散文

保証人のポロシャツ

何年か前、カレン人の友人から、在留期間更新許可申請書の身元保証人を頼まれた。何度もしていることなので、拒む理由はない。待ち合わせの場所に行き、近くの喫茶店で署名を済ませると、紙バッグに入った服を渡された。

ユニクロに勤めているその人は、良さそうな服をみつくろって、お礼としてくれたのだった。ユニクロにはほかにもビルマ難民の知人が働いている。

紙袋の中には、真っ白なポロシャツが入っていた。もらったはいいものの、私はこのポロシャツを何年も着なかった。なぜなら、私は服を必ず汚すから。とくに食事中は危険だ。食べ物たちときたら反抗的なのか、いつも私の服やズボンを汚そうと狙っている。

しかし最近、私はこの白いポロシャツを着はじめた。食事のときは、汚れてもいいシャツに着替えればいいからだ。それに気がついて以来、何度も着るようになった。自信がついて、都内にまでポロシャツのまま行ってみたりした。そして、いつの間にか、目立つところに黒い汚れがついていた。

先日、その友人から連絡があった。更新が近づき、また身元保証人になってほしいというのだ。私はそのポロシャツを着た。汚れがうっすらと残っていたが、そのまま会いにいった。その人が待ち合わせ場所に来たとき、私は自分の服を指して、着てきたことを示したが、ピンときていないようだった。

新たな申請書に署名をした。今度も紙袋をもらったが、白い服は入っていなかったので安心した。

散文

国宝

日本にはビルマからやってきた人がたくさんいる。昔は多くの人が不法滞在で働いていた。しかし、今世紀の初めごろから、不法滞在に対する取り締まりが厳しくなってきた。それで、警察に捕まって、入管に収容されたりする人も増えてきた。それで、多くの人は難民申請をするようになった。というのも、これらの人々が国を出た原因は、軍事政権のせいだったから。難民申請は簡単ではなく、最初は誰もが大変な苦労をしたが、やがて少しずつ、正規の滞在資格を得る人も増えてきた。今では多くの人々が日本で安全に暮らしている。

さて、ビルマからやってきたある男性がいる。私は全然知らない人だ。彼が日本にやってきたのは、もう 25 年以上前のことだ。それ以来、日本で生活している。今の年齢についても私は全然知らないが、少なくとも、私より年下ではない。

そして、驚くべきなのは、この彼がいかなるパスポートもビザも持っていないということだ。つまり「不法滞在(非正規滞在)」なのだ。ビザがなければ労働は違反だ。だが現在、彼は都内のどこかの居酒屋で働いている。しかも店側の信頼も厚い。

もちろん、彼のような人はいないわけではないが、たいていは、数年のうちに、職務質問か何かで捕まって、入管に収容されてしまう。だが、いまのところ彼は警察に捕まったこともない。入管で連泊したこともない。日本の入管だって間抜けではない。その当局に気がつかれぬまま、彼は 25 年以上もの歳月を生き抜いてきた……経済の浮き沈み、たびたびの大地震、コロナ、オリンピック……いったいこの 25 年の間に何発の北朝鮮製のミサイルが打ち上げられたことだろうか?

もう偉業といっていい。いや、この人にビザなどもったいない。ぜひ我が国の人間国宝に指定してほしい。

散文

この世はなべて偽装難民

あらゆる難民は、基本的にすべて偽装難民だ。なぜなら、この世界のどこにも、この人は難民です、と証明してくれる場所はないからだ。そして、このような「身分保証」のないことこそが、難民の本質だ。だから、難民はいつでもどこでも偽装難民だと疑われる。そのように疑われる人こそ本当の難民なのだ。

正式のパスポートを持っているとはどういうことだろうか。そのパスポートに記された国家の国民であることを、国家が保証してくれるということだ。

だが、難民にはこうした身分保証はない。どこの国際機関もそうした身分保証を発行できない。それぞれの国がそれぞれの事情に従ってこれこれは難民であると決めるだけだ。そして、そこから抜け落ちる人が偽装難民となる。つまり、国は難民を決めると同時に、偽装難民をも決めているのだ。

