散文

思いは実現する

今年の六月、チュニジアに滞在していたとき、私はホテルの部屋に鍵を忘れてしまい、入れなくなった。

こんな失敗をしたことは一度もなかった。私はフロントに行って鍵を開けてもらうことにしたのだが、それがきっかけであることに成功することになった。その内容については以前書いたので繰り返さない。だが、後になって思い返してみて、もしかしたら、自分は無意識のうちに鍵を忘れたのかもしれない、とも考え始めた。

そして昨日、私は喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、パソコンを開いていた。私の隣の席には若い男性が座り、その脇には大きなスーツケースがあった。

私はといえば、あることをやらねばいけなかったのだが、何週間も先延ばしにしていて苦しんでいた。パソコンを開いて取りかかろうとしても、体が拒否するのだった。しかしこれを終わらせなければもう一歩も進めない、やろう、と決意してパソコンの中のファイルを開いた。

そのとき隣のスーツケースが倒れてきて、私のアイスコーヒーを倒し、キーボードにコーヒーをぶちまけた。

私は慌てて立ち上がり、パソコンをハンカチで拭いた。だが、コーヒーは内部に浸み入っているようで、逆さにすると茶色い液体が垂れてくるのだった。

私はパソコンの電源を切った。危険だからだ。完全に乾くまでは電源を入れるべきでないという。調べると浸水したパソコンは使えなくなる可能性が高いのだそうだ。

今、私は乾くのを待っている。パソコンからはほのかにコーヒーの香りが漂っている。

散文

幼年期の終わりの続き

二〇二二年の末頃、AIに「ベトナムのビートルズ」の画像を作成するように指示すると、銀色にも灰色にも見えるスーツを着た四人の若者の画像が出てきた。四人はアジア風の街角に立っている。スーツは、ビートルズの襟なしスーツにも似ている。四人ともベトナム風のとんがり帽子を被っているが、金属製で、しかも頂点からはアンテナが伸びている。若者たちの顔はアジア人のそれだったが、奇妙に潰れていた。

そして今、AIに同じことを指示すると、まったく別の画像が出てくる。本物のビートルズがハノイの街角の屋台で食事をしているのだ。プラスチックの椅子に座って談笑しながら手に丼を持っている。食べているのはフォーだ。なぜなら看板にフォーと書かれているから。ポールは左利きだが、箸は右手で持っている。四人の服装からすると、写真は『リボルバー』の頃に撮られたようだ。言うまでもなくフェイク画像だ。

どちらの画像が面白いかというと、もちろん最初のものだ。奇妙で謎めいている。ユーモラスで異様だ。たった数年だが、AIは指示を適切に解釈し、もっともらしい画像を作り上げるように進化してしまった。AIが奇妙な画像を作る時代は終わってしまった。

そして、AIがおかしな四人組の画像を生成した時代はもう来ないのだ。そんな時代は人類の歴史で一回しか起きなかった。しかも、とても短いものだった。もちろん、巧妙に指示をすれば、現在のAIだって、野蛮で珍妙な画像を生成してくれるだろう。だがそれは、結局のところオリジナルのフェイクに過ぎない。

私は、ベトナムの怪しい四人組の画像を、まるで自分の子どもが赤ん坊だった頃の写真のように眺めている。

散文

幼年期の終わり

六月にチュニジアに行ったとき、明らかにAIが描いた絵が表紙になっている本を本屋で何種類も見かけた。内容にはよさそうなものがあったが、買う気にはなれなかった。

日本でも、広告やチラシの類にAI製のものをよく見かけるようになった。これもどれも同じで、実につまらない。

このブログでもずいぶん前から記事のアイキャッチに生成AI画像を使ってきた。二〇二二年十月二十二日から Stable Diffusion で作った画像を使い始め、二〇二四年六月二日からは WordPress で記事にAI画像を作成するサービスが始まったので、それを使うことにした。

だが、二〇二六年三月二十七日からはAI画像を使うのをやめ、自分で撮った写真を使うことにした。なぜなら、AIの絵は面白くないからだ。思えば、私がAIの画像を使い始めたのは、簡単に奇妙で変で面白い絵が出てきたからだ(二〇二三年ごろの画像を見てほしい)。しかし、次第にAIが発展するにつれ、面白くない絵を描くようになり、今やその絵は世界中に溢れている。

