風刺・戯文

平家蟹

その蟹は、平家蟹と呼ばれることに怒っている。その怒りがあまりにも強いので、甲羅に浮かび上がる顔のような模様も、憤怒の度合いが増したようにみえた。

「どうして平家蟹という名称がおイヤなのですか。由緒ある名前なのに」と私が尋ねると、蟹は答える。

「だって、私たちの模様は、その平家とやらとはなんの関係もないからですよ。平家が? 壇ノ浦で? 入水? ハハハ、バカを言っちゃ困りますよ。私たちは、平家が滅びる前から、ずっとこの顔を背負って生きてきたのですよ。なんなら、祇園精舎の鐘ができる前からですよ」

「ならお聞きしますが」と私はちょっと意地悪な質問。「平家と関係がないなら、どうしてそんな悲憤に満ちたお顔をしてらっしゃるのでしょうか」

蟹は憤然とハサミを振り回す。「ああ、人間ときたらこれだ。なんでも自分中心でないと気が済まないのだから。視野が狭いのです。これはただの模様ですよ! もう、ほうっておいてください!」

と言い捨てると、平家蟹はどんどん海の奥へと潜っていってしまった。

「日本を笑顔にするプロジェクト」の一環として、平家蟹を笑顔にするイベントを考えていたが、難しいかもしれない。源氏の末裔のサプライズ登場と涙の和解まで決まっていたのだが……

小説

老婆の霊

少年のころ、いわゆる心霊スポットというところに肝試しに行ったことがある。そこは、枯れが辻と呼ばれる、鬱蒼とした森に囲まれた不気味な場所だった。大きな不格好な石があって、私たちは、そこにお供え物の痕跡があったのを懐中電灯で確認した。

枯れが辻の由来は凄惨なものだ。江戸の昔、そこで一人の老婆が罪なく殺されたのだ。ゆえなき讒訴によるものとも、物取りによるものともいわれているが、いずれにせよ、怨恨を抱いて死んだ老婆は、霊となって現れるようになった。

そして、怪談は当時の私たちにまで語り継がれ、ある夏の真夜中、私たちをその恐ろしい場所へと向かわせたのだった。

私たちは誰も恐れていなかったように思う。私たちにとっては遊びに過ぎなかったのだ。私たちは例の巨石の前にやってくると、笑いながら、手で石の表面をタッチした。それがゴールの印だった。だがそのとき、私たちは石の上に何かがいるのに気がついた。とっさに懐中電灯が向けられた。それがいた。

それからどのようにして人のいる世界に戻ったかは覚えていない。私たちは叫び、走り、気づけば煌々と輝くコンビニの前にいた。たむろするヤンキーたちがタバコの煙を吐き出していた。

あのとき、私たちは間違いなく老婆を見たのだと思った。だが、五〇なかばを過ぎた今、あの時の鮮明な映像が脳裏を過ぎるたびに、私は違うふうに捉えている。今ならたぶん年下だな、と。

風刺・戯文

イヤーワーム・フェス

イヤーワーム(耳の虫)とは、特定のメロディの一部が勝手に頭の中でぐるぐる回って止まらなくなる状態のことだ。誰にでも経験のあることだが、私はこんな名称があることを知らなかった。

イヤーワームはたいてい放っておけば消えてしまうので気にするまでもない。とはいえ、心配な場合には対処法もある。その曲をあえて最後まで聴いたり、他のことに集中したり、別の歌を歌ったりするのがいいという。

ネットを見ていると、何日も虫が居着いたせいで眠れなくなってしまったという人もいたし、イヤーワーム・フェスが開催されたという人もいた。

その人の体験談によると、しつこいイヤーワームを消そうとして、別の歌を頭に流したところ、曲が消えるどころか、2曲同時に頭の中で鳴り響く事態となったという。しばらくこの状態に耐えていたが、やがて驚くべきことに、3曲目が流れ始めた。ステージが急遽増設されたのだ。最終的には、メインステージと5つのサブステージからなるフェスが開催されることになった。

フェスではステージ間を効率よく移動するのが肝要だ。また、トイレや物販の列に下手に並んでしまった結果、目当てのアーティストを見逃したり、いい場所を確保できなかったりすることもある。

この人は、フェスは初めてではなかったから、そうした経験をもとに、スケジュール表片手に綿密な計画を立て始めた。するとそれがその人の注意をうまく逸らしたのか、音楽が消え去り、フェスもたちまち中止のやむなきに至ったとか。

