散文

カとガ(1)

アラビア語には二つの「カ」の音がある。ひとつは日本語の「カ」に近い音だ。一般的な音声記号で書くと [k] になる。専門的には無声軟口蓋破裂音という。もうひとつの「カ」は、[k] よりも口の奥のほうで作る音で、無声口蓋垂破裂音と呼ばれる。記号で書くと [q] だ。これは日本語にはない音だ。口を大きく開けてカラスの鳴き声を真似すると近い音が出るかもしれない。

アラビア語では [k] と [q] はまったく違う音だ。kalb は「犬」を意味する語だが、この k を q に変えて qalb とすると「心」という意味になる。

さて日本語にはさらに「ガ」がある。これは [g](有声軟口蓋破裂音)だ。これとは別に鼻濁音の「ガ」([ŋ]、軟口蓋鼻音)もあるが、ここでは関係ない。そして、アラビア語にはこの [g] の「ガ」がない。

ただし、これは標準アラビア語の話だ。アラビア語には、公的な場で使用される標準アラビア語と日常的に使われるアラビア語方言という二種のアラビア語がある。標準アラビア語には [g] はないが、方言にはこれを持つものも多い。とくに北アフリカのアラビア語方言では「ガ」がよく聞かれる。

私はこの [k] と [q] と [g] の三つの音についてかねてから不思議に思っていることがある。それについて少し書いてみるというのが、この記事の目的だ。

風刺・戯文

人型ロボットの国

私が子どもだったころ、日本では人型ロボットが華々しく活躍し、人間を助け、悪を打ちのめしていた。鉄腕アトム、ドラえもん、鉄人28号、ロボコン、ロボット・カミイ……枚挙にいとまがないほどだ。そして、頭のいい人々は口々にこう言ったものだった。キリスト教文化では人間を創造できるのは神だけだから、欧米人には人型ロボットは作れないだろう、と。人型ロボットを開発できるのは日本人だけだと、日本中が考えていたのだった。

それから数十年たち、欧米と中国では人型ロボットの実用化が進んだ。ニュースを見ると、街角を普通に歩いているし、誰も気にも留めない。ところが、かつての「人型ロボット」大国だった日本では、ロボット開発など夢また夢、せいぜいレストランで配膳ロボットが動き回るぐらいだ。

この違いはどうして生じたのだろうか。私はやはり人間観が関係していると思う。少なくとも欧米では人間を大事にするから、人間にさせたくない仕事をさせるために人型ロボットが必要なのだ。だが、日本では、人間を大事にしないから、人型ロボットは必要ない。人間などいくら死んでも困らないからだ。

最近のニュースでは、日本人たちは、配膳ロボットの運ぶ高い肉をどうやって横取りするかに興味津々だという。そこまで人間の価値の下落した社会では、そのうち配膳ロボットの仕事も安い人間に奪われるだろう。

風刺・戯文

「外国人」は諸悪の根源

【ザンゲー通信 社説】
日本では今、外国人の犯罪が大きな関心を集めている。これも当然といえば当然だ。なにしろ、日本における最悪の出来事のいくつかは、外国人によってなされたものなのだから。例えば二発の原爆がそうだ。日本は外国人の被害国なのだ。

とはいえ、これは日本ばかりではない。最近ではモンゴルで外国人の一行が自然保護地区をほとんど燃やしてしまった。この外国人ぶりには呆れてものもいえない。また、ウクライナに攻め入ったのも外国人だし、イランを攻撃したのも外国人だ。アメリカだってそうだ。報道によれば、たったひとりの外国人が国をメチャクチャにしてしまったという。しかも、この外国人は日本を脅しているのだ。外国人なのにもほどがある。

中国でも外国人の蛮行が問題となっている。南京でたくさんの人々を殺したのも外国人だ。しかも虐殺などなかったとシラを切っているのがその当の外国人だというのだから始末が悪い。お隣の韓国でも外国人の蛮行を許せないと今なお強く抗議している人々がいる。

これだけ人々に被害を与えている外国人の問題こそ、今、世界が取り組むべき課題ではないだろうか。しかし、国連も国際刑事裁判所もユネスコも当てにはならない。なぜなら、これら本来なら外国人を取り締まるべき国際機関は、すでに上から下まで外国人たちに乗っ取られているからだ。

いったい外国人はどれだけ世界中で悪事を重ねれば気が済むのだろうか。いっそのこと、外国人は外国人同士で国を作って外国に住んだらどうだろうか。

風刺・戯文

奴隷の慰め

私はときどき、自分が奴隷になれたらいいのに、と考えることがある。なぜなら、私はこの社会にいても意味がないから。けれど奴隷になれば私には少なくとも居場所と安らぎがあると思う。

だが問題は、今の社会では奴隷が認められていないことだ。なんでも、奴隷制度が禁止されている理由は、人間を他人の所有物として扱うことが、現代社会の基本原則である自由と人権に反するからなのだという。人間は自由だから、奴隷にはなれないというのだ。