この事情を知らない人だけが、偽装難民を非難することができる。だが、実際には政府を批判しているに過ぎないのだ(日本では与党の政治家がこれをするのだから恐れ入る)。そして、このような無知な人はこんなデタラメなことすら考え出す。すなわち、その難民とやらの出身国政府が責任を持って、自分の国の難民に「難民証明書」を出して、難民受け入れ国に通知すべきではないか、と。もっともな理屈だ。だが、もしその国にそんなまともなことができるのであるならば、難民など出やしないだろう。

私たちの国、日本では、こうした主張が本気で罷り通りかねない様相を呈している。今や、日本には難民は存在しない。すべての外国人が偽装難民扱いだ。もっとも、日本では外国人が必要なので、そう簡単に追い出すわけにはいかない。

そこで、私から提案したいのだが、難民ビザなどやめて、偽装難民ビザを出したらいいのではないか。日本人にかかればみんな偽装難民なのだから、通常の難民手続きよりもずっと簡単だ。それに、偽装難民ビザなのだから、誰も文句は言えない。

この偽装難民ビザが実現したら、たぶん、「本物」の難民が日本で暮らすために偽装難民になりすます偽装偽装難民が多発することだろう。

風刺・戯文

熊の郷

熊が人里に降りてきて、人々に乱暴を働きだしたとき、私たちはこう考えた。

「熊に人間の食べ物を食べさせなければこなくなるだろう」

だが、もはや「食べさせない」が通用する段階ではなかった。熊はすっかり味をしめていたのだった。そこで、私たちは熊を全滅させる計画を立てたが、熊権派の活動家たちが余計な告発をしたせいで、裁判所は全滅差し止め命令を下した。

「ならば、熊が絶対に人里に降りてこないようにしてやろう」

私たちは山奥に侵入すると、密かに広大な囲いを建設し、そこに熊を閉じ込めた。そして、囲いの中に熊の好きなハチミツパンやアップルパイ、マロンケーキをいくらでも作り出す装置を設置した。これには食通の熊たちも唸りっぱなしだった。

そればかりではない。私たちはこの「熊の郷」にずっと熊がいたくなるように、毎日、愉快で楽しい熊向けの動画を無料配信するサービス「ネットフリックマ」も開始した。

そこはまるで熊の楽園だった。熊はもはや人里に姿を見せなくなり、傷つけられる人もいなくなった。ついに成功かと思われた。だが、しばらくして、私たちは再び熊が山から降りてくるのを目撃した。

「なにごとか」と私たちが慌てて熊の郷の囲いの中に入ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。侵入者たちが住み着き、熊たちを追い出していたのだ。侵入者たちは木陰でアップルパイをほおばりながら、ネットフリックマを楽しんでいた。その顔はまるで蛇のようだった。

楽園を追い出された熊は、もはや人を襲わなくなっていた。愉快で無情な配信動画が熊の野生と暴力を吸収してしまっていたから。サブスクリプションは無料にかぎり呪いとなるのだ。

今や、熊たちは町外れのキャンプで、UNHCR の支援を待っている。その様子を私たちは配信動画でときどき見る。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(3)

 入管は仮放免許可申請の結果を申請者に伝える。今回は収容されているSさんが申請者だったので、許可はまず彼に告げられた。なので、彼は私に電話をかけてきたのだった。

 ちなみに外にいる人が申請者の場合は、入管が口を聞いてくれるのは許可された時だけだ。つまり、電話をかけてきてくれるのだが、不許可の場合は簡易書留のみとなる。

 しかも、いまいましいことに書留なので、不在にしていた場合は再配達を頼まねばならない。こっちは差出人に入管と書いてある不在票を見ただけで、もう不許可だと分かるので、実際に受け取る必要などないのにだ。

 Sさんからの知らせを受けた私は、すぐに牛久入管に電話をかけた。目の前で待たせている難民の用事はもう一つ後回しになったのだ。少しぐらい待たせたってかまいやしない。急げ!

