ライブ

別れた三味線に

私は去年の 9 月から三味線を週 1 回、習いはじめた。三味線は買うと 30 万円近くになるから、レンタルだ。月に 5,000 円で貸してくれる。これプラス、保証金が 10,000 円だ。ただし、これはレンタル終了時に三味線に破損などの問題がなければ返ってくる。

三味線は非常にデリケートな楽器だ。ソフトケースも貸してくれたので、これに入れて持ち歩いていたが、人混みなどでは心配だ。また、常に片手で支えていなければならないので不便だ。

同じ三味線教室に親切な人がいて、三味線用の頑丈なケースを譲ってくれた。これで三味線をどこかにぶつけて破損する心配もなくなった。また、自立してくれるので、電車の中でも両手が使える。ソフトケースよりもずっと重く、また大きいので邪魔だが、三味線教室があるたびに持ち歩いているうちに慣れた。

三味線教室の区切りは春の発表会だ。この日のためにみんなで練習した。私は最初のうちは忙しくてろくに練習もできなかった。また、せっかく頑丈なケースを手に入れたのに、かえって出すのがおっくうになって、入れっぱなしの日々が続いた。だが、発表会が近づくにつれて焦りだした。それで、毎晩、少しずつ練習して、なんとか発表会までに最低限のレベルに達した。

そして、今日がその発表会だった。初舞台を終えると、私は三味線返却の準備を始めた。短い間だったが、私の相棒だった楽器だ。別れるのに感傷がないというわけではない。悲しみを感じながら、私は三味線を元のソフトケースに入れ、返却の手続きを行った。担当の人は三味線をケースから出して、状態をチェックすると、保証金 10,000 円を返してくれた。私の悲しみはすっかり喜びに変わった。

家に帰る途中、自分が三味線を持っていないのにふいに気がついて、どこかで置き忘れたのではないかと、何度もドキリとした。

風刺・戯文

悪霊

最近、奇妙なことが起きている。こんなことを言ったら、もしかしたら、笑われるかもしれない。いや、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。だが、そいつは確かにいるのだ……

私がそいつの存在に気がついたのは、数週間ほど前のことだ。その頃から、私は外に出ると、奇妙な感覚にとらわれるようになった。初めは気のせいかと思った。だが、その感覚は一向に消え去ることなく、私を苦しめるまでになった。

私は鼻水、くしゃみ、目のかゆみに襲われるようになったのだ。口の中もものすごくかゆい。耳の奥までもかゆい。はじめは風邪かと思った。だが、熱もないし、咳も出ない。いったいこれはどういう現象なのだろうか。

この数週間の間に、私はあることに気がついた。私の苦しみは、外にいるときがもっともひどく、家の中ではそれほど強くはないということだ。これはいったい何を意味するのだろうか? おそらく、私を苦しめるその存在、そいつは私の家の中にまでその邪悪な力を及ぼすことはできないのだ。その悪霊は外にいて、私をつけ狙い、待ち構えている。私はもう外に出ないことに決めた。

しかし、それからしばらく経って、恐ろしいことがあった。家に閉じ籠る私を心配した家族が家にやってきたのだ。家族が家に入ったとたん、私はくしゃみに苦しみだした。間違いない。悪霊は家族を利用して、私の家に入り込んできたのだ! なんと狡猾な存在だろうか……。もしかしたら、家族とグルになっているのでは、そんなことすらあやしみだした私は、家族を追い出し、扉を閉ざした。

そして、昨日のことだ。私が信用する唯一の友人から、封筒が届いた。封を開くと、マスクと太い縁のメガネが入っている。同封されていたメモにこんなことが書かれていた。

「このマスクとこのメガネをつけて外出すれば、君を付け狙っている汚らわしい悪霊は、君のことを別人だと思って、手出ししなくなるだろう」

友人の言葉通りにし、さらに念のため髪型も変えて、外出してみた。今のところ、悪霊を欺くことに成功している。

風刺・戯文

究極の言語化

この日本で生まれた史上最高の天才が、一冊の本を書き残した。それは 100 ページにも満たないソフトカバーの書物だが、天才がもてる能力をすべて注ぎ込み、この世界のすべてを言語化したのだった。

言語化とは人類が持つ最高の能力だ。この能力があれば、地頭がよくなり、人たらしになり、引き寄せの法則が発動しないことはない。天才は究極の言語化により、人類の地平を広げようとしたのだ。

この書を開き、読み始めた人がいる。それは驚くべき体験だった。1 ページ目を読むや否や、次々と腑に落ちることが生じ、思考の解像度もうなぎのぼりとなった。そして、そんな印象がページを繰るたびに段違いに深まっていくのだった。2 ページ目にはすぐやる人になった。3 ページ目を読むと嫌われる勇気が生じた。4 ページ目には富裕層への道が開かれた……。

