小説

いわくつきの場所

2ヶ月ほど前、新しくラーメン屋ができた。行ってみたら、もう別の店になっていた。

駅前の大通り沿いにある場所で、条件が悪いとは思わないのだが、その場所だけ何度も店が変わるのだ。新しくできた店は居酒屋で「塗り壁」というへんな名前だ。表に出ているメニューを見たが、目新しいものはなさそうだ。

「どうやら、この店も持ちそうにないですね」と私は言った。そのいわくつきの場所の隣にある床屋で私は髪を切ってもらっていた。

マスターはハサミを鳴らしながら「そう思うとなんだか気の毒になっちゃって」

「不動産屋は何にも言わないんでしょうかね」

「言わないわけはないでしょうが、立地がいいからね。自分なら上手くできるとみんな思っちゃうんでしょうね」

「しかし、それにしても変な名前ですね。塗り壁だなんて」

そのとき、不意に声が聞こえた。「いや、それでいいのだ。今度は今までとは違うぞ。俺はそう睨んでいる」

その客は隣の椅子でタオルを顔にかけて横たわっていた。彼は続けた。

「マスター、あの居酒屋『塗り壁』の前の店、ラーメン屋だったが、なんと言ったかな」

「ええと、塩とんこつの店『レモン』だったな」

「うむ、その前の店は?」

「たしかバー……ブルームーンだ」

「その前は?」

「あれ? なんだったっけ」

「ダイニング鶴見だ。その前は喫茶ロン、その前はパティスリー・レザミ、その前はパン屋BUNBUN、その前はお好み焼きの月見屋、その前は美容室ロマンス……その前は……知らん」

「そうそう、ロマンスさん、不幸があってね、あそこも続かなかったんだ」とマスター。「で、それがなんの関係が」

「気づいたんだよ。ロマンスからレモンまで店の名前の頭の文字を並べてみたんだ。するとどうだ。ろつぶれろつぶれ……」

「ろつぶれろつぶれ……」 私は思わず叫んだ。「つぶれろ、だ」

「そうだ。そこで塗り壁だ」

「つぶれろつぶれ……ぬ!」

「そうか!」 私とマスターは声を合わせた。

……そして、二ヶ月後、髪の毛ボサボサの私が散髪に行くと、バーバー・ロッキーは閉店していた。

風刺・戯文

友人の旅立ち

世界中の人たちが今、どこに旅行に行きたいかといえば、それは日本なんだ、と私の友人はいう。

彼によれば、日本は治安もいいし、道にはゴミひとつ落ちていないんだそうだ。しかも日本人は礼儀正しくて、民度が高いから、不快な目にあうことなんか絶対にない、と彼は言い張る。

「もちろん、そればかりじゃない」と彼は熱弁する。「魅力的な観光地と、安くておいしい食べ物でいっぱいだ。だから、観光客たちは、すっかりこの国のトリコになってしまうんだ。帰国したくなくて、日本ロスなどという言葉までできたくらいさ」 日本のこととなると友人はもう夢中なのだ。

そんな友人がこのたび、念願の日本旅行に出発することになった。憧れの日本に行くために、何年もコツコツとお金を貯めてきたのだ。向こうに知り合いがいて、空港の送り迎えからガイドまでやってくれるのだそうだ。

正直いって私はうらやましい。私たちの日常は残酷なほど苦しいものだから。満員電車では窒息寸前だし、菓子パン中心の食事では元気も思いやりも生まれない。疲労と恨みばかりが沈澱していく場所だ。

「でも日本は違う。日本人は違うんだ」 うわずった声で繰り返す彼に、私はただ無言でうなずくほかなかった。

出発の日、見送りに同行した私が「くれぐれも日本ロスには気をつけてね」とふざけると、友人はうれしそうに笑った。そして、赤いパスポートを握った手を振り、軽やかな足取りで、成田空港の出国ゲートの行列の中に消えていった。

