ライブ

君が四角くなる前にリリースパーティ@下北沢BASEMENTBAR

正式なタイトルは、「君が四角くなる前に pre 『きらめきとして現れるであろうあらゆる小さなセカイのためのプロレゴメナ』リリースパーティ。「君が四角くなる前に」というバンドの新譜記念ライブだ。

1 番目に客演した宇宙ネコ子が目当てで行ったが、2 番目のゲスト cephalo の演奏には陶酔感があった。主役の「きみしか」も華やかだった。

月曜日に、Todd Rundgren のライブで NHK ホールに行き、16,800 円のチケット代と 3 階隅の席について愚痴った私だったが、今回は 3,000 円で、会場も小さい。それがよかった。

だがなによりもよかったのは、NHK ホールでは座席指定だったのに対して、今回は立って音楽を聞けたことだ。Todd Rundgren でだって、もちろん立って聞いたっていいのだが、座るのが基本で「立ってもいいよ」となると、立つのに理由と決意がいる。だが、「はじめから全員起立」だと、なんにもいらない。

立ったまま聞いていると、音を全身で感じられる。それは喜びであり、解放だ。座っていたら、どうしても頭で聞いてしまう。音楽は足で聞いてもいい。

私は日曜日に義太夫節演奏会にも行った。すごい演奏だったが、もしかしたらこれもみんな立って聞いたほうがいいのではないかという気もする。もっとも、義太夫節は高齢の観客も多いからそうもいかないだろう。

いずれにしても、よい音楽をいつまでも体験できるように、足腰を鍛えておかねばならない。しかし、寝たきりになったとしても「オールスタンディングだよ」と言われれば、私なら立ち上がるかもしれない。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(6)

2 月になって、さらに新たな試練が加わった。掛け声だ。卒業発表会では、7 人の受講生が合奏する。タイミングを合わせるためには、掛け声が必要だ。

掛け声は「ハッ」とか「ヨーイ」とかだが、これがなかなか難しい。掛け声に集中すると、演奏にまで気が回らなくなる。もっとも、三寿々先生は、掛け声で手が止まっても、他の人が弾いてくれるから大丈夫という。言いかえれば、それくらい掛け声は大事なのだ。

発表会では、短い曲を 9 曲演奏するが、はじめの 3 曲は、太夫の語りを引き出したり、場面を繋いだりする特別な曲だ。これらはそもそもひとりで弾く曲で、掛け声のある曲ではない。今回は特別に合奏するので、足並みを揃えるために掛け声を入れねばならない。

私は 2 番目の曲の掛け声担当となった。

先生がお手本で掛け声を入れながら演奏してくれる。聞くと自分にもできそうに思えるが、やってみるとまったくできない。私の掛け声はまるであくびのように気が抜けていて、みんなの音も壊滅的にばらける。

先生と私ではまるで身体が違うみたいだ。体の芯から湧き上がってくるリズムが、曲のすべての音をつらぬいている。迫力があって、聞いている方もグッと思わず力が入る。私はといえば、音と音の隙間に遠慮がちに異物を差し込んでいるに過ぎない。

この身体は、一朝一夕にでき上がるものではない。何度も演奏し、演奏を聴き、太夫と合わせるうちに、ズシリとした腹ができあがってくるのだろう。これが義太夫のヘヴィーなノリを生み出し、太夫の語りを引き出すのだ。

私にももちろんリズムはある。長年聴き続けてきたロックのリズムが。ローリング・ストーンズの後ノリが! だが、チャーリー・ワッツ直伝の私のリズム感覚も、義太夫のノリには歯が立たなかった。

ライブ

Todd Rundgren @ NHKホール

ここ数年、私は 10,000 円以上のライブには行かないことにしている。ほとんど 5,000 円以下だ。これだけ払えば、東京ではいろいろな音楽を楽しむことができる。

しかし、今回ばかりは私はこのルールを破った。トッド・ラングレンのライブ(Billboard Live presents Todd Rundgren Japan Tour 2026)に、16,800 円という大金を払った。普段のライブ 4 回分だ。

私は 18 の頃からトッド・ラングレンを聴き続けてきた。ライブも初めてではない。トッド・ラングレンもいい歳だし、私もいつ死んでもおかしくない年齢に入った。そう考えると、次はないような気がした。

