散文

天使のメール

知り合いの日本語教師に、天使のメールが届いたというのでご報告したい。

その人は、ある朝、日本語学校で授業の準備をしていたそうだ。1コマ目から授業があるので、教材を持って、少し早めに教室に行ったのだった。

すでに何人かの学生が来ていて、互いに挨拶をする。彼が今日担当するのは初級クラスで、ネパールやらミャンマー・ベトナムの学生ばかりだ。これらの学生は「非漢字圏」の学生と呼ばれる。中国・台湾といった漢字圏ではないということだが、ひとことでいえば、日本語の習得にさいし、漢字で苦労し、漢字でつまづくことの多い学生たちだ。

授業開始まであと 10 分ばかりとなったとき、彼の携帯にメールの通知が来た。メールアプリを開いて、送信者を見ると、クラスのある学生からだ。そして、そのメールの件名にはこう書かれていた。

「天使ややがおくれた」

「天使やや」とはなんだろうか。そして、その天使の到来が遅れた、とは。ある種の終末論を想起させるこのメールの本文には、なにも書かれておらず、ただ写真が添付されているだけだ。

彼はその写真を開くのに躊躇した。神々しいエンジェル・アートかもしれない。人前で開くのにはばかられるような画像かもしれない。あるいは、学生の携帯がウイルスに感染した恐れだってある。

だが、彼は開けた。

写真には、電車の遅延を知らせる電光掲示板が写っていた。

メッセージは「電車が遅れた」だった。

風刺・戯文

不正行為

日本語能力試験(JLPT)は、日本語の能力を測定するテストで、高いレベルに合格すると、進学や就職に有利なため、しばしば替え玉受験やカンニングなどの不正行為が発生する。

受験の注意を見ると、イエローカード2枚もしくはレッドカード1枚で失格となるそうだ。どのような行為が対象となるかだが、これは普通のテストと変わらない。問題用紙を勝手に見たり、カンニングしたり、迷惑をかけたり、などだ。ただ、面白いのが「服や体に数字や文字などが書いてあったとき」だ。

うっかり日本語の書かれたシャツを着ていったら、失格になりかねないのだから、注意が必要だ。ただ、シャツなら脱げばなんとかなるかもしれないが、刺青の場合はどうなるのだろうか。国によっては刺青がそれほど特別なことではなく、誰もが目立つところに入れている文化もある。花や模様ならいいが、しっかり漢字で入っている人もいるかもしれない。そういう人がもし、JLPT に挑戦することになったらどうなるだろうか。試験監督に見咎められて、退場させられるのではないか。私はとても心配だ。

また、刺青ではないが、日本語学習者の中には、全身にお経が書いてある人もいるかもしれない。そういう人もどうなるのだろうか。試験監督に両耳だけもぎ取られて退場を命じられるのではないか。私はとても心配だ。

風刺・戯文

あいみょんと「の」の逆襲

「おいしいのパン」
「強いの力」
「助けるの人」

「これらはすべて、日本語学習者がしがちな誤用、つまり間違いです」と、日本語教師養成講座の教師は、受講生たちにホワイトボードの板書を示しながら説明を始めた。「このように余計な『の』を挿入してしまうことがよくあるのです。どの国の学習者もする誤用ですが、とくに中国人に多いように思います。しかも、上級になっても繰り返す人がいます」

教師はこの助詞「の」について説明を始めた。助詞の「の」の前後には原則的に名詞が来ること。したがって、「おいしい」や「強い」といった形容詞、「助ける」といった動詞の後には続かないこと。「の」は中国語の「的」と似ているため、一説によれば、その影響でよく余計な「の」を入れてしまうということ……。

ひととおり話し終わると、教師は受講生たちに質問がないか尋ねた。すると手が上がった。

「先生、『の』を変なところに挿入してしまうのは外国人特有ですか?」

「特有、というとニュアンスが異なりますが、学習者にわりによく見られる誤用です」

「とすると、あいみょんは外国人ですか?」

「あいみょん? あの歌手の?」

「ええ」

「それが今の話とどうつながっているか、ちょっとわかりませんが……どういうことでしょうか」

「いえ、あの、『マリーゴールド』なんですけど、『麦わらの帽子』の『の』って、あれ要りますか? ……」

風刺・戯文

登場人物たち

『すごい日本語』は、日本語学習者のみなさんが楽しく学び、日本での生活のあらゆる場面で自信をもって日本語を使うことができるように作られた教科書です。さあ、いっしょに学びましょう!

《登場人物》
『すごい日本語』にはたくさんの人々が登場してさまざまな会話をします。登場人物といっしょに会話をすれば、どんどん日本語が上手になりますよ!

