風刺・戯文

新たな循環

循環的時間とは、農耕民族である日本人に特有の時間観です。農耕は季節の移ろいとともに始まり、そして終わります。春、夏、秋、冬、そして再び春が来て、季節が巡るのです。私たち日本人にとって時の流れとは、このような循環にほかなりませんでした。

しかし、近代になると、欧米の直線的時間が日本に入ってきました。循環的時間では、過去は巡り巡っていつか未来になります。ですが、直線的時間では、過去は永遠に過去のままなのです。このような時間の捉え方は、狩猟民族に特有のものだといえます。なぜなら、獲物を捉えるため、まっすぐ走る必要があるからです。

直線的時間が日本に導入されると、徐々に循環的時間が失われていきました。また、日本人の生活スタイルも変化したため、四季の移ろいそのものが身近なものではなくなりました。その結果、日本人は循環的時間を忘れてしまったのでした。

ですが、最近、日本人が新しい循環を生み出しているのが発見されました。それは、次のようなものです。

ある人をもてはやす>好感度上がる>急にバッシングが始まる>炎上する>焼け野原になる>再びある人を持ち上げる>急に叩き出す(以下、繰り返し)

この循環は季節ではありませんが、日本人の心の中ではまるで四季の移ろいのように循環しているのです。そんなふうに考えると、炎上もまるで夏の風物詩のように思えてきますね。

散文

進化への促し

9 月の半ばに、iPhone の新しい OS、iOS 26 がリリースされた。私はさっそくアップデートしたが、それ以来奇妙な問題に悩まされている。

私は尻のポケットによく iPhone を突っ込んだままにしている。どういう具合かわからないのだが、いつの間にか音量が上げられ、聴いている途中の音楽やラジオが再生されてしまうのだ。周りにその音が聞こえて恥ずかしい思いをする。

また、私はシャツの胸のポケットに iPhone を入れておくこともある。すると、やはり勝手に音楽を流したり、止めたり、別の曲の演奏を始めたりするのだ。

私は iPhone をケースなしの裸で使っている。そして、尻のポケットにせよ、胸のポケットににせよ、内側に向けて入れている。とすると、私の iPhone を勝手に操作している犯人は、私の尻と乳首しか考えられない。

思えば、男性の尻と乳首は不思議な存在だ。まず尻だが、女性の尻に比べて男性の尻は小さい。これは不必要だから進化の過程で縮小してきたものと考えられる。そして、乳首は言わずものがなだ。男性の乳首は進化に取り残された不要物だ。

男の尻と乳首、進化の過程で見捨てられた存在が、なぜ今になって急に iPhone を操作しはじめたのだろうか。新しい OS に仕組まれた AI が、これらの不要物に進化を促している、そんな気がしてならない。

小説

笑って長生き

人間は笑うと、ストレスホルモンが減少し、免疫力が高まる。ガンだって消えてなくなる。つまり健康になる。とすると、笑い続けることは健康であり続けること、そして、健康でいるかぎり人間は死なない……

この真理に到達したその日から、私の友人は笑い続けている。笑い声をたて、腹を抱え、涙を流し笑い続けている。もちろん、笑えることがそんなにあるわけではない。独自に考案した化学的な刺激により、可笑しみが脳内に醸成され、それが半永久的な笑いの爆発を引き起こしているのだ。

彼は始終笑い転げている。笑いすぎて何も食べることはできない。口に入れたものを吐き出してしまうのだ。なので、管を体に入れて栄養補給している。それに、ぐっすり眠れもしない。かわりにほんの数秒ほどの睡眠を数分おきにとっているだけだ。排泄も難しく、体はいつも汚物で汚れている。人間は笑いながら排泄するようにはできていないということがよくわかる。

私はしばしば彼のところに行き、時間を過ごす。もっとも、彼が私のことを認識しているかどうかはわからない。なぜならその目はまったくうつろだからだ。だが、ときどき、その目に苦悶と悲しみがよぎるとき、私は彼の視線を感じる。ほんの一瞬だが、殺してくれと目で語りかけられたような気がする。私はむしょうにおかしくなって、笑いが止まらなくなり、しまいには彼よりも大きい声で笑ってしまう。

風刺・戯文

ラブホ市長

……素晴らしい公約を掲げて市長に立候補したその人が、市長として初めて市役所に入ったとき、市民の誰が今の市役所を想像できただろうか。

「市にガラスばりの政治を!」と訴えた市長は、早速、市役所内をガラス張り、いや鏡張りにした。そして、「公平で透明な政治を!」という公約によって、トイレも浴槽もスケスケになった。さらに「市民の目の行き届く市政を!」が実現した結果、デスクも、椅子も、ベッドも回転しだした。こうすると、市民があらゆる方向から政治を見られるというのだ。しまいには「風通しのよい市役所を!」のために、大胆にも市役所に露天風呂が作られた。