だが、この世界には奇妙なことに自由を行使する人はたくさんいる。ならば、奴隷になる自由もあるのではないだろうか。だが、そのような自由は認められないということだ。

その理由は私にはわからないが、推測ならばできる。全員が自由なのに、ひとりだけ奴隷になったら困るからだろう。人間は個人で存在するものというだけではなく、種として存在するものでもある。そして、人権や人間の自由というものも、この人は通常盤の人権、あの人にはデラックス盤の人権というように個別に異なるものではない。種全体に備わるものだ。

そんななのに、ひとりだけ奴隷的人権を享受しているとしたら、困ってしまう。そんなふうに自由気ままに人権や自由というものの内容を変えることはできない。

だから、奴隷が禁止されているのも、その理由が人間が自由であるからというのは間違いだ。逆に自由ではないから、奴隷を禁止しなくてはならないのだ。

私はときどき、自分が奴隷になれたらいいのに、と考えることがある。それはしょせん無理な相談だが、他の人も奴隷になれないということには、若干の慰めがなくもない。

散文

パソコンの事故

一ヶ月半前、スタバで MacBook Air をいじっていたら、隣の人の荷物が倒れてきた。それで私の飲んでいたアイス・コーヒーのグラスが倒れ、キーボードにかなりの量がかかった。私は席から飛び上がり、慌ててパソコンを拭いた。中にまでコーヒーが入り込んでいて、逆さにすると茶色い液体が垂れてきた。

家に帰って、携帯で調べてみると、パソコンの電源を切って充電もしないように、と書いてあった。下手をすると発火してしまうのだろう。少なくとも丸二日は放置して乾かすべきだという。

その間、パソコンが使えず困ったが、しょうがない。また別の問題もあった。そのような事態に陥ったパソコンは故障する可能性が高い、というのだ。壊れた場合は、荷物を倒した人に弁償してもらうことになる。すでに連絡先は交換してあった。私はその日、Apple Store に行き、事情を話して見積もりを作ってもらった。最低でも十六万かかるという。私の使っているものはもうすぐ五年になるので、これならば新しいものを買うほうがよい。

私はちょうど iMac を買おうと思っていた。しかし、ノートまで買い換えるとなると話が違う。そこでいろいろ考えて、iMac は買うにしても、ノートはいちばん安い MacBook Neo にすることにした。私の使い方ならその程度で十分だ。iMac について調べると、どうやら近々新型が出るという。これはいいタイミングだ。

ただ、今のところ、私の MacBook Air にはなんの異常も発生していないのが、問題といえば問題だ。

風刺・戯文

暴動と略奪

フランス全土で抗議デモが行われている。これは高校生による教育環境の改善要求に端を発し、物価高や政府への不満を巻き込んで全国規模に拡大したものだ。

今回のデモについては、日本ではもっぱらデモに乗じて発生した暴動が関心を集めているようだ。警察との衝突、高級店への侵入、略奪、放火が連日報道されている。

私は今回のデモについてはとくに意見はない。それぞれの国にはそれぞれの事情がある。しかし、ニュースサイトに掲載されているフランスのデモ関係の記事を読んでいると、そこについている日本人たちの熱心なコメントが気になってきた。たとえばこんな感じだ。

「これは移民の問題だ。日本の移民政策は正しい」
「移民のせいで、香り高きパリの文化が乗っ取られた」
「フランスに滞在したときに行ったことがあるが、素晴らしかった。どうかルーブルが守られますように。」
「フランスとは違って日本にはデモの文化はないから、暴動など起きない」
「海外はどうしてデモはいつも暴動になるのだろうか。日本の文化では暴動も略奪もありえないだろう」
「外国人は自己主張が激しいからこんなことになる」

どうやら日本では、フランスでの暴動に乗じて優越感の略奪が行われている模様だ。

小説

ネズミ(2)

パニックは一瞬のことで、それが過ぎ去ると、踊り場周辺の来場者たちの間にどこか親密な空気が流れた。そして、誰もが足元のネズミの動向を注視していた。ネズミは不思議にもすばやく逃げたりせず、マイペースで移動し、やがて階段の手すりの基部に、尻尾を踊らせて潜り込んだ。そこにはネズミと同じ色の濃い灰色の埃が溜まっていて、見分けがつかなくなった。誰かが「うまいこと隠れた」と言った。

階段は踊り場で逆方向に折り返していて、ネズミが身を潜めたのは、上下の階段の間の細い隙間だった。ネズミの真下には、地下の会場入り口に並ぶ女性たちの頭があった。

彼は今や悲劇を予感していた。はたしてネズミは下の階に着地し、そこの女性たちがいっせいに悲鳴を上げたのだった。

彼は隙間から下を眺めた。いつの間にか姿を現した若い男性スタッフがオレンジ色のチリ取りを持って、その上にネズミを乗せようとしていた。階段の蹴込みに追い詰められたネズミはチリ取りに乗せられそうになるが、巧みに身をくねらせてすり抜けるのだった。下のほうで誰かが「かわいそう」と言うのが聞こえた。

