散文

地獄の言語学入門(2)

そんなふうに思うようになったきっかけは、現在の日本、そして社会を取り巻く状況の変化にある。ロシアでも、アメリカでも、中国でも、今や自由の価値は下落してしまった。日本も例外ではない。円安とともに、自由安も進行しつつある。

国旗の扱いからしてそうだ。日本では、国旗の持ち方ひとつで刑務所に入れられるようになるという。そんなことで投獄されるのだとしたら、やがてもっとつまらないことでもそうなっていくのは間違いない。

しかも、少子高齢化の先進国、日本では、社会のいたるところで労働力が不足している。これを補うには、外国人の労働力が不可欠だ。なのに日本人ときたら、政治家とジャーナリストが旗ふって、外国人を憎み、放逐することばかりに精を出している。このぶんでは、職業選択の自由など悠長なことはいってられない。必要な労働を国民が担うしかなくなるのも時間の問題、つまり、強制的な労働だけが解決策だ。

ここで私たち慎み深い日本人は先人の知恵に学ばずにはいられない。ありがたいことに投獄と労働力を一挙に賄う手段を先輩たちが考えてくれていた。強制労働キャンプだ。

この便利な施設が、日本全国津々浦々で誘致され、競争入札され、建設されていくことだろう。そして、できればできるほど、投獄する理由もますます増えていく。

私はこの状況にもういてもたってもいられなくなった。日本人のために勇を奮って声を上げることにした。

全国民よ、言語学を学べ、と。

なぜなら、言語学こそが、刑務所の中でも支障なく研究を続けることのできる唯一の学問だからだ。