小説

立ち仕事

ビルマ人の友人の病室は 8 階の大部屋の窓際にあった。すべてのベッドはカーテンで閉ざされていて、見舞いに来た私たちは、私たちの呼びかけにビルマ語で返事があるまで、彼がどこにいるかわからなかった。

彼は上半分を上げたベッドに両足を放り投げて横たわっていた。窓とベッドの間には車椅子が置かれていて、私はわずかな隙間に身を滑り込ませて、彼の傍に立ったが、他の 2 人のビルマ人はベッドの足元から内側に入ろうとしなかった。そのうちのひとりが気を使って私に車椅子に座るように勧めたが、私は断って立ったままでいた。

友人は、手術で膝の関節をシリコンにしたのだった。リハビリも大変だし、トイレも車椅子に乗せてもらわねばならないと、力ない声で言った。同行したビルマ人が「日本に来たビルマ人は、みんなこの膝の病気になりますよ」と言った。

居酒屋などで、何時間も立ちっぱなしで仕事をするからだそうだ。そういう彼も居酒屋でもう何十年も働いていた。

「へえ、それは大変ですね」

私がこう答えると、彼はハッとした顔をした。そして、私の膝の関節まですり減りだしたかのように、慌てて車椅子に座らせようとしたが、私は断った。

散文

構造の外(2)

曇り空の下、新宿の高層ビルが立ち並んでいた。私は世界でも有数の都市が一望できる場所にいたのだった。銀色の巨大な建築物が群れ集うその光景を見て、私は冷たい美しさを感じずにはいられなかった。そして、かつてある韓国の知人が、東京の夜の街を歩きながら私にこう言ったことを思い出した。「今、自分が『あの東京』にいると思うと、飛び跳ねたい気分になるんです」 その人はもう東京で何年も働いているのだった。

私は東京にいてもなんにも感じないし、むしろイヤな気分になることが多い。この病院に辿り着くまでに通り抜けねばならなかった人混みは、不快でしかなかった。だからこそ、私は韓国の知人のこの言葉を記憶していたのだが、この違いはなにに起因するのだろうか。それは、韓国の知人が東京を外から眺めていたのに対して、私は東京の内部の存在としてこの都市を捉えていたからにちがいない。そして、おそらく同様にちがいないのは、私がソウルに滞在するときに感じる興奮を、この韓国の友人は共有しないだろうということだ。なぜなら、そのとき、私は外部からソウルというやはり世界有数の都市を眺めているのであり、いっぽう、ソウル人でもある友人は内部の人間としてしかこの都市を見ることができないから。

私がこのブログに書くものは、たいてい人間が冷酷な構造に飲み込まれていくものばかりだ。私にとって世界とは、どんな人間も最後には挽肉にせずにはいられない残酷な機械だ。私がそんなふうに感じるのも、私がこの構造に飲み込まれている人間だからだ。だが、この構造自体はきっと外から見たら、美しいのだろう。

だが、その美しさはどんなものだろうか。挽肉製造機が美しいのだろうか。銀色にピカピカで、粉砕機のモーター音がリズミカルで、いつまでも見ていられるのだろうか。それとも、それとは違った人間的な美しさがあるのだろうか。外からみれば、高額な医療費も少しは減額されているのだろうか。

散文

構造の外(1)

ビルマ人の友人が入院したというので、2 人のビルマ人とお見舞いに行った。病院は新宿にあり、彼の病室は 8 階にあった。エレベーターの中で私は「入院でも 8 階なら、いい景色が見えて楽しそうですね」と冗談を言った。

もっとも、彼の病室に行ってみると、大部屋だし、暗いし、ブラインドは閉められているしで、楽しそうでもなかった。それに彼は高額な医療費についても心配していて、私の顔を見るや、減額の可能性について尋ねた。だが、これは平日に病院のメディカル・ソーシャル・ワーカーに相談するほかなかった。私たち 3 人が友人を囲んで話していると、看護師が来て「他の患者がいるので、談話室に移動してください」と言って、友人を車椅子に乗せ始めた。

談話室は病棟の中央にあり、大きな窓が開けていた。私たちはベンチに座って、車椅子の友人と話を続けた。最初は、手術のあとに尿管を抜くときの痛さの話だったが、やがて永住ビザの話になった。最近は厳格化が進んだということで、300 万円以上の年収が 5 年続かないと、申請してもビザが降りないのだという。

