散文

ブログの入り口

このブログの最初の投稿は 2020 年 2 月 9 日で、写真 1 枚だけだった。だんだんとコロナが広がりつつあった時期だった。この月の後半、私は 2 週間ほどチュニジアに行ったが、もしかしたら、チュニジアにコロナを持ち込むのではないかと不安な気持ちで出発したのを覚えている。

3 月の投稿には、帰国後のことやコロナのことも少し書かれている。その後、私はしばらく入管のことを書き続けた。長崎の大村の収容所に行く必要が生じたりなどしたからだ。

この年は 6 月で投稿をやめている。そして 1 年以上経った 2021 年 11 月 1 日から、私はブログを再開し、今も継続している。

書くことにはそれなりの労力を費やしてきたが、書いた後は放りっぱなしであった。日々、書いたものは増えていくが、時間に飲み込まれていくだけで、それをまとめたり、関連づけたりすることはなかった。

書類の束をいきなり目の前に置かれても、読もうと思う人はいない。なので、他の人が読みやすいように、入り口を作ってみようと思った。そこで、最近、私はブログを多少組織化したり、カテゴリやタグの構造を作り変えたりしている。以前の記事を引っ張り出して、バラバラなのを並べてみたり、束に括ったりしてみた。

ブログに手を加える理由がもうひとつある。科研費だ。私はこの 4 月から科研費で新たな課題を進めることになった。なので、これを機会に、これまで科研費による調査で得た資料などを公開する場所を整備しようと思うようになった。

もっとも、入り口を作ったとしても、内容がともなわなければ読んでくれる人もいないし、役にも立たない。しないよりはマシという程度だが、なんでもそう思ってやらなければ、すべてが消えかねない世界だ。

散文

私の天下三分の計

三田村鳶魚の全集を安く買ったのが 9 年前ぐらいで、江戸文学系の論評などを読んでいたら、静観房好阿の『当世下手談義』の紹介があった。興味を感じたので読んでみたら面白い。これがきっかけで、談義本をいろいろ読みはじめた。その過程で出会ったのが、平賀源内の『根南志具佐』(ねなしぐさ)だ。読みながら私は大笑いした。これを、日本古典文学大系 55 の『風来山人集』(風来山人とは源内のこと)で読んだのだが、戯作ばかりでなく、平賀源内の書いた浄瑠璃もひとつ収められていた。『神霊矢口渡』だ。

私はそれまで歌舞伎の脚本は少しは読んでいたが、浄瑠璃がなんだかも知らなかった。せっかくなので読んでみたら、これも面白い。そこで、日本古典文学大系の『近松浄瑠璃集(上下)』を買って読み、私はすっかり近松門左衛門に夢中になってしまった。それ以来、この 5 年ほどのあいだ、常にではないにせよ、継続的に浄瑠璃や歌舞伎を読み続けている。

コロナのあいだはとくに熱心に浄瑠璃を読んでいた。そのいっぽう、私はチュニジアの民話を調べたりしていたので、それもなにかと読んでいた。そして、これは多くの人も同じだと思うが、家にこもって韓国のドラマばかり見ていた。そんなわけで、コロナ期間中の私の頭の中は、浄瑠璃とチュニジアの民話と韓国ドラマによる天下三分の計が実現していた。

当時、必要があって私はジョイスの『ダブリン市民』中の1篇を読んだのだが、急に家から外に引きずり出されたかのようで、しばらくのあいだ、まったく頭に入ってこなかった。

散文

日本語スピーチ大会

板橋区で日本語スピーチ大会があった。ちょっとした知り合いが出場するので、私も見に行くことにした。

板橋区在住、もしくは板橋区に通学・通勤している人が出場できる大会で、今年で 25 回だという。今年は、35 人の出場者が、それぞれ約 3 分のスピーチを行った。

出場者の出身国は、中国が 15 人、次に多いのがミャンマーの 6 人。あとはモンゴル、スリランカ、香港、台湾、タイ、ウズベキスタン、バングラデシュ、オーストラリア、フランス。ほとんどが、日本語学校に通う学生たちだが、中国の場合は、小学生・中学生から 40 代(以上に見える)人までさまざまだった。地域の日本語教室で学んでいる人も多かった。

