旅・観察

機内食

飛行機に乗ると、目の前に据えられたモニターでパズルゲームを始める人もいるかもしれない。だが、そんなことをしなくても、パズルの時間はやってくる。

機内食の時間だ。

それはまるで、木の四角いコマを動かすパズルのようだ。私は小さなトレーの中にぎっしり並べられている正方形や長方形の皿、パンやクラッカー、コップ、カトラリーやナプキンを巧みにスライドさせる。そうしながら、前菜からデザートへと進んでいかねばならない。

このパズルは、エコノミークラスの必修課題だ。そもそもエコノミーとは語源を辿れば、古代ギリシア語の oikonomia、つまり「家の管理」だということだ。古代ギリシア人の家はとても小さかったのだろう。だからタンスやベッド、テレビ台の置き場を決めるにあたり、まるでパズルを解くかのように苦労しなくてはならなかったのだ。

「しかし、それにしても」と私はこの小さなトレーを舞台に知的格闘を繰り広げながら、疑問に思う。「何ひとつ落とすことなく、食事を済ませることのできる人などいるのだろうか」と。

というのも、皿のプラスチックの蓋はまるでUFOのように飛び出していくし、丸めたナプキンは必ず他のゴミを外に弾き出そうと膨張しだすからだ。コップだって、中身をぶちまけてやろうとかねてから虎視眈々だ。

これらのことに気を取られているあいだに、私はフォークを落としてしまった。それは足元の鞄の上に乗っている。まだ大丈夫だ、と手を伸ばすと、それは鞄から滑り落ち、地の底に飲み込まれていった……。

なんとか苦労して食べ終えたが、それからたっぷり一時間、いかなる乗務員も訪れることなく、トレーは私たちのテーブルの前に置かれていた。食後の時間をゆっくり楽しむのも、やはり必修課題とみえる。

旅・観察

出発

今日は台風だというので、私は朝から羽田空港の運行情報をいくども見ていた。国内便も国際便も欠航と遅延ばかりだ。

だが、私が乗る便はそのリストにはなかった。家を出るギリギリになっても欠航にならない。ならば行くしかない。スーツケースを運び出すとものすごく重い。大雨と荷物と先行きの見えない状況に私の足取りは重かった。

電車の遅延もありうるので早めに家を出た。だが、普通に空港に着いた。

フライトの掲示板を見ると、欠航・遅延の表示に囲まれて、私の乗る便が平然と点灯していた。仕方なくチェックインの列に並ぶ。私の番が来てカウンターにパスポートを渡し、スーツケースをレーンの上に乗せた。

二九キロ。やはりだ。

カウンターの人が二十三キロまでだと告げる。超過料金を払うか、さもなければ、スーツケースから荷物を取り出さねばならない。場合によっては捨てなくては、と覚悟を決める。すると、列を案内しているスタッフがやってきて、話しかけてきた。この便では一人二つまで荷物を預けられて、それぞれ二十三キロまで大丈夫だ、と。

驚くべき言葉だ。だが冷静に確認する。「二つ合わせて二十三キロですか?」

「いえ、一つが二十三キロ以内で、二つまで大丈夫です。荷物の整理はあちらでどうぞ。終わったらお声がけください」

私はたちまち荷物を二つに分け、カウンターに戻った。量ると二十三キロと十キロだ。案内役のスタッフが「でかした」とばかりにうなずいて、立ち去った。

搭乗券の発券を待っているあいだ、隣のカウンターのスタッフたちの話し声が聞こえた。

「手裏剣をお持ちの客様が……」「ちょっと問い合わせてみましょう……」

私は笑いを堪えながら、出国ゲートに向かった。

風刺・戯文

友人の旅立ち

世界中の人たちが今、どこに旅行に行きたいかといえば、それは日本なんだ、と私の友人はいう。

彼によれば、日本は治安もいいし、道にはゴミひとつ落ちていないんだそうだ。しかも日本人は礼儀正しくて、民度が高いから、不快な目にあうことなんか絶対にない、と彼は言い張る。

「もちろん、そればかりじゃない」と彼は熱弁する。「魅力的な観光地と、安くておいしい食べ物でいっぱいだ。だから、観光客たちは、すっかりこの国のトリコになってしまうんだ。帰国したくなくて、日本ロスなどという言葉までできたくらいさ」 日本のこととなると友人はもう夢中なのだ。

そんな友人がこのたび、念願の日本旅行に出発することになった。憧れの日本に行くために、何年もコツコツとお金を貯めてきたのだ。向こうに知り合いがいて、空港の送り迎えからガイドまでやってくれるのだそうだ。

正直いって私はうらやましい。私たちの日常は残酷なほど苦しいものだから。満員電車では窒息寸前だし、菓子パン中心の食事では元気も思いやりも生まれない。疲労と恨みばかりが沈澱していく場所だ。

「でも日本は違う。日本人は違うんだ」 うわずった声で繰り返す彼に、私はただ無言でうなずくほかなかった。

出発の日、見送りに同行した私が「くれぐれも日本ロスには気をつけてね」とふざけると、友人はうれしそうに笑った。そして、赤いパスポートを握った手を振り、軽やかな足取りで、成田空港の出国ゲートの行列の中に消えていった。

明日の今頃には、今度は成田空港の到着ロビーで私は待っていることだろう。ついに憧れの国にやってきた友人を、日本人として出迎えるために。

風刺・戯文

遥かなるゲート 2025

私たちが乗る飛行機の搭乗ゲートはなぜいつも遠いのだろうか? どうして出国審査カウンターを抜けたら、すぐゲートというわけにはいかないのだろうか? どうしてゲート 1 ではないのだろうか?

私たちは行先を知らせる表示を見て思う。「わっ遠そうだなあ」 その通り、確かに遠いのだ。私たちは、豪華な品々が並ぶ免税店を尻目に、長い回廊を歩き出す。表示の指すのは、通路のずっとずっと向こうの消失点の先だ。私たちは動く廊下をいくつも乗り継ぐが、その度にゲートが遠ざかっていくみたいに思える。私たちの脇を乗客を乗せた電動カートが何台も通り過ぎていく。どの車も乗客でいっぱいだ……。

そして、私たちの目の前に、エレベーターが現れる。それを下りた私たちは歓声を上げずにはいられない。空港のシャトルトレインの乗り場だったのだ。「ようやく!」と、いさんで乗り込む私たち。だが、トレインが運んで行った先には、変わり映えのしない長い回廊が広がっているだけだ……。

この頃には私たちの数はぐんと減っている。遥かなるゲートへの旅の途中でいく人もの仲間が落伍していった。彼らが託した搭乗券の束で、私たちのポケットはパンパンだ。

だが、いつかゲートに辿り着くときが来る。私たちは搭乗券を見せて、飛行機に乗り込む。シートに座り目を瞑り、長い旅の労苦と消え去った仲間たちの面影を思い出す……。

飛行機が飛び立つ。私たちは機内アナウンスによって、ただ別のターミナルに向かっているにすぎないことを知る……。