストは普通「慣れていない」という意味だ。

よくよく考えてみると use は奇妙な単語だ。動詞ならユーズ、名詞ならユースだ。これはまだいいとしても、同じ used でも「〜を使った」のときはユーズド、「〜したものだ」とか「〜に慣れている」とかのときはユーストだ。

「〜したものだ」や「〜に慣れている」の used はいつも to が続く。そのときは、ユースト・トゥではなく、to とくっついてユースタとかユーストゥになってしまう(と辞書に書いてある)。これは後続する to に引っ張られてそうなったと考えるのが自然だ。しかしこうなるともう usedto で一語で、ユーズドとは別の語のような気もするが、よくわからない。

しかし、それにもましてわからないのは、大きな会社なのに、しかも誰もが知っている歴史的作品なのに、濁点なしという間違いが校正を通り抜けてそのまま世に出てしまったように見えることだ。もしかしたら私の英語の知識が乏しいだけということもありうるが、そのうちビートルズもヒートルスになるかもしれない。

風刺・戯文

カット

ヘアカット100は、一九八〇年に結成されたイギリスのポップ・バンドだ。デビュー・シングルは「Favourite Shirts (Boy Meets Girl)」で、「好き好きシャーツ」という今から見ると奇妙な邦題がつけられている。この他にも「Love Plus One(渚のラブ・プラス・ワン)」などのヒット曲に恵まれたが、一九八二年のファースト・アルバムののちに、中心人物のニック・ヘイワードが脱退し、一九八四年に解散した。

そして、今年六月、ニック・ヘイワード参加アルバムとしては、四十四年ぶりとなるヘアカット100の新作『Boxing The Compass』が発表された。ファースト・アルバムの魅力であった若々しいギターとメロディの高揚感に、大人の落ち着きが加わった良作だ。バンドは精力的にツアーも行っているようだ。

今、日本は簗農水相の発言で揺れている。自分を支持しなかった二市町について、予算を減額したと発言したというのだ。報道によれば「予算カット63」、「予算カット54」だという。その一方、「好き好き市町」には「予算プラス・ワン」したのではないかという疑惑も生じている。

当初は発言を認めていなかった簗農水相であったが、高市首相との「ボーイ・ミーツ・ガール」ののち、自分の発言を「高揚感」による表現だったとして撤回した。脱退は否定したものの、このままでは解散にまで発展するとの見方も出始めている。

おりしもニック・ヘイワードの来日公演が、今月中旬、大阪と東京で開催される。カットの渦中にあるニック・ヘイワードがなんと発言するか、注目を集めている。

小説

古典化

父親と娘がレストランの席に座って、パスタが出てくるのを待っていた。そのレストランは渋谷のにぎやかな場所にあり、店内では若者たちがおしゃべりをし、外国人観光客がビール瓶を前にくつろいでいた。

親子は黙って携帯を見ていた。店ではずっとビートルズが流れていた。ミスター・ムーンライト、アイ・フィール・ファイン、サムシング……

十代の娘が顔を上げた。「この曲知ってる?」

父親はすぐに答えた。「ビートルズのストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」

「いいね」

「うん、この店、ビートルズしか流さないみたい」

ギターのコードが鳴り響き、ア・ハード・デイズ・ナイトが始まった。若々しい声と勢いのあるカッティングにしばらく耳を傾けていた父親は、携帯を見つめている娘に尋ねた。

「どう、ビートルズ気に入った?」

「いいね。けど……こんなお店で流れてるなんておかしいね」

「なんで?」

「もっと落ち着いた場所のほうが似合いそう」

歪んだギターリフとともに、アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・ヘヴィ)が流れはじめた。

ライブ

Homecomings presents「many shapes, many echoes」@ 渋谷 CLUB QUATTRO

私は忘れていたのだが、Homecomings のスリーマンライブは長いのだった。去年の七月は四時間。待ち時間を入れると五時間立ちっぱなし。だが、今日は三十分ばかり短縮されていた。

ゲストバンドは iVy と DYGL の2バンド。どちらも私は二回目だ。そしてどちらも来月新しいアルバムを出すという。

Homecomings は二人体制になって初めてだ。私は入場順が遅く、右端の壁であまりステージは見えなかった。ときどき壁に寄りかかりながら、目を瞑りながら音に浸った。ふと目を開けるとステージの光が前の観客の頭の向こうに見えて、あまりに遠くにあるのに驚いた。目を閉じて聴くと距離を感じないのが不思議だ。