私はこうした催し物を見るのは初めてだったが、どのスピーチも面白かった。テーマは、日本の印象、日本での生活、家族のこと、自分の人生、人生論、文化論、苦労話、自分の夢などさまざまだ。日本語学習中の人も多いので、間違いがないとはいえないが、どの出場者の日本語もわかりやすく、意味がわからないということはなかった。

ウズベキスタンでは、相手の話を遮って質問するのは失礼にあたるので、日本でアルバイト先で店長の説明を聞いても、わからないことを質問することができずに、はじめは苦労した、という話は面白かった。中国の出場者が中国の悟りについての物語の紹介をしたのもよかった。献血を趣味として楽しむオーストラリアの人や、日本で苦労の末に手にした初給料に感動した中国の人、友達作りの経験を話す中学生、平和について静かに語るミャンマー人など、あげればキリがない。

スピーチ大会の後、私はすぐに帰途に着いた。帰宅して、私は自分が何人もの人生を生きたような感じがしているのに気がついた。たった 3 分のスピーチでも、外国語で話すのは大変だ。だからこそ、母語話者よりも強く、より意識的に日本語を生きなくてはならない。子どもの日本語が無視できないのと同じだ。

初めて見にいった日本語スピーチ大会だったが、これは病みつきになりそうだ。いつの日か私も出場して、生きた日本語で話したいと思う。

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国宝

日本にはビルマからやってきた人がたくさんいる。昔は多くの人が不法滞在で働いていた。しかし、今世紀の初めごろから、不法滞在に対する取り締まりが厳しくなってきた。それで、警察に捕まって、入管に収容されたりする人も増えてきた。それで、多くの人は難民申請をするようになった。というのも、これらの人々が国を出た原因は、軍事政権のせいだったから。難民申請は簡単ではなく、最初は誰もが大変な苦労をしたが、やがて少しずつ、正規の滞在資格を得る人も増えてきた。今では多くの人々が日本で安全に暮らしている。

さて、ビルマからやってきたある男性がいる。私は全然知らない人だ。彼が日本にやってきたのは、もう 25 年以上前のことだ。それ以来、日本で生活している。今の年齢についても私は全然知らないが、少なくとも、私より年下ではない。

そして、驚くべきなのは、この彼がいかなるパスポートもビザも持っていないということだ。つまり「不法滞在(非正規滞在)」なのだ。ビザがなければ労働は違反だ。だが現在、彼は都内のどこかの居酒屋で働いている。しかも店側の信頼も厚い。

もちろん、彼のような人はいないわけではないが、たいていは、数年のうちに、職務質問か何かで捕まって、入管に収容されてしまう。だが、いまのところ彼は警察に捕まったこともない。入管で連泊したこともない。日本の入管だって間抜けではない。その当局に気がつかれぬまま、彼は 25 年以上もの歳月を生き抜いてきた……経済の浮き沈み、たびたびの大地震、コロナ、オリンピック……いったいこの 25 年の間に何発の北朝鮮製のミサイルが打ち上げられたことだろうか?

もう偉業といっていい。いや、この人にビザなどもったいない。ぜひ我が国の人間国宝に指定してほしい。

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この世はなべて偽装難民

あらゆる難民は、基本的にすべて偽装難民だ。なぜなら、この世界のどこにも、この人は難民です、と証明してくれる場所はないからだ。そして、このような「身分保証」のないことこそが、難民の本質だ。だから、難民はいつでもどこでも偽装難民だと疑われる。そのように疑われる人こそ本当の難民なのだ。

正式のパスポートを持っているとはどういうことだろうか。そのパスポートに記された国家の国民であることを、国家が保証してくれるということだ。

だが、難民にはこうした身分保証はない。どこの国際機関もそうした身分保証を発行できない。それぞれの国がそれぞれの事情に従ってこれこれは難民であると決めるだけだ。そして、そこから抜け落ちる人が偽装難民となる。つまり、国は難民を決めると同時に、偽装難民をも決めているのだ。

この事情を知らない人だけが、偽装難民を非難することができる。だが、実際には政府を批判しているに過ぎないのだ(日本では与党の政治家がこれをするのだから恐れ入る)。そして、このような無知な人はこんなデタラメなことすら考え出す。すなわち、その難民とやらの出身国政府が責任を持って、自分の国の難民に「難民証明書」を出して、難民受け入れ国に通知すべきではないか、と。もっともな理屈だ。だが、もしその国にそんなまともなことができるのであるならば、難民など出やしないだろう。

