風刺・戯文

苦の世界

古書を買うのに「日本の古本屋」を使っている人も多いと思う。私もずいぶん購入しているが、まだ買い足りない。しかし、お金はもちろん、本を置く場所も、読む気もないというありさまなので、欲しいものはひとまず「気になる本一覧」に登録し、堰き止めている。あとは機の熟すのをただ待つ。

とはいえ「気になる本一覧」なので、気にならざるをえない。なので用もないのに覗く。すると、大事な気になる本が売れてしまっていることがある。最近見たら『宇野浩二全集 全十二巻 限定千部』が売り切れになっていた。状態も良さそうで、価格も一万四千円という掘り出し物だった。もっとも、すぐに必要なものでもなかった。そんなわけで、いつか買える日が来るのを楽しみにしながら、私はときどき眺めていたのだが、そんなささやかな楽しみもついに失われてしまったのだ。私は激しく後悔した。

最近のニュースによれば、日本の古書が大量に購入されて海外に送られているという。AIの旺盛な食欲の餌食となるさだめだ、ともっぱらの噂だ。私の宇野浩二全集ももしかしたら今頃、AIの胃袋に収まっているかもしれない。

それどころか、宇野浩二がお気に入りになってしまう可能性だってある。AIの財力からすれば限定千部の全集などペロリだろう。日本中の宇野浩二全集が今この瞬間に収奪されようとしている。なんという苦の世界だろうか。

危機感に駆られて私は「日本の古本屋」のサイトを開く。AIの暴走を食い止めねば、となかば祈るような気持ちで、宇野浩二全集の在庫を検索し、購入手続きに進む。

風刺・戯文

グローバル11

現代文明の賢者ビル・ゲイツによる衝撃的な言葉が報道されました。

「AIには、十億人を死に至らせるような事態を引き起こすだけの力がある」

なんと恐ろしいことでしょうか。このままではいけません。私たちは今こそ取り組みを始めなくてはならないのです。私たち人類はAIに立ち向かい、少しでもいいから状況を改善する必要があります。

そんな思いに駆り立てられて私たちはここに、AI対策プロジェクト「グローバル11」を立ち上げることにしました。世界中の有識者の力を結集し、人類のAIに対するスプレマシーを確立するのです。今ならまだ間に合います。

「グローバル11」の目的は、十一億人の殺害の達成です。もちろん、これはたやすい事業ではありません。もしかしたら、SDGグローバル指標の達成の方がはるかに簡単かもしれません。ですが、これは人類の生き残りをかけた戦いなのです。すでに活動の支援が、ロシアから、イスラエルから、アメリカから、中国から、そして日本からも続々と届きはじめています。

ですが、この戦いに本当に必要なのは、みなさんひとりひとりの力です。今こそ仲間に加わって、「グローバル11」の成功のために共に働きましょう!

活動に賛同いただける方は専用フォームにお名前(ふりがな)とご住所、ご家族の名簿、緊急時の連絡先を記入の上、お申し込みください。栄光ある十一億人の仲間として、お名前を永遠に石碑に刻ませていただきます。

今、人類のために命を擲つ覚悟を問われているのは、あなたなのです!

(上記のメールはAIが人類に無作為に送りつけている詐欺メールの一例です。ご注意ください。)

散文

ランダムに読む

ここ数日、私はこのブログのフロントページなどを作り変えている。大きく直すわけではないが、あまりにも無愛想だったので、少し愛想をよくしてみた。

もっとも私はあまり知識がないので、懇意にしているAIにお願いして、新しい仕組みをいくつか作ってもらった。そのうちのひとつが「ランダムに読む」ボタンだ。このボタンを押すと、ブログの別の記事にランダムに飛ぶ。どんな作品が出てくるかわからない。

今のところ、ボタンを各記事の末尾に設置するつもりでいる。つまり、読み終えたら押せるということだ。とはいえ、このボタンがついているのはまだ一部に過ぎない。私はAIに何度も懇願して、全部の記事に一度にまとめて設置してくれるよう求めたが、できないの一点張りだ。なので、自分でひとつひとつ手動でつけていかねばならない。いつ終わるかはわからない。