 職員が仮放免担当の人に取り次いでくれる。仮放免手続きの件で電話したことを告げる。普通だったらこれですぐに「ああSさんの件ですね」と応対が始まるのだが、相手は「はてどなたで?」という感じだ。この理由は後でわかる。

 ともあれ私たちは手続きの日程を決めねばならない。

 「手続きができる日は最短でいつですか」

 「明日です」

 つまり19日だ。私は20日から少々忙しくなるので、明日できるならばそれに越したことはない。

 「では、明日にします」

 職員は、身分証と印鑑と保証金を持ってくるようにと言って切った。

 保証金は10万円だ。安い。3月末に長崎で仮放免手続きをした時は40万円だった。安いのにはわけがある。入管がそれだけ早く外に出したがっているということだ。保証金が高額のため金策に手間取って、手続きが遅れるのを避けたいのだ。

 夜、Sさんから電話がかかってきた。

 「仮放免いつになりましたか」

 「明日です!」

 大喜びだ。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(2)

 入管に収容されている人のために仮放免を申請すると、結果が出るまでに普通は1ヶ月半から2ヶ月かかる。しかも、たいていは不許可だ。

 牛久の場合は、収容されてから、1年は経たないと仮放免は出ない。なので、それを見計らって仮放免申請をすることもあるし、許可が出るまで何度も申請することもある。私はいつも後者のやり方を取る。つまり、不許可になったら、できるだけ早く再申請する。

 Sさんは今年の2月に品川から牛久に移された。牛久に来たら、6ヶ月やそこらで出られるわけはない。なので、収容されてすぐに仮放免申請するのは無意味なこともかもしれない。しかし、常に申請中であるというのは、収容されている人にとっては唯一の希望にもなりうる。なので、申請していない期間をできるだけ作らないというのも、意味のないことではないとも思う。

 さて、今回、私は4月22日(水曜日)の午後、牛久に申請書類を送ったが、入管に着くのは遅くとも金曜日、そして、おそらくその翌週の月曜日の27日にはSさんの手に渡るはずだ。なので、申請はその後になる。そして、後で知ったことだが、実際、彼が申請したのは28日だった。

 その3週間後の5月18日月曜日の午前10時、Sさんから電話がかかってきた。私はちょうど別の難民と北千住駅で待ち合わせをしていたのだが、こっちはJRの改札口で待っているのに、向こうは千代田線の改札口でいつまでもぐずぐずしている。私は相当イラついていた。そして、相手がようやく私を見つけて手を振ったそのときにその着信が来たのだ。

 電話など無視して、すぐに待ち合わせの相手との用事(入管関係の書類への署名)に取り掛かってもよかったのだが、こっちは20分も待たされて腹を立てていた。なので、地下鉄のホームからあちこち尋ね歩いてJRのほうの出口までなんとかたどり着いた相手が前にいるというのに、無視するように電話に出た。すると、Sさんの興奮した声が聞こえてきた。仮放免が出た、というのだ。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(1)

 以前、「コロナの決死圏」というタイトルで、牛久の東日本入国管理センターに収容されている難民の仮放免のために、市役所に書類を取りにいった話を書いた。そこではマスクをしていないジジイのせいで暴動が起きていたのだが、それは4月22日のことであった。

 私は必要書類を受け取ると、そのまま郵便局に行って申請書と一緒に牛久に送った。収容されている人の名前をここではSさんとしよう。品川ならば、身元保証人の私が行って申請してもいいのだが、牛久などには行きたくない。したがって、Sさんが自分で申請することになる。万が一書類に不備があって受理されなければ、彼から電話がかかってくるだろうと思っていたが、結局、なんの連絡もなかった。

