旅・観察

チュニジアのベルベル語(1)

ベルベル語は北アフリカを中心にサハラ砂漠に広がる地域で話されている言語グループだ。使用領域が広大で、交流も限定的なため、各地のベルベル語は独自の発展を遂げてきた。なので、ひとつの言語というよりも、ゆるやかにつながる大きな言語グループといったほうがいい。

もともと北アフリカはベルベル語話者の地域であった。とはいえ、地中海沿岸はフェニキア、ギリシア、ローマと古くから文明が発達した地域だったから、ベルベル人たちはさまざまな民族からの影響を強く受けてきた。

「ベルベル語」というのも、ギリシア語の「バルバロイ」に由来するという。この語は「言葉のわからない野蛮人」のような意味があるため、各地のベルベル人たちはそれぞれもっとふさわしい名称を使用している。

ベルベル人の社会を大きく変えることになったのは、7 世紀のアラブ人の到来と、それにともなうイスラームの受容だ。アラビア語話者であるアラブ人が北アフリカに定住するようになり、アラビア語の使用も広がっていった。アラビア語は、ベルベル語に比べて宗教的にも、文化的にも、経済的にも優位であったから、各地のベルベル人もアラビア語を話すようになり、ベルベル語は徐々に使用領域を減らしていった。

この過程は現在も進行中であるが、さいわいにもモロッコやアルジェリアではまだ大きなベルベル語社会が存続している。また、この 2 つの国ではベルベル語の地位の向上も進み、それぞれのベルベル語が活発に使用されるようになっている。

もっとも、アラブ化が進んだ結果、すでに消滅したベルベル語も多い。また今現在でも、話者数が減少しているベルベル語使用地域もある。そうした地域のひとつが、チュニジアの南部だ。

(写真はチュニジア南部の都市、ガベスの日の出)

風刺・戯文

漂白の達人

衆院選のさなか、世界的な言語学者のスティーブン・ガルシア博士が来日し、都内を巡って精力的な言語調査を実施しました。

ガルシア博士は、意味の漂白(semantic bleaching)の研究で知られる世界的な学者です。意味の漂白とは「語がもともともっていた具体的な意味が弱まる、つまり漂白され、より抽象的・文法的な意味をもつようになること」とされます。

具体的な例としては日本語の「いる」があります。「いる」は「居る、存在する」という意味ですが、これが「雨が降っている」「電車が走っている」のように動詞の後にくると、ある動作が「進行している」という抽象的な意味を表すようになります。このとき「いる」からは「存在する」という具体的な意味は漂白されてなくなってしまっているのです。

「激しい選挙戦が行われているこの今の日本こそ、私が研究している意味の漂白の例を集めるのに最適なフィールドなのです」と、流暢な日本語を操るガルシア博士の前に、選挙カーが止まりました。早速、候補者たちの演説が始まります。

「日本を強く!」
「本気で改革!」
「全力で取り組みます」
「ぶれない姿勢!」
「未来を守れ!」

博士の顔が歓喜に輝きます。「どうです。これらの候補者たちの言葉は! どの言葉をとりあげても、意味がすっかり消え失せてます! まったく日本の政治家は意味の漂白の達人ですよ!」

調査を終えた博士は、「有権者の脳も漂白されているかも」という思いつきを検証するため、雑踏の中に吸い込まれていきました。

風刺・戯文

英語を学ぶな

私たちは、教育に関わる者として、子どもに英語を教えることに断固として反対です。なぜなら、英語ほど卑猥で淫らな言語はないからです。

例えば、辞書で do を見てください。いちばん最初には「する」と書いてあります。ですが、ほかにもたくさんの意味が書かれています。ひとつひとつ最後まで見ていくと、奥の奥にこんな意味が現れます。

「セックスする」

do にこんな卑猥な意味が隠されていたことをご存知だったでしょうか。なのに、子どもたちは学校で最初にどんなフレーズを習うのでしょうか。Yes, I do なのです。こんな言葉を子どもに言わせてはいけません。教育の名のもとに行われているのは、児童虐待、人格の否定、性暴力にほかならないことが、今や明らかになりました。

