旅・観察

ベルベル語に出会う(5)

私はいくつかの単語を尋ねてみた。すると S さんは、ひとつひとつ答えながら、「これは私の出身のターウジュート村ではこういう。でも、他の村では違う言い方をする」と説明してくれた。

「水はなんと言いますか」

「水は、アマーン。アルジェリアでもモロッコでも、どこのベルベル語でもこれは同じだ」

他の地域のベルベル語についても経験豊富なようだ。さらに、チュニジアのベルベル人の生活や考え方についても教えてもらった。

「たとえばあなたのようなよそ者がターウジュート村に行っても、誰も挨拶もしないよ。ましてや笑いかけたりなど絶対にしない。それが習慣なのだ」

「でも、ベルベル人同士なら笑ったりするでしょう」

「ベルベル人は笑わない。だからジョークも存在しない」

「ほんとかな」と思うが、チュニス暮らしの長い S さん自身は、笑わないわけではない。軽薄なところのない、落ち着いた男性だ。S さんこそまさに、ベルベル語の先生を頼むにふさわしい人のように思えた。

私たちは、調査の条件について簡単に取り決めをして、2 時間の「初顔合わせ」を終えた。明日から、念願のベルベル語の調査が始まるのだ。

(写真:カフェの風景)

旅・観察

ベルベル語に出会う(4)

待ち合わせ場所は、チュニスのメディーナの中のカフェだった。携帯の地図情報を見ながら、曲がりくねった道を進む。いくどか行ったり来たりして、目的のカフェに着いた。メディーナによくある古い住居を改装したカフェで、柔らかい光が白い床に薄い影を投げかけていた。

奥のほうにクッションの敷かれた小部屋があった。B さんの姿が見えた。隣に男性が 2 人、体をくっつけて座っていた。年配の男性と若い男性だ。

私が 3 人を前にして腰掛けると、B さんは、年配の男性を S さんと紹介してくれた。彼は、大きな目で私をじっと見た。

それから、会話が始まった。若い男性は息子だった。学校で英語を勉強しているので、通訳の役に立とうかと、連れてきてくれたのだそうだ。S さんは、英語は話せない。だが、フランス語は話せるし、ドイツの留学経験もあるので、ドイツ語もできる。

「一緒にドイツに行ったチュニジア人の誰も ich の発音ができなかった。けど、私はすぐできた。なぜならこの音はアラビア語にはないけど、ベルベル語にはあるからね」

私がこの音を真似すると、「そう、それだ」と感心してくれる。もっとも、種明かしをすれば、私にできないわけがないのだ。なぜなら日本語の「ヒ」と同じ音なのだから。

(写真:カフェの風景、2025 年 2 月 24 日撮影)

旅・観察

ベルベル語に出会う(3)

その団体は、日本語教室のほかに、地域の外国人が講師となる語学教室も運営していた。フランス語教室もあって、こんなふうに書かれていたのだ。

「講師はチュニジア出身の A さん」

名前はアラブ風の名前だし、チュニジア人がフランス語を教えても不思議はない。

私はこの人に会わねばと決心した。というのも、私はそのころチュニジア訪問の計画を練っていたが、コロナによって環境が変わったため、人間関係を作り直す必要があったからだ。

そこで、ある日曜日、私は A さんの教室を訪問し、2 人のチュニジア人を紹介してもらった。そのひとりを通じて私はガベスを訪問することができた(これはすでに書いた)。そして、そのもうひとりである B さんは、私にタターウィーンの友人を紹介してくれたばかりでなく、ついにベルベル語の話者と引き合わせてくれたのだった。

それは 2025 年 2 月 24 日のことだった。私は B さんにベルベル語のことで紹介をお願いしていたが、もしダメだったときは再び南部に行って以前の知り合いにあたってみようと考えていた。そこで、その日朝早く、駅に行って 13 時発のガベス行きのチケットを買った。ホテルに戻って、引き払う準備もした。

すると、B さんから電話がかかってきた。ベルベル語話者との顔合わせのセッティングができたという。午後 4 時に待ち合わせだ。

私はホテルのフロントに延泊を告げるとともに、チケットを持って駅に急いだ。払い戻しできないと言われた。1,200 円ばかり無駄になった。私は気にしなかった。

(写真:チュニジアのサラダ、2025 年 2 月 24 日撮影)

旅・観察

ベルベル語に出会う(2)

私のベルベル語との出会いは、さかのぼれば、私とカレン人との関係にはじまる。カレン人は、ビルマの民族のひとつで、内戦のため国を出ざるをえない人も多い。

私がカレンの人々と出会ったのは、1990 年代の半ばの東京で、その後、タイの難民キャンプやビルマ国内のカレン人の地域に一緒に行くまでの関係になった。

カレン人には、日本人と同じように、さまざまな祭りがある。そのうちもっとも大事なもののひとつは「カレン新年祭(カレン・ニュー・イヤー)」というお祭りで、カレン人の暦にしたがって、毎年、年末か年始のどこかで開催される。

日本では 1990 年代末から毎年カレン新年祭が開催されている。カレン新年祭で大変なのは、会場探しだ。安くて広い会場にたくさん人を招きたい、歌とダンス、食事を楽しみたい、そしてあわよくばお酒も飲みたい、というのがこのお祭りだが、年末年始の東京にそんな都合のよい会場はない。安い会場があったとしても、「音楽はダメ」とか「飲食禁止」などなかなか難しい。このお祭りを運営するのは、在日カレン人の有志だが、いつも会場選びに困っていた。

2022 年の暮れに行われたカレン新年祭の会場も、そんな苦労の末に見つかった場所だ。公共施設なので、お酒は飲めないし、東京から遠いのは難点だが、会場の準備に協力してくれた団体は、カレン人の状況をよく理解していた。

というのも、その地域には第三国定住事業で日本にきたカレン人の難民たちも暮らしていて、その団体が日本語教育支援を行なっていたからだ。

私がこうしたことを知ったのは、お祭り当日にその会場に着いてからだが、そのとき、団体の責任者から活動案内を渡された。そこに、気になる情報があった。

(写真:今年のカレン新年祭、赤羽)

旅・観察

ベルベル語に出会う(1)

私にとって、チュニジアのベルベル語を学ぶというのは、長年の夢であった。とはいえ、それは 2 つの点で難しかった。ひとつは私自身の能力の問題だ。チュニジアでベルベル語を学ぶためには、この言語と言語学の知識に加えて、アラビア語やフランス語で意思疎通ができるだけの語学力もなくてはならない。これは私には無理だ。

だが、能力のことは、あまり深刻に悩んでもしかたがない。完璧な人などいないし、できなくてもとにかくやってみれば、どうにかなるかもしれない。しかし、もうひとつの問題はそういうわけにはいかなかった。ベルベル語を教えてくれる人がいなかったのだ。これは心の持ちようでどうにかなるものではなかった。

私はチュニジアで誰かに会うたびに、ベルベル語を教えてくれる人はいないかと尋ねたが、思うようにはいかなかった。だが、2025 年 3 月、ついに私はその人に出会うことができた。

この出会いについて語るのが、この文章の目的だ。もっとも、そのために私は少し回り道をしなくてはならない。ビルマ(ミャンマー)のカレン人という民族について話すところから始める必要があるのだ。

(写真:ドゥウィーラート周辺の風景)