旅・観察

チュニジアのパンの機能

チュニジアのパンにはたくさん種類があるが、大きく分けると二種類ある。丸く平たいパンとバゲットだ。平たいパンは「アラビア・パン」とも呼ばれる。もう一方は、我々がフランスパンと呼ぶ棒状のパンだ。フランスのバゲットのことはよくわからないが、チュニジアのバゲットは細くて硬い。

バゲットには硬い表皮と柔らかい中身がある。我々にとってパンとは、耳ではなく、その中身が主役だ。だが、チュニジアでは逆だ。表皮が主役だ。だから細いのかもしれない。

それは、ひとつには、表皮がおいしいからだ。表面がパリパリでヒビも細かい。ちぎると、いい音と香ばしい匂いがする。だが、それだけではない。チュニジア人にとってパンの表皮は、スプーンや箸でもある。チュニジアでは、基本的に手で食事をする。スプーンなどを使わずに、この表皮を器用に使って、すくったり、挟んだり、皿を拭ったりして、食べる。

寿司を手で食べる国から来た私も、真似して食べてみる。だが、なかなかうまくいかない。気がつくと、パンばかり食べていて、サラダやシチューはちょっとしか減っていない。

チュニジアにおいては、表皮は中身よりも機能負荷が高い。そんなわけで、表皮ばかりが、どんどん食べられていく。食後のテーブルを見ると、白い棒状の中身だけが残されていることもある。

旅・観察

チュニジア行きの航空券

チュニジアに行くためには航空券がどうしても必要だ。そこで、四月三十日、私は近くのトラベル・エージェンシーに行った。私はいつもそこで買うことにしている。

チケットは三種類あった。まず二十万円台、これはカタール航空とエミレーツ航空だ。次が三十万円台のターキッシュエアラインとITAエアウェイズ。そして五十万円前後のルフトハンザ、エールフランスなどなどの航空会社。

これはもちろん、カタール航空かエミレーツ航空に決まっている。だが、戦争があった。現在でも欠航が多いと言うので、今後どうなるかわからない。行ったはいいが、ドーハやドバイで足止め、あるいは帰国時に急に飛ばなくなって、ヨーロッパ経由で苦労の末に帰国ということになっては大変だ。

その点、ターキッシュエアラインは、担当の人によれば、紛争地域の上を飛ばないので欠航はないという。しかし、十万円の差は大きい。何枚も出してもらった見積書を前に、私が迷っていると、担当の人が言った。

「明日から五月の運賃の改定とサーチャージの値上げがあるので、料金もおそらく高くなるでしょう」

私がさらに熟考していると、隣の席で相談していた年配の女性客の言葉が耳に飛び込んできた。

「急にキャンセルになってドバイで大変だったって、娘が言ってました」 チラと見ると、ヨーロッパ旅行のパンフレットを広げている。

私は決心した。チケット購入の手続きに進むと、担当の人が言った。「以前、登録していただいたパスポートなんですが、去年の九月に有効期限が切れていますよ」

そんなはずはない、と思ったが手元にパスポートがないので、確認できない。「一度切らしてしまっているので、再取得まで二週間かかります。ゴールデンウィークがあるので、もっとかかりますよ」

ああ! と私は嘆いた。平和も、パスポートも、期限があるのだ。とすれば、この私の命だって!

限りある命をひしひしと感じながら、私は急いで帰宅し、パスポートを確認した。トラベル・エージェンシーの情報は、ひとつ前のパスポートのものだった。去年のことなのに、切替申請したことをすっかり忘れていたのだ。

期限が切れていたのは記憶のほうだった。

旅・観察

シリーズ「盗難の証明」

「ベルベル語の調査とその後(5)」で、私は盗難に遭い、その盗難証明書を警察にもらいに行ったと書いた。

その盗難事件の顛末について、私は帰国してすぐにこのブログで書いた。2025 年 3 月 9 日から 19 日までの 11 回分の記事がそれだ。ベルベル語の調査そのものとは関係ないが、気になる人もいるかもしれないので、以下にそのリンクをまとめておく。

【盗難の証明】
(1)Grand Hotel de France
(2)新しいホテルで
(3)泥棒への感謝
(4)盗難証明書
(5)警察署までの道
(6)今日は行けません
(7)何があったか彼女に言うのだ
(8)署長室の対決
(9)三枚つづりの紙
(10)革命の記録
(11)そういうホテル

私が盗難に気づいたのは、チュニジア滞在中に所持金をしっかり把握しておかねばならないという状況に置かれていたためだ。その事情については「外貨の禍い」という 9 回のシリーズに書いた。その続編である「最後の外貨の禍い」(全 6 回)も合わせて読んでいただければさいわいである。

(写真:チュニスのメディーナ)

旅・観察

ベルベル語の調査とその後(7)

S さんにとって、ベルベル語は母語だ。しかし、今の S さんがベルベル語を使うのは、同居する親と話すときだけで、それ以外はアラビア語だ。3 人のお子さんもいるが、ベルベル語は話せない。彼曰く、「自分はベルベル語を話す最後の世代だろう」と。

