研究には、なにが必要だろうか。理系ならば、データが必要だ。そしてデータを集めるための観測機器、実験道具、データ処理のためのコンピュータもなくてはならない。これらは刑務所内では決して手に入らないものだ。
では、文系ではどうだろうか。心理学にしても、社会学にしても、経済学にしても、理系と同じだ。データがなくてはなにもならない。そして、その他の法律・政治・哲学・文学は、文献がなくては手も足も出ない。
あらゆる研究には対象があり、その対象を捉えるための環境が必要だ。だがどんな研究であれ、刑務所内に必要なものを持ち込むことはできない。たったひとつ、言語学をのぞいては。
なぜなら、言語学の研究対象は、言語そのものであり、言語学者自身がその言語の使用者であるからだ。
言語学者はどんなに厳重な牢獄でも、言語を難なく持ち込むことができる。刑務所のどんなに高い壁も、恐ろしい番犬の群れも、激しく動き回るサーチライトも、見回り兵たちの銃撃も、言語を怯ませることはできない。
言語は、囚人たる言語学者の頭の中にすっぽり収まって、頭蓋骨に護送されながら、堂々と正面から検問を突破する。