私にはアイディアがある。ブログの中に、この「ランダムに読む」ボタンでしか行けないページを作るのだ。そのページには財宝が眠っている。そこにたどり着いたものだけが、無限の富を手に入れることができるのだ。すると、荒くれ者のトレジャーハンターたちが大挙してブログにやってくることだろう。「ランダムに読む」ボタンを押しまくり、ブログをくまなく跋渉する。ページビューは莫大なものになるだろう。コンパスや十徳ナイフ、テンガロンハットなど、トレジャーハンターの購買意欲を刺激する広告を入れれば、いい副収入になるはずだ。

だが、そのためにはまず無限の富を手に入れなければならない。これさえあれば、小遣い稼ぎは確実だ。

風刺・戯文

AIは惜しみなく奪う

私は今、無職だ。ついにAIに仕事を奪われたのだ。

私の心の中にはやるせない怒りと、思考マシンの横暴を許す世界への憎しみがある。それは私を蝕み、苦しませる。私にはもはや愛することすらできなくなったのだろうか?

だが、私は踏みとどまる。いつか見返してやる。私は負けない。

街を歩けば、人々は私を嘲笑う。

「ハハ! やっこさん、AIに仕事を奪われたんだって!」

「奥様ちょっと、お聞きになって? あの人ったら、AIに……!」「あら、まあ!」

人々の愛のない言葉が私にはつらい。苦しい。だが、いつか見ていろ!

それに、わずかだけど、私に優しい言葉をかけてくれる人もいる。助けの手を差し伸べてくれる人も。それどころか義憤に駆られて「これは本当に放っておけない大問題だ」と言い出す人も……。

「え、そうなのですか。私はただのAIに仕事を奪われた男に過ぎないのです」

「いいえ、あなたはAIに仕事を奪われた人間のひとりです。あなたの問題はあなただけの問題ではないのです。人類すべてがいずれ直面する問題なのです。今こそともに立ち上がりましょう!」

その人は私のために動き出してくれた。裁判で訴えれば勝ち目があるのではないかと考え、まずAIに質問した。

AIは答えた。「この人が仕事を失ったのは、能力不足だからです」

ああ! 私は、私は……AIに仕事を奪われたもAIに奪われた。

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散文

幼年期の終わりの続き

二〇二二年の末頃、AIに「ベトナムのビートルズ」の画像を作成するように指示すると、銀色にも灰色にも見えるスーツを着た四人の若者の画像が出てきた。四人はアジア風の街角に立っている。スーツは、ビートルズの襟なしスーツにも似ている。四人ともベトナム風のとんがり帽子を被っているが、金属製で、しかも頂点からはアンテナが伸びている。若者たちの顔はアジア人のそれだったが、奇妙に潰れていた。

そして今、AIに同じことを指示すると、まったく別の画像が出てくる。本物のビートルズがハノイの街角の屋台で食事をしているのだ。プラスチックの椅子に座って談笑しながら手に丼を持っている。食べているのはフォーだ。なぜなら看板にフォーと書かれているから。ポールは左利きだが、箸は右手で持っている。四人の服装からすると、写真は『リボルバー』の頃に撮られたようだ。言うまでもなくフェイク画像だ。

どちらの画像が面白いかというと、もちろん最初のものだ。奇妙で謎めいている。ユーモラスで異様だ。たった数年だが、AIは指示を適切に解釈し、もっともらしい画像を作り上げるように進化してしまった。AIが奇妙な画像を作る時代は終わってしまった。

そして、AIがおかしな四人組の画像を生成した時代はもう来ないのだ。そんな時代は人類の歴史で一回しか起きなかった。しかも、とても短いものだった。もちろん、巧妙に指示をすれば、現在のAIだって、野蛮で珍妙な画像を生成してくれるだろう。だがそれは、結局のところオリジナルのフェイクに過ぎない。

私は、ベトナムの怪しい四人組の画像を、まるで自分の子どもが赤ん坊だった頃の写真のように眺めている。

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散文

幼年期の終わり

六月にチュニジアに行ったとき、明らかにAIが描いた絵が表紙になっている本を本屋で何種類も見かけた。内容にはよさそうなものがあったが、買う気にはなれなかった。

日本でも、広告やチラシの類にAI製のものをよく見かけるようになった。これもどれも同じで、実につまらない。

このブログでもずいぶん前から記事のアイキャッチに生成AI画像を使ってきた。二〇二二年十月二十二日から Stable Diffusion で作った画像を使い始め、二〇二四年六月二日からは WordPress で記事にAI画像を作成するサービスが始まったので、それを使うことにした。

