旅・観察

ラブラービー

初めてチュニジアに行ったときのこと、私はチュニジア人の友人たちと家で食事をすることになり、パンを買ってくるように頼まれた。パン屋に行って、バゲットを四本ぐらい買って戻ると、こう言われた。

「なんでこんなに買ってきたんだ。固くなっちゃうじゃないか」

日本のスーパーで買う食パンは長持ちするので、私はその感覚のまま買ってきてしまった。チュニジアでは、宵越しのパンは固くなってしまう。ナマモノだ。

もちろん、だからといって、パンが残らないわけではない。チュニジアには、固くなったパンを食べるためにできたという料理がある。それがラブラービーだ。

これはドンブリに、パンをちぎって入れて、その上にヒヨコ豆とスパイスの入った熱いソースをかける料理だ。ただかけるだけではなく、スプーンでパンを潰して粥状にして食べる。半熟卵を入れることもある。

昨日のパンをできるだけ早く食べてしまいたいからなのかどうかわからないが、ラブラービーは朝の食べ物だ。家庭料理というより、お店で食べるもので、人気の店は早朝から客が列を作っている。

お店に入ると、ドンブリとパンを渡される。そのパンを自分の流儀でちぎってから、ソースをかけてもらう。そして、かき混ぜる。この過程も楽しい。由来はどうあれ、お店で提供されるのは、一晩じっくり寝かせたカチカチのパンではなく、柔らかいパンだ。

(写真:ラブラービー、かき混ぜる前)

旅・観察

チュニジアのパンとカゴ

チュニジアの食事にはパンは欠かせない。たいていの安レストランでは、店に入ると、頼まずともパンが入ったカゴが出てくる。中にはバゲットが切ってある。

これはあらゆる食事にデフォルトでついてくる。しかも食べ放題だ。それはいいのだが、気になることもないではない。

まず、カゴの中に入っているパンがいつ切られたのかわからない。見えるところで切っていることもあるが、店の奥で切っている場合もあるし、もしかしたら、前の客に出されたカゴに減った分だけパン切れを追加したものかもしれない。

それに、店によっては、カゴがテーブルに置いたままになっていることもある。そのカゴはいつからそこにあったものだろうか? そして、何人の客がそこからパンを取ったものだろうか?

さらに、カゴの問題もある。このカゴはいつから使われているのだろうか。底にあるパンくずはいつからそこにあるのだろうか? 考え出すとキリがない。

しかし、実際のところ、私はそれほど気にしていない。なぜなら、チュニジア人は一般にパンにすごくうるさいから。誰に聞いても「昔に比べてパンはまずくなった」という。これは、パンのことをいつも真剣に考えていないと出ない言葉だ。そうした人々が、パンを粗末に扱うことはないし、パンに求める水準も高い。だから、周りのチュニジア人が普通に提供し、普通に食べているのであれば、食べられるのだ。

蝿が止まっていても、手で払うだけだ。

旅・観察

チュニジアのパンの機能

チュニジアのパンにはたくさん種類があるが、大きく分けると二種類ある。丸く平たいパンとバゲットだ。平たいパンは「アラビア・パン」とも呼ばれる。もう一方は、我々がフランスパンと呼ぶ棒状のパンだ。フランスのバゲットのことはよくわからないが、チュニジアのバゲットは細くて硬い。

バゲットには硬い表皮と柔らかい中身がある。我々にとってパンとは、耳ではなく、その中身が主役だ。だが、チュニジアでは逆だ。表皮が主役だ。だから細いのかもしれない。

それは、ひとつには、表皮がおいしいからだ。表面がパリパリでヒビも細かい。ちぎると、いい音と香ばしい匂いがする。だが、それだけではない。チュニジア人にとってパンの表皮は、スプーンや箸でもある。チュニジアでは、基本的に手で食事をする。スプーンなどを使わずに、この表皮を器用に使って、すくったり、挟んだり、皿を拭ったりして、食べる。

寿司を手で食べる国から来た私も、真似して食べてみる。だが、なかなかうまくいかない。気がつくと、パンばかり食べていて、サラダやシチューはちょっとしか減っていない。

チュニジアにおいては、表皮は中身よりも機能負荷が高い。そんなわけで、表皮ばかりが、どんどん食べられていく。食後のテーブルを見ると、白い棒状の中身だけが残されていることもある。