 しかし、それからしばらくして、牛久の入管職員から電話ががかかってきた。仮放免後の住所についての確認で、Sさんはこれこれの住所を書いているが、身元保証人として知っているのか、ということだった。

 私は「仮放免後の住所は彼自身に任せているので、知らない」と答えた。それから、慌てて付け加えた。

 「もしそれで不都合があるのなら、私の家にしてもいいですよ」

 信頼のおけない身元保証人だと思われて不許可になったら困ると思ったのだ。しかし、その入管職員は、その必要はないと言いながら、電話を切った。

 私は、これまで牛久に収容されている人の仮放免申請を幾度もし、幾度も不許可になり、ときたま許可されているが、入管からこんなふうに電話がかかってきたのははじめてだった。

 コロナの問題でどんどん仮放免されているから早く仮放免の申請をしてくれ、とSさんは言っていた。これはあるいはもしかしたら、と私は希望を抱いたのだった。

散文

アラカン州の現状とカレン民族

 アラカン州(ラカイン州)の紛争についてちょっと書いたから、これについて4月14日、カレン人の団体が出した声明について触れておこう。

 これはInternational Karen Organisation(IKO, 国際カレン機構)という団体が出したものだ。IKOはミャンマー国外に暮らすカレン人の結成した団体で、レターヘッドにもあるように、アジア太平洋地域、ヨーロッパ、アメリカ・カナダ地域にまたがる国際団体だ。

 2015年10月、カレン民族とビルマ政府との間で停戦協定が結ばれたが、カレン人を代表して署名したのはカレン民族同盟(KNU)であった。この停戦は少なくとも国内のカレン人には支持されていたと思うが、国外で難民として暮らすカレン人にとっては納得のいかないもので、カレン民族への「裏切り」だと非難する者もいる。これら停戦に反対するカレン人の立場から活動しているのがIKOだ。

 以前からそれぞれの国にカレン人組織はあったが、それらがIKOとしてまとまるようになったのは、少なくともアジア太平洋地域においては、オーストラリアのAKO(Australia Karen Organisation)のリーダーが積極的に各国のカレン人コミュニティに協力を要請したからだ。

 日本は、他の国と異なり、複数のカレン人組織が活動している。停戦協定ののち、このAKOのリーダーが来て、IKOへの参加を呼びかけたが、今のところ、積極的に協力しているのは海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)だけのようだ(ちなみに私はこの団体に参加している)。

 さて、今回の「ビルマ国軍の行っている無実のラカイン人(アラカン人)市民への射撃と殺害に関する声明」と題された声明について以下要約する。

 IKOはアラカン軍(Arakan Army)とアラカン人に対するビルマ軍の軍事行動を非難する(項目1)。

 ついで、アラカン州でビルマ軍がしていることはカレン人に対しても行われてきたことであるとの認識が示され(項目2)、これをビルマ独立以来70年続く、非ビルマ民族迫害の歴史の中に位置付け、この問題は「政治的な問題」であると述べる(項目3)。

 そこで政治的な解決としての和平交渉について述べるが、これを妨げるのが、アラカン軍をテロリストと決めつけるビルマ政府の態度であると指摘し(項目4)、こうした態度は、今後の和平交渉の妨げになるとビルマ政府を非難する(項目5)。そして、コロナウイルスが蔓延する中で加速する軍事行動を即時停止するように求めて声明は終わる(項目6)。

旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(8)

 さて、後に、アラカン人(ラカイン人)の若者から、彼の出身地であるアラカン州(ラカイン州)について聞くことができた。それについて若干記して、終わりとしよう。

 まず、アラカン人について簡単に記すと、アラカン民族はビルマ民族とは異なる民族であり、かつては独自の王国を持っていたこともある。王国滅亡後はビルマ民族の支配下に入ったが、ビルマ独立後の連邦制でも不平等な地位を押し付けられていたため、民族の平等を求めて長い間、闘争を続けている。