もちろん、これは正確ではない。彼の出身地であるターウジュート村には、今も若い話者がいるはずだ。だが、村を出た移住者の実感としては正しいと思う。

日常的にベルベル語を使用していないため、母語とはいえ、言葉を思い出せなかったり、動詞の活用が不確かな場合もあった。そんなとき、S さんは必ず親に電話をして確認してくれた。こうした姿勢のおかげで、私の資料はより正確になったが、それでも他のベルベル語話者によるクロスチェックも必要だと思うようになった。

また、言語調査では、単語や例文だけでなく、実際の会話や生活の中でデータを集めることも重要だ。そのためには、ベルベル語が日常的に使用されている現場に行かなくてはならない。そんなわけで、私はターウジュート村への訪問を計画した。S さんも同行を申し出てくれて、そのための準備をしてくれていたが、結局、2025 年夏の調査では実現しなかった。

次回の調査は、現地開催が目標だ。

(写真:カフェの飾り)

旅・観察

ベルベル語の調査とその後(6)

再び、S さんと会い、ベルベル語の調査をしたのは、その夏、つまり 2025 年 8 月のことだ。このときは、8 月 2 日から 12 日までの 11 日間連続して調査を行うことができた。はじめの 3 日間は、うるさいカフェで調査を行わざるをえなかったため、内心不安であった。だが、たまたまそのとき私は少し高いホテルに移った。そこには会議室があり、相談したら無料で使わせてくれた。これですべての問題が解決した。会議室を一歩出ればトイレがあった。

それに夏だ。寒いどころか、クーラーなしでは過ごせないくらいだ。ある日など私はクーラーを消すのを忘れて出て行ってしまい、翌日「あれ、なぜかクーラーがついているぞ」と訝しげにするホテルのスタッフを前にして、気まずい思いをした。

3 月と 8 月の調査は合わせて 21 日間にすぎない。もちろん、これっぱかしの期間で、言語の全体像が掴めるわけがない。だが、8 月は動詞活用を重点的に調べたので、ある程度の材料は揃った。そこで、私は動詞の活用をテーマに発表の応募をし、11 月にポスター発表を行うことができた。さらに、この発表を発展させた論文も書いた(まだ出ていない)。

そのいっぽう、この 3 週間の経験から、チュニジアのベルベル語をちゃんと調べるには、この調子では不十分だということも、だんだんわかってきた。

(写真:猫)

旅・観察

ベルベル語の調査とその後(5)

異邦人には暮らしにくいラマダーンのさなか、寒さ、尿意、空腹に耐えながら、私は調査を続けた。だが、そんな殊勝な私にさらなる追い討ちがかかった。

ホテルで盗難に遭ったのだ。

お金がなくなっていることに気がついたのは 3 月 5 日の午後のことだった。詳しい事情は省くが、私はその翌日、警察署に行かねばならなくなった。海外旅行保険を使うためには、どうしても盗難証明書が必要だったのだ。この日の午前、私は最後の調査を予定していた。朝イチに行けば、約束の時間に間に合うだろうと考えていたが、警察には警察の事情があるようだった。結局、3 月 6 日の調査をキャンセルせざるをえなかった。

思わぬ事件のために、貴重な一日が飛んだわけだ。だが、そのおかげで私は、チュニジアの社会を別の側面から観察する機会を得た。もっとも、さいわいなことに、私はこの学びの機会に授業料を払わされはしなかった。海外旅行保険に感謝したい。

私はこれまでいくどもチュニジアを訪問し、いろいろなホテルに滞在してきた。立派なホテルで素晴らしい朝食を楽しんだこともあれば、シャワーもエアコンもない部屋で手負いの狼のように寝たこともある。だが、お金を盗まれたのは初めてだ。チュニジアの観光業の名誉のために、つけ加えておきたい。

その翌日、3 月 7 日は午後の便で帰国する予定だったので、もともと調査を入れていなかった。だが、S さんは、私を不憫に思ったのか、それともチュニジア人として放っておけないと思ったのか、午前中に時間を作ってくれた。私たちは例の寒い場所で 2 時間半ほど調査を行い、再会を約して別れた。

(写真:カフェの様子)

旅・観察

ベルベル語の調査とその後(4)

凍えるほど寒い古い建造物の一角でベルベル語の調査をしながら、私がひしひしと感じていたのは、尿意だった。体力を削るという点でも、人間の尊厳を奪うという点でも切ない尿意だった。

ラマダーン中だから、私たちのいるカフェは開いていなかった。だから、トイレは使えなかった。建物の外に出ても開いている店はない。つまり、私は調査の間中、トイレに行くことはできなかった。

建物の底冷えが尿意とタッグを組んだこの状況は、私の調査に影響を与えた。ホテルからこの調査場所まで徒歩で 15 分、つまり、往復で 30 分だ。移動に要する時間と私の膀胱のサステナビリティからすると、調査に許された時間は 3 時間というところだ。

これを短いと思う人は、膀胱がまだ柔軟なのだ。とこしえにそうあれかしと願うばかりだ。

なんとか調査を終えた私は、毎日、ホテルまでの帰路を急ぐ。だが、ここに陥穽がある。あまり急いではいけないのだ。なぜなら、焦りはかえって尿意を目覚めさせてしまうから。