Homecomings の曲には独特のクセがあって、メロディの最後に一拍遅れて沈むようなメロディが来る。サビに繋がるときもあるし、曲の終わりのときもあるが、その沈んだ一節に独特の余韻がある、ということに気がついた。

MC では今後のライブの話になった。最近のAI任せの風潮に逆らって、フライヤーを手作りしたとのことだ。韓国でもライブがあるので、そのフライヤーを向こうのプロモーターに渡したら、フライヤーをAIに読ませてアニメにしてしまったそうだ。

ライブの終わりの物販では、iVy のメンバーの二人が来ていたので、Tシャツを買うついでに「一月のワンマンの抽選に応募しました」と言ったら喜んでいた。

ライブ

海風邪 1st EP release party@下北沢ERA

海風邪というバンドの初EP「私の夢を見ていてね」リリース記念ライブが九月二十日に行われ、宇宙ネコ子がゲストとして出演するので行ってみた。海風邪は、昨年結成されたばかりの五人組のバンドで、男女のツインボーカルもいい。楽曲も気に入った。

ライブ前、雨の中、会場に向かって歩いていると、宇宙ネコ子のギターのねむこさんが前を横切って行った。そして、同じ頃、ギターとボーカルの kano さんは別のところでケバブを購入していたことが MC でのちに明らかにされた。出演前は必ずケバブを食べるのだそうだ。トルコのミュージシャンでもそんなことはしないだろう。

宇宙ネコ子は前日と同じバンドセットで、ドラムとベースはいつものサポートメンバーだ。昨日書いたことにも通じるが、研究発表と同じく、演奏もまたわかりやすくなくてはいけないと、ライブを聴きながら思った。どういうことかというと、瞬間瞬間に聞き手がどの音、どの楽器、どの効果に意識をフォーカスすればいいかが自然にわかるということだ。それができると演奏は近くなるし、そうでないとただ遠くで鳴っている音になる。

宇宙ネコ子の場合、演奏の焦点は歌とギターだ。どちらかのときもあるし、両方のときもあるが、なんにしても、聞いていて迷うことがない。考えずに音を楽しむことができる。逆にいえば、なんの音だろう、とまず考えさせられると、そこで聞くことが止まってしまう。そうならないようにするためには、音を詰め込まないのが大事だ。今回の宇宙ネコ子でいうと、ドラムとベースの仕事が重要だ。

よくよく考えてみれば、これは当たり前のことだ。デイヴィッド・リー・ロスが歌っているあいだじゅう、エディ・ヴァン・ヘイレンがチロリロチロリロチロリロビィーンと派手に弾いていたら、聞き手もいつジャンプしたらいいかわからなくなるにちがいない。

ライブ

Good lucky 2マン show!@三軒茶屋 HEAVEN’S DOOR

今日は noodles と宇宙ネコ子のツーマンライブがあった。この組み合わせは去年の十一月二十一日以来、二回目だ。その時と同じく、宇宙ネコ子、noodles の出順だった。

前のライブでは、宇宙ネコ子の kano さんがギターをどこかに置き忘れて、noodles の yoko さんから借りるという「事件」があった。その顛末について改めて yoko さんより MC で報告があった。

ライブ終了後、置き忘れた場所に戻ったら、奇跡的にあったのだという。

MC ではさらに、ラーメンにおけるネギの働きについての考察も披露された。ネギがきらいな yoko さんは、ある店で、ラーメンのネギを自分で除いて食べた後に、同じラーメンを今度はネギ抜きで注文して食べたら、ネギを除いたときのほうがおいしかったのだという。その後、ネギを食べずにそのおいしさをラーメンに留める方法の提案などもなされた。

それはともかく、そんな話が出るくらいの余裕の演奏であった。熱心なファンも多いようで、私は最前列にいたのだが、noodles の出番直前になると急に背中から受ける圧が高まったのに驚いた。

私は二ヶ月ぶりのライブハウスだった。整理番号が早めで、最前列の左端、スピーカーの前の場所を取ることができた。音を直接浴びる場所なので左耳がやられる可能性があったが、耳が悪くなったら退却することにした。