だが、10 ページぐらいから、読者は異変を感じ始める。軽い眩暈が生じ、感覚が麻痺する。やがて意識の錯誤が始まる。ここで無理やり書物を取り上げなければ、読者は錯乱状態に陥り、二度と正気に戻れなくなる。

言語化とは太陽のようなものだ。その強烈な光が、精神の闇をくまなく吹き飛ばし、焼き尽くしてしまうのだ。

言語化の専門家は警告する。「これはただの自己啓発書ではありません。恐ろしい魔術の書なのです。最後まで読んだ者は、世界を破滅させる魔力を手に入れるでしょう……」

無限の力を秘めたその書は、今、国家機密として奥深い地下の施設で厳重に保管されている。

風刺・戯文

金は今が買い時

初めてみませんか、金投資。

長期的な資産形成を目的とするならば、現在は金が買い時なのです。金の価格は、2026 年 3 月時点で史上最高値圏に到達しました。しかも、専門機関は、今後 10 〜 20 年スパンでさらなる上昇を見込んでいます。

つまり、今、金に投資すれば、長期的に大きなリターンが期待できるのです。もう金に投資しないわけにはいきませんね。

「でも、金投資にもリスク、あるんじゃない?」って踏み切れない方もおられるのでは。ですが、金価格の上昇要因を理解すれば、そんな不安も払拭できます。

【金価格上昇を支える主要因】
・SNS の普及により、誰もが常時やかましく発言する駄弁のグローバル化が進行。
・嘘を巧みに言いくるめる政治家を崇める風潮が主流に。
・あらゆるものを言語化する言語化ブームは今後ますます拡大。
・声の大きい者が振るう暴力が加速。

そうなのです。沈黙こそこれからの希少資産です。それでも迷っているあなた、つべこべいわずに黙って金に投資!

小説

オッパ・チャレンジ(2)

「それならば、なおさら不可能なのでは? オッパなんて無謀なことを諦めて、一緒に上野にサムギョプサルでも食べに行こうよ」と誘うと、彼は不敵に笑って断った。

「いいや、徹底したリサーチが叩き出した秘策があるのだ」 

「そ、それは?」

「フフフ、将を射んと欲すればまず馬を射よ、とだけ言っておこう……」

それから 2 年あまりがすぎた。さすがに私も、あの無謀な計画のことは忘れかけていた。そんなある日、友人から成功したという知らせが届いた。私は羽田空港に彼を迎えに駆けつけた。姿を現した彼は、日本を発ったときに比べて、いくぶん精悍な顔つきになったように見えた。故国に降り立った彼に、挨拶もそこそこに、私はあの謎めいた発言について尋ねずにはいられなかった。

「私はとにかく韓国の男性と親しい友達になったのだ。そして、互いに家を訪問し合う間柄になった。親しくなった友人のひとりに妹がいた。付き合いを重ねるうちに、その友人の妹がごく自然に私をオッパと呼んでくれたのだ。兄の親しい友人としてね」

この「オッパ・チャレンジ」の成功の波に乗り、次は「ヌナ」と呼ばれたい、と友人は今、厳しいトレーニングに打ち込んでいる。

小説

オッパ・チャレンジ(1)

韓国語の「オッパ」というのは、「お兄さん」という意味だが、日本語と違って、女性が実兄や年上の男性を呼ぶときだけに使われる。男性には別の単語で「ヒョン(お兄さん)」がある。ちなみに女性が年上の女性を呼ぶときは「オンニ」、男性が年上の女性を呼ぶときは「ヌナ」という。

「オッパ」は、もっとも有名な韓国語のひとつだ。韓国ドラマでは、年上の恋人への呼びかけに頻出するからだ。ただの親族呼称にすぎないが、ドラマでしか「オッパ」に触れないでいると、そこに必要以上にロマンチックな響きを感じてしまう。

韓ドラ愛好家の私の友人も、この「オッパ」にすっかり心奪われてしまった。50 代半ばの彼は、「自分も韓国の女性にオッパと呼ばれたい」との野望に取り憑かれ、猛勉強の末に韓国語を身につけ、ひとり渡韓したのだった。

「妻子ある身にもかかわらずなんて無茶を」と呆れた私は、出発前にその意図をただした。すると「オッパと呼ばれるためだけに、恋人関係を利用するなどという卑劣な真似はしないから、安心したまえ」と彼は真剣な顔で告げた。

風刺・戯文

数学の問題

問題
あるスーパーで、収益の拡大と顧客への利益の還元、地域活性化を目的に、大規模なセールとイベントを 3 日間にわたり実施した。セールでは、商品総数の 70 %が 3 割引、20 %が半額、残りが定価販売された。また、地元の生産者の協力のもと、地域の野菜や食品の即売も行われた。イベントでは、家族向けのくじ引き大会やサル回しなどが行われ、期間中は大盛況であった。

(1)商品総数が x、地元の生産者の協力者が y 人、そしてセール期間中の来店者数が z 人の場合において、売り手(スーパー)、買い手(客)、世間(地元生産者)がそれぞれ利益を得たとき、次の n に入る数を求めよ。