私たちの国、日本では、こうした主張が本気で罷り通りかねない様相を呈している。今や、日本には難民は存在しない。すべての外国人が偽装難民扱いだ。もっとも、日本では外国人が必要なので、そう簡単に追い出すわけにはいかない。

そこで、私から提案したいのだが、難民ビザなどやめて、偽装難民ビザを出したらいいのではないか。日本人にかかればみんな偽装難民なのだから、通常の難民手続きよりもずっと簡単だ。それに、偽装難民ビザなのだから、誰も文句は言えない。

この偽装難民ビザが実現したら、たぶん、「本物」の難民が日本で暮らすために偽装難民になりすます偽装偽装難民が多発することだろう。

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引き波

「東京に住んでいるかぎりは、それほど津波の心配をする必要はありません」と教室に入ってきた教員は、教壇の前に立って見回すと、おもむろに留学生たちに語りはじめた。「もちろん、海の近くに住んでいる場合は注意が必要ですが、東京湾があるおかげで、津波の勢いがある程度弱まるのです」 教員は東京湾の図を書いて、千葉と神奈川が波を受け止めている様子を示した。

「でも、そうはいっても、東京以外の場所、特に海の近くにいるときに、地震が起きないともかぎりませんね。ですから、地震の後に津波がどんなふうに起きるかを知っておくのは大切です。私たち日本人がよく知っているのは、津波が来る前に、海が遠くに引いていくという現象です。これは……」と教員はボードに文字を書いた。

「『引き波』と呼ばれています。もっとも、引き波がなくても津波が来ることがあるそうなので、いつも確実というわけではありませんが。さて、こんなことをいきなり話したのは」と教員は教壇に立ったまま、広い教室を見渡した。ずっと後ろの方で、学生たちがばらばらに座り、彼のほうを不思議そうな表情で眺めている。

「まるで、みなさんが、引き波のように見えたので……」

学生たちはつまらなそうに鼻で笑い、教科書を広げた。教員は、かすかに引き波の音を聞きながら授業をはじめた。

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闘志の燃やし方

私は今、ある厄介な法律トラブルに巻き込まれている。もっとも、弁護士が出る段階にはないが、いずれは出さねばならないかもしれない。

問題は複雑怪奇だ。私は法律のことはよくわからないから、AI に相談している。いろいろと尋ねてみたが、AI によれば、どうやら勝ち目があるのは私のほうらしい。これは心強い、と思っていたが、疑念が萌してきた。

この AI は私が贔屓にしているマシンだが、もしかしたらそのせいで、私に都合のいい返事をしているのでは? そうなら大問題だ、私が欲しいのは太鼓持ちではない、厳格な法的アドバイザーなのだ。

そこで、私は自分の敵対者として AI に助言を乞うてみた。もし、これで AI が厳しめの答えを出すならば、私は勝てるかもしれない。

そして、果たして答えは、敵対者にとって厳しいものだった。「だが」と私は考えた。「これで安心してはいけない。私はもっと、この憎むべき敵対者になりきって、相手を倒すための秘策を AI から聞き出さねばならない。そして、もしこの秘策がなければ、それこそ安全なのだ。AI よ! どうにかしてこいつをやっつけてくれ!」

私は憎むべき敵を倒すのに熱中し、悪辣のかぎりを尽くした。自分の弱点を残酷に告発し、凄惨な罵詈雑言を浴びせた。そしてついに! AI が法という法の穴を潜り抜けて、私を打ち負かすシナリオを見つけたのだった。

「やった! でかしたぞ!」

私はチャットを打ち切った。興奮冷めやらぬ私の胸の奥には、いつの間にか闘志がメラメラと燃え盛っていた。私は、この闘志があるかぎり、法律トラブルを戦い続けるだろう。そして、挫けそうなときには、再び闘志を掻き立てるために、私を敵にしてやっつけることだろう。

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ぜんぜん

私たち日本人にとって「全然」は心の支えだ。なぜなら、この言葉ひとつで、自分の自尊心を高めることができるからだ。

というのも、日本人の頭の中では「全然」はいつも「ない」と結びつくものと決まっていて、「全然ある」など間違った日本語を使う人間を、気持〜ちよく批判させてくれるからだ。なので、日本人はいつも「全然」の使い方に注意を怠らない。

