このブログのどこかで書いたと思うが、ある人が論語の「四十にして迷わず」について、こう言った。
「こんなことをわざわざ言うからには、孔子は四十になっても迷ったのだ。だから、孔子に及びもつかない私たちが四十を過ぎて迷うのも無理もない。むしろ、大いに迷ったっていいのだ」
この解釈が正しいかどうかわからないが、実際のところ標語は、その逆の事態がはびこっているから意味を持つ。「闇バイトに注意」という警告も、闇バイトが蔓延していなければ意味がない。
聖徳太子は「十七条憲法」の第一条で「和を以て貴しとなす」と定めた。これを根拠に、日本人には和の精神があったと主張する人もいるが、事情はむしろ逆だ。当時の日本人に和の精神などなかったから、聖徳太子はこりゃ和がどうしても必要だ、と憲法のトップに据えたのだ。
その後、結果として、日本人の精神に和が根づいたということもあったかもしれないが、それはあくまでも後世の発展であって、オリジナルの日本精神はアンチ和寄りなのだ。
いや、そんなことあるわけない、当時から日本人が和に生きていたから、太子がそうまとめたのだ、と反論する人もいるかもしれない。
しかし、ほかならぬ聖徳太子の逸話が、これが間違いであることを示している。
もしも、人々が和合し、発言するのにも互いに譲り合うくらいだったなら、聖徳太子は十人の話を同時に聞き分ける特殊能力を鍛える必要などなかっただろう。
苦労してんだ、太子だって。