ターウジュート村に行く前、私は村では人々が自分の言葉で活発に話しているさまを想像していた。私はビルマのカレン人やカチン人の村に行ったことがあるが、それと同じだろうと、なんとなく思い込んでいた。そこでは人々は自分の母語で挨拶し、会話し、雑談し、祈っていた。
しかし、ターウジュート村では私は異なる印象を受けた。Sさんのおじの家の集まりで主に使われていたのはアラビア語だった。
それにはいろいろな理由が考えられる。客である私たちに気を遣っていてくれたのかもしれないし、あるいは男たちで話すときはアラビア語を使うのがより自然なだけなのかもしれない。そして、ターウジュートのベルベル語は、もっと家庭的な雰囲気のときに使われるのかもしれない。
それがどんな理由であれ、ベルベル語が使用される場面は、当初の私の想定よりもかぎられているように思えた。もちろん、わずか数時間の滞在でわかるものではない。だから、あくまでも仮定の話に過ぎないが、この仮定にもとづいて私は二つのことを考えた。
ひとつは、この言語が置かれている状況の深刻さだ。もしも、使用されるのがほとんど家庭にかぎられるとしたら、さらに縮小していくこともありそうだ。Sさんはチュニスで暮らしているが、子どもはベルベル語を話すことはできない。村でも同じような状況がいずれ起きるかもしれない。私は実のところ、これとは逆の事態、つまり村では言語が十分に維持されていると想定していたのだった。
もうひとつは、もしベルベル語が私的な領域でだけ使用されるのだとしたら、そこに私が近づいて、そこで直接学ぶのは、少なくとも今の私には不可能だということだ。
これは私の力不足であるかもしれない。だが、単に実力の問題だけでもないように思う。誰かの暮らしの中に入ろうとすることが、何かを壊してしまう可能性もある。
ともあれ、今回の訪問は、Sさんがいてはじめて可能になった。もしいなかったら、私は村を外から眺めるしかなかっただろうし、こうした感想を抱くこともできなかったろう。それは大きな違いだ。そうした違いを積み重ねていくうちに、もしかしたら、もう少し深く理解できる場所に立てる日が来るかもしれない。