ですが、do だけではないのです。子どもたちが習う基本単語のほとんどすべてがこんな調子、つまり、辞書を詳しく見れば、必ず性に関係ある意味が隠されているのです。次の恐るべきリストをご覧ください。

take「セックスする」
make「セックスする」
come「オルガスムに達する」
roll「性交する」
jump「セックスする」
eat「オーラル・セックスをする」
get「相手かまわずセックスする」
feel「(主に女性の局部に)触れること」
it「性交」

私たちが調べたところ、英語のほとんどの単語には必ず性に関する意味が隠されています。「いや」と反論される方もいるかもしれません。「セックスに関係のない意味しかない英単語もあるぞ」と。

そういう人が例としてあげるのは「eggplant」とか「abalone」とかです。確かに辞書を見ると、「ナス」「あわび」としか書いてありません。ですが、これをもってして英語には卑猥でない英単語があることの証拠にはなりません。

といいますのも、それらの語にけしからぬ意味が記載されていないのは、英語の辞書編纂者にただ十分な時間と資金とがなかったにすぎないからなのです。もし、辞書編纂者にその余裕があれば、必ずや「ナス」にも「あわび」にも、その英単語に隠された卑猥な意味が明らかになったはずです。

このような卑猥な言語が公教育の場で堂々と教えられていることははたして正しいことでしょうか? 我が国の将来を担う子どもたちをかえって毒し、汚しているのではないでしょうか。

私たちはこうした危機感に突き動かされて子どもたちを英語教育から守る運動を始めました。「学校英語審議会(School English CouncilS, SECS)」です。SECS(セックス)への支援をお願いします。

風刺・戯文

アボカドのための祈祷

全国のアボカド愛好家有志が、今日、千代田区大手町にある将門塚の参詣のために集まりました。

将門塚は、その昔、朝廷に反逆した関東の豪族、平将門の首が供養されている場所。伝説によれば、京都で晒されていた平将門の首が怨念によりここまで飛んできたとされ、その祟りを恐れた人々が「将門の首塚」として、古来より供養をしてきました。

今回、参詣に訪れたアボカド愛好家はこう語ります。

「私たちは、歴史的なお方のお力をお借りして、ぜひとも日本のアボガド、いやアボガド、いえ、アポガガガ……」

愛好家によれば、正しくはアボカドなのに、なぜか日本人がアボガドと、ガを濁って発音してしまうのが、アボカド普及の妨げになっているのだそうです。そこで着目したのが平将門。なんでも、日本人が「たいらのまさかど」を絶対に「たいらのまさがど」と言わないのは、平将門の霊力によるものなのだとか。そこで、日本に正しく「アボカド」が広まるよう祈願するために、今回の参詣を企画したといいます。

(アボカド愛好家たちが、アボカドを頭上に掲げながら、平将門の石碑に真剣に拝する様子)
「ガを祓いたまえ、カに清めたまえ……」

愛好家のひとり「私たちの祈りはきっと届いたと思います。えっ、誰に? それは、あれですよ、あの、たいらの、あれですね、あの、たいらのアボガド……」

風刺・戯文

ガールズバーに行ってみた

夜が孤独で耐え難くなってきたので、いろいろ考えたあげく、ガールズバーに行ってみることにした。酒を飲みながらカウンター越しに若い女の子と話せば、少しは元気になるかもしれない。

駅前のごちゃごちゃしたところに、そうした店が何軒かあるのは知っていた。足を踏み入れると「Girls’ Bar アリス&パネス」と記されたピンクの看板が目に入ってきた。これだと思ってドアを押し開ける。色とりどりのランプが輝く店内に、若い女性がたくさんいた。

私は思わず興奮して中に入ろうとする。と、前にひとりの女が立ち塞がった。「申し訳ありません。当店は男性の方はご遠慮いただいております……」

「え、ガールズバーじゃないの?」と私。

「そう誤解される方もいらっしゃるのですが」とその女は店名の記されたカードを私に見せた。「このアポストロフィをご覧ください。Girls’ Bar、つまり『女の子たちのバー』というわけでして……申し訳ありませんが、お引き取りください」

店を出された私は、なんとなく収まりがつかなくなった。少し離れたところに別の店があった。「The Girl’s Bar Right You」とある。アポストロフィの位置が気になったが入ってみることにした。