「その収入は家族全体の収入ということですか」と私が聞くと、同行したビルマ人が家族ひとり増えると、必要な年収が 70 万円高くなるのだと答えた。つまり、妻子がいると、440 万円以上の年収が必要ということになる。

「奥さんが働いている場合はその収入も加えることができるのですか」と聞くと「そうです」と返事が返ってきた。共働きで 440 万円なら難しいということはないかもしれないが、どちらかが病気で倒れた場合はそう簡単にはいかないだろうと思った。

ビルマ人たちはやがてビルマ語だけで会話を始めた。私はわからないので、窓から景色を眺めていた。

風刺・戯文

電車の広告

電車にはいろいろ広告が貼られているが、最近よく見るのが、何かの支援団体が寄付を呼びかけるものだ。女性の顔が大きく中央に配置され、こんな言葉が書いてある。「娘を持つ母親として、女の子に教育を受けさせない地域があってはいけないと思って寄付しました」とか「生理になると女の子が隔離され、学校にも行けない地域があるなんて信じられない」とか、語っているのだ。

私はこうした広告戦略はあまりよいとは思わない。問題となっている地域の背景を抜きにして語ることの乱暴さ、そして、女性の「善意」が利用されていることの不快さ、さらに、その地域の女性とそれについて語る女性という二重の女性性を男性の目を惹きつけるのに利用する狡猾さ……

そして今日、ぎゅうぎゅうの満員電車の中、ようやく頭を上げた瞬間に目に入ってきたこの広告を仰ぎ見ながら、私は思わずにいられない。今にも窒息しかけたり、パニックを起こしかけたりしている私たちについて、この広い世界のどこかで、今も電車の広告が「仕事に行くのに電車の中で押しつぶされて死にかけている人々がいるなんて、と思って寄付しました」と語っていることだろう、と。

風刺・戯文

男たちの危険な遊び

この世界には、口に出しては言ってはいけないことがあるの。そう、男たちが言わないで我慢している言葉がある。なぜなら、口にすると世界を取り返しがつかないくらいに変えてしまうから。男たちにはこんなことは言えないわ。男の言葉は本気だからね。だから、言いたくてもただぐっと口を引き絞るばかり。

でも、歴史のある時点で、男たちはこの言葉を世界に向けて射出する方法を見つけたの。それは私たち女の口を使うこと。男たちは自分の代わりに女たちに危険な言葉を言わせる方法を編み出したの。男たちは、女が言うなら大丈夫だって考えたのよ。どうしてかというと、女や子どものいうことなど、誰も本気にしないから。

それに、もし誰かが本気にして怒り出しても、男たちは自分が言ったんじゃないって言い張れるし、その人が女に危害を加えようとしても守ってやればいいって思ってた。そう、絶対に、男は自分は損しないって踏んでたの。

女たちは男に代わって危険なことを言いつづけたわ。絶対に世界を変えない安全で危険な言葉。男たちはその言いたくても言えなかった言葉を聞きに、女の周りに集まった。女が口を動かすたびに、男たちは快感に身震いしたわ。

でも、女の口を使った男たちの危険な遊びは長くは続かなかったの。快楽に溺れた男たちはもっともっとその言葉を聞きたくて、いちばん淫らな口をした女に自分たちの持っているものすべてを与えたの。

そのせいで、女の言葉は本気になった。で、私たち女も、男たちも、今、炎に包まれた世界で生きているってわけ。

散文

擬人化

私たち人間の認識に備わっている基本的な装置のひとつは擬人化だ。私たちにとって人間を認識できるか否かは重要なので、認識の癖として、なんでも人間だと捉えるようになってしまったのだ。

私たちがペットの犬が笑ったり、悲しそうにしたりしているように思うのも、この擬人化の結果だ。動物学者は擬人化をしないように動物を見る訓練をしているから、そうはみないし、別の言葉で説明する。もっとも、ペットを人間扱いしても大した問題は起こらない。だが、擬人化によっては大きな問題を引き起こすこともある。