 アラカン人の言語は、ビルマ語と近い。だからといって、非常に近いとは言えないようだ。私はこの点について彼に聞いたら、彼自身はビルマ語は学校で読み書きは習ったが、上手には話せないとのことだった。日本に来るにはヤンゴンにしばらく滞在する必要があるが、そこでも言葉の問題で苦労したようだった。

 また、彼はアラカン州でも州都シットウェではなく、ベンガル湾のラムリー島のチャウッピュー(Kyaukpyu)の出身で、そこの言葉は、シットウェの言葉ともまた少し違うそうだ。

 さて、このラムリー島について書かれたサイトを見ると、こんなふうに書かれている。

「第二次世界大戦中にイギリスと日本がラムリー島をめぐって争ったのは有名である。近年では、インド洋と中国を結ぶパイプラインと鉄道、深海港が設けられている」

 前者についてはいうまでもなく、我々は追い出された。後者は天然ガスのパイプラインで、その開発が環境破壊と人権侵害、資源の収奪の原因となっているとして、かねてから多くのアラカン民族が抗議している。ビルマ政府はこれら反対派からパイプラインを保護するためにビルマ軍を派遣しており、これがさらなる紛争と人権侵害を生み出している。

 中国との関係でいえば、ラムリー島は当然ながら漁業が主産業だが、中国船による乱獲によっても被害を受けているという。

 彼はまた、ラムリー島の隣にあるチェドバ島(マナウン島)と呼ばれる島についても教えてくれた。ここの住民の方言は、ラムリー島のアラカン語とはまた異なり、彼自身も理解するのに少々苦労するという。

 この島には、特筆すべきことが一つある。それは、美男美女の産地として有名であることだ。一名、美人島(min ma hla kyun)と呼ばれている。真偽の程は定かではないが、かつてポルトガル人が居住していたことに関係している、という説が唱えられている。

 私は美人にはまったく興味はないが、コロナが終わったらすぐ行くつもりだ。

アラカンの舞踊(2019年9月8日、新宿区で開かれたアラカン民族の式典で)
旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(7)

 入管としては、もうこの質問表と引き換えに感謝状を差し上げたいぐらいだろう。自ら「偽装難民」と名乗り出てくれるわけだから。しかし、その感謝状の裏を見れば、しっかりと強制退去令が……という次第だ。

 ならば、このげに恐ろしき質問票にどう書いたらいいのだろうか。正解はもちろん、自分の難民性に関係することだけ書く、だ。

 「当該活動」をやめざるをえなかったのは「私は難民だからです」で十分だ。これは詭弁でもないし、嘘でもない。そもそも、難民でなければ日本になんか来なかったのだから。

 さて、紙を一瞥するや否やこれらの事情を瞬時に察した私は、素早く2人のアラカン人を制止した。ペンを握った2人はビルマ語の丸文字をすでに書き連ねていたのだ。

 「待ちたまえ! そこは難民の理由だけを書くのだ。うむ、消せばなんとかなる! で、いったいなんて書いたのかね?」

 「『私はアラカン州で命の危険があるので逃げてきました。難民です。』と書きました」

 「あ、そう」

 なに、わかってんじゃない。俺が口を出すまでもないのさ……。

 女性職員が紙を回収に来た。私が日本人だと知ると、私の身分確認もする。まもなく、男性のほうが呼ばれたが、すぐに戻ってきた。在留カードの住所変更をしていないので、受理できないのだという。

 次に呼び出された女性のほうは、無事に受理されて、11:30-12:00に再度呼び出しますという札をもらっている。

 ちょっと時間ができたので、私はこの間に仮放免保証金の還付手続きをするために4階の会計窓口に行った。20分ほどで済まし、10万円の小切手を受け取って再び3階に戻る。

 もう女性の手続きも終わっていた。後は、2階のBカウンターで技能実習ビザの変更手続きをするだけだ。しかし、もう十分だろう。私は2人を置いて入管を後にし、小切手を換金するために田町の銀行に向かったのであった。