風刺・戯文

電車の広告

電車にはいろいろ広告が貼られているが、最近よく見るのが、何かの支援団体が寄付を呼びかけるものだ。女性の顔が大きく中央に配置され、こんな言葉が書いてある。「娘を持つ母親として、女の子に教育を受けさせない地域があってはいけないと思って寄付しました」とか「生理になると女の子が隔離され、学校にも行けない地域があるなんて信じられない」とか、語っているのだ。

私はこうした広告戦略はあまりよいとは思わない。問題となっている地域の背景を抜きにして語ることの乱暴さ、そして、女性の「善意」が利用されていることの不快さ、さらに、その地域の女性とそれについて語る女性という二重の女性性を男性の目を惹きつけるのに利用する狡猾さ……

そして今日、ぎゅうぎゅうの満員電車の中、ようやく頭を上げた瞬間に目に入ってきたこの広告を仰ぎ見ながら、私は思わずにいられない。今にも窒息しかけたり、パニックを起こしかけたりしている私たちについて、この広い世界のどこかで、今も電車の広告が「仕事に行くのに電車の中で押しつぶされて死にかけている人々がいるなんて、と思って寄付しました」と語っていることだろう、と。

風刺・戯文

男たちの危険な遊び

この世界には、口に出しては言ってはいけないことがあるの。そう、男たちが言わないで我慢している言葉がある。なぜなら、口にすると世界を取り返しがつかないくらいに変えてしまうから。男たちにはこんなことは言えないわ。男の言葉は本気だからね。だから、言いたくてもただぐっと口を引き絞るばかり。

でも、歴史のある時点で、男たちはこの言葉を世界に向けて射出する方法を見つけたの。それは私たち女の口を使うこと。男たちは自分の代わりに女たちに危険な言葉を言わせる方法を編み出したの。男たちは、女が言うなら大丈夫だって考えたのよ。どうしてかというと、女や子どものいうことなど、誰も本気にしないから。

それに、もし誰かが本気にして怒り出しても、男たちは自分が言ったんじゃないって言い張れるし、その人が女に危害を加えようとしても守ってやればいいって思ってた。そう、絶対に、男は自分は損しないって踏んでたの。

女たちは男に代わって危険なことを言いつづけたわ。絶対に世界を変えない安全で危険な言葉。男たちはその言いたくても言えなかった言葉を聞きに、女の周りに集まった。女が口を動かすたびに、男たちは快感に身震いしたわ。

でも、女の口を使った男たちの危険な遊びは長くは続かなかったの。快楽に溺れた男たちはもっともっとその言葉を聞きたくて、いちばん淫らな口をした女に自分たちの持っているものすべてを与えたの。

そのせいで、女の言葉は本気になった。で、私たち女も、男たちも、今、炎に包まれた世界で生きているってわけ。

散文

擬人化

私たち人間の認識に備わっている基本的な装置のひとつは擬人化だ。私たちにとって人間を認識できるか否かは重要なので、認識の癖として、なんでも人間だと捉えるようになってしまったのだ。

私たちがペットの犬が笑ったり、悲しそうにしたりしているように思うのも、この擬人化の結果だ。動物学者は擬人化をしないように動物を見る訓練をしているから、そうはみないし、別の言葉で説明する。もっとも、ペットを人間扱いしても大した問題は起こらない。だが、擬人化によっては大きな問題を引き起こすこともある。

それは陰謀論だ。陰謀論はあらゆる出来事の背後に人間の存在を見るが、これも世界を過剰に擬人化したものといえよう。

擬人化について興味深いのは、私たちは人間も擬人化することだ。人間だから擬人化して当たり前だろう、と思うかもしれないが、私たちも動物の一種であり、動物的な性質がいくつもある。だが、こうしたことに普段は気がつかないのは、私たちが人間を擬人化しているからだ。

また、私たちが互いに言葉を交わし、理解した気になるのも、相互に擬人化しているからだ。とすると、擬人化が相互理解の鍵となっているということとなる。これはまさしくそうで、擬人化の停止が起きるとき、大量虐殺もともにやってくる。