今や、市役所は、妖しい赤い光とネオンライトに包まれている。このムード満点の市役所に用のある市民は、暗いとばりの下ろされたガレージか裏口からこっそり入らねばならない。入ると、壁にパネルがあるのに気づくだろう。市民は、それらのパネルの中から用のある部署を探し、ボタンを押し、受付の小さな穴から鍵をもらうのだ。このシステムは「わかりやすい市政」のために考案されたものだが、市民にとって困ったことに、いつだって満室なのだ……

ライブ

『コントの虎 漫才の狼』

ヤーレンズは今、単独ライブツアーの最中で、私は抽選に何度か応募したのだが、すべて外れてしまった。だが、たまたま、ヤーレンズとジグザグジギーのツーマンライブ『コントの虎 漫才の狼』が開催されるというのを聞いた。ヤーレンズも見られるし、ジグザグジギーも面白い。これは行かない手はない。そこで、9 月 25 日、中野のなかのZERO小ホールに行った。

このライブは今回で 8 回目、2 年半ぐらい前から続けているということだった。今回は初めに 4 人でのトークがあって、それから、ジグザグジギー、ヤーレンズの順で交互に 3 本ネタをした。ネタは以下の通り。タイトルは勝手につけたもので、あまりネタバレにならないようにしている。

ジグザグジギー①「結婚式」(コント)
ヤーレンズ①「スナック」(漫才)
ジグザグジギー②「心霊現象」(コント)
ヤーレンズ②「結婚」(漫才)
ジグザグジギー③「文化祭」(コント)
ヤーレンズ③「ラーメン」(漫才)

ジグザグジギーはすべて新作。②の評判がいいようだが、私は③がいちばんくだらなくて笑った。ヤーレンズは順に旧作、準新作、新作。今年も M-1 の決勝候補のひとつと目されているヤーレンズだが、賞レースの短く切り詰めた漫才ではなく、遊びの多い漫才を見ることができた。なかなかネタに入らないということは聞いていたが、特に①がそうで、22 分の長さだった。③は新作のせいか遊びは少なく、M-1 の予選でやってもおかしくない。

風刺・戯文

解放の祝祭

街中で歓声が湧き上がり、喜びの足踏みと手拍子が鳴り響く。あちこちで祝砲が弾ける。

もう恐れるものはなにもない。恐怖は過ぎ去り、解放の瞬間が訪れたのだ。私たちは民族の服を着て外に飛び出す。誇らしげに舞い踊る。私たちの街が異民族の魔の手からついに逃れたこの日を喜ばずしてなんとしよう!

誰もが抱き合い、お祝いの言葉を投げかける。誰もが同胞愛に満ち溢れてる。民族の名のもとに互いに許しを乞い、新たな時代の到来の名のもとにすべてを水に流すことを誓い合う。

ついに私たちは民族の解放を勝ち取った! 街中が解放の祝祭の会場だ。音楽に歌、太鼓にかけ声、乾杯の音、笑い声、涙声、口づけの音。重苦しかったこの街が一瞬にして花開き、生の喜びに煌めく。恐ろしい異民族はもう絶対に来ないだろう!

ああ、この日のために私たちは、どれだけ戦ったことだろうか。どれだけ激しく抗議の声を上げたことだろうか。虚偽に満ちた市役所をどれだけ電話責めにしたことだろうか!

私たちはこの民族の勝利の日をとこしえに記憶し、言祝ぎ続けるだろう。「ホームタウン」事業がついに撤回されたこの日を。

風刺・戯文

外国人労働者

私たちの国には、外国人労働者はいません。昔はいました。ですが、私たちはこれがイヤでした。なぜなら、外国人は私たちの文化を尊重せず、好き勝手にふるまい、私たちの国を少しずつ破壊していったから。そこで、私たちはオレンジ党に投票して、外国人を追い出してもらいました。

でも、ひとつ大きな問題が残りました。私たちは外国人を働かせていましたが、その仕事をする人がもういなくなってしまったのです。私たちの国は深刻な労働力不足に陥りました。そこで、私たちが取り組んだのが、国産外国人の開発でした。

いくどかの失敗の末、私たちはついに純国産外国人労働者の生産に成功しました。今や、これらの国産外国人労働者は国内のあらゆるセクターで厳しく危険な労働に従事しています。私たちの生活は楽になりましたし、国産外国人労働者を海外にも輸出しているので経済的にも潤っています。

やがて私たちはこれらの外国人労働者にひとつの問題があるのに気がつきました。それは老化です。国産といえども、老人になります。そうなったら働けないので廃棄するしかないのですが、これにはかなりのコストがかかることが明らかになりました。私たちはさらなる開発を進め、ついにこの問題を克服しました。今では、国産外国人労働者はある時期が来ると脱皮してもとの若い労働者に生まれ変わります。