結局は無事だったが、ライブが始まるまでは心配だった。

『釣りキチ三平』に出てくるウラン鉱のせいで片目になったイワナのことをふと思い出したりした。

ライブ

頭をクリアに

私は昭和の基準でいうと高身長だが、令和の基準でいうと高くない。そんなわけで、スタンディングのライブに行くと、令和の高身長、平成の超高身長、昭和の超々高身長の存在によって、視界を妨げられることが多い。だから、ライブではいかに視界を確保するかが私にとっては重要だ。

整理券順に会場に入るやいなや、すでにステージ前に立っている観客たちの背後から、どこに立てばステージがよく見えるかを見定める。入場順が遅いと、どこに立っても、誰かの頭が視界の一部を遮っていたり、ステージのほとんどの部分が見えなかったりする。

しかし、どうしようもない。私はそのまま立ち、スタッフの「これからまだお客様が入場されますので、一歩ずつ前にお進みください」という言葉によって、頭が集団移動を始める瞬間、あるいは、バンドの登場の前触れとなる音響の変化に観客たちが心浮き立ち、同時に足を踏みかえるその瞬間に、目の前の遮蔽物が消え去り、視界が開けるのを当てにするほかない。

もっとも、そうしたことはまず起きない。同じような境遇の人々はこの状況にどう折り合いをつけているのか知りたくなる。私より背の低い人ももちろんたくさんいるが、この点に関して同志たちが大規模なデモを敢行したという話は聞かない。もっとも、そうしたデモも、背の高い人々に隠れてしまっている可能性も否定できない。

私がひとつの可能性として考えているのは、ライブが進行するにつれ、後ろのほうの人々が前の人の頭に合わせて少しずつ位置を変え、結果としてそれぞれの視界がある程度は確保されるようになるというものだ。米などを容器に入れて振っていると、いつの間にか粒が同じ向きに揃っていく。そんな集合的な最適化が狭いライブ会場において発生する条件を突き止めるためには、どのような動態モデルが有効だろうか? 

とはいえ、科学の進歩を待っていたら、ライブが終わってしまう。私は不完全な視界のままステージを見る。前には長髪の人の頭がある。それを避けて覗き込むと、さらに先では別の頭がゆらゆらと左右に動いている。この揺れ頭が長髪頭と離れ、一筋の隙間を作り出すその一瞬、視界が嘘のように開ける。ステージの輝きが私のものになる。この唯一のチャンスを掴もうと、私は頭を左右に動かし、伸び上がる。

そうしているうちに、暗い考えが起きてくる。いったいこれらの高き人々は、地表近くに縛りつけられた我らのことを考えたことがあるのだろうか。少しでも自分の後ろにいる人の気持ちに思いを馳せたことがあるのだろうか。前に並ぶ揺れ頭、長髪頭、帽子頭を見ていると、ギロチンのことなどが思い出されてくる。私の黒い考えはモクモクと湧き上がり、後ろの人々の視界を遮りはじめる。

結局、目を瞑って聴いた。

ライブ

ニガミ17才@渋谷 CLUB QUATTRO

今も読まれているかどうかはわからないが、子どものころ、私はロックスター語録を愛読したものだった。そのうちのひとつの『ミック・ジャガー語録』に彼の発言としてこんなことが書いてあった。

「ボブ・ディランだって、真面目な歌を歌い終わったあとに『なんちゃって』って付け加えてるかもしれないんだぜ!」

私は、七月十七日、ニガミ17才の全国ツアーファイナルに行って、そんな言葉を思い出した。もっとも、ボーカルとギターの岩下優介さんは、一曲歌い終わった後に「なんちゃって」するのではなかった。ギターを弾いているときでも、歌っているときでも、客に話しかけているときでも、真面目な顔の後に必ずイタズラっぽい、あるいは照れたような表情が現れる。それは、真剣になりすぎないようにストップをかけているのかもしれないし、逆に真剣さを押し退けて「なんちゃって」が出てきてしまうのかもしれないが、いずれにせよそれは、観客たちに向けた、真面目に受け取らず、楽しんでいいんだ、という合図として機能していた。

その実例にふさわしい出来事が、ライブの初めにあった。メンバーの登場から最初の曲に移る演出のところで、しくじってやり直し、しかもそのやり直しもうまくいかなかった。だが、この過程自体が、そもそもの演出であったかのように見えるほど自然で、私は今も、これが真面目なことなのか「なんちゃって」なのかわからない。そのわからなさこそ本質的で、真剣さとふざけの間の境界の上をうまく微調整しながら歩いてみせるのが、このバンドのもっとも真剣なところだ。