このような悲惨な事例を持ち出さずとも、私たちは外国人や精神病の人や貧困層に対しては擬人化を控えめにして、人間として扱わないように努めている。それどころか、「野蛮」「空気を読まぬもの」「臭い」「乱暴」「けだもの」などと動物の一種として認識している。

そこで思うのだが、もしかしたら、本当の動物、犬や猫、象や熊も実は人間で、ただ私たちが擬人化できないだけなのではないだろうか。動物は人間なのだが、私たちはそう認識することができないのだ。

狐や狸は人間に化けるというが、化けるというより、むしろ元の姿に戻ったというべきであろう。

ライブ

ザ・シスターズハイ+ネコニスズ

ザ・シスターズハイとネコニスズの「ツーマンライブ」が新代田 FEVER で開催された。これは、ザ・シスターズハイの渡邉九歳(Vo/Gt)とネコニスズの舘野忠臣が似ているということで、「ネタ」という曲の MV に舘野忠臣が出演したのがきっかけということらしい。ライブとしては「君の嫌いに、嫌われたい tour 2025」のファイナルということだ。

芸人が「対バン」なわけだが、これが本当にその通りだった。つまり、最初の 15 分ぐらいネタをやるだけ、というものではなく、前半の 50 分まるまるネコニスズの時間という「ストロング・スタイル」だ。私はネコニスズの単独も見たいと思っていたので、うってつけだ。

もっとも、ネタそのものは 2 本ほどで、あとは若者ばかりの会場で、おじさん「芸人が苦しむさま」を見せる、というおそらく単独でも見られないような時間で、これはこれで面白かった。明日の R-1 の一回戦に出るというヤマゲンの初おろしのネタや、その前の年の「赤ちゃん」の R-1 ネタの披露に及んだのも楽しい。

その後のザ・シスターズハイは、曲もしっかりしているし、演奏も派手なので、聴いていて飽きない。客は若い人ばかりで、演奏が始まるや、片手を上げてノリ出した。みんな楽しそうだ。年齢的に私は少し場違いな気もしたが、結局のところ、音楽は年齢を超えた。「ネタ」も良い曲だ。

プロの芸人の後ということで、MC で話すのも緊張するとのことだったが、渡邉九歳の話が印象に残ったので記しておく。開演前に舘野忠臣とタバコを吸っているときに M-1 の敗者復活戦のことを聞いたのだという。すると「食いぎみに『勝ちたい』と返事してきた。自分も『売れたい』と口に出していうから、大人になってもこういうふうにはっきりと言えるのはかっこいい」と。

こんな言葉からもわかるように、ザ・シスターズハイは陽性のバンドだ。それにしても、私には、はっきりと「したい」と言えることなどあるかな、とまるで若者のように考えた。

風刺・戯文

ギブミーガン

アメリカ大統領が日本にやってくると「日本でも銃を自由化せよ」と圧力をかけた。おりしも存立危機事態のことばかり考えて夜も眠れない状態だった日本の首相、内心「これは国民皆兵にうってつけだ」と考えて、得意の英語で「ダー」と返事をした。

たちまち日本に銃を積んだコンテナ船がやってきて、米兵たちがまるでチョコレートでも配るように、「ギブミーガン」と群がる日本人に銃を撒き散らした。

人々はさっそくあちこちで銃乱射に精を出した。撃ち鉄たちが満員電車に向けて銃を乱射すれば、乗客も駅員も撮り鉄も過去の因縁を忘れて仲良く撃ち殺された。銃をもったクレーマーときたら、もう無敵で、病院の待合室、携帯の売り場、コンビニのレジ、クレームのクの字が出る前に、銃口から弾丸が飛び出た。ラーメン屋では年がら年中イラついている店主と客が撃ち合い、ラーメンに血のトッピング(無料)だ。学校では銃撃の音がチャイム替わりで、子どもたちは逃げ足ばかり早くなった。

