散文

知を見る人々

私は最近、頭のよさについて考えている。一般的には、頭がいいことは得だ。いい大学に行けるし、いい仕事に就けるし、収入も多い。人が集まってくるし、幸福だ。だが、頭のいい人が得をしているということは、私のようなそうでない人は損をしているということだ。悔しいので、いろいろと考えているうちに、頭のよさについての単純な物語を思いついた。


ある研究者が、とても難しい問題を考案し、とても難しい問題ができたということを人々に発表した。それから研究者は、このとても難しい問題を小学校に持っていって、小学生に解かせた。するとひとりだけ正答した児童がいた。人々は「まさに神童だ」と驚いた。

次に高校生たちにこの問題を解かせた。するとやはりひとりだけ正解を出した生徒がいた。人々は「これこそ天才だ」と感心した。

今度は、研究者は難しい大学に行って、そこで問題を与えた。ひとりの学生がたちまち片付けてみせた。人々は「やっぱり優秀だ」と納得した。

それから国会に向かい、政治家たちにとても難しい問題を提出した。すると、ヤジを言うほどの短い間にひとりの政治家が正解を答弁した。人々は「頭の回転がなんと速いのだろうか」と喜びあった。

国会の隣にはテレビ局があった。研究者はそこに行くと、芸能人たちにとても難しい問題をオファーした。タレントたちはギャラが決まるとすぐにこの問題に取り組み、ひとりのスターがベスト・アンサーを早押しした。人々は「ああ見えても地頭がいいのだ」と喝采を送った。

最後に、研究者は町に行き、出会った外国人たちを呼び止めて、この問題を示した。ひとりの外国人が正解を提示した。人々は「なんてずる賢いんだろう」と防犯対策を行なった。

ライブ

ライブの撮影

YouTube などで外国のライブ動画を見ていると、観客はみんな携帯を掲げて撮影をしている。というか、その見ている映像そのものが、非公式のものだったりする。つまり、観客が自分の撮影したものをアップロードしているのだ。

しかし、日本では普通、路上ライブならまだしも、会場でちゃんとお金を払って見るライブでは撮影は禁止されている。これは著作権侵害や違法アップロードを防ぐためのようだが、もっと自由にしてもいいのではないか、という声もある。

私はどちらかというと撮影禁止に賛成だ。といっても、権利上の問題についていっているのではなく、撮影するのは、演奏を楽しむのに邪魔だからだ。音楽を聴くためにやってきたのに、撮影可となると、記録に残そうとか、全部収録して YouTube にあげてやろうとか、雑念が湧いてくる。ならばはじめから撮影不可のほうが余計なことを考えずに済むというものだ。それに、携帯を手に持ってずっと掲げているのも、余計な苦役だ。

そんなわけで私は撮影禁止のままでいいと思っているが、この前、あるライブで演奏者がこんなことを言った。

「ステージと客席は分けられているけど、本当はこんな仕切りなしに、みんな友人として接したい。ライブ撮影だって、別に禁止したくない。誰でも自由に撮っていいと思う。ただ、友人を撮影するにも相手を尊重して撮影する。それと同じように、友人として撮影するという気持ちがあればいいと思う」

私は「なら、しよう」と思ったが、こんなことを言われると逆にやりにくくなるのか、周りでは誰も撮影していなかった。私もやめた。