グエンさん(ベトナムからの真面目な留学生)
プジュさん(モンゴルからやってきた明るい留学生)
ラオさん(愉快なインド人留学生)
ミンさん(ミャンマーからきた心やさしい留学生)
タパさん(ネパールの気さくな留学生)
ポールさん(冗談好きのアメリカ人留学生)
アンナさん(ヨーロッパからきたノンキな留学生)
ワンさん(中国出身のゲーム好きの留学生)
キムさん(みんなに頼りにされる韓国人留学生)
浜田先生(日本語の先生)
木村さん(グエンさんの友人)
高橋さん(ミンさんの家の大家さん)
皆川さん(近所の大学生)
吉川さん(木村さんの遠い親戚、喫茶店「ミレー」を経営)
南さん(浜田先生の元カノ)
高橋さん(高橋さんの生き別れの兄)
如月博士(ワンさんの師匠)
ススムくん(如月博士が開発したロボット、「ミレー」のウェイター)
佐々木さん(タパさんのバイト先の店長、実は怪盗鼠小僧)

風刺・戯文

猿の手に

ネパールの日本語学校で使っているという教科書を見せてもらった。現地でネパールの日本語教師が出版したもののようだ。表紙を開くと、なにやら偉い人の写真が載っているが、ネパール語が読めないのでだれだかわからない。

教科書は分厚く、かなりの情報量だ。会話と単語と文型がびっしり詰め込まれている。日本語の後に、ネパールの文字で発音が記され、ネパール語と英語でその意味が書いてある。

パラパラと見ていた私は、「ことわざ」と書かれたページに目が止まった。日本のことわざが紹介されている。

最初は「1.てんせきこけ を しょうぜず」。発音、ネパール語訳、英訳が記してある。次は「2.ねこの て も かりたいほど だ」だ。だが、英訳はない。3つ目は「ねこにこうばん」。英訳はないが、「こうばん」は交番ではなく小判のことだろう。

そして、4つ目に「さるの て に ここのつ」とあった。

「猿の手に九つ」? 英訳もないので意味がわからない。日本語の教科書に載るようなことわざに知らないものがあったとは。

私は自分の教養のなさを恥ずかしく思い、「猿の手に九つ」をさっそく検索した。

……いろいろ調べてみてわかったのだが、本当は「猿の手にココナッツ」だった。ネパールのことわざで、意味は「猫に小判」と同じだ。

風刺・戯文

背広の日

日本語を教えている平助に背広を着用せよとの命令が下された。学校が催す式典に、留学生とともに出席せよ、というのだ。

平助は背広を着ないように生きてきたので、窮屈な思いをするのは正直なところイヤだったが、しょうがない。その朝、クローゼットの奥からシワだらけの背広を引っ張り出し、ぶつぶつ罵りながら身につけ、慣れないネクタイを締めた。

学校に向かう平助の手には大きなバッグがあった。その中にはいつものシャツとチノパンの着替えが入っていた。式典が終わったら、ただちに背広を脱ぎ捨てて、着替えるつもりだったのだ。こんなもの一瞬たりとも着ていたくない……平助はそれほどまでに、背広を憎んでいた。

なぜこんなみっともないものを着なければならないのか。なんでこんなカバンをわざわざ持っていかねばならないのか。考えるだに腹が立ってきた。すべて背広が悪いのだ。

学校に着くと、すでに数名の留学生がいた。学生たちも式典に参加するので皆、背広姿だ。学生たちは平助を見ると「おはようございます、先生」と挨拶した。

平助も「おはよう」と不機嫌な顔で答える。すると、学生のひとりが言った。

「先生、今日はハンサムみたい」

その日一日中、平助は背広のままで過ごした。着替えにはさわりもしなかった。

風刺・戯文

『リアルすぎる日本語』

これまでにない新たな視点を盛り込んだ日本語教科書『リアルな日本語(初級)』が刊行された。

日本の本当の姿を知ってもらおうという熱意に溢れた教材だ。通常、初級というと、文法・語彙ともに限定されているため、会話や読み物も現実の日本語から乖離したものになりがちであるが、『リアルな日本語』はそうならないための創意工夫に満ちている。

また、扱われるトピックも、きわめてリアルであるのも大きな特色だ。こうしたトピックは通常なら上級向けとされるが、それを大胆に、そして無理なく盛り込んでいるのにも感心させられる。全15課のうち、はじめの5課の内容を次に紹介しよう。

第1課 「私は満員電車の痴漢です」(日本語で自己紹介ができる)
第2課 「いいえ、パワハラ、セクハラ、ありません」(我慢ができる:その1)
第3課 「非正規労働の先に何がありますか」(道を尋ねることができる)
第4課 「日本人は弱いものいじめが好きですね」(趣味や職業について話すことができる)
第5課 「外国人は出て行きなさい」(我慢ができる:その2)

じつに有益な教科書であり、私もクラスで使用させてもらっている。ひとつ難点をいえば、教科書を最後まで終わらせることができないというのが問題だ。最初の数課で、日本語学習者が全員いなくなってしまうのだ。

小説

入ってもいいですかの撃退(後編)

平助は頭に血が上った。「うるさい、言わなくていいと言っただろ!」と口から出かかったのをなんとかこらえて、「入ってください!」と答えたが、それでも聞く人が聞けば、そこにトゲトゲしさを感じたかもしれない。