私たちが生み出しておいていうのもなんですが、国産外国人労働者は不思議な存在です。いつもは黙々と働いていますが、私たちが声をかけたりすると曖昧な笑みを浮かべます。いつも何を考えているかわからない顔つきですが、穏やかで礼儀正しいです。

ときどき、私たちは奇妙な想念にとらわれます。これらの国産外国人労働者にも大和魂があるのだろうか、などと考え込まずにはいられないのです。

風刺・戯文

ブラックホール人

私たちの市で博士と呼ばれている人が、ブラックホールを発見したと、市役所の前で発表した。藪から棒に星の世界へのロマンを掻き立てられた市民は博士を取り囲み、口々に質問した。どこに? どうやって?

「ご覧にいれましょう」

博士は市民を引き連れて、市役所の近くにある公園に向かった。そして、公園の入り口にあるポストの前に立つと、こう告げた。

「これがブラックホールなのです。何年にも渡り、このポストを観測してきた結果、その結論に達したのです」

市民はこう尋ねずにはいられなかった。「どうしてわかったのですか?」「エビデンスを示せ!」

「その証拠はこれです」と博士は手帳の1ページをを見せた。そこには日付が並べられていた。「ここに書かれている日付は、私がこのポストに手紙を投函した日です。そして、その手紙はどれも届かなかったのです! つまり、このポストの中に入ったら最後、どんなものすら外に出てくることは不可能なのです。そんなことを起こしうるのは、全宇宙でブラックホールだけです!」

だれもが博士の慧眼に感嘆し、興奮して叫んだ。「こんな田舎にそんな大したものがあるとは!」「市の誇りだ!」

ちょうどその様子を見ていた郵便配達員、大急ぎで郵便局に戻ると、郵便局長に公園の「ブラックホール」のことを話し、こんな告白をした。

「もうしわけありません、配達を終わらせることができず、何通もの手紙を勝手に捨てていました!」 

……結局、局長はいろいろな事情から、配達員の「犯罪」を隠蔽せざるをえなかった。それで、ブラックホールという嘘が1日でも長く続くように、今では局長は、誰かが来るたびに、ポストに仕掛けたマイクでこんなふうに話しかけている。

「聞こえますか……聞こえますか……私はブラックホール人……」

散文

阿弥陀胸割異聞

「阿弥陀胸割」とは、昔の語り物のひとつで、落ちぶれた姉と弟の物語だ。

ある金持ちがいて、その息子が病気でもう死にそうときた。医者がいうには、病気を治すには、同い年の娘の生肝が必要なのだという。そこに現れたのが、姉と弟。姉は条件にぴったりだ。金持ちが事情を話すと、姉は、弟の面倒を見てくれるならばと、引き受ける。

息子の病が重くなると、金持ちは姉と弟のいる阿弥陀堂に人をやり、姉を殺し、生肝を取らせる。その生肝を食べた息子はたちまち回復だ。後になって、阿弥陀堂に行ってみると、姉と弟が無傷で寝ている。その傍らには、胸が割れて血に染まった阿弥陀仏が。なんと身代わりになってくれたのだ……。

私はこの物語を読んで、ひらめいた。

実は私の友人で焼肉屋で働く男が、禁制のレバ刺しを内緒で食べさせてやると誘ってくれたのだ。私としては行きたいのはやまやまだったが、運悪く当局に踏み込まれたりしたら、厄介なことになるのではと二の足を踏んでいた。

だが、万が一そんな事態になっても、もう大丈夫。持参の胸の割れた阿弥陀像を当局に見せて「生肝はこっちの」と主張すれば、なんとか切り抜けられそうではないか……。

風刺・戯文

人類の繁栄

我々人類とネアンデルタール人が交雑していた、というのはもはや常識であるが、これはとりもなおさず、人類とネアンデルタール人が結婚していたということを意味する。いや、そればかりではない、離婚していたことも同様にはっきりしているのだ。

というのも、もしも両人類が末長くむつまじく添い遂げていたら、我々は今頃、ネアンデルタールとホモサピエンスの中間の人類となっていただろうからだ。

では、いったい、人類とネアンデルタール人はどのような理由で離婚したのだろうか? 性格の不一致、いや種の不一致だろうか? それとも、浮気だろうか? 相手が別の原人と手をつないでほら穴から出てきたところを写真に撮られて、それが動かぬ証拠となった、という可能性も否定はできない。

もちろん、離婚の理由は化石には残らないから、なんともいえない。だが、ひとつだけはっきりしていることがある。離婚後の子どもたちの親権は、必ず人類のほうが獲得したということだ。これが、その後の人類の繁栄につながったのだし、逆を言えば、これこそがネアンデルタール人絶滅の真因となったのだ。

現代も古代も、いい弁護士が大事だということだろう。