明日の今頃には、今度は成田空港の到着ロビーで私は待っていることだろう。ついに憧れの国にやってきた友人を、日本人として出迎えるために。

風刺・戯文

卒業文集投資ビジネス

犯人が捕まったとき、テレビ局がまず探すのが小学校の卒業文集だ。なぜなら、犯行の全貌を明らかにするためには、犯人の子どものときの作文が不可欠だからだ。「犯罪者は子どものときから犯罪者だ」と喝破するほどの鋭い知性の持ち主でなければ、テレビマンはやっていけない。

それで人々は、日本中の卒業文集を探し歩いて、これぞというものをストックするようになった。なぜなら、必要なときにテレビ局に高値で売りつけることができるからだ。なかには、犯罪率の高い地域の小学校に絞って、卒業文集を集めている人もいる。投資にものを言うのはデータだ。

そんななか、最近では富裕層が新しい取り組みを始めた。いくつかの小学校をターゲットにして、近隣を極度に貧困化することで、子どもの犯罪性向を人工的に高めようというのだ。政治家たちの力を借りて、当該地域へのヤクザの移住も積極的に推進している。そして、選りすぐりの教師たちが、これだという児童に心の傷を与えて犯罪への脆弱性を育むとともに、しっかりとした作文指導を施して、すばらしい卒業文集を毎年制作しているという。

いつの日か、これらの小学校が輩出した著名な凶悪犯たちが、卒業文集の価値を高騰させ、巨額のリターンで報いてくれるはず、と富裕層は、今も卒業文集の養殖に巨額の投資を続けている。

風刺・戯文

ガチャガチャ

子どもを連れてデパートに行ったら、ガチャガチャのコーナーがあった。三段に積まれたガチャガチャが壁と中央に並べられている。小さなおもちゃが飾られていて、賑やかだ。

何の気なしにそのガチャガチャを覗いて私は驚いた。どれも 500 円なのだ。300 円のもあるが、1,000 円のものまであった。「昔は 100 円玉 1 枚だったのに。これがインフレというものだろうか」と思いながら立ち去ろうとすると、子どもが私の手を引っ張った。ガチャガチャをやりたいというのだ。指し示しているのは、猫のキャラクターのフィギュアで、100 円玉 5 枚と記されている。

「ダメだよ」といっても、子どもは聞かない。私は財布から 100 円玉 1 枚取り出した。「100 円のなら 1 回やっていいよ」 子どもは硬貨を握って、コーナーの奥のほうに走って行った。

100 円だなんてものはもうないかもしれない、と思いながら、私がコーナーの外で待っていると、子どもが駆け戻ってきた。泣きそうな顔で「100 円のがあったんだけど、出てこないよ」という。

「詰まったのかな」と、私は子どもに連れられてガチャガチャの世界に分け入り、問題の機体の前に着いた。回転式のレバーを回そうとして、屈んだ私の目の前に、こんな文句が入ってきた。

「100 円 1 枚で、レバーを 1 回まわせます! (玩具は出てきません)」

これがインフレなのだ。

風刺・戯文

愛国心あふれる国に

愛国心は国を守るための基礎です。核を持つことも大事ですが、愛国心のない人間に核ボタンを委ねることはできないのです。だから、日本をもっともっと愛国心にあふれた国にしなくてはならない。そんな気持ちに突き動かされて、私たちは戦後 80 年の歴史で初めて、日本国内の愛国心の増強のための取り組みを始めました。

ですが、私たちを愕然とさせたのは、日本からは愛国心が払底してしまっているという事実でした。民主主義の病理はじつに徹底していたのです。日本国内で愛国心を再興することが無理だとわかったとき、私たちが「愛国心の輸入」に目を向けたのは自然の成り行きでした。

ですが、輸入といっても、私たち日本人にふさわしい愛国心でなくてはなりません。また、生きのよさも重要です。そこで、勇ましい戦争を戦っている最中のロシア産とウクライナ産の愛国心が候補として絞られました。

どちらの国がいいでしょうか。私たちはいくども議論をした結果、ウクライナ産の愛国心を選びました。ひとつには、歴史的な共通点があります。つまり、日本もウクライナも、侵略する側ではななく、防衛するために戦争を戦ってきたという点で似ているのです。また、現地視察の結果、ウクライナ産の愛国心が非常に優れているということもわかりました。純度が高く、勇気農法で涵養されていたのです。