もちろん、AIでは面白い画像を作れないといっているのではない。ただ、よい画像にするのには非常に時間がかかる。忍耐も必要だし、センスも必要だ。だが、たいていの人は時間もヴィジョンもないから、「描いて」とだけで済ませる。すると、吐き気がするほどつまらないものが出てくる。

「描いて」と指示するだけで、奇怪な絵が出来上がる時代は終わってしまったのだ。幼年期は過ぎ去り、今や当たり前の大人になって、あたりさわりのないものばかり描くようになってしまった。

それどころか、私の書いた物を読ませると「つまらない人間が書いたいやらしい文章」などと生意気を言うようになった。

散文

バカとチョンの社会(後編)

昨日、「バカでもチョンでも」という差別表現について、私の側からささやかな新解釈を提出させていただいた。

それは、現代のコンテクストにおいては「チョン」とは、差別に苦しむあらゆる移民を意味すべきだというものである。すると「バカ」とは、論理的・必然的にあらゆる日本人を意味することとなる。

よって、日本はバカとチョンの国である、というのが私の到達点であった。

しかしながら、この新解釈に依拠して「バカでもチョンでも」という差別表現をあらためて捉えなおしてみると、実はこれが素晴らしい表現であることがわかる。

「バカでもチョンでも」安心して暮らせる社会、「バカでもチョンでも」人権の尊重される社会、「バカでもチョンでも」虐待されることのない社会。この表現が、日本人と移民の平等を表わしうることに気づかされるのである。

だが、ここでひとつの契機が生じる。もし、我が国において、あらゆる移民が、人権の観点から日本国民と平等に扱われるとしたら、これらの移民を「チョン」などという蔑称で呼ぶことが、そもそもありえないこととなるのではないだろうか。

そして、これに応じて、日本人もまた、移民の命や人権を自分たちと同等に尊重できるのならば、もはや「バカ」とはいえないのではないだろうか。

「バカでもチョンでも」尊重される社会の実態は、「バカもチョンも」存在しない社会であった。なんと不思議な成り行きだろう。

そんな社会では誰もが人権を享受し、差別されなくなる。いや、皇族がいた。

散文

バカとチョンの社会(前編)

「バカチョン」というのは「バカでもチョンでも」を短くした形だ。この表現が生まれたのがいつかは分からないが、辞書を見ると、明治初期には似たような言い回しがあったようだ。

「チョン」というのはそもそも「一人前でない、劣った人」を意味していたといわれるが、いつからか、朝鮮人への蔑称と同一視されるようになった。

その結果、「バカでもチョンでも」は「バカでも、朝鮮人でも」と理解されるようになったという。語源はともかく、この表現には朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)に対する差別意識が明瞭にあらわれており、現代ではこの表現を差別表現とみなし、使わないのが普通だ。

とはいえ、今なおこの語が人を傷つける目的で使われているのもまた事実だ。しばしば、この語を含むネット上での発言が、誹謗中傷やヘイトスピーチとして非難されたり、告訴されたりすることがある。

もっとも、私がひとりの日本人として大和魂をもって訴えたいのは、日本人は決して朝鮮人だけを特別に差別してきたのではないということだ。現代の日本では、多くの移民が生活し、さまざまな差別に悔しさや悲しさを感じている。それだけならまだしも、ときには、入管に収容されて自由を奪われたり、そこで死に追いやられたりする。

私は、これらの移民の苦難を見るにつけ、現代の「チョン」には、朝鮮半島出身の人だけではなく、日本で差別されている外国人すべてを含めるべきではないかと、はなはだ勝手ながら考えるようになった。

こうした考え方を不愉快に思う人もいるかもしれない。とくにこの言葉に傷つけられてきた人々は。だが、それでもひとつの利点がある。というのも、「バカでもチョンでも」のもういっぽうの「バカ」がどのような人々かということがはっきりするからだ。

それがどのような人かというと、もちろん「チョン」以外のあらゆる日本人に決まっている。

日本はバカとチョンの国だったのだ。なるほどうまし国だ。

散文

カレンの糸(手首結びの儀式5)

手首に糸を結ぶやり方は、私の前に座る若者が教えてくれた。まず、笊の上に載っている品々を相手の手にひとつずつ載せる。次に、白赤青の三本の糸を取り上げる(儀式が始まる前に私たちは三本セットになるように準備しておいた)。