結局のところ彼の説明は効き目がなく、「入ってもいいですか」は相変わらずだったのだ。

平助はこの「入ってもいいですか」をいくども浴びたせいかもしれない、学生が入ってくるのを見かけると、ぶるりと体を震わせるまでになった。そうやって「入ってもいいですか」から身を守ろうとしていたのだ。そして、その過剰な反応がかえってこの問題を解決に導いた。

いつものように平助は教室にいた。すっかり過敏になっていた彼は、人の気配を察し、びくりとして、教室の入り口に目をやる。

ネパール人の学生が入り口に立っていた。あの容赦なき「入ってもいいですか」の学生だ。そして、その口がかすかに動いた。「入ってもいいですか、先生」を繰り出そうとしている、と身構えたとたん、平助の口がほとんど無意識のうちに開いた。

「おはようございます」

すると、その学生は「おはようございます、先生」と返事をし、なにごともなかったように教室に入り、着席した。

平助は初めは驚いた。が、すぐになにが起きたかを理解した。「そうなのか、先手必勝だったのか」

今では、平助はどの学生よりも早く教室に入り、教卓の前で学生がやってくるたびに「おはようございます」作戦を遂行し、「入ってもいいですか」を毎朝、撃退している。

小説

入ってもいいですかの撃退(前編)

とある学校で日本語を教えている平助は最近ある問題に悩んでいた。

彼が担当していたのは朝の日本語初級クラスで、学生は日本に来たばかりのネパール人だ。

平助が早めに教室に入って、教卓で授業の準備をしていると、ネパール人の学生がやってくる。

「おはようございます、先生」

「おはようございます」

これはまったく問題ない。だが、何人かのネパール人男子学生は教室の入り口に立ち決まってこう言うのだ。

「教室に入っていいですか、先生」

「どうぞ、入っていいですよ」と応じながらも、平助は釈然としない気持ちになる。そもそも教室とは学生の場所ではないか。教員室ならばいざ知らず、そこに入るのに教員の許可など必要あろうか。

しかし、ネパールの学生が悪いとはいえない。ネパールではそうした習慣があるのかもしれず、学生たちはただそれにしたがっているにすぎないのだ。

むしろ責任があるのは教員のほうだ。考えてみれば、ネパールと日本の習慣の違い、つまり日本では教室に入るのに教員の許しをえなくてもよい、ということを、きちんと説明したことなどなかったのだから。

事前に教えずして、できないと怒るのは、愚かな教師のすることだ。

そんなわけで平助は、あるとき授業中に「教室に入るときには、なにも言わず入っていいですよ」とていねいに説明したのだった。

そして、翌朝、いつものように平助が教室にいると、学生が姿を現して告げた。

「入っていいですか、先生」

散文

トーチョー

ローマ字の綴りで “ky” は “Tokyo” や “Kyoto” などのように、日本語の「キャキュキョ(kya, kyu, kyo)」に用いられる。

ビルマ語にはこの「キャ、キュ、キョ」に当たる音がない。別になくてもいいのだが、問題はこの音をビルマ文字で “k” と “y” にそれぞれ当たる音の組み合わせで表記し、なのに実際の発音は「キャ、キュ、キョ」ではなく、「チャ、チュ、チョ」(に似た音)となることだ。

そんなわけで、ビルマ語話者は「Tokyo」を「トーキョー」ではなく「トーチョー」と発音する。ビルマ文字の綴りに変換してしまうのだ。どうしてこんなことが起こるかだが、おそらく昔はビルマ語には「キャ、キュ、キョ」という音があったが、これが歴史的変化により「チャ、チュ、チョ」に変わってしまったのだろう(こうした変化は他の言語でもよくある)。音は変わってしまったが、綴りは変わらないので、 “ky” が「チャ、チュ、チョ」を表すこととなってしまったのだ(こうした綴りのずれは、日本語にも英語にもたくさんある)。

もっとも、ビルマ語話者が「キャ、キュ、キョ」を発音できないわけではない。ただ、それはいわば「外国語の音」なので、若干の訓練が必要なのだろうと思う。

以前、東京に来たばかりのビルマ語話者が「ここがトーチョーか」などと言っていると、先輩のビルマ語話者が「トーキョーだよ」と訂正したことがあった。外国では「チャ、チュ、チョ」ではなくて「キャ、キュ、キョ」のときもあるよ、ということはビルマ語話者はそれなりに意識しているようだ。

さて、以前、留学生に日本語を教えていたときのことだ。いくつかの調味料が教科書に出てきたので、私はあるビルマ人学生に音読させてみた。

「塩、醤油、酢、ソース、マヨネーズ、ケキャップ……」

ケキャップだって!

と、私は心の中で叫んだ。このビルマ人学生は、「チャ、チュ、チョ」は「キャ、キュ、キョ」で発音する、ということを意識しすぎて、「チャ」のままでいいものまで「キャ」に直してしまったのだ。

この現象は、言語学では過剰訂正(つまり、なおしすぎ)と呼ばれている。