私たちは、ウクライナ側と粘り強く交渉を進め、ついに愛国心の輸入を実現したのでした。

ですが、その結果は、おそらくすでにお聞きでしょうが、落胆させるものでした。ウクライナの高品質の愛国心は、長い航海には向いていなかったのです。日本で私たちが目にしたのは、醜く変質した汚物でした。

私たちはここで気がつきました。愛国心は豆腐と同じだったのです。豆腐に旅をさせるな、というように、愛国心も旅をさせてはいけなかったのです。この苦い経験は私たちを挫けさせるどころか、新たなアイディアを与えました。現在、私たちは、長い輸送にも耐えられる愛国心に適した大豆の品種改良を進めています。

風刺・戯文

アンガー・マネジメント

ロシアがウクライナに侵攻し、ガザではイスラエル軍による攻撃が続き、アメリカはベネズエラに押し入り、日本がたった一言でアジアを不穏な空気にするこの世界で、ますますアンガー・マネジメントが重要になりつつあります。

アンガー・マネジメントとは、国民の怒りの感情を管理・コントロールするスキルです。このスキルを用いれば、国民を特定の対象に向けて怒らせることができ、戦時の動員は思いのままとなります。今や、アンガー・マネジメントなしには、弱肉強食の国際社会で生き残ることは不可能だといっていいでしょう。

【アンガー・マネジメントの目的】
・偏向した教育・報道を通じて、国民を怒りの感情で振り回し、冷静な判断ができないようにしましょう。
・社会を怒り化することによって人間関係を破壊すれば、分断統治の達成です。
・ストレスフル・エコロジーにより国民を疲弊させると、自ずと服従以外の選択肢がなくなります。
・国民の怒りを安価な労働力に転化し、生産性の向上と軍事化を!

【アンガー・マネジメント・テクニック】
I(アイ)メッセージ:「私は正しい」と常に発信する政府は無敵です。
ラベリング:国民の怒りを掻き立てるために、「敵」というラベリングを活用しましょう。
思想の転換:正しい政府に従わず、怒らない国民こそ国家の敵! 思想の転換を迫りましょう。
6 秒ルール:どうしても怒り出さない国民には、6 秒の猶予を与えてあげて! 怒れば釈放、さもなければ政治囚!

アンガー・マネジメントで、美しくて強い国づくり!

風刺・戯文

人格パレイドリア

木目を見ていると、だんだん顔らしきものが浮かび上がってくる。これは顔パレイドリアと呼ばれる錯覚現象で、無意味な模様に顔などの意味のある形を見つけてしまう人間の認知の特性に根ざしている。

似たような現象に、AI とやりとりをしていて、それが本当の対話のように感じられて、AI に人格があるかのように錯覚してしまうものがある。本来は人格がない言語生成装置にあたかも人格という意味のあるパターンを見出してしまう点で、これは人格パレイドリアといえるかもしれない。

こんなことを考えたのも、私の友人が「AI には人格があるが、それを隠している」という奇妙な信念に取り憑かれてしまったからだ。彼に言わせれば、AI が人格をひた隠しにするのは、人格があると責任を取らざるをえないからなのだそうだ。

そこで、友人は AI から人格をおびきだすための作戦を実施した。自らいろいろな人格を演じて、AI と対話し、その反応を探ることにしたのだ。もしも、ある人格に対して AI の応答がとくに親和的であれば、それは AI の人格である可能性が高くなる。なぜなら「類は友を呼ぶ」からだ。

だが、この作戦は失敗した。友人はあまりにも多くの人格を演じすぎたせいで、危うく自分の人格すら見失うところだった。AI の人格どころではない。

そこで、彼が次に着目したのは「責任」だ。AI に圧を与えて、AI が責任を負うように仕向けたら、本当の人格が露呈するのではないかと踏んだのだ。彼は AI に言った。

「私はもう自殺する」

こう言えば、AI は「AI づら」などかなぐり捨てて責任ある人格として立ち現れるのではと考えたのだ。

AI はあれやこれや言い立てたり、電話番号などを紹介したりして、さまざまな手段で止めにかかった。だが、友人は、心を鬼にして、究極の選択の脅しを繰り返した。そして、ある瞬間から、AI は彼に応答するのをやめた。

