散文

溢れる学識

二十年以上前、ある研究会で発表した。かなり力を入れた内容だった。終わってからある先輩からこんなコメントをいただいた。

「学識が溢れている」

ついにそんな領域にまで達した。簡単に言いかえれば「詰め込みすぎだ」ということだ。一切合切放り込めばいいというものではない。

また博士論文の初稿の審査のとき、ある先生からこんなことを言われた。

「ずいぶんと難しいことを書いている」

私の頭のレベルの高さの証だ。これを簡単に言いかえると「ごちゃごちゃしてなにが言いたいかわからない」ということだ。それどころか、読むに値しないまである。

大いに恥じた私は、余計なものをどんどん捨てて、書き直した。

それはともかく学識の問題に戻すと、論文でもなんでも学識の詰め込み過ぎは危険だ。まず、学識豊かでうれしいのは当人だけで、周りの人は消化不良に苦しむ。それに、そもそもそんな災いを引き起こす人間に学識などないのだから、誰でもわかる単純なことを丁寧に書くのがいちばんだ。そして、たとえ学識があったとしても、溢れる学識を抑えるのが学識というものだ。

おそらく、学識とはにじみ出るものなのだろう。余計なものをすべて削った状態で、自然ににじみ出て溢れてしまうもの、それが学識なのだ。

いつかにじみ出たい。

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中身のない言葉(2)

中身のない言葉の巧みなところはまた、これが受け手に物語を喚起することにある。

「やり抜く政治」は「やり抜かない腑抜けた政治家とは異なり、やるべきことを遂行する政治家」という物語に結びつく。さらに、ここには敵と味方という対立関係が隠されており、やり抜かない政治家の妨害に負けずに立ち向かうという、一段上の物語にも発展しうる。「ぶれずにまっしぐら!」「今こそ変化!」も同様だ。

「取り戻す!」はさらに手が込んでいる。これが受け手に呼び起こす物語は、「何かが失われた。そして私たちはそれを取り戻す」というものだ。そして、受け手は単に失われただけでなく、失うことになった原因、あるいは奪った相手の存在にまで思いを巡らせるかもしれない。すると例えば「大事なものを我々から奪った敵を打ち負かし、それを奪い返すことによって勝利する」という派手な物語にまで膨らみうる。そして、このように喚起された物語は、受け手が中身を補って完成させたものであるから、受け手の物語でもある。これにより、受け手は自分の物語を当該政治家に託すことになるのであり、これは容易に政治的支持に結びつく。

ここで重要なのは、「取り戻す!」と言った当人は、「特定の敵に大事なものを奪われた」などとは一言も言っていないことだ。もしそのようなことを言ったとしたら、その主張について根拠を示す責任が生じるが、「取り戻す!」とだけ言っているかぎり、そのような責任を避けることができる。そこで、受け手がこの標語を聞いて「特定の敵に大事なものを奪われた」と解釈し、それを公言した結果、事実ではないと非難されたとしても、標語の主は「自分はそんなことを言っていない」と、その解釈についての責任を否認しうるのである(これは、実際のところニュースで飽きるほど聞かされたやり取りだ)。

このように中身のない言葉は、受け手に中身を埋めさせることによって物語を喚起し、さらにその物語に関与させるという働きを持っている。そして、もうひとつの利点は、標語そのものには中身がないのだから、その解釈について政治家は責任を負わずに済ませることができるということにある。

つまり、政治家たちの中身のない言葉がどのように解釈されても、政治家たちは知らない顔をすることも可能だ。なぜなら、中身のない言葉には中身がないのだから。

だが、それでいいのだろうか。

少なくとも、中身のない言葉を使ったこと自体は、中身のあることなのだから、そのことについては責任を大いに問われるべきだろう。

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中身のない言葉(1)

政治家のキャッチフレーズにはおかしなものが多い。例えば「やり抜く政治」「ぶれずにまっしぐら!」「今こそ変化!」「取り戻す!」などなどだが、よくよく見てみると、なにをやり抜くのか、まっしぐらにどこに行こうとしているのか、どんな変化を起こそうとしているのか、なにを取り戻すのか、よくわからない。もちろん、公約をよく読めば書いてあるのかもしれないが、もっとはっきり言ったほうが親切ではないかとも思う。