その三本の糸の両端を持ち、糸の真ん中の部分を竹筒の中に垂らして、水に浸す。それから、濡れた部分を相手の手首につけ、糸で撫でるようにして水をつける。そして、手首に糸をぐるぐる巻いて、縛り、残った部分をハサミで切る。

簡単だ。私はまず前に座る二人の若者にこの儀式を施した。二人が立ち去ると、別の若者たちがやってきて、私は儀式に取り掛かった。私を含めた儀式係は一〇名ぐらいいて、一列に並んでいた。私たちはいわば長老役を任されていたのだった。その長老たちの前に若者たちが並び、次から次へと座った。何度も糸を巻きつけているうちに私は慣れてきて、しまいには催し物で出店をやっているかのような気分になった。手際も良くなって身のこなしも軽やかだった。

そこにカレンの青年がやってきた。私がその手に品々を乗せ、手首に糸を巻きつけようとすると、彼は餅米の握りから米粒を摘んで、頭になすりつけた。私が糸を巻きつけ、余りをハサミで切ると、彼はまたその糸の切れ端を摘んで、竹筒の水に浸し、糸で頭を濡らした。

これがより正式なやり方らしい。隣の人を見ると確かにそうしていた。すでに何人もの若いカレン人に不完全な儀式を施してしまっていた私は、申し訳なく思った。

だが、これらの若者たちにとっては、私の存在などたいした意味もないことに気づき、結局、どうということもないだろうと思った。

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カレンの木べら(手首結びの儀式4)

私たちが会場の前方で座っていると、入れ替わり立ち替わりスピーチが始まった。初めはビルマ語、次に別の若者が出てきてスゴー・カレン語で話し始める。その次は西ポー・カレン語、さらに東ポー・カレン語と続く。これはこういう式典ではよくあることで、同じ内容をビルマ語とそれぞれのカレン語で繰り返すのだ。

カレン語はこの三つ以外にもたくさんあるが、話者が多いのはこの三つなのだそうだ。カレン人の集いなのにビルマ語が使われるのは、カレン人以外のゲストもいたからでもあるが、そもそもカレン語の話せないカレン人もいるからだ。

さて、カレン語でのスピーチの最後に日本語でのスピーチもあった。あらかじめ準備した原稿をカレン人の若者が読み上げる。十分に分かりやすい日本語だ。

内容は手首結びの儀式とそれに使われる品々の説明だ。これは儀式の前に友人に教えてもらったのとほとんど変わりはなかった。また、私が少し不思議に思った soul だが、スピーチでも「良い魂」「悪い魂」と言っていた。もしかしたら、カレンの文化では、魂は体内にずっと留まっているものではなく、外に出て良くなったり悪くなったりするものなのかもしれない。もっとも、私が誤解している可能性はある。

なんにせよ、長いスピーチの時間は終わり、いよいよ儀式の開始となった。初めに木べらを取り、笊の縁をトントン叩く。どういうリズムで叩けばいいかわからないので、隣の人を見ながら叩く。私の左隣にいるのは、カレン人の女性で以前から知っている人だ。右隣の男性は知らない人だが、私と同じように戸惑っているところを見るとカレン人ではなさそうだ。私は女性の方を見ながら合わせて叩く。その向こうでも横一列に並んだ人々が叩いている。

この調子なら、私が間違って「悪い魂」を引き寄せたとしてもたぶん害はないだろう。

散文

カレンの笊(手首結びの儀式3)

若者たちは、会場の前に並べられた机の上に、竹製の大きな丸い笊を置いていった。その笊には「手首結びの儀式」に使われるものが置かれていた。中央には竹筒があり、その中には水が入れられていた。筒を取り巻くように五種の品が並べられている。バナナ、青い葉で包んだ餅米、餅米を握ったもの、サトウキビを五センチほどの長さに切ったもの、カレン語でホーイと呼ばれる葉だ。さらに白、青、赤の糸の束と木べらとハサミが置かれていた。

セレモニーが始まる前に、私はこれらの品々の意味を友人に尋ねた。水は生命に必要なもの、バナナは力、餅米関係の二品は団結、サトウキビは節があるので成長、葉っぱは繁殖を意味しているとのことだった。糸の色にも意味があるが、昔のことははっきりわからないと言いつつも、白は純潔だと、キリスト教徒カレン人の彼がどう理解しているかを教えてくれた。

