旅・観察

チュニジアのベルベル語(5)

近代以降のチュニジアで、ベルベル語の使用が記録されている場所は 4 カ所ある。そのうちのひとつでは、すでに話者がいないとされている。タターウィーンとジェルバは、最近も文献が出ていることから、話者がいることは間違いない。

問題は (b) のガベス西部のマトマータだ。ここにはズラーワ、ターウジュート、タマズラットの 3 つの村があるが、目につくのは 1900 年にドイツで出版されたタマズラットの古い研究ぐらいだ。そのせいか「現在も話者がいるかは不明」などと言われるほどだ。

本当に話者はいないのだろうか?

もちろん、いる。ただ、研究が乏しいか、あっても入手しにくいせいで、あまり知られていないだけのようだ。

ネットを探せば、タマズラットの例文集と語彙集が見つかる。タマズラット出身のベルベル語話者がまとめたものだ。

それに、私自身、2024 年 3 月にマトマータに行ったとき、ベルベル語を話す老人に出会った。もっとも、その人がどこの出身かは聞きそびれた。

そして、2025 年 3 月、私はチュニスでひとりのベルベル人の男性を紹介された。その人は 3 つの村のひとつ、ターウジュートの出身で、私はこの出会いをきっかけに、ようやくチュニジアのベルベル語の世界に足を踏み入れることができたのであった。そのいきさつについては、別のタイトルで書くつもりだ。

(写真:タマズラットの表示。2024 年 3 月撮影)

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チュニジアのベルベル語(4)

ベルベル語の本を手に入れた話のついでにいえば、チュニジアのベルベル語は (a) のガフサ東部では消滅したと考えられている。2 つのベルベル村があり、そのうちのひとつ、セネッドのベルベル語の文法書が 1911 年に出版されている(正式な書名は “Étude sur la Tamazir’t ou Zenatia de Qalât es-Sened”)。著者は Provotelle というフランス人だ。分厚い文法書ではないが、この地域のベルベル語の実態を伝える、ほとんど唯一の文献かもしれない。

私がこの本を手に入れたのも、チュニスの本屋だった。もう 20 年前のことだ。新刊と古書を売っている本屋で、チュニジアで刊行されたフランス語の本が並ぶコーナーで見つけたのだった。製本も緩くなっていて、すぐにもバラバラになりそうだった。もしかしたら 1911 年から買い手を待っていた可能性だってある。私はためらうことなく購入した。そして、その本は私の書架のどこかでさらに長く待たされることとなった。

だが、昨年のこと、その本が急に引っ張り出された。なぜなら、私は運よく、チュニジアのベルベル語を学ぶ機会を手に入れたからだ。この「運よく」を説明するには、まだ触れていなかった (b) のガベス西部マトマータのベルベル語の話に戻らねばならない。

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チュニジアのベルベル語(3)

(d) のジェルバ島は、古代から名の知られた場所で、現在も夏になると観光客でいっぱいだ。私は昔、バスツアーで数時間立ち寄ったことがあるだけだ。また、2023 年の夏に、急にジェルバ行きを思い立って、チュニスの旅行代理店に駆け込んだら、ハイシーズンで航空券はなかった。どうせ、ホテルもレストランもお高いんでしょ、と諦めた。

そんなわけで、私にジェルバでの見聞はないに等しいが、一般には、チュニジアの中でも独自の文化をもつ土地として知られている。ベルベル人がいて、ベルベル語がまだ使われているということだけでなく、ユダヤ人のコミュニティも古くからある。また、あるチュニジア人作家は、ジェルバ人は見栄っ張りなので客間だけを豪華にする、などという話を愉快そうに語っている。

ヨーロッパでもよく知られた観光地なので、ジェルバのベルベル語はチュニジアの他の地域よりも関心を集めてきた。本格的な文法書はないが、論文はそれなりにある。最近でも、ジェルバのガッラーラのベルベル語で物語を記録した本が出版されている(しかも YouTube で音声も聞ける)。