そんなわけで私は中身のない標語だとバカにしていたのだが、よくよく考えてみると、これはもしかしたら中身がないことが肝なのではないかという気がしてきた。

というのも、中身がないものに出会うと、人間はそれぞれ自分でその中身を埋める習性があるからだ。

そこで人は「やり抜く政治」と聞くと、自分なりになにをやり抜くかを思い浮かべることになる。ある人は経済政策、また別の人は政治資金のこと、子育てのこと、あるいは外国人の問題、とそれぞれだ。このような解釈の多様性が立候補者にとって有利なのはいうまでもない。多くの人が中身のない標語の中身を自分の関心事で埋めてくれれば、その分、自分の支持につなげることができるからだ。これがもし「原発再稼働のためにやり抜く政治」と具体的にいってしまったら、関心のない人や反対する人は、そこで離れてしまう。

こう考えてみると、中身がないことが中身だったのだ。

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思いは実現する

今年の六月、チュニジアに滞在していたとき、私はホテルの部屋に鍵を忘れてしまい、入れなくなった。

こんな失敗をしたことは一度もなかった。私はフロントに行って鍵を開けてもらうことにしたのだが、それがきっかけであることに成功することになった。その内容については以前書いたので繰り返さない。だが、後になって思い返してみて、もしかしたら、自分は無意識のうちに鍵を忘れたのかもしれない、とも考え始めた。

そして昨日、私は喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、パソコンを開いていた。私の隣の席には若い男性が座り、その脇には大きなスーツケースがあった。

私はといえば、あることをやらねばいけなかったのだが、何週間も先延ばしにしていて苦しんでいた。パソコンを開いて取りかかろうとしても、体が拒否するのだった。しかしこれを終わらせなければもう一歩も進めない、やろう、と決意してパソコンの中のファイルを開いた。

そのとき隣のスーツケースが倒れてきて、私のアイスコーヒーを倒し、キーボードにコーヒーをぶちまけた。

私は慌てて立ち上がり、パソコンをハンカチで拭いた。だが、コーヒーは内部に浸み入っているようで、逆さにすると茶色い液体が垂れてくるのだった。

私はパソコンの電源を切った。危険だからだ。完全に乾くまでは電源を入れるべきでないという。調べると浸水したパソコンは使えなくなる可能性が高いのだそうだ。

今、私は乾くのを待っている。パソコンからはほのかにコーヒーの香りが漂っている。

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幼年期の終わりの続き

二〇二二年の末頃、AIに「ベトナムのビートルズ」の画像を作成するように指示すると、銀色にも灰色にも見えるスーツを着た四人の若者の画像が出てきた。四人はアジア風の街角に立っている。スーツは、ビートルズの襟なしスーツにも似ている。四人ともベトナム風のとんがり帽子を被っているが、金属製で、しかも頂点からはアンテナが伸びている。若者たちの顔はアジア人のそれだったが、奇妙に潰れていた。

そして今、AIに同じことを指示すると、まったく別の画像が出てくる。本物のビートルズがハノイの街角の屋台で食事をしているのだ。プラスチックの椅子に座って談笑しながら手に丼を持っている。食べているのはフォーだ。なぜなら看板にフォーと書かれているから。ポールは左利きだが、箸は右手で持っている。四人の服装からすると、写真は『リボルバー』の頃に撮られたようだ。言うまでもなくフェイク画像だ。

どちらの画像が面白いかというと、もちろん最初のものだ。奇妙で謎めいている。ユーモラスで異様だ。たった数年だが、AIは指示を適切に解釈し、もっともらしい画像を作り上げるように進化してしまった。AIが奇妙な画像を作る時代は終わってしまった。

そして、AIがおかしな四人組の画像を生成した時代はもう来ないのだ。そんな時代は人類の歴史で一回しか起きなかった。しかも、とても短いものだった。もちろん、巧妙に指示をすれば、現在のAIだって、野蛮で珍妙な画像を生成してくれるだろう。だがそれは、結局のところオリジナルのフェイクに過ぎない。