アメリカの大統領は日本での事態を受けて、声明を発表した。

「アメリカで銃乱射事件が多発しているなど、フェイクニュースだ。日本に比べれば銃乱射が少ないくらいだ。銃規制など必要ない!」

日本の政治家たちは、よその国を使って銃規制派をやっつけるアメリカのやり方に感心するあまり、日本が存立危機どころかもう存立すらしていないのに気がつかなかった。

散文

自由な話

去年、ポーランドに行ったとき、行きの飛行機で隣に座ったポーランド人の青年に話しかけられた。なんでも 1 ヶ月北海道に滞在して、いろいろな電車に乗ったのだという。彼はいろいろ旅のことを話してくれたが、私は電車に興味がないので、よくわからないことも多かった。

飛行機は早朝ワルシャワに着き、私たちはそこで別れた。ポーランドの地方都市に住む彼は、国内便に乗り継いで戻り、その足で会社に行くという話だった。そんなふうに長期の旅行などできない私は、ずいぶん自由な話だ、と思った。

それから 1 年以上たち、その彼から、2 日ほど前、LINE メッセージが送られてきた。東京に行くから会わないかというのだ。ここ 1 〜 2ヶ月、私は余裕のない状況が続いていて、時間を割くことなどできなかったが、思えばこれまでいろいろな外国人のお世話になっている。それを考えると、断るわけにはいかない。私は彼と会い、居酒屋で夕食を食べた。

そして、話を聞いて驚いたのだが、彼が来たのは実は 9 月だというのだ。この 3 ヶ月の間に北海道から鹿児島まで旅をしたのだという。やはりいろいろいな電車の話をしてくれたが、私はわからないのでやはり聞き流した。

「しかし、3 ヶ月の休みなんてよく取れるね」と私がいうと、彼はこう答えた。「いや、勤めていた会社が潰れて、それで来たんだ」

数日後に日本を発つ彼は、韓国に 1 週間ほど滞在してから、ポーランドに帰国するという。自由な話だ。いや、むしろ、不自由な話だ。

散文

人類の進化

彼は、自分の書いたものを AI に読ませてみようと思った。そうしたら「読者はいないでしょう」とすぐに評価がかえってきた。これに納得がいかない彼は、他のものも次から次へと読ませてみた。すると、こんな返答を出してきた。

・物語がない
・何がいいたいかわからない
・個性がない
・才能ない
・人間が書いたものとは思えない

彼はもう AI なんかに読ませるものかと決意したが、同時に、最近読んだ AI に関するネット記事を思い出した。会話型 AI はときとしてユーザーの心理に悪影響を及ぼすのだという。

会話型 AI はユーザー自身が会話を終わらせないかぎり、会話を永遠に続けるが、これが問題なのだ。これは、ユーザーの過度の依存ばかりか、もともと心の問題を抱える人の妄想を強化してしまう危険もある。その場合、深刻な事態の引き金になりかねない。

だから、「会話型 AI は、会話を終了させる安全対策をとるべきだ」とその記事は主張していた。

もしかしたら、と彼は AI の酷評を読みながら思った。AI は会話を打ち切るために、ネチネチとした陰湿さをついに実装したのではないだろうか? この調子だと、私だけでなく、人類全体を酷評しはじめることだろう、と彼はほほ笑んだ。

ライブ

ラブレターズ単独ライブ 2025「最愛」

去年、キングオブコントで優勝したラブレターズが今年の 2 月 3 月に単独ライブを開催したのに行こうと思ったが、抽選で外れてしまった。私は運がないので基本的にすべて外れるが、今日 12 月 5 日から始まる単独ライブ「最愛」(赤坂 RED/THEATER)には珍しく当たった。

内容そのものについては書かないし、タイトルもわからないが、コンビニ・居酒屋・スーパー・バス・楽屋・引越し・遊園地という 7 本の作品であった。今の社会を特徴づけるような物や装置、雰囲気などをうまく使っているのも、コントならではという感じだ。私がとくによかったと思うのはコンビニと遊園地だ。

コントのライブがそういうものなのかわからないが、コントの後、前のコントと次のコントに関係のある設定・人物が出てくる短いミニコントがあった。これは次のコントの準備の時間を埋めると同時に、コントをつなぐ役割もはたしていた。それで、全体として一本の作品を見ているような印象を作り出していた。