私がこの本を手に入れたのは、チュニスのバルシャローナ広場前の本屋だ。チュニジアのアラビア語方言の本を探していると言ったら、「面白い本があるぞ」と、店主が勧めてくれたのだ。ベルベル語を調べ始める前のことだったが、こういうものは、その時に買わなければ、次に手に入るかどうかわからない。

(写真:ジェルバのベルベル語の物語集の表紙から。上から順にアラビア文字表記ベルベル語、アラビア語、ティフィナグ文字表記ベルベル語)

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チュニジアのベルベル語(2)

チュニジアのベルベル語話者数は正確には不明だ。人口の 1 %にあたる 12 万人とする説もあるが、新しい研究では、その半分ぐらいだとされている。6 万人としても少ないが、もうひとつ重要なのは、チュニジアのベルベル語は、ひとつの言語ではないということだ。いくつもの変種があるため、個々の話者数はもっと少なくなる。

チュニジアのベルベル語は、南部のいくつかの小地域にのみ残っている。だいたい以下の 4 つの地域に分けられる。ガフサ、ガベス、タターウィーンはいずれも南部の都市で、ジェルバ島は有名な観光地だ。

(a) ガフサ東部(トゥマーグルト、セネッドの 2 つの村)
(b) ガベス西部のマトマータ(ズラーワ、ターウジュート、タマズラットの 3 つの村)
(c) タターウィーン(シュニンニー、ドゥウィーラートの 2 つの村)
(d) ジェルバ島(6 つの村)

このうち (a) のベルベル語はすでに消滅してしまったといわれている。もっとも、私自身で確かめたわけではないので、断言はできない。いずれにしろ、現在、ベルベル語が使われているのは (b) 〜 (d) ということになる。(c) のタターウィーンのベルベル語話者は、先行研究を見るかぎり、数百人規模のようだ。私自身、2024 年の 2 月、現地の友人とシュニンニーとドゥウィーラートを旅したとき、ひとりのベルベル語話者に出会ったことがある。

(写真はシュニンニー・ドゥウィーラート間の風景。2024 年 2 月撮影)

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チュニジアのベルベル語(1)

ベルベル語は北アフリカを中心にサハラ砂漠に広がる地域で話されている言語グループだ。使用領域が広大で、交流も限定的なため、各地のベルベル語は独自の発展を遂げてきた。なので、ひとつの言語というよりも、ゆるやかにつながる大きな言語グループといったほうがいい。

もともと北アフリカはベルベル語話者の地域であった。とはいえ、地中海沿岸はフェニキア、ギリシア、ローマと古くから文明が発達した地域だったから、ベルベル人たちはさまざまな民族からの影響を強く受けてきた。

「ベルベル語」というのも、ギリシア語の「バルバロイ」に由来するという。この語は「言葉のわからない野蛮人」のような意味があるため、各地のベルベル人たちはそれぞれもっとふさわしい名称を使用している。

ベルベル人の社会を大きく変えることになったのは、7 世紀のアラブ人の到来と、それにともなうイスラームの受容だ。アラビア語話者であるアラブ人が北アフリカに定住するようになり、アラビア語の使用も広がっていった。アラビア語は、ベルベル語に比べて宗教的にも、文化的にも、経済的にも優位であったから、各地のベルベル人もアラビア語を話すようになり、ベルベル語は徐々に使用領域を減らしていった。

この過程は現在も進行中であるが、さいわいにもモロッコやアルジェリアではまだ大きなベルベル語社会が存続している。また、この 2 つの国ではベルベル語の地位の向上も進み、それぞれのベルベル語が活発に使用されるようになっている。

もっとも、アラブ化が進んだ結果、すでに消滅したベルベル語も多い。また今現在でも、話者数が減少しているベルベル語使用地域もある。そうした地域のひとつが、チュニジアの南部だ。

(写真はチュニジア南部の都市、ガベスの日の出)