木べらについて聞くと、これで笊の縁を叩いて、良い「ソウル」を取り戻し、悪い「ソウル」を追い出すのだという。ソウル(soul)であって、精霊(spirit)ではないのが私には興味深かったし、友人が「これは昔の人の考えだよ。はずかしいけど」と距離をとっていたのも面白かった。

さて、机の上に笊が並べられると、別の行列が作られた。今度は若いカレン人だけでなく、カレン人の年長者や日本人などのゲストが加わっている。別の友人が私を呼んで列に加わるよう指示し、こう言った。

「他の人を見てやれば大丈夫だよね」

「大丈夫ですよ」と私は適当に答えた。

列は会場の中央を通って、前に並べられた机に到着する。机にはいくつも笊が置かれていて、向かい合うように椅子が置かれている。私を含めたゲストはステージ側の椅子に座り、反対側の椅子には若いカレン人の男女が座った。私と二人のカレン人の間には笊がある。

私は重大な勘違いをしていたことに気がついた。

私は手首結びの儀式をしてもらう側ではなく、若者にする側の席に座らされていたのだった。大丈夫じゃなかった。

散文

カレンの角笛(手首結びの儀式2)

セレモニーが始まるまでの間、私は会場をぶらぶらと歩いて、写真を撮ったりした。正面の脇に台があり、カレン伝統の楽器、太鼓やシンバル、角笛などが並べられていた。人々はその前に立ち、紐のついた角笛を肩からぶら下げたりして、記念写真を撮っていた。

角笛とは、水牛の黒い角で、表面には模様やメッセージが彫られている。中は空洞になっていて、側面に穴が開けられている。そこから吹き鳴らすのだ。

この角笛は、カレン民族のシンボルのひとつで、カレンドラムという青銅製の大きな太鼓と共に、旗などに描かれているのをよく見かける。

私はこの角笛に思い出がある。二〇年以上前に、ビルマに行ったときの話だ。私はヤンゴンのインセインという地区にいた。そこはキリスト教徒のカレン人がたくさん住んでいるところで、私はカレン人の友人に案内してもらい、教会などを見て回った。そのとき、彼は私を小さな店に連れて行ってくれた。カレン人の伝統的な衣装などが売られていた。

そこにカレンの角笛があった。友人はその角笛を取り上げると、珍しがる私のために、穴に口をつけて息を吹いた。

すると、笛の根元と先端から小さな虫がわらわらと出てきた。私たちは笑ってしまったが、虫が巣食うくらい放置されていたようだった。ビルマ軍事政権下ではカレン人の集いはかなり制限されていたから、もしかしたら需要がなかったのかもしれない。

そして、ようやくセレモニーが始まった。会場の前方には横に机が並べられ、若いカレン人たちが男女ペアになって列を作った。先頭に立つ若者が、角笛を鳴らした。虫は出てこなかったし、意外に柔らかい音がした。

散文

カレンの服(手首結びの儀式1)

今日、曳舟文化センターで「カレン伝統の手首結びの儀式」というものがあった。これだとなんだかわからないが、日本在住のカレン民族が集まって行う伝統儀式で、手首に紐を巻きつける行事だ。こうした形で会場を借りて大々的に日本で開催するのは二年目だという。

大ホールにいっぱいのカレン人が集まり、色とりどりの伝統的な衣装を身につけていた。ほとんど私の知らない若い人ばかりだった。私の古くからの友人も何人か参加していたが、その友人の子どもたちよりも、みな若いのだった。

受付も若い人たちが座っていて、私の手に白い糸を巻いてくれた。丸いシールをもらい、服の上に貼る。十時半に集合とあったが、準備が終わらないのかなかなか始まらない。私は家から持ってきたカレンの民族衣装を取り出して着た。

民族衣装といってもそれほど難しいものではない。いわゆる貫頭衣で、頭からかぶるだけだ。私がいつも着る服は赤で、緑と黄色の房がついている。他の人は青や白などいろいろだ。そのとき、私の友人がやってきた。特別な機会だから他の服を用意してくれるという。彼の服は虹色で、初めて見るデザインだ。かっこいい。彼はしばらくどこかに服を取りに行った。戻ってきて、私に差し出した。

赤い服だった。

礼を言いながら受け取ると、彼の妻がやってきて笑いながら何か言った。「別の色にしてあげたら」と言ってくれたのだろう。友人は再び立ち去り、白と黒の渋めの服をもってきてくれた。