旅・観察

チュニジア行きの航空券

チュニジアに行くためには航空券がどうしても必要だ。そこで、四月三十日、私は近くのトラベル・エージェンシーに行った。私はいつもそこで買うことにしている。

チケットは三種類あった。まず二十万円台、これはカタール航空とエミレーツ航空だ。次が三十万円台のターキッシュエアラインとITAエアウェイズ。そして五十万円前後のルフトハンザ、エールフランスなどなどの航空会社。

これはもちろん、カタール航空かエミレーツ航空に決まっている。だが、戦争があった。現在でも欠航が多いと言うので、今後どうなるかわからない。行ったはいいが、ドーハやドバイで足止め、あるいは帰国時に急に飛ばなくなって、ヨーロッパ経由で苦労の末に帰国ということになっては大変だ。

その点、ターキッシュエアラインは、担当の人によれば、紛争地域の上を飛ばないので欠航はないという。しかし、十万円の差は大きい。何枚も出してもらった見積書を前に、私が迷っていると、担当の人が言った。

「明日から五月の運賃の改定とサーチャージの値上げがあるので、料金もおそらく高くなるでしょう」

私がさらに熟考していると、隣の席で相談していた年配の女性客の言葉が耳に飛び込んできた。

「急にキャンセルになってドバイで大変だったって、娘が言ってました」 チラと見ると、ヨーロッパ旅行のパンフレットを広げている。

私は決心した。チケット購入の手続きに進むと、担当の人が言った。「以前、登録していただいたパスポートなんですが、去年の九月に有効期限が切れていますよ」

そんなはずはない、と思ったが手元にパスポートがないので、確認できない。「一度切らしてしまっているので、再取得まで二週間かかります。ゴールデンウィークがあるので、もっとかかりますよ」

ああ! と私は嘆いた。平和も、パスポートも、期限があるのだ。とすれば、この私の命だって!

限りある命をひしひしと感じながら、私は急いで帰宅し、パスポートを確認した。トラベル・エージェンシーの情報は、ひとつ前のパスポートのものだった。去年のことなのに、切替申請したことをすっかり忘れていたのだ。

期限が切れていたのは記憶のほうだった。

散文

和をもって

このブログのどこかで書いたと思うが、ある人が論語の「四十にして迷わず」について、こう言った。

「こんなことをわざわざ言うからには、孔子は四十になっても迷ったのだ。だから、孔子に及びもつかない私たちが四十を過ぎて迷うのも無理もない。むしろ、大いに迷ったっていいのだ」

この解釈が正しいかどうかわからないが、実際のところ標語は、その逆の事態がはびこっているから意味を持つ。「闇バイトに注意」という警告も、闇バイトが蔓延していなければ意味がない。

聖徳太子は「十七条憲法」の第一条で「和を以て貴しとなす」と定めた。これを根拠に、日本人には和の精神があったと主張する人もいるが、事情はむしろ逆だ。当時の日本人に和の精神などなかったから、聖徳太子はこりゃ和がどうしても必要だ、と憲法のトップに据えたのだ。

その後、結果として、日本人の精神に和が根づいたということもあったかもしれないが、それはあくまでも後世の発展であって、オリジナルの日本精神はアンチ和寄りなのだ。

いや、そんなことあるわけない、当時から日本人が和に生きていたから、太子がそうまとめたのだ、と反論する人もいるかもしれない。

しかし、ほかならぬ聖徳太子の逸話が、これが間違いであることを示している。

もしも、人々が和合し、発言するのにも互いに譲り合うくらいだったなら、聖徳太子は十人の話を同時に聞き分ける特殊能力を鍛える必要などなかっただろう。

苦労してんだ、太子だって。

散文

渋谷カート祭り

昨日は午後からずっと渋谷にいた。夜の Spotify O-nest でのライブのことは書いたが、その前に会場から歩いてすぐにあるユーロスペースで 15 時から開催されたイベント「ラブレターズの非常階段腰掛け男」にも行っていた。ラジオ番組「ラブレターズの階段腰掛け男」が開催したイベントだ。