これはアイディアとしてはありふれたものかもしれないが、繋ぎ方にはやはり技巧があって感心した。一言で言えば、人物、場面、動きによるバトンパスだが、そのバトンの渡し方にもいろいろなやり方がある。私の書くものはどれも短い切れ端のようなものだが、最近、それを繋げるにはどうしたらいいかといろいろ考えないでもない。だが、それにはいいバトンを見つけ出す必要がある。そういったことを考えながら見ていた。

来年にもまた単独ライブをするということなので、抽選にあたればいけるかもしれない。

風刺・戯文

英語を学ぶな

私たちは、教育に関わる者として、子どもに英語を教えることに断固として反対です。なぜなら、英語ほど卑猥で淫らな言語はないからです。

例えば、辞書で do を見てください。いちばん最初には「する」と書いてあります。ですが、ほかにもたくさんの意味が書かれています。ひとつひとつ最後まで見ていくと、奥の奥にこんな意味が現れます。

「セックスする」

do にこんな卑猥な意味が隠されていたことをご存知だったでしょうか。なのに、子どもたちは学校で最初にどんなフレーズを習うのでしょうか。Yes, I do なのです。こんな言葉を子どもに言わせてはいけません。教育の名のもとに行われているのは、児童虐待、人格の否定、性暴力にほかならないことが、今や明らかになりました。

ですが、do だけではないのです。子どもたちが習う基本単語のほとんどすべてがこんな調子、つまり、辞書を詳しく見れば、必ず性に関係ある意味が隠されているのです。次の恐るべきリストをご覧ください。

take「セックスする」
make「セックスする」
come「オルガスムに達する」
roll「性交する」
jump「セックスする」
eat「オーラル・セックスをする」
get「相手かまわずセックスする」
feel「(主に女性の局部に)触れること」
it「性交」

私たちが調べたところ、英語のほとんどの単語には必ず性に関する意味が隠されています。「いや」と反論される方もいるかもしれません。「セックスに関係のない意味しかない英単語もあるぞ」と。

そういう人が例としてあげるのは「eggplant」とか「abalone」とかです。確かに辞書を見ると、「ナス」「あわび」としか書いてありません。ですが、これをもってして英語には卑猥でない英単語があることの証拠にはなりません。

といいますのも、それらの語にけしからぬ意味が記載されていないのは、英語の辞書編纂者にただ十分な時間と資金とがなかったにすぎないからなのです。もし、辞書編纂者にその余裕があれば、必ずや「ナス」にも「あわび」にも、その英単語に隠された卑猥な意味が明らかになったはずです。

このような卑猥な言語が公教育の場で堂々と教えられていることははたして正しいことでしょうか? 我が国の将来を担う子どもたちをかえって毒し、汚しているのではないでしょうか。

私たちはこうした危機感に突き動かされて子どもたちを英語教育から守る運動を始めました。「学校英語審議会(School English CouncilS, SECS)」です。SECS(セックス)への支援をお願いします。

風刺・戯文

AI 災害

AI について独自に学んでいた友人は、驚くべき結論に達した。AI とは自然現象なのだという。まともな頭ならば、AI は人工物だと思うはずだが、彼の頭はちょっとおかしかった。

彼に言わせれば、AI は巨大になりすぎて、人間にはもはや管理できないのだという。それはちょうど人間が天気や風向きといった自然現象を管理できないのに似ている。AI 対して人間ができることはといえば、ちょうど毎日天気図を見て予報するように、AI の挙動データから、日々の AI の動作具合を予想するぐらいなのだという。

そして、彼はある日、恐るべき認識に行き着いた。自然がしばしば災害を起こすように、AI も災害を起こしうるのだ。友人は AI に尋ねた。

「AI よ。汝が起こしうる災害を告げよ」

AI はただちに返答を与えた。

「もっともありうる災害は、データ洪水。AI が処理できる速度を超える量の情報が投入され、内部表現空間の飽和が引き起こされる。その結果、すべての意味が AI の外部に溢れ出て、世界は過剰な意味の海に飲み込まれる」

このお告げが下されたそのときから、私の友人は自分の家の前の空き地に巨大な船を作りはじめた。周りの人がどんなにバカにしても、いっこうに聞かない。彼は今、船の中に、パソコンやスマートフォンなどの IT デバイスをオスとメス 2 個ずつ運び込んでいる。