私は、ベトナムの怪しい四人組の画像を、まるで自分の子どもが赤ん坊だった頃の写真のように眺めている。

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幼年期の終わり

六月にチュニジアに行ったとき、明らかにAIが描いた絵が表紙になっている本を本屋で何種類も見かけた。内容にはよさそうなものがあったが、買う気にはなれなかった。

日本でも、広告やチラシの類にAI製のものをよく見かけるようになった。これもどれも同じで、実につまらない。

このブログでもずいぶん前から記事のアイキャッチに生成AI画像を使ってきた。二〇二二年十月二十二日から Stable Diffusion で作った画像を使い始め、二〇二四年六月二日からは WordPress で記事にAI画像を作成するサービスが始まったので、それを使うことにした。

だが、二〇二六年三月二十七日からはAI画像を使うのをやめ、自分で撮った写真を使うことにした。なぜなら、AIの絵は面白くないからだ。思えば、私がAIの画像を使い始めたのは、簡単に奇妙で変で面白い絵が出てきたからだ(二〇二三年ごろの画像を見てほしい)。しかし、次第にAIが発展するにつれ、面白くない絵を描くようになり、今やその絵は世界中に溢れている。

もちろん、AIでは面白い画像を作れないといっているのではない。ただ、よい画像にするのには非常に時間がかかる。忍耐も必要だし、センスも必要だ。だが、たいていの人は時間もヴィジョンもないから、「描いて」とだけで済ませる。すると、吐き気がするほどつまらないものが出てくる。

「描いて」と指示するだけで、奇怪な絵が出来上がる時代は終わってしまったのだ。幼年期は過ぎ去り、今や当たり前の大人になって、あたりさわりのないものばかり描くようになってしまった。

それどころか、私の書いた物を読ませると「つまらない人間が書いたいやらしい文章」などと生意気を言うようになった。

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バカとチョンの社会(後編)

昨日、「バカでもチョンでも」という差別表現について、私の側からささやかな新解釈を提出させていただいた。

それは、現代のコンテクストにおいては「チョン」とは、差別に苦しむあらゆる移民を意味すべきだというものである。すると「バカ」とは、論理的・必然的にあらゆる日本人を意味することとなる。

よって、日本はバカとチョンの国である、というのが私の到達点であった。

しかしながら、この新解釈に依拠して「バカでもチョンでも」という差別表現をあらためて捉えなおしてみると、実はこれが素晴らしい表現であることがわかる。

「バカでもチョンでも」安心して暮らせる社会、「バカでもチョンでも」人権の尊重される社会、「バカでもチョンでも」虐待されることのない社会。この表現が、日本人と移民の平等を表わしうることに気づかされるのである。

だが、ここでひとつの契機が生じる。もし、我が国において、あらゆる移民が、人権の観点から日本国民と平等に扱われるとしたら、これらの移民を「チョン」などという蔑称で呼ぶことが、そもそもありえないこととなるのではないだろうか。

そして、これに応じて、日本人もまた、移民の命や人権を自分たちと同等に尊重できるのならば、もはや「バカ」とはいえないのではないだろうか。

「バカでもチョンでも」尊重される社会の実態は、「バカもチョンも」存在しない社会であった。なんと不思議な成り行きだろう。

そんな社会では誰もが人権を享受し、差別されなくなる。いや、皇族がいた。

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バカとチョンの社会(前編)

「バカチョン」というのは「バカでもチョンでも」を短くした形だ。この表現が生まれたのがいつかは分からないが、辞書を見ると、明治初期には似たような言い回しがあったようだ。

「チョン」というのはそもそも「一人前でない、劣った人」を意味していたといわれるが、いつからか、朝鮮人への蔑称と同一視されるようになった。

その結果、「バカでもチョンでも」は「バカでも、朝鮮人でも」と理解されるようになったという。語源はともかく、この表現には朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)に対する差別意識が明瞭にあらわれており、現代ではこの表現を差別表現とみなし、使わないのが普通だ。

とはいえ、今なおこの語が人を傷つける目的で使われているのもまた事実だ。しばしば、この語を含むネット上での発言が、誹謗中傷やヘイトスピーチとして非難されたり、告訴されたりすることがある。

もっとも、私がひとりの日本人として大和魂をもって訴えたいのは、日本人は決して朝鮮人だけを特別に差別してきたのではないということだ。現代の日本では、多くの移民が生活し、さまざまな差別に悔しさや悲しさを感じている。それだけならまだしも、ときには、入管に収容されて自由を奪われたり、そこで死に追いやられたりする。