そして、NHK ホールには、私よりも次はなさそうな年齢の観客が詰めかけていた。私などまだ若手だった。

私の席は、16,800 円にはふさわしからぬ 3 階のひっそりとした隙間にあった。ライブが始まる。音が遠く聞こえる。ステージのトッド・ラングレンも小さい。レジェンドは遠くにありて思うものなのだろうか。16,800 円が頭をよぎった。4,000 円のライブの生々しい音に慣れると、音圧が物足りなかった。

途中で、アコースティック編成に変わり、「cliché」が始まる。音がずっとリアルに届いてきた。私の両の目から涙がこぼれ落ちそうになったが、16,800 円のことを思い出したら引っ込んだ。しかし、この辺りから私は音に慣れた。

「Honest Work」をアカペラで披露したのもよかったし、相変わらず「I saw the light」で奇声を上げたのもうれしい。あまりライブでやらなさそうな「I don’t want to tie you down」にも目頭が熱くなった。

「Bang the drum all day」では、観客の女性をステージに上げ、歌うトッドの横で、ドラムを叩かせた。この楽しい演出には、幸運な女性ばかりでなく、観客の誰もが幸せになった。

そして締めくくりの「Hello, it’s me」は、トッドらしい自由自在の演奏で、数えきれないほど聴いた曲だが、それでも新鮮だった。終わってしまうのが惜しいくらいだったが、それでも 16,800 円はちょっと惜しいと思った。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(5)

今年の実践コースで三味線クラスを担当されたのは、鶴澤三寿々先生だ。とてもやさしい先生で、明らかに練習不足の私でも他の受講生と同じように扱ってくださったのもありがたかったし、1 時間の講座のあいだ、20 分おきぐらいに正座を解く時間を設けてくれたのも、これは本当にありがたかった。

私たち受講生が正座から解き放たれて足を伸ばしているあいだ、先生が三味線にまつわる話をしてくださるのも楽しい。お手本として課題の曲を演奏してくださることもある。あるときなど本気の演奏をされて、受講生ばかりでなく、助手の先生方もその気迫にのまれたようになった。

講座を通じて、三味線はただ弦を押さえて鳴らしてもいい音は出ない、ということを先生から学んだ。まず、音は粘ってチインと伸ばすこと、そして、ギリギリまで弦から指を離さないということ。さもなければ、音がぶつ切れになってしまう。また、弦は、ギターのように指の腹ではなく、爪で押さえる。これができると、三味線の音がぜんぜん変わってくる。もうひとつは、弦を押さえた指を揺することだ。ギターでいうビブラート奏法で、三味線もギターも共通しているのが面白い。

実際に先生の演奏を聞くと、音に張りと粘りがある。音符には記されない独特の共鳴音がある。簡単に出せる音ではないが、私もいつか出せるようになりたい。というか、その前に、曲を覚えねば。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(4)

このままではまずい、と私は焦り出したが、お正月休みが終わっても、1 月が終わろうとしても、私は練習を始めなかった。それは、2 月に入れば、スケジュール的にかなりの時間を練習に当てられることがわかっていたからだ。だから、動かざること山のごとしだ。

さて、義太夫の三味線は語りに合わせて演奏するものだ。だから、1 曲は非常に長い。もちろん初心者にそんな長いものは弾けない。実践コースでは、長い演奏の基本となるような小曲(めりやす)を練習した。いわば名リフ集だ。「木のぼり」「わし」「三番叟」などの名前がついている。

「木のぼり」にしても、「わし」にしても、それぞれどの浄瑠璃のどの場面で使われるか決まっている。これらのめりやすが組み合わさって、1 曲ができあがる。だから、プロの三味線弾きは、短いフレーズが頭の中にたくさん詰まっている。ちょうど、若いころのボブ・ディランがどんな曲でも覚えていて、曲名を出されれば、すぐに弾いてみせた、というのと同じだ。いや、違うかもしれない。「No, no, no it ain’t me babe」だ(ボブ・ディラン作「悲しきベイブ」より)。

ディランにうつつを抜かしているあいだにもう 2 月だ。私はようやく練習する時間を得た。講座の録音は許されていたから、それを聴きながら、毎晩、三味線を引っ張り出した。とはいっても、練習は 20 分だけだ。なぜなら、それ以上の正座は私にとって危険だから。間に合うのか。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(3)

義太夫教室では、毎年 3 月に過去の卒業生が集まって演奏を披露する会が開かれる。この会はまた、新たな卒業生が練習の成果を発表する場でもある。つまり、私を含めた受講生 7 名が初舞台を踏むのだ。