チリ取りに乗せたところでどうにもなるまい、と思いながら彼が再び下を覗くと、スタッフはどこから調達したのか BEAMS の紙袋を左手に持って、右手に持ったチリ取りでネズミをそこに追い込もうとしていた。ネズミは今度ばかりは逃れることはできなかった。スタッフはネズミを紙袋に入れると持ち手を上に向けて、そのままゆっくりと階段を上がってきた。

その姿を彼はまるで魔法にかかったかのように見つめていた。スタッフが上のほうに行ってしまうと、誰かが「きっと戻ってくるよ」と言った。

やがてスタッフは空になった BEAMS の紙袋を手に降りてきた。数分遅れで入場が始まった。

小説

ネズミ(1)

会場は地下二階にあり、来場者たちは階段に整理番号順に並び、開場の時を待っていた。整理番号41の彼は、地上と地下一階の間の踊り場に立ち、自分がほとんど列の後ろなのを悲しんでいた。

彼のいる踊り場と地上を繋ぐ階段の中程に若い男性スタッフが立ち、来場者を整列させていた。ときどき、早い番号の人々が慌てて階段を駆け降りていった。そして、彼は小さなネズミが階段を降りてくるのを目撃した。ふさふさの濃い灰色の毛をしていて、妙につややかだった。赤っぽい手の先が見えた。

そのネズミはスタッフの足元から現れたようだった。柔らかな体をくねらせて、階段を一段降りた。そしてもう一段、落ちるように降りた。壁沿いに数名の人々が並んでいたが、ネズミに気がついているのは彼だけのようだった。彼は声を上げようかと迷った。

列の最後尾には、黒い服を着た女性がいた。ネズミはその女性の足元に降りると、靴と靴との間に入り込んだ。女性は携帯を見るのに夢中で気がつかないようだった。彼はここで女性に声をかけたらかえってまずいことになるような気がした。

ネズミはやがて靴の間から出てきて、踊り場に着地した。このとき、近くの女性が悲鳴をあげた。黒い服の女性も、とっさに階段を一段上がった。彼の横に立っていた女性はすぐに地下へと逃げた。

彼ははじめてネズミに気がついたようなふりをして、すばやく壁にへばりついた。

風刺・戯文

まだ地獄じゃない

日本人ほど移民を憎んでいる集団はいません。このまま、移民を叩く風潮が高まれば、日本人たちは、国中の移民を国外追放する政策に乗り出すでしょう。

ですが、日本人たちは、国外追放の実際についてはあまりご存じないようなのです。追っ払えばすごすごといなくなるものと思い込んでいるのです。移民を犬や猫以下に考えてきたツケです。

しかし、最低限の手続きはどうしても必要です。追放までの間、収容しておくための施設もなくてはなりません。食べ物も光熱費も人件費もかかります。現在のところ、日本に居座っている外国人は四百万人を超えたとのことですが、仮にこのほとんどが移民だとしましょう。これだけの人を飛行機で追い出すとしたらどれくらいのお金がかかるでしょうか。

しかも、輸送能力にも限度があります。日本からの出国者数は一日平均十五万だそうです。日本全国の飛行機をフル稼働しても、一月かかることになります。もちろんその間、日本人はいっさい出国できません。これはなかなか難しいことです。実際問題として、シャカリキになっても一日千人がやっと、というところではないかと思います(飛行機に移民を押し込む職員の身にもなってください)。とすると、四千日、約十一年かかる計算です。

いったいこれだけの間、何百万もの人間を収容して、面倒を見ることなど可能でしょうか。いやはっきりいってしまえば、移民を国外追放するのは不可能なのです。ここで発想を変えてみましょう。

もしこの日本に、移民を処理する施設があったらどうでしょうか。とても便利に違いありません。経費もずっとリーズナブルですし、国外追放よりもスピーディです。

近い将来、こんな施設ができあがることでしょう。確かに重たい事実です。ですが、もう日本人たちには選択肢はないのです。その施設では、移民を社会の正当な一員とする処理がなされることでしょう。

風刺・戯文

ディストピア

いつのころからか、私たちの世界にはディストピアが溢れ始めた。

戦争は絶え間なくつづき、冷酷で無能で卑怯な指導者たちが死によって延命を図るこの世界では、繁殖するものといえばディストピアだけ。私たちは次第に身動きが取れなくなる。言葉は口にした瞬間、私たちを窒息させる。

すべてはまるで映画のようだ。かつて夢見たディストピアの薄暗い場面を今、亡霊のように歩いているのは私たちだ。もやがかかった悪意の谷を、ずぶ濡れになってくだっていく。デバイスもガジェットも私たちを苦しめ、悲しませるように進化した。谷底には充電スポットだけがある……

誰がディストピアなどと言い出したのだろう! この世界には別のありようはないのだろうか? 残虐な暗さ、絶望、悲しみ、孤独とは別の世界が。雑巾で床を拭った後に現れる輝き、腰を伸ばしたときの気分のよさにも通じる世界が。そんな思いに駆られて、私たちはディストピアの真逆の世界を必死になって思い描こうとしてみる。

それはまるで影のようだ。集中のわずかな揺らぎでも、その影を散り散りにしてしまうには十分。なぜならその世界は、まだ誰によっても名付けられてないのだから。