イベントが終わったのが、16 時半で、O-nest のライブの開場が 18 時すぎだから、時間がある。私は渋谷の街を少し歩いた。私にとっての渋谷は、洋書とレコードの街だったが、今は来る用事もなくなった。ライブ会場があるので来ないこともないが、いつも夜なので、昼間の渋谷は物珍しかった。

ゴーカートが列をなして道路を走っていった。愉快な着ぐるみを着た外国人観光客だ。日本の映画のサムライやニンジャを見たら、日本でサムライやニンジャをやってみたくなるのは当たり前だ。だから、マリオカートを見て、渋谷でカートに乗っても当然という世界基準の理屈だ。

もっとも、たいていの日本人はそうは思わない。なぜなら、江戸時代には誰もマリオ・カートなどには乗っていなかったから。

とはいえ、外国人観光客が今のように渋谷を走り回る時代も、いずれ終わるのだろう。この厄介なカートもいつか姿を消すのだ。

そのとき、私たちはこのカートすら懐かしむ可能性だってある。

外国人の扮装をした子どもをカートの神輿に乗せ、威勢のよい掛け声とともに町じゅう練り歩く「渋谷カート祭り」だって、いつか開催されることだろう。

ライブ

宇宙ネコ子 × ラブリーサマーちゃん × iVy@Spotify O-nest

宇宙ネコ子 、ラブリーサマーちゃん、iVy の 3 組のライブを見るために、2 日連続で同じライブハウスに行くことになった。

ラブリーサマーちゃんによれば、これら 3 組のミュージシャンの共通点は「ドリーミー」だということだ。

音楽のジャンルのことはよくわからないが、ノイズが重要な役割を果たす音楽ということだろうと思う。もっとも、ノイズといっても、ルー・リードの危険なノイズ・アルバム『メタル・マシーン・ミュージック』とは違う。心地よく全身が浸れる、陶酔感のあるノイズだ。

最初に演奏した iVy では、シンセ(か何か)で作った騒音が演奏の山場になっていた。ラブリーサマーちゃんは一人での演奏だったが、エフェクトのかかったギターからは、気持ちのよい雑音が滲み出ていた。宇宙ネコ子のねむ子はもうノイズギターの鏡だ。

当然のことながら、この気持ちのよいノイズはライブでしか聴けない。録音でも、それに近いものはできるのかもしれないが、似て非なるものだ。かりに本気で再現しようとしても、結局『メタル・マシーン・ミュージック』になってしまうので、断念せざるをえないのだ。

だから、たくさんの人がノイズを求めて、ライブハウスに足を運ぶ。なかにはもうこれなしではダメ、という人もいるかもしれない。私もそれに近い。だが、これは危険だ。

いつの日か、死の床に横たわり、自分に繋がれた心電図モニターのピッ、ピッというリズムを聴きながら、早く「ピー」というノイズが聞きたい、とうっとりしだすかもしれないから。

ライブ

モーモールルギャバン × ニガミ17才 @ Spotify O-nest

整理番号が 10 番台だったので、最前列の真ん中で見た。最初はニガミ 17 才だ。

曲が終わると「ありがと」というのが常の岩下優介だが、ライブハウスにはじめてきたときの気持ちを大切にしたい、とのことで、曲終わりの一言でその気持ちを伝えたいという試みを始める。しかし、なんて言おうか気になってしまい、演奏のクオリティを下げてまですることではないと、2 曲ほどでこの試みは放棄された。

次のバンドはモーモールルギャバン。ニガミ 17 才の試みを受けて、曲終わりの一言に挑戦するが、やはり、演奏のクオリティを下げてまですることではない、との結論に達して放棄された。

ニガミ 17 才のライブでは「ねこ子」の曲になると、平沢あくびがステージの前に出て、客席にティッシュを撒く。今回は最前列だったので、私ははじめてティッシュを手に入れた。

モーモールルギャバンは私ははじめてだ。開演前の機材のセッティングのときに、メンバーたちも現れる。ドラムとボーカルのゲイリー・ビッチェが、自分のドラムのセッティングをしている。調整が終わると、靴を脱いで、ドラムの横に置かれた台の下に置いた。それから、靴下を脱いで靴の中に丸め込んだ。裸足でドラムを叩く人なのだ。

