旅・観察

水と言語

今回の訪問で、もうひとつ気づかされたのは水の問題だった。

ベルベル語の話者の減少は、住民の流出と村の過疎化によるものと、私はただ漠然と捉えているに過ぎなかった。その背景に水不足があることには思いいたらなかった。水不足が村の生活を徐々に脅かし、これが人々を村から離れさせる。そして、私たちがターウジュート村だけでなく近隣の村でも見たように、空き家をひとつまたひとつと増やしているのだ。

「昔は緑がいっぱいで、雨もたくさん降った。家では羊を四〇頭も飼っていた。だが今は放牧のための草も生えていない。どの家にも、果物も野菜もふんだんにあったけど、今はマトマータから運んできた野菜を買わなくてはならない」とSさん。

村に最初に入ったとき、Sさんに甦ったのも水の記憶だった。「昔はここに水が溜まってプールみたいになっていたもんだ」 だが、Sさんが指差したその場所は、太陽の光の下で乾き切っていた。

また、ジェルバ島の陶芸工房でSさんはベルベル語の「粘土」を思い出し、子どものころに使ったきりだと語ったが、後でこう付け足してくれた。

「もう雨が降らないから、村では土が粘土になることなどない。こうやって言葉がなくなっていくんだ」

どうして水がなくなるのか、私は詳しい事情はわからない。思いつくのは地球温暖化ぐらいだが、それも東京の夏のひどい暑さからの類推に過ぎない。だが、ターウジュート村、そして周辺の村の水不足はここ数十年のあいだに起きたことだという、Sさんの印象をもとに判断するならば、まんざら無関係ともいえないように思う。

私は、ターウジュートという小さな村を訪問したに過ぎなかったが、そこで起きていることは、来る前には思いもよらなかった広がりを持っていた。