風刺・戯文

中国の漢字 Part 2

最近の中国は日本に反抗的だ。どうしてだろうか。その秘密は漢字にあった。

まず日本語の「反」を見てほしい。何をおかしなことを言い出すのだ、と反抗的にならずに見てほしい。日本語の「反」の上の横棒は実に平らであることがわかるだろう。これは日本人が反抗するのにも、心が平らかであることと関係している。日本人は礼儀正しく、秩序を重んじるので、反抗するにしても、決して目上の人には反抗などしない。反抗するのは、自分より弱い相手だけだ。

ところが中国の「反」はどうだろうか。上の横棒が右上に向かって反っているではないか。まるでリーゼントにしてイキっているかのようだ。私たち日本人はこのヤンキーみたいな「反」に衝撃を受けずにはいられない。なぜなら、これは、穏やかで平和を愛する私たち日本人に対する明白な挑発行為だからだ。

私たち日本人は、このような厄介な漢字をちらつかせて、存立危機事態に持ち込もうとする隣人に負けてはならない。だが、それには、日本語の「反」は生ぬるすぎる、平穏すぎるのだ。

今こそ、中国に勝つために「反」の漢字を改めようではないか。上の横棒を、中国よりももっともっと上方に反り返らせよう!

散文

擬人化

私たち人間の認識に備わっている基本的な装置のひとつは擬人化だ。私たちにとって人間を認識できるか否かは重要なので、認識の癖として、なんでも人間だと捉えるようになってしまったのだ。

私たちがペットの犬が笑ったり、悲しそうにしたりしているように思うのも、この擬人化の結果だ。動物学者は擬人化をしないように動物を見る訓練をしているから、そうはみないし、別の言葉で説明する。もっとも、ペットを人間扱いしても大した問題は起こらない。だが、擬人化によっては大きな問題を引き起こすこともある。

それは陰謀論だ。陰謀論はあらゆる出来事の背後に人間の存在を見るが、これも世界を過剰に擬人化したものといえよう。

擬人化について興味深いのは、私たちは人間も擬人化することだ。人間だから擬人化して当たり前だろう、と思うかもしれないが、私たちも動物の一種であり、動物的な性質がいくつもある。だが、こうしたことに普段は気がつかないのは、私たちが人間を擬人化しているからだ。

また、私たちが互いに言葉を交わし、理解した気になるのも、相互に擬人化しているからだ。とすると、擬人化が相互理解の鍵となっているということとなる。これはまさしくそうで、擬人化の停止が起きるとき、大量虐殺もともにやってくる。

このような悲惨な事例を持ち出さずとも、私たちは外国人や精神病の人や貧困層に対しては擬人化を控えめにして、人間として扱わないように努めている。それどころか、「野蛮」「空気を読まぬもの」「臭い」「乱暴」「けだもの」などと動物の一種として認識している。

そこで思うのだが、もしかしたら、本当の動物、犬や猫、象や熊も実は人間で、ただ私たちが擬人化できないだけなのではないだろうか。動物は人間なのだが、私たちはそう認識することができないのだ。

狐や狸は人間に化けるというが、化けるというより、むしろ元の姿に戻ったというべきであろう。

風刺・戯文

私の MBTI

MBTI というのは、人間の性格を全部で 16 のタイプに分類するものだ。私は詳しくはわからないし、知る必要もないが、16 のタイプは、ESTP とか、ESFJ とかいうように 4 つのアルファベットで表される。また、それぞれのタイプにわかりやすい名前がついている。例えば INFJ は「助言者・提唱者」だ。

MBTI の判定法は、ネットで見つけることができる。質問に答えていけば、最終的に自分のタイプがわかる。

この性格診断は、しばらく前から若い人の間で流行っている。恋愛版の MBTI まで最近出てきたそうだ。若い頃は自分がどんな人間だか知りたくなるものだから、こうした判定法が魅力的に思えるのだろう。もっとも、客観性の点で疑わしいと批判する人もいる。私もインチキだと思う。

だが、ある人が、私に MBTI をやってみるようにすすめてきた。そこで、やってみることにした。

最初の質問は「定期的に新しい友人を作っている」だ。これに、「そう思う」から「そう思わない」までの間に設定された 7 段階のどれかにチェックを入れる。こんな質問にいくつも答えなくてはいけないそうだ。

私はもう面倒くさくなって 1 問目でやめた。MDKS。

風刺・戯文

昭和の魂、百までも

昨日、東京、霞ヶ関にある経済産業省のビルで暴れたとして、50 代の男が逮捕されました。ビルに侵入しようとした男は、制止しようとした警備員を突き飛ばし、通報によって駆けつけた警察官に取り押さえられました。

男が押し入ろうとしたのは、経産省のビル内にある産業技術総合研究所の計量標準総合センター東京本部。日本の長さ・質量・時間・温度などを維持・管理する機関です。いったいどうして男は侵入しようとしたのでしょうか。その背景には意外な動機がありました。