ドアを開けると、厳かな声が響き渡った。「元始、女性は太陽であった。そして今、女の子はバーである。Girl is Bar、Girl’s Bar……バーとなった女の子を崇めよ……」

ドアを閉め、帰宅して、寝た。

風刺・戯文

今、日本の性があぶない

性癖とは「もともとは性格一般についていう言葉だったのに、今ではセックスに関する意味だけで用いられるようになってしまった」というようなことを誰かが指摘していた。確かに辞書で性癖を見ると、「生まれつきの性質。また、性質上のかたより。くせ。」と書いてある。

これが現在では、自分の性的興奮を喚起する、一般の人々から見ると少し特殊なポイント、というような意味で用いられるようになった。もっとも、これはインターネットを使う世代以降の話で、その前の人々はもともとの意味で「性癖」を用いて、性的な意味しか知らない若い人々を今も戸惑わせているかもしれない(ただしそれが性癖という可能性もある)。

「性」という言葉は「生まれつきの性質(英語でいえば nature)」という意味のようで、それで今ならば「生命」と書くところを「性命」とすることもあった。この生まれつきの性質が、男女の生まれつきというところに結びついて「性別(gender)」の意味をもつようになったと推測できる。この gender の性が、「性的な(sexual)」の性に結びつくのも当然の成り行きだ。

いっぽう「生まれつきの性質」の性は、今も「性格、性質、性善説」などに健在であるが、どれも新しい言葉ではない。これに対し「性的な(sexual)」の性は、「性器、性体験、性交渉、性感染」などの言葉に加えて、社会の変化にともなってクローズアップされてきた「性的指向・志向」「性的同意」「性差別」などますます勢力を拡大しつつある。

「性癖」が性的に受け取られるようになったのも、こうした背景が関係しているに違いない。だが、これはもしかしたら、nature の「性」が今あぶないということではないだろうか。なにしろ「性癖」はすでに「性的な(sexual)」の性に乗っ取られてしまったのだ。

私が思うところ、つぎに危険なのは「性向」だ。「向」がすでに「性的指向」と裏で通じ合っていて、もう裏切りそうな気配がある。この性向が性的側に寝返ったら、次は「性善説と性悪説」だ。こうなったらもう性的の進軍は止まらない。「性格」も「性質」も落城するのは時間の問題だ。

そして、近い将来、私たちは「関係性」「積極性」「感受性」「アルカリ性」などの言葉も、使うときにちょっと考えなければならなくなるだろう。

研究

アラビア語チュニス方言の「情報的に余剰な与格」

 今度の日本言語学会第160回大会で、私は「アラビア語チュニス方言の「情報的に余剰な与格」」というタイトルで発表させていただくことになった。

 与格というのは「〜に」を表す格であるが、この与格には、感情表現に関わる変わった用法があることがいろいろな言語で知られている。チュニス方言でも同様な用法が見られるが、今回の発表ではこの与格が、言わずもがなの余計な情報を表している時に特殊な表現となるということを述べる予定だ。

 しかし、詳しくはサイトを見ていただければ分かるが、新型コロナウイルスのため、大会の開催は中止となった。予稿の公開のみとなるが、発表者の任意参加で、2020年7月1日(水)~7日(火)の間、YouTubeで研究発表の動画を配信することになっている。

 私はまだこの動画は準備していないが、配信に間に合うように学会に提出するつもりだ。今回の学会では動画の視聴は誰でもできるので、また詳しいことが分かり次第お知らせしたい。

チュニスの香水屋
散文

日本語教育能力検定試験やよのさ(8)

 私は昨年、日本語教育能力検定試験を受けたが、会場は昭和女子大学の3階の教室であった。試験 I は9時50分から、試験 II は12時50分から、そして、試験 III は昼食を挟んで14時25分から行われた。試験 I は基礎的な問題、試験 II は聴解問題、試験 III は応用問題、そして400字前後の記述問題もある。

 試験 I は言語学の問題も多い。なので、焦らずに乗り切れた。だが、試験 II では、試練が待っていた。

 聴解問題なので、機器のセッティングに少々時間がかかる。うまくいくかのテストもする。聴解はやるほうも緊張する。問題用紙、解答用紙が配られ、開始時間までそれらを前にじっと座る。もちろんのこと、私語などない。聴解は耳がすべてだ。誰もが聴覚を研ぎ澄ます瞬間。

 だが、そのときだ。カラスの鳴き声が聞こえてきたのだ。構内のどこかでカラスが鳴いているのだ。

 「カア、カア」

 聴解問題用に仕上げられた私の聴覚が反応する!