ツアーファイナルということで「最高の夜にしよう」というMCがあったが、私は最高の夜がよくわからないし、そんなものがあるとは信じてもいないが、「これはライブで味わえる最高の瞬間だ」と言える瞬間は間違いなくあったので、最高の夜だったと言えるかもしれない。なんちゃって。

ライブ

宇宙ネコ子@下北沢近道

宇宙ネコ子初のワンマン 「ねこねこ音楽会 夏の庭」が行われたが、すばらしいものだった。演奏も気合が入っていて、サポートメンバーもいつも以上にキレが良かった。会場の音響の良さも相まって、これまでのどのライブよりもクリアに聞こえた。全身をいくども音の塊が通過していった。

セットリストは、前半はアルバム「君のように生きれたら」、後半はアルバム「日の当たる場所にきてよ」で、先週のライブのように新曲はなかった。アルバムを非常に大切にしているのがうかがえた。

今日は、いつものドラムとベースに加えてギターのサポートも入っていた。それでメインボーカル(kano)はギターなしで歌に専念し、メインギター(ねむ子)もギターだけでなくシンセなども演奏し、さらに音に深みが加わっていた。なお、kano さんは、先週はステージでココアを飲んでいたが、今日はハチミツのチューブを合間合間に口にしていた。

そして、やはり今回もメインギターの凄さに圧倒された。特に「(I’m) Waiting for the Sun」では、繊細なアルペジオから、鋭いフレーズ、ゴツいカッティング、そして狂おしいノイズまで、幅広い演奏を聴くことができた。さまざまな演奏手法で曲を構築していく仕方が、家を出る前に奇しくも YouTube で見たジョン・マッギオークの演奏(Spellbound)を彷彿とさせて、感慨深かった。

アンコールでは「ただいま」が演奏された。MCで明かされたのは、この曲の仮名が「エハラ」であったことで、それはこの曲は矢野顕子の曲調をイメージして作られたから。つまり、矢野顕子のモノマネをするエハラマサヒロから取られたのだという。家を出る前に私は奇しくも YouTube で、エハラマサヒロの布施明の動画を見ていて、これもまた感慨深かった。

ダブル・アンコールの「日々のあわ」では、ギターのサポートが抜けて、いつもの四人編成に戻り、kano さんもギターを演奏した。新しい一歩を踏み出したという感じで、これからのライブも楽しみだ。

ライブ

宇宙ネコ子×幽体コミュニケーションズ@O-nest

一二時開演のライブ。日曜午前中の渋谷は少し不穏で、裏通りは臭った。昨晩のはしゃぎを持ち越す集団や、歩道の真ん中に倒れ伏している若い男を避けながら、会場に向かう。

幽体コミュニケーションズは、自然音とバックトラックを使う複雑な演奏だが、骨格は日本のポップで、それが楽しい。ヴォーカルの人が「朝に起きると朝の体になる」と言っていて、まさに日曜のお昼の音楽になっていた。

宇宙ネコ子は日曜の午後の台風のようだ。新曲を四曲演奏した。そのうち最初の二曲は十月のアルバムに入る予定だが、後の二曲は入らないのだそうだ。入るとすれば、次の次のアルバムかも、とのこと。実際に聞いてみると、雰囲気が確かに違うのだった。

ボーカル+ギターの人(kano)が、飲み物としてペットボトルを二本持ってきていた。一本はコーン茶で、もう一本はココアだった。ステージでジャック・ダニエルを飲む人はいるが、ココアを飲む人ははじめて見た。

メインギターの人(ねむ子)は、フレーズも的確で、ノイズも分厚い。私の好きなギタリストだ。いつもステージ右側の床に白い布を敷いて、その上に座って弾く。なので、少し後ろからだと、演奏しているようすはよく見えない。もっと後ろからだと、いるかどうかもわからない。今回は私は右側の二列目だったので、その演奏をたっぷりと見ることができた。

もっとも、演奏中はほとんどステージの奥のほうに顔を向けていた。だが、まれに客席を見るときがある。いつもマスクをしている人なので、表情はわからないが、とても楽しそうな目をしていた。

一二時からのライブハウスもいいものだと思った。歩道で寝ていた男も今ごろは歩き出していることだろう。