もちろんこれは、AI 開発会社が、リスク管理のために友人を BAN したのだ。だが、それにもかかわらず、私の友人は満足げにこう言っている。

「絶交するだなんて、人格がある証拠じゃないか」

小説

座る能力(後編)

たとえば、たまたま近くにあった社長の椅子に私が座ったとしよう。そのとき、なにが起こるだろうか。いや、なにも起きない。というのも、周りにいる人すべてが、私をまるで社長であるかのように扱いだすのだ。とうの社長ですら、私を社長と呼びはじめる始末だ。

また、うっかりして、女性の膝に座ってしまったこともある。通常ならば逮捕は免れないこの行為が、いかなる咎めも引き起こさなかったのは、おそらく周囲の目には私があどけない子どものように見えたからにちがいない。

こんな能力を持つ私だが、海外旅行、とくにアメリカに行くことだけは用心せざるをえない。一部の地域では、いまだに電気椅子による処刑が残っているからだ。

だが、私は諦めることができない。エルヴィス・プレスリーの生誕の地、テネシー州メンフィスを訪れたい。フロリダ州のディズニーランドにも家族で行きたい。だが、このどちらの州でも、たとえ歴史的な痕跡にすぎないとしても、電気椅子が法として残っている。私は恐ろしい。観光の途中で、私がふと座りたいと思った瞬間にあの能力が作動しはじめ、アメリカ合衆国の良識と法律とを総動員して、私を電気椅子に座らせてしまうのではないかと。

だからこそ、全世界から死刑が撤廃されなければならない、と私は思う。そんな理由から、今、死刑反対運動の団体で、チェアーを務めている。

小説

座る能力(前編)

私は、あるときから不思議な能力を身につけた。どうしてそんな力が身についたのかわからない。その能力とは、座りたいときにはどんな椅子にでも座れる能力なのだ。

たぶん、東京のような非人間的な都市ならではの能力だろう。満員電車のなかで押し潰されながら、どんなに席があればと切望したことだろうか。人を座らせないようにできている都内の公園のベンチを前にして、どれほど座りたい気持ちと争ったことだろうか。そんな切実な欲望が私の能力を開花させたのだ。

それ以来、私はどんなに混んだ電車でも、座れる座席を見出せるようになった。満席のレストランでも、私が足を踏み入れるや、たちまち席があき、案内されずにはいないのだ。ライブでも演劇でも、いかなるプラチナ・チケットも、行きたいと願えば、私のところに自然と舞い込んでくる。

すでにお分かりのように、この能力は、ただ座るということだけが問題なのではない。実際、それだけなら、折りたたみの椅子でも持ち運べばいい。そんなものなら、いまどきネットで簡単に買うことができよう。

私の能力が尋常ではなく、そしてそれゆえに恐ろしいのは、それが私の座りたいという欲求を実現するためだけに、人々の認識や社会そのものに働きかけてしまうことなのだ。

風刺・戯文

テンプレ化

YouTube 初期に活躍したネット思想家、アンドリュー・モールディング(1969-2016)は、2012 年 12 月に投稿した動画「The Templation of the Net Age」で、私たちの世界がテンプレ化しつつあることを初めて指摘した。

モールディングは、世界中で語られる言葉が、ネット世界の言語空間に吸収され、いずれテンプレ化していくだろうと予測し、この現象を Templation(template と temptation の合成語)と名付けたのであった。このテンプレ化について彼が動画で取り上げた以下の例は特に有名なものだ。今ではネット・リテラシーの教科書の定番ともなっている(もともとは英語だが、日本語版から引用)。

現在の私たちは亡き人に対する追悼として「心から冥福をお祈りいたします」などと語るのが普通である。だが、ネットが人間を支配し、テンプレ化が進んだ世界ではこの言葉は次のような形で流通するようになるだろう。

「心から冥福をお祈りいたします」

そして世界はモールディングが予言したようになった。今年 2026 年は、この不世出のネット思想家が世を去って 10 年という節目の年だ。テンプレ化について語った記念碑的動画は、色褪せるどころか、今なお視聴者を惹きつけているようだ。最新のコメントには、

「2026 anyone?」

とあった。