しかし、「ない」でない「全然」はかなり昔から用例があると言われている。なので、間違いとは言い切れない。しかも「全然ある」という言い方にも、ちゃんと否定の論理が働いている。つまり「全然ある」などの表現は、たいてい「(あなたの思っていることは)全然(あり得ない、むしろ)ある」という文脈で用いられる。「全然」は相手の頭の中の想定について「ない」と言っているのだ。だから「全然ある」とか「全然食べるよ」とかは全然間違いではない。

ところで、私は一昨年、タイからビルマに入国して、カレン人の紛争地域を旅した。同行してくれたのは在日カレン人だった。その彼と今日、会ってご飯を食べた。彼は一昨年訪問した場所について日本語でこういった。

「あそこはあの時は行けたけど、今はもう戦争で、全然あぶないよ」

私たちの否定じゃない「全然」が外国人の日本語でも活躍してた。全然いい。

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見えないカッコ

私はビルマ語は読めないが、一時期、ビルマの難民関係の必要で、ビルマ語で書かれた文書をたくさん見る機会があった。それらは、政治団体の声明や論説であったり、手書きの記録だったりした。そのとき気がついたのは、しばしば数字が( )に入れられていることだった。ちなみに、ビルマ文字には、アラビア数字とは違う数字があって、カッコに入っているのはそれだ。

日本語でも、(1)、(2)、と項目の番号をつけるときや、名前の後に年齢を入れるときなどにカッコが使われるが、ビルマ語ではそれだけではないようで、「(10)周年」などと書いてあることもある。

私はビルマ語の書記法はわからないが、こうしたカッコの使い方は義務というわけではなく、数字の視認性を高めるため、それほど公的ではない文書や手書きなどで使われているようだ。

さて、私の知り合いのビルマ人が、私に日本語で書いた文を見てほしいと言ってきた。見ると、数字がカッコで囲まれている。私は笑いながら「これはビルマ語のやり方では?」というと、相手はピンときていない様子だ。

そこで、私は紙に「(6)」と書き、「ビルマ人はよくこう書くけど、日本語ではこう」と「6」と書いた。相手はそれでもピンときていない。

「だから」と私は紙に書いた「(6)」の両脇の「( )」に線を引いて消してみせた。「こういうこと」

相手はようやく理解したようだった。そして、私と一緒に笑ったのだった。

つまり、このとき知人のビルマ人は、私がカッコをペンで消してみせるまで、「( )」の存在に気づかず、「(6)」も「6」も同じように見えていたのだ。だが、この見えないカッコは、私がその人の目の前で消してみせることで初めて姿を現したのだ。

これはビルマ人の習慣の話であるけれど、私にもきっとあるのに見えていないものがあるはずで、誰かがそれを消してくればいいと思う。

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ビルマ人とユダヤ人

この間、日本に暮らすビルマ人とご飯を食べた。焼肉屋で働く彼は忙しくて、なかなか会うことができない。年末前の最後の休みを私との時間に割いてくれたのだった。そのとき、彼が最近関わった仕事について聞いた。

50 人ほどのユダヤ人(イスラエルの人かどうかはわからない)が、日本にやってきたのだという。しかし、ユダヤ教には食べ物について厳しい決まりがある。すべてのユダヤ人が厳格に守るかどうかは別として、このご一行はその辺りはちゃんとしていたいらしかった。なので、日本の食べ物をそのまま出すわけにはいかない。

そこで、東京のホテルに滞在中の 2 日間、専門の料理人が用意されることになった。その仕事の話が、私の友人のところに来たのだという。彼は肉の専門家なので肉料理を担当した。そのホテルの厨房を借りて、ユダヤ人が食べてもいい牛肉を、ユダヤ人が飲んでもいいワインでじっくり煮た料理、つまり牛肉のワイン煮を作って出したのだそうだ。

他にも料理人が 2 人いた。ひとりは寿司を担当したが、もうひとりはわからない。そして、その 2 人も、都内の飲食店で働くビルマ人だった。

3 人ともビルマ人というのが面白い。もちろん日本人がまったく関わっていないということはないだろうが、ほとんどの日本人が知らないなか、東京で思いもよらぬ関係とビジネスが成立していたことに、私は興奮を感じる。

そしてまた、この 2 日間で友人に支払われたという 10 万円についても、興奮を禁じえない。