旅・観察

犬の友だち(3)

このとき以来、犬と男という二つの存在が私の中で結びついた。思えば、駐車係をしている男の周りにはいつだって犬がいた。そして、犬が寝っ転がっているところでは、男がビールケースに座ってタバコを吸っているのだった。

ある夜、私は男がこう犬に話しかけているのを聞いた。犬は歩道に寝そべっている。

「かわいそうなチビめ! お前はいつまでそこにいるつもりなんだ?」

男は、犬を置いて、ホテルの脇の道に入っていった。だが、すぐに再び犬のところに戻ると、屈んで犬の前足を取った。

「かわいそうなチビめ!」

またあるとき、男が犬を置いて道を渡ってしまった。残された犬は歩道を行ったり来たりした。車にさえぎられて男を見失いでもしたかのようだった。犬は表通りのほうまで歩いていきさえした。私は「お前の友人はいつもの寝床にいるぞ」と思いながら見ていたが、やがて犬も気がついたのか、道を渡って、男のいるマットのそばにゴロンと横になった。

犬と男の間にいったいどういう出会いがあり、どういう物語があったのだろうか。チュニジアには農閑期に出稼ぎに行く人もいるそうだ。どこかの村からふたりしてはるばるやってきたのだろうか? 夕暮れの田舎道をとぼとぼ歩いたり、列車に乗ってそろって景色を眺めたり……。私はいろいろなことを考えた。

もうひとつ不思議なことがあった。日中、犬も男も姿を消すのだ。ふたりでどこかに行ってしまったのだろうか。それとも、昼間は別行動という、あんがいドライな関係性なのだろうか。男はどこかのカフェで仲間と過ごし、犬は路地裏で野良犬たちと雑談を、とそれぞれの社交生活を楽しんで……。

ある昼下がりのこと、もっとも暑い時間帯に私はホテルを出た。犬も男もいない。ただ日差しが車と道を焼いているばかりだ。すでに汗をかきながら、私は歩道を降りて車道に踏み出す。

そのとき私は、駐車された車の下に犬がいるのに気がついた。影の中、前足に顎を乗せ、そこから外を見ていた。

風刺・戯文

シェルター建設のはこび

ドイツ人たちが、ユダヤ人への恐怖と憎しみに駆り立てられて迫害と虐殺を始めたとき、少数の人々はユダヤ人を匿って命を救った。だが、そのせいで逆に、匿われたユダヤ人のみならず、その匿った人の家族全員が殺されることもあった。

今の世界は当時と同じような憎しみにゆっくりと炙られつつある。我が国でも「日本人ファースト」などといって日本人と日本人でない人をはっきりと区別するヘイト表現が大手を振って歩き出した。日本の国だから日本人が大事なのは当たり前だという人もいるかもしれないが、政治家がそんなことを言い出すのは、日本という国に住むすべての人々に対する責任放棄にほかならない。

政治家が責任を持つことを放棄した人々に何が起こるだろうか。外国人ならば強制送還だ、と簡単にいう人がいるが、これは実際には大変だ。おそらく、強制送還ならばまだ良心的だったと思われるようなことが起こるはずだ。殺してしまうほうがなんといってもいちばん楽なのだ。いずれにしても人狩りは避けられまい。

こうした暗い時代の到来に備えて、ひとりでも多くの人を匿えるようなシェルターの建設が必要ではないだろうか。そのシェルターでは、「日本人でない」とされた人々が、日本人ファーストの魔の手から守られ、いつか明るい時代が来るまでひっそりと生き延びるのだ。

私は自分自身が迫害される危険を省みず、シェルターの建設を決意した。持てる財のすべてを注ぎ込み、この度、ついにシェルターの完成にこぎつけたのだ。じつにすばらしく、美しいシェルターだ。一見の価値ありと自負している。ついては、シェルターの完成披露会を開催したい。ぜひたくさんの人においでいただき、実際にご覧いただきたい。日時と詳しい場所(地図つき)は追ってこのサイトで告知するつもりだ。