私は、これらの移民の苦難を見るにつけ、現代の「チョン」には、朝鮮半島出身の人だけではなく、日本で差別されている外国人すべてを含めるべきではないかと、はなはだ勝手ながら考えるようになった。

こうした考え方を不愉快に思う人もいるかもしれない。とくにこの言葉に傷つけられてきた人々は。だが、それでもひとつの利点がある。というのも、「バカでもチョンでも」のもういっぽうの「バカ」がどのような人々かということがはっきりするからだ。

それがどのような人かというと、もちろん「チョン」以外のあらゆる日本人に決まっている。

日本はバカとチョンの国だったのだ。なるほどうまし国だ。

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カレンの糸(手首結びの儀式5)

手首に糸を結ぶやり方は、私の前に座る若者が教えてくれた。まず、笊の上に載っている品々を相手の手にひとつずつ載せる。次に、白赤青の三本の糸を取り上げる(儀式が始まる前に私たちは三本セットになるように準備しておいた)。

その三本の糸の両端を持ち、糸の真ん中の部分を竹筒の中に垂らして、水に浸す。それから、濡れた部分を相手の手首につけ、糸で撫でるようにして水をつける。そして、手首に糸をぐるぐる巻いて、縛り、残った部分をハサミで切る。

簡単だ。私はまず前に座る二人の若者にこの儀式を施した。二人が立ち去ると、別の若者たちがやってきて、私は儀式に取り掛かった。私を含めた儀式係は一〇名ぐらいいて、一列に並んでいた。私たちはいわば長老役を任されていたのだった。その長老たちの前に若者たちが並び、次から次へと座った。何度も糸を巻きつけているうちに私は慣れてきて、しまいには催し物で出店をやっているかのような気分になった。手際も良くなって身のこなしも軽やかだった。

そこにカレンの青年がやってきた。私がその手に品々を乗せ、手首に糸を巻きつけようとすると、彼は餅米の握りから米粒を摘んで、頭になすりつけた。私が糸を巻きつけ、余りをハサミで切ると、彼はまたその糸の切れ端を摘んで、竹筒の水に浸し、糸で頭を濡らした。

これがより正式なやり方らしい。隣の人を見ると確かにそうしていた。すでに何人もの若いカレン人に不完全な儀式を施してしまっていた私は、申し訳なく思った。

だが、これらの若者たちにとっては、私の存在などたいした意味もないことに気づき、結局、どうということもないだろうと思った。

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カレンの木べら(手首結びの儀式4)

私たちが会場の前方で座っていると、入れ替わり立ち替わりスピーチが始まった。初めはビルマ語、次に別の若者が出てきてスゴー・カレン語で話し始める。その次は西ポー・カレン語、さらに東ポー・カレン語と続く。これはこういう式典ではよくあることで、同じ内容をビルマ語とそれぞれのカレン語で繰り返すのだ。

カレン語はこの三つ以外にもたくさんあるが、話者が多いのはこの三つなのだそうだ。カレン人の集いなのにビルマ語が使われるのは、カレン人以外のゲストもいたからでもあるが、そもそもカレン語の話せないカレン人もいるからだ。

さて、カレン語でのスピーチの最後に日本語でのスピーチもあった。あらかじめ準備した原稿をカレン人の若者が読み上げる。十分に分かりやすい日本語だ。

内容は手首結びの儀式とそれに使われる品々の説明だ。これは儀式の前に友人に教えてもらったのとほとんど変わりはなかった。また、私が少し不思議に思った soul だが、スピーチでも「良い魂」「悪い魂」と言っていた。もしかしたら、カレンの文化では、魂は体内にずっと留まっているものではなく、外に出て良くなったり悪くなったりするものなのかもしれない。もっとも、私が誤解している可能性はある。

なんにせよ、長いスピーチの時間は終わり、いよいよ儀式の開始となった。初めに木べらを取り、笊の縁をトントン叩く。どういうリズムで叩けばいいかわからないので、隣の人を見ながら叩く。私の左隣にいるのは、カレン人の女性で以前から知っている人だ。右隣の男性は知らない人だが、私と同じように戸惑っているところを見るとカレン人ではなさそうだ。私は女性の方を見ながら合わせて叩く。その向こうでも横一列に並んだ人々が叩いている。

この調子なら、私が間違って「悪い魂」を引き寄せたとしてもたぶん害はないだろう。