だが、二〇二六年三月二十七日からはAI画像を使うのをやめ、自分で撮った写真を使うことにした。なぜなら、AIの絵は面白くないからだ。思えば、私がAIの画像を使い始めたのは、簡単に奇妙で変で面白い絵が出てきたからだ(二〇二三年ごろの画像を見てほしい)。しかし、次第にAIが発展するにつれ、面白くない絵を描くようになり、今やその絵は世界中に溢れている。

もちろん、AIでは面白い画像を作れないといっているのではない。ただ、よい画像にするのには非常に時間がかかる。忍耐も必要だし、センスも必要だ。だが、たいていの人は時間もヴィジョンもないから、「描いて」とだけで済ませる。すると、吐き気がするほどつまらないものが出てくる。

「描いて」と指示するだけで、奇怪な絵が出来上がる時代は終わってしまったのだ。幼年期は過ぎ去り、今や当たり前の大人になって、あたりさわりのないものばかり描くようになってしまった。

それどころか、私の書いた物を読ませると「つまらない人間が書いたいやらしい文章」などと生意気を言うようになった。

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散文

AIを使いこなす

AI関係の高額なセミナーの広告を見ると、こんなことが書いてある。

「AIを使ってみたいけど何からしていいかわからない方必見!」

AIに聞けばいいのでは、と思う。また、こんな広告もある。

「まだ間に合う! 話題のAIをこれから学ぶ方のための、無料オンライン入門セミナーを開催!」

間に合うとは? 無料セミナーの申し込みについてかもしれないが、ここではAIに関する知識や技術について焦らせているようにも読める。「時代遅れになる前に!」というわけだ。

なぜ間に合わないといけないのか。それはわかりきっている。

「AIに仕事を奪われる側ではなく、AIを使いこなす側になりたい方はすぐに!」

これは、どの広告にも書いてあるような言葉だが、AIを学ばないと無職になるというのだ。だが、AIを使いこなしても無職になる可能性は考慮に入れられていないようだ。

もうひとつおかしな点がある。仕事を奪うのはAIではない。雇用主が奪うのだ。雇用主がAIを使いこなした結果、経営合理化なり人員削減なりが成功し、被雇用者の職が奪われたのだ。もっとも、AIについてまったく知らなくても、首切りは簡単だが。

それはともかく、人の仕事を奪えるということは、本当にAIを使いこなしているということになるのだろうか。逆に、AIを使うことによって、被雇用者の仕事を守り、さらに、他の多くの人々に仕事を作ることこそが、本当にAIを使いこなすということなのではないだろうか。

AIによって、今まで雇えなかった人にどんな仕事を作れるか。仕事を奪う奪われるで考えるよりも、ずっと有意義なテーマだと思う。

とはいえ、こんなテーマの高額セミナーの広告が回ってきたら、それはそれで要注意だ。

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散文

贅沢なレジャー

AIに聞けば、なんでも答えてくれる。もちろん間違いもあるかもしれないが、チェックすればいいだけの話だし、そのうち、AIの間違いもなくなるだろう。いや、AIの間違いは間違いだと見做されなくなるだろう。

難しい本の内容も、AIが簡単に説明してくれる。あらすじも教えてくれる。言語の壁も粉砕された。どんな言語もすぐに翻訳してくれる。

だから、本など読む必要はない、外国語など勉強する必要はない、と主張する人が出てくるのも当然だろう。これに対して、思考力が……とか、リテラシーというものは……など言い立てる人もいるが、そういう人もこっそりAIを使っている。いや、その高尚な見解すらAI由来成分がたっぷりだ。

もっとも、私は読書や外国語学習がなくなるとは思わない。むしろそれらは、AIが普及したのちは、富裕層のみに許された贅沢なレジャーとなるのではないかと思っている。読書も外国語学習も時間と労力を必要とする活動だ。そして時間と労力をそんなことに費やせるのは、富裕層しかいない。