だが、それだけではない。ライブの後半には、パンツ 1 枚になって台の上に立つ人になっていた。

「客の皆さんが私をこんな変態にしたのです」と本人は台の上から主張。これはモーモールルギャバンのライブではお馴染みの光景らしい。

さて、ドラムのセッティングのとき、ゲイリー・ビッチェが 1.5 リットルのペットボトルの水を持ってきて、台の上に置いた。なにかルールがあるのか、ペットボトルのラベルを剥がして、くしゃくしゃに丸めた。そのゴミをどうするのかと見ていると、台の下にある靴の中に放り込んだ。

これを見て、このバンドが好きにならない人はいないと思った。私は演奏も気に入ったので、終演後 1,000 円払って、ゲイリー・ビッチェとチェキまで撮った。これが私にとってはじめてのチェキだ。

私はティッシュとチェキとライブをカバンに入れて、帰宅した。

研究

Function of the Diminutive in Narrative of Tunis Arabic

Diminutive(指小辞、指小形) というのは、名詞などに「小ささ」の意をつけ加える手立てのことで、日本語なら「刀」>「小刀」、「道」>「小道」の「こ」をつけることがそれにあたる。この Diminutive は単に「小ささ」だけではなく、ネガティブな評価をともなって使われたり(小僧、小役人)、複雑なニュアンスを表すのに使われることもある(こざっぱり、小腹が空いた、こ憎たらしい)。

この Diminutive が、アラビア語チュニス方言の物語の中でどんなふうに使われているかを調べたのがこの発表だ。物語の主人公にとって重要な役割を果たす物が初めて登場するとき、Diminutive で現れる(ことがある)ということを話した。

発表したのは、2024 年 8 月 8 〜 9 日に、ソウルの慶熙大学で開催された The 2024 Seoul International Conference on Linguistics において。

英語での口頭発表ははじめてで緊張したが、質問やコメントもあり、なんとか乗り切ることができた。発表を終えて、大学近くのコーヒーショップでコーヒーを頼んで待っていたら、スピーカーから BOL4 の曲が流れてきた。せっかくソウルに来たのに街歩きもできなかったが、コーヒーと音楽という、ある意味ではソウルの名物を同時に味わうことできて、私は満足したのであった。

(写真:ソウルのビルに映し出された大広告、韓国ならではの二人だ)

散文

ブログの入り口

このブログの最初の投稿は 2020 年 2 月 9 日で、写真 1 枚だけだった。だんだんとコロナが広がりつつあった時期だった。この月の後半、私は 2 週間ほどチュニジアに行ったが、もしかしたら、チュニジアにコロナを持ち込むのではないかと不安な気持ちで出発したのを覚えている。

3 月の投稿には、帰国後のことやコロナのことも少し書かれている。その後、私はしばらく入管のことを書き続けた。長崎の大村の収容所に行く必要が生じたりなどしたからだ。

この年は 6 月で投稿をやめている。そして 1 年以上経った 2021 年 11 月 1 日から、私はブログを再開し、今も継続している。

書くことにはそれなりの労力を費やしてきたが、書いた後は放りっぱなしであった。日々、書いたものは増えていくが、時間に飲み込まれていくだけで、それをまとめたり、関連づけたりすることはなかった。

書類の束をいきなり目の前に置かれても、読もうと思う人はいない。なので、他の人が読みやすいように、入り口を作ってみようと思った。そこで、最近、私はブログを多少組織化したり、カテゴリやタグの構造を作り変えたりしている。以前の記事を引っ張り出して、バラバラなのを並べてみたり、束に括ったりしてみた。

ブログに手を加える理由がもうひとつある。科研費だ。私はこの 4 月から科研費で新たな課題を進めることになった。なので、これを機会に、これまで科研費による調査で得た資料などを公開する場所を整備しようと思うようになった。

もっとも、入り口を作ったとしても、内容がともなわなければ読んでくれる人もいないし、役にも立たない。しないよりはマシという程度だが、なんでもそう思ってやらなければ、すべてが消えかねない世界だ。