「今日はいい天気だな。途中で本屋に寄ろうかな……」などと、尿意をときには欺き、ときにはあやしながらチュニスの大通りを歩く。ホテルに着く。ドアを押し開け、鍵を受け取り、階段をゆっくり登る。部屋の前に立ち、鍵を鍵穴に差し込む。しゃにむになってガチャガチャしだす……。

私が言語学の概説書を書くとしたら、この問題にまるまる 1 章さくことだろう。

(写真:猫たち)

旅・観察

ベルベル語の調査とその後(3)

閉め出されたというのは、2025 年 3 月 1 日、チュニジアでラマダーンが始まったからだ。日中は断食するから、ほとんどの店は閉めてしまう。それで、カフェにいることもできなくなった。

そこで、S さんが連れていってくれたのは、やはりメディーナの中にある「シャーシーヤ作りの市場」という屋根つきの商店街だった。古い建物で起源は 17 世紀に遡るという。シャーシーヤというのは縁なしの赤い帽子で、その店が集まっている。

そこに、通路を利用したカフェがあった。ラマダーン中なので店はやっていないが、一部のテーブルや椅子は出しっぱなしだ。ここを利用しようというのだ。

ラマダーン中の市場は薄暗く、がらんとして、仕事をしている人もいない。ときどき、大声を響かせながら通る人もいるが、それ以外は、猫が数匹すみっこでじっとしているだけだ。

これは絶好の場所と、さっそく私は S さんを前に、調査を始めたのだが、次第にある問題が私を悩ませ始めた。

寒いのだ。

チュニスの 3 月は、日差しが強いので暖かいように感じるが、気温は日本と変わらない。古い建物の冷たい石の床の上ではもっと冷える。私は震え出した。寒さに体を縮こまらせながら、なんとかその日の調査を済ませる。ホテルに戻ったときには風邪気味だった。

この寒さはつらいものだったが、やがて私を切ない状況にも追い込みはじめた。

(写真:シャーシーヤ作りの市場)

旅・観察

ベルベル語の調査とその後(2)

つらいことの第一は、場所だ。言語調査は、音声を聞き取ったり、録音したりしなくてはならないから、静かで、落ち着いた場所でやるのがいちばんだ。会議室とか、研究室とか、贅沢を言わせてもらえば、海の見えるホテルの一室とか……。

私の場合は、初顔合わせをしたあのカフェが調査場所となった。これは決して悪くない。以前、外の石段に座って調査したのに比べれば、ずっとマシだ。カフェだから、コーヒーも水も飲める。それに、調査用紙が突風に吹き飛ばされないようにクリップでしっかり挟んでおく必要もない。

とはいえ、カフェはカフェだ。壁掛けのテレビはいつもつけっぱなしだ。私はカフェを隅から隅まで調べ、音が届かない死角の席を見つけ、そこを使うことにした。もっとも、先客がいて、テレビの真下の席にせざるをえない日もあった。カフェは午後になると、放課後の高校生がグループでやってきた。離れた席から楽しげな笑い声が聞こえてきて、録音レベルと私の心を乱した。

だが、これが別のカフェだったら、スピーカーから爆音が流れ、いかつい男たちが大声で話している。ジョークに笑いこけながら、互いに手をバチーンと打ち鳴らしている。それに比べれば、このカフェは調査向きだ。日を追うに連れ、S さんとのやりとりもしっくりしてきた。

だが、調査 4 日目、私たちはこのカフェから閉め出された。

(写真:カフェの中)

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ベルベル語の調査とその後(1)

私の本格的なベルベル語の調査は、2025 年 2 月 25 日のお昼から始まった。調査といっても S さんに言葉について質問するだけだ。しかも、最初は録音だけしてノートすら取らなかった。後で音声起こしをしようと考えていたのだった。

しかし、みかねた S さんがアラビア文字で書いてくれるようになった。それで私もアラビア文字でノートを取ることに決めた。

どんなことを聞くかというと、「私」、「頭」、「ニワトリ」、「食べる」、「飲む」などの基本的な語彙や、動詞の活用、「昨日、雨が降った」とか「庭に二羽ニワトリがいる」とかの簡単な文だ。「明日、雨が降るだろう」とか「ニワトリはいなかった」とかも調べる。

調査は、2 月 25 日から、帰国日の 3 月 7 日まで続いた。ただし、途中で 2 日休んだので、実際には全部で 9 日だ。1 日は S さんの都合、もう 1 日は帰国前日の 3 月 6 日で、これは私の都合だった。調査は 1 日 3 〜 4 時間で、終わるとホテルに戻って、録音を聞き直しながらひたすら書き起こす作業になる。

この 9 日間は、ベルベル語を調べる楽しみと興奮に満ちていた。だが、そのいっぽう、つらく切ないこともあった。3 月 6 日に休まなきゃいけなかったのだって、ちょっとした事件があったせいだ。

(写真:チュニスのメディーナの風景)