 「高高……高高」

 別の方向からもカラスが鳴く。

 「カーア」

 「高高低……」

 準備万端だ!

 そんなたるんだ気持ちのまま、試験に突入だ。集中なんてできるわけない。もう途中でついていけなくなって「カラスのアクセントだと! お前なんかカラス語教師がお似合いだ!」と呪うがすでに遅い。

 なんとか合格したが、さもなければ、今ごろこの文もカラス語で書いていたことだろう。

手塚治虫『ブラックジャック』「人間鳥」より
散文

日本語教育能力検定試験やよのさ(7)

 日本語教育能力検定試験の試験 II (30分)は、聴解試験だ。

 私もそうだが、これが苦手の人は多い。特にアクセントの聞き取り問題が大変だ。アクセントというのは例えば「橋」と「箸」の違いで、「橋」は「は」が低く、「し」が高い。つまり「低高(ひく・たか)」だ。いっぽう、「箸」のほうは反対で「高低(たか・ひく)」になっている。

 聴解試験では、この高低を聞き取る問題が出る。しかも、単語ではなく文の一部が、間違ったアクセントで発音される。問題1では、例えば「アベノマスクが6年後に来た」という文の中の「ろくねんごに」がおかしな抑揚で2回繰り返される。

 その「ろくねんご」の文字ひとつひとつの高低が全体でどんな組み合わせかを、4つある選択肢の中から選ぶのだが、聴解問題だ、待っちゃくれない。ぼやぼやしてると、もう次の「そのマスク、もう役に立ちませんね」の「やくにたちません」が変な調子で始まっている。だんだん追い詰められて、何が高で何が低なのかわからなくなる。もう全部同じに聞こえる! 

 いやはや、恐ろしい問題もあったものだが、救いなのはこれが恒例の問題だということ。だから、練習ができる。アクセントの勉強と過去問をやっておけば必ず得点ができる。少なくとも、0点にはならない。

 私もこのアクセントの問題には強い恐れを抱いていたので、過去問は何度かやった。その結果、ついに奥義を会得したという瞬間もあった! できるぞ! 高低が目に見える! だが、数日サボったら忘れてしまった。

散文

日本語教育能力検定試験やよのさ(6)

 音声学の訓練で、うまく発音できない、聞き取れないというのはあまりいい気分はしないが、決して悪いことではない。なぜなら、日本語教師が相手にするのは、結局のところ、日本語の発音が「できない」人なのだから、できない経験も役に立つのだ。

 なんでもそうだが、できない経験を決して否定的に捉えるべきではない。失敗は資源ゴミだ。うまく知恵を使えば、有効活用できる……ぺこぱを真似てみた……時を戻そう。

 なんでもそうだが、できない経験を決して否定的に捉えるべきではない。

 以前、日本語教師養成講座の音声学の授業を担当したときに、ある受講生から「自分は日本語教師が教える標準語とは違う方言のアクセントなのだが、それでも大丈夫か」と言われた。

 そもそも、現状として、標準語と異なるアクセントの方言の話し手の日本語教師、いやそれどころか、外国人の日本語教師だってたくさんいるのだから、これは答える必要もないくらいだが、これから日本語教師になろうという人が不安になるのもよくわかる。

 とはいえ、違ったアクセントを身につける苦労は、結局のところ、やはり学習者がアクセントを習得するときの苦労とどこかでつながっているはずで、むしろ日本語教師としてはありがたい経験だろう。

 それに、教えるほうが得意がって教えることほど、教わるほうにとってはつまらないことはない。だから、自分の苦手な分野や、苦労していることは、大事なのではないかと思う。

ヤンゴンの日本語学校