それは陰謀論だ。陰謀論はあらゆる出来事の背後に人間の存在を見るが、これも世界を過剰に擬人化したものといえよう。

擬人化について興味深いのは、私たちは人間も擬人化することだ。人間だから擬人化して当たり前だろう、と思うかもしれないが、私たちも動物の一種であり、動物的な性質がいくつもある。だが、こうしたことに普段は気がつかないのは、私たちが人間を擬人化しているからだ。

また、私たちが互いに言葉を交わし、理解した気になるのも、相互に擬人化しているからだ。とすると、擬人化が相互理解の鍵となっているということとなる。これはまさしくそうで、擬人化の停止が起きるとき、大量虐殺もともにやってくる。

このような悲惨な事例を持ち出さずとも、私たちは外国人や精神病の人や貧困層に対しては擬人化を控えめにして、人間として扱わないように努めている。それどころか、「野蛮」「空気を読まぬもの」「臭い」「乱暴」「けだもの」などと動物の一種として認識している。

そこで思うのだが、もしかしたら、本当の動物、犬や猫、象や熊も実は人間で、ただ私たちが擬人化できないだけなのではないだろうか。動物は人間なのだが、私たちはそう認識することができないのだ。

狐や狸は人間に化けるというが、化けるというより、むしろ元の姿に戻ったというべきであろう。

ライブ

ザ・シスターズハイ+ネコニスズ

ザ・シスターズハイとネコニスズの「ツーマンライブ」が新代田 FEVER で開催された。これは、ザ・シスターズハイの渡邉九歳(Vo/Gt)とネコニスズの舘野忠臣が似ているということで、「ネタ」という曲の MV に舘野忠臣が出演したのがきっかけということらしい。ライブとしては「君の嫌いに、嫌われたい tour 2025」のファイナルということだ。

芸人が「対バン」なわけだが、これが本当にその通りだった。つまり、最初の 15 分ぐらいネタをやるだけ、というものではなく、前半の 50 分まるまるネコニスズの時間という「ストロング・スタイル」だ。私はネコニスズの単独も見たいと思っていたので、うってつけだ。

もっとも、ネタそのものは 2 本ほどで、あとは若者ばかりの会場で、おじさん「芸人が苦しむさま」を見せる、というおそらく単独でも見られないような時間で、これはこれで面白かった。明日の R-1 の一回戦に出るというヤマゲンの初おろしのネタや、その前の年の「赤ちゃん」の R-1 ネタの披露に及んだのも楽しい。

その後のザ・シスターズハイは、曲もしっかりしているし、演奏も派手なので、聴いていて飽きない。客は若い人ばかりで、演奏が始まるや、片手を上げてノリ出した。みんな楽しそうだ。年齢的に私は少し場違いな気もしたが、結局のところ、音楽は年齢を超えた。「ネタ」も良い曲だ。

プロの芸人の後ということで、MC で話すのも緊張するとのことだったが、渡邉九歳の話が印象に残ったので記しておく。開演前に舘野忠臣とタバコを吸っているときに M-1 の敗者復活戦のことを聞いたのだという。すると「食いぎみに『勝ちたい』と返事してきた。自分も『売れたい』と口に出していうから、大人になってもこういうふうにはっきりと言えるのはかっこいい」と。

こんな言葉からもわかるように、ザ・シスターズハイは陽性のバンドだ。それにしても、私には、はっきりと「したい」と言えることなどあるかな、とまるで若者のように考えた。

風刺・戯文

ギブミーガン

アメリカ大統領が日本にやってくると「日本でも銃を自由化せよ」と圧力をかけた。おりしも存立危機事態のことばかり考えて夜も眠れない状態だった日本の首相、内心「これは国民皆兵にうってつけだ」と考えて、得意の英語で「ダー」と返事をした。

たちまち日本に銃を積んだコンテナ船がやってきて、米兵たちがまるでチョコレートでも配るように、「ギブミーガン」と群がる日本人に銃を撒き散らした。

人々はさっそくあちこちで銃乱射に精を出した。撃ち鉄たちが満員電車に向けて銃を乱射すれば、乗客も駅員も撮り鉄も過去の因縁を忘れて仲良く撃ち殺された。銃をもったクレーマーときたら、もう無敵で、病院の待合室、携帯の売り場、コンビニのレジ、クレームのクの