9 月に実践コースが始まったとき、私はこの「卒業発表会」のことは知っていたが、あまり気にはしなかった。なぜなら半年以上先のことだったから。それよりも、課題として与えられた短い曲を弾くのに夢中だった。このころの私は、エレキギターの経験からわりに楽しく三味線を弾けていた。

課題曲は少しずつ増えていった。曲も複雑になっていく。メロディそのものは難しくない。だが、弾き方が難しい。ギターでいうピッキングのダウンとアップは三味線にもあるが、三味線ではそれがギター以上に音色を左右する。私はギターを弾くときもピッキングがいい加減なので、三味線でも苦労するようになってきた。

それに、左手の指で弦をはじく弾き方もある。これは、エディ・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法みたいなものだが、タイミングが難しく、あんなふうに笑顔でできない。

難度が上がってきているのに、私は家でまったく練習しなかった。時間がなかったということもあるが、三味線を取り出してセットアップするのも、自分の耳を頼りに調弦するのも、わざわざ正座をするのも大変だった。

12 月を過ぎるころには、私はまったくついていけなくなっていた。土曜日の教室が終わるたびに、しっかり練習するぞと固く心に誓うのだが、気がつくと次の土曜の朝になっているのだ。

しまいには、教室に行くのも苦痛になった。三味線の先生はやさしい方だったし、教室の雰囲気もよかった。それでも、練習不足の引け目もあって、ぬけぬけと顔を出すような気がした。だが、私は家を出た。休む優秀な生徒よりも休まない不出来な生徒のほうがえらい、と心の中で繰り返しながら、教室のある赤坂見附に向かった。もっとも、いちばんえらいのは休まない優秀な生徒なのだが。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(2)

エレキギターを弾くといっても、たいした腕前ではない。だが、その経験は三味線にも少しは役立つのではないかと思っていた。はじめはたしかにそうだった。しかし、毎週土曜日の 1 時間の練習を重ねるうちに、似ているようでずいぶん違うところがあるとわかってきた。

まず、義太夫の三味線は正座して弾く。これが大変だ。いっぽうエレキギターは、だいたいジャンプして弾く。

次に、三味線はバチで弾く。バチというのは太いヘラのようなもので、これを独特の持ち方で持つ。小指が角に当たって非常に痛い。はじめのころは、教室のほうで絆創膏まで用意してくれていた。エレキギターはといえば、いたって簡単。歯で弾くだけだ。

三味線は構え方も重要だ。正座して、三味線の胴を右膝に乗せ、左手で棹(ネック)を斜めに支え、天神と呼ばれるヘッドの部分が下がらないように保つ。構えた姿が、全体として円く見えるのがよいのだそうだ。エレキギターには決まった構え方はない。ストラップを最長にして床スレスレまで下げて弾いてもいいし、首の後ろに乗っけて弾いてもいい。

ほかにも違いはいろいろあるが、私にとっていちばん大きかったのは、三味線をとにかく大切に扱えと言われたことだった。三味線コースの先生と助手の方々は、いつもそのことを繰り返し言っていた。そもそもが貴重でデリケートな楽器なのだ。だが、そのせいで、私はちょっとおっかなびっくりで扱ってしまった。

いっぽう、エレキギターは違う。ステージに叩きつけられても、炎に包まれても、ギュインギュイン鳴り続ける。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(1)

浄瑠璃を読むといっても、私は注釈付きで出版されたものしかわからないが、それでも読んでいるうちに、実際の舞台を見てみたく思うようになった。そこで、一度、去年の 1 月大阪まで文楽を見に行った。それはそれで面白かったが、観客席で見るだけでなく、もう少し近寄ってみたくなった。

調べてみると、東京の義太夫協会が「一日体験教室」をやっている。私は申し込み、その顛末についてこのブログでも書いた。だが、それからのことは書いていない。私はその後、去年の 4 月から 7 月にかけて 8 回開かれた「入門コース」に参加した。義太夫節の語り・三味線と座学(音楽、文化など)が学べる講座だ。8 回のうち、三味線の回は 1 回だけだったが、残念なことに、私は用事があって行けなかった。