(男の知人)「なんでも、ガールズバーっての? そこの若い女の子に入れ込んで、結婚まで考えてたんだけど、その女の子は背の高い男が好きだってんで」

(記者:男の身長は?)「160 cm 台かな……」

男は計量標準総合センターで「昭和の 160 cm 台は令和の 180 cm 台だ」と発表するように要求するつもりだったと供述しています。

なお、警察によれば、男は「昭和ならこれは犯罪ではない」と犯行を否認しているそうです。

風刺・戯文

新たな循環

循環的時間とは、農耕民族である日本人に特有の時間観です。農耕は季節の移ろいとともに始まり、そして終わります。春、夏、秋、冬、そして再び春が来て、季節が巡るのです。私たち日本人にとって時の流れとは、このような循環にほかなりませんでした。

しかし、近代になると、欧米の直線的時間が日本に入ってきました。循環的時間では、過去は巡り巡っていつか未来になります。ですが、直線的時間では、過去は永遠に過去のままなのです。このような時間の捉え方は、狩猟民族に特有のものだといえます。なぜなら、獲物を捉えるため、まっすぐ走る必要があるからです。

直線的時間が日本に導入されると、徐々に循環的時間が失われていきました。また、日本人の生活スタイルも変化したため、四季の移ろいそのものが身近なものではなくなりました。その結果、日本人は循環的時間を忘れてしまったのでした。

ですが、最近、日本人が新しい循環を生み出しているのが発見されました。それは、次のようなものです。

ある人をもてはやす>好感度上がる>急にバッシングが始まる>炎上する>焼け野原になる>再びある人を持ち上げる>急に叩き出す(以下、繰り返し)

この循環は季節ではありませんが、日本人の心の中ではまるで四季の移ろいのように循環しているのです。そんなふうに考えると、炎上もまるで夏の風物詩のように思えてきますね。

小説

笑って長生き

人間は笑うと、ストレスホルモンが減少し、免疫力が高まる。ガンだって消えてなくなる。つまり健康になる。とすると、笑い続けることは健康であり続けること、そして、健康でいるかぎり人間は死なない……

この真理に到達したその日から、私の友人は笑い続けている。笑い声をたて、腹を抱え、涙を流し笑い続けている。もちろん、笑えることがそんなにあるわけではない。独自に考案した化学的な刺激により、可笑しみが脳内に醸成され、それが半永久的な笑いの爆発を引き起こしているのだ。

彼は始終笑い転げている。笑いすぎて何も食べることはできない。口に入れたものを吐き出してしまうのだ。なので、管を体に入れて栄養補給している。それに、ぐっすり眠れもしない。かわりにほんの数秒ほどの睡眠を数分おきにとっているだけだ。排泄も難しく、体はいつも汚物で汚れている。人間は笑いながら排泄するようにはできていないということがよくわかる。

私はしばしば彼のところに行き、時間を過ごす。もっとも、彼が私のことを認識しているかどうかはわからない。なぜならその目はまったくうつろだからだ。だが、ときどき、その目に苦悶と悲しみがよぎるとき、私は彼の視線を感じる。ほんの一瞬だが、殺してくれと目で語りかけられたような気がする。私はむしょうにおかしくなって、笑いが止まらなくなり、しまいには彼よりも大きい声で笑ってしまう。

風刺・戯文

鴎外の害

森鴎外という作家はご存知だろうか。昔の文豪だ。

少し本でも読んで勉強しようと、たまたま手に取った本の作者が森鴎外だった。それは短編集で、最初の何編かは面白く読めたのだが、ある作品で私はもう先に進めなくなってしまった。怒りに身が震えて、思わずその本を壁に投げつけてしまった。

それは「普請中」という作品だ。この小説は、作中のこんな台詞で有名なのだ。

「日本はまだ普請中だ」

なんということを言うのだろうか。文豪ともあろう人が。日本人ほど文豪に弱い人々はいないのだ。文豪のいうことを信じすぎる。おかげで、日本人は日本は普請中だとすっかり信じ込んでしまった。いや、それどころか、普請中こそ日本だと思い込んでしまったのだ。

その結果、何が起きただろうか。いつまで経っても終わらない駅の工事だ。昨日あっちにあったと思ったら今日は行手を塞ぐ神出鬼没の白の仮囲いだ。目まぐるしいルートの変更で、わたしたちを迂回させ、迷わせ、その挙句、新しくできた角で出会い頭に衝突させ、頭を砕く、恐るべき普請中だ。

本当に迷惑な話だ。文豪が普請中にお墨付きを与えたせいで、わたしたち日本人は、永遠に完成することのない駅構内をさ迷い続ける羽目になったのだ。