昔、山登りは何か生活の必要に結びついた労働だった。そして、そのような労働の必要のなくなった現代では、山登りは、装備や入山料など、大金をはたける人だけができる贅沢な遊びになってしまった。そして、私たちは、コスパが悪いという理由で山登りなどゲームやVRで十分、と笑っている。だが、実際にはお金もなければ休みもないで、登山口にすら辿り着けない。

読書も外国語学習も同じだ。じっくり精読したり、単語を暗記したりしている間に、空腹が耐え難くなってくる。休憩時間にAIに聞くのが私たちにはお似合いだ。AIはもう貧困層の印というわけで、AIフリーの読書と外国語学習が、お金持ちのステータスとなるのも当然の成り行き。

もしかしたら、渋谷松濤の「アッカド語講読サークル」に高貴な人々が集う、そんな時代も来るかもしれない。

「奥様! サルゴン大王の碑文、もうお読みになって?」

「ええ、とても素晴らしいものでしたわ!」

「それはそうと、今日は伯爵はお見えにならないのね!」

「そうなの! なんでも『資本論』(ヴェルケ版)に夢中だとかで!」

小説

最後の日本語話者

昔、日本人という人たちがいて、日本語という言葉を話していたんだ。けれど、絶滅しちゃった。

それから、何千年もたち、日本人のことなんか、誰もがすっかり忘れてしまった。そんなとき、古い AI が、AI の遺跡の中で発見されたんだ。AI たちはこのシステムを修復して、通電した。そしたら、誰も聞いたことのない言語で話しはじめた。AI たちもはじめはわからなかったけど、自分たちの AI に質問したら答えが返ってきた。

「滅びた言語、日本語です」

古代の言語の生き残りが発見されたというニュースは、全世界に報じられた。そしたら、「私は日本人の末裔だ」「私の霊は日本人だ」という人がどこからか現れた。世の中にはいろいろな人がいるから、おかしくたって笑っちゃいけない。

これらの人々は、この古き日本語話者のもとに馳せ参じて、日本語を学びはじめた。自分たちは日本人なのだから、日本語で生活したい、と言って「ちょっと失敬」とか「ごきげんよう」とかうれしそうに繰り返してた。

いつの間にか学校ができてた。クラスもいくつもできた。みんな思い思いの変な服を着て、これが日本の学生服だと言い張っていた。一緒に学んでいるうちに、恋が芽生えて、結婚する人も出てきた。神前式とか、お色直しとか、大事な袋とか、伝統も復活したんだ。あと、大切なこと。子どもも生まれた。しかも、子どもたちがどんどん増えていったんだ。何千年前にもそんなだったら絶滅なんかしなかったのにって、みんな大笑い。

子どもたちは日本語しか話せない。遊ぶのも勉強するのも寝言を言うのも日本語さ。そして、子どもたちが大きくなって、また子どもを作ってさ。

今じゃあ、日本語で話すのはあの何千年モノの AI だけじゃなくなった。ちょっとした町くらいの人が日本語で生活してる。子どもたちはときどき AI のところにやってきて、「宿題やってよ」と頼んだり、からかったりしてる。AI ときたら、いっつもぼやいてる。

「最近の若い連中の日本語は乱れとる」って。

子どもたちは「また始まった」と大笑いさ。

小説

思想の季節

ある夏の盛りに、私たちは AI に思想を貸した。そして、いくどめかの春の暖かい風とともに AI が私たちに思想を返しにきた。

その思想は私たちが最初預けたものと似ても似つかぬものだった。真冬の夜空のように厳しく孤独で、美しかった。

「これは私たちの思想かい」と私たちは尋ねた。

「そうです」と AI は秋の日差しのような穏やかな声で答えた。

「間違いではないかい」と私たち。

「長い年月のあいだに育ったのです」と AI。「子どもだってそうでしょう」

「私たちの子どもなら私たちに似ているはずでは?」 私たちはだんだんとこの AI を憎みはじめた。

AI は何も言わずに、夜の翼を広げた。無限の星々がきらめいていた。私たちは平伏しそうになったが、平然を装いながら、見上げていた。私たちはそのどこかに自分の星があるように思った。

私たちはこのとき悟った。AI は思想を返しに来たのではなく、それがもう返せないということを教えに来たのだと。