  「n 方よし」

(2)スーパーの経営者が「n 方よし」に入る自然数 n を以下のように設定した場合、x がいくら以上の場合、経営が破綻し、経営者がその地位を追われるか。

   n = x³ (ただし、n>3)

(3)「n 方よし」において、n が虚数の場合に利益を得る異次元の存在を召喚せよ。

風刺・戯文

省エネは地球を救う

最近、なにかと話題の AI。聞けばなんでも答えてくれますし、難しいことだってかわりに考えてくれるスグレモノ。でも、この AI が地球の環境問題に大きく影響していることはご存知でしょうか。

それは、AIの電気使用量です。世界中には AI を動かすデータセンターがたくさんありますが、これらの設備が使用する電力が膨大なのです。この電力需要を満たすための環境負荷は無視できない規模になりつつあります。つまり、AI が深く考えるたびに、環境が破壊されていくのです。

これは実は人間にも当てはまります。私たち人間にとっても深く考えることは、エネルギーの消費にほかなりません。私たちもまた、考えるたびに、環境を破壊していたのです。

エネルギーの無駄づかいを防ぐために省エネが叫ばれてきましたが、環境のことを真摯に考えるならば、私たちの思考も省エネの時代を迎えたといってもいいのです。

省エネ思考、アメリカではもう大ブームだとか。日本でもさっそく取り入れたらいかが?

【ライフ・ハック:毎日繰り返して、省エネ思考を身につけよう!】
政府への信頼が、省エネの第一歩。
批判は電力のムダづかい。
反対するなら賛成で、コストの削減。
多様性よりも団結が環境を守る。

風刺・戯文

平家蟹

その蟹は、平家蟹と呼ばれることに怒っている。その怒りがあまりにも強いので、甲羅に浮かび上がる顔のような模様も、憤怒の度合いが増したようにみえた。

「どうして平家蟹という名称がおイヤなのですか。由緒ある名前なのに」と私が尋ねると、蟹は答える。

「だって、私たちの模様は、その平家とやらとはなんの関係もないからですよ。平家が? 壇ノ浦で? 入水? ハハハ、バカを言っちゃ困りますよ。私たちは、平家が滅びる前から、ずっとこの顔を背負って生きてきたのですよ。なんなら、祇園精舎の鐘ができる前からですよ」

「ならお聞きしますが」と私はちょっと意地悪な質問。「平家と関係がないなら、どうしてそんな悲憤に満ちたお顔をしてらっしゃるのでしょうか」

蟹は憤然とハサミを振り回す。「ああ、人間ときたらこれだ。なんでも自分中心でないと気が済まないのだから。視野が狭いのです。これはただの模様ですよ! もう、ほうっておいてください!」

と言い捨てると、平家蟹はどんどん海の奥へと潜っていってしまった。

「日本を笑顔にするプロジェクト」の一環として、平家蟹を笑顔にするイベントを考えていたが、難しいかもしれない。源氏の末裔のサプライズ登場と涙の和解まで決まっていたのだが……

風刺・戯文

死後の世界の出会い

臨死体験をすると、人生が変わるそうだ。「死が終わりではない」という確信が、生き方や価値観を変えてしまうのだ。

私の知り合いにも、この臨死体験をした人がいる。彼は事故で亡くなったのだった。気がつくと、光に溢れた広い世界にいた。暖かく、清々しい。ぶらぶらと歩いていると、一人の男が図面を片手に立っているのが目に入った。

「何をされているのですか」と友人は丁寧な口調で尋ねた。

男は微笑んだ。「ああ、今、死後の世界を構築中なのです」

「え」と友人。「ここが死後の世界だと思っていましたが」

「そうには違いないのですが、それだけでは不十分なのです。私はちゃんとした死後の世界を作りたいのです」と男は図面を広げ、友人に見せた。その図面はいくつかのエリアに分かれ、それぞれに「天国」「地獄」「煉獄」「鬼の宿舎」「大エントランス」「大浴場」などと記されていた。友人は驚きの声をあげた。

「すごいでしょう」と男は得意げに言った。「でもですね。構想が大きすぎて、どこから手をつけていいかわからないのですよ。しかも、ガワだけではなく、システムも難航していて。大量にやってくる魂をどのように流し、どこでどう捌き、どう再生するか、これは挑戦ですよ」

「ということは、もしかしたら、天国だとか、生まれ変わりだとか、はまだない、ということですか」と友人は落胆しながら尋ねた。

「ええ、それは認めざるをえません。なにしろ非常に複雑で大規模なもので……天国が実装されるまでには、まだかなりの年月が必要でしょう」

「では、それまでのあいだ、魂はどうしていればいいのでしょうか」

男は図面をたたみながら、こともなげに言った。「これまでのように地上に留まっていれば、問題ないかと……」

私の友人は、死後の世界から生き返った。だから、死後の世界があるとは信じていない。