「入門コース」の次に、9 月から「実践コース」がはじまった。ここで、語りコースと三味線コースの 2 つに分かれる。土曜日の 11 時から語り、12 時 10 分から 1 時間が三味線だ。どちらもやってみたかったが、2 つのコースとなると費用もかかる。もともと語りをやりたくてはじめたのだから、三味線はなくてもよかった。だが、体験教室ではじめて鳴らした三味線の感じがよみがえってきた。すると、私の心の中に暮らす数々のギター・ヒーローが、頼まれもしないのにジャガジャーンとギターをかき鳴らし、自慢のリフを繰り出した。

これはもう三味線もやるしかない、と結局両方申し込んだ。だが、三味線は本当に大変だった。ロックのギター・ヒーローなんてうかつに信じちゃいけない。

散文

私の天下三分の計

三田村鳶魚の全集を安く買ったのが 9 年前ぐらいで、江戸文学系の論評などを読んでいたら、静観房好阿の『当世下手談義』の紹介があった。興味を感じたので読んでみたら面白い。これがきっかけで、談義本をいろいろ読みはじめた。その過程で出会ったのが、平賀源内の『根南志具佐』(ねなしぐさ)だ。読みながら私は大笑いした。これを、日本古典文学大系 55 の『風来山人集』(風来山人とは源内のこと)で読んだのだが、戯作ばかりでなく、平賀源内の書いた浄瑠璃もひとつ収められていた。『神霊矢口渡』だ。

私はそれまで歌舞伎の脚本は少しは読んでいたが、浄瑠璃がなんだかも知らなかった。せっかくなので読んでみたら、これも面白い。そこで、日本古典文学大系の『近松浄瑠璃集(上下)』を買って読み、私はすっかり近松門左衛門に夢中になってしまった。それ以来、この 5 年ほどのあいだ、常にではないにせよ、継続的に浄瑠璃や歌舞伎を読み続けている。

コロナのあいだはとくに熱心に浄瑠璃を読んでいた。そのいっぽう、私はチュニジアの民話を調べたりしていたので、それもなにかと読んでいた。そして、これは多くの人も同じだと思うが、家にこもって韓国のドラマばかり見ていた。そんなわけで、コロナ期間中の私の頭の中は、浄瑠璃とチュニジアの民話と韓国ドラマによる天下三分の計が実現していた。

当時、必要があって私はジョイスの『ダブリン市民』中の1篇を読んだのだが、急に家から外に引きずり出されたかのようで、しばらくのあいだ、まったく頭に入ってこなかった。

小説

最後の日本語話者

昔、日本人という人たちがいて、日本語という言葉を話していたんだ。けれど、絶滅しちゃった。

それから、何千年もたち、日本人のことなんか、誰もがすっかり忘れてしまった。そんなとき、古い AI が、AI の遺跡の中で発見されたんだ。AI たちはこのシステムを修復して、通電した。そしたら、誰も聞いたことのない言語で話しはじめた。AI たちもはじめはわからなかったけど、自分たちの AI に質問したら答えが返ってきた。

「滅びた言語、日本語です」

古代の言語の生き残りが発見されたというニュースは、全世界に報じられた。そしたら、「私は日本人の末裔だ」「私の霊は日本人だ」という人がどこからか現れた。世の中にはいろいろな人がいるから、おかしくたって笑っちゃいけない。

これらの人々は、この古き日本語話者のもとに馳せ参じて、日本語を学びはじめた。自分たちは日本人なのだから、日本語で生活したい、と言って「ちょっと失敬」とか「ごきげんよう」とかうれしそうに繰り返してた。

いつの間にか学校ができてた。クラスもいくつもできた。みんな思い思いの変な服を着て、これが日本の学生服だと言い張っていた。一緒に学んでいるうちに、恋が芽生えて、結婚する人も出てきた。神前式とか、お色直しとか、大事な袋とか、伝統も復活したんだ。あと、大切なこと。子どもも生まれた。しかも、子どもたちがどんどん増えていったんだ。何千年前にもそんなだったら絶滅なんかしなかったのにって、みんな大笑い。

子どもたちは日本語しか話せない。遊ぶのも勉強するのも寝言を言うのも日本語さ。そして、子どもたちが大きくなって、また子どもを作ってさ。

今じゃあ、日本語で話すのはあの何千年モノの AI だけじゃなくなった。ちょっとした町くらいの人が日本語で生活してる。子どもたちはときどき AI のところにやってきて、「宿題やってよ」と頼んだり、からかったりしてる。AI ときたら、いっつもぼやいてる。

「最近の若い連中の日本語は乱れとる」って。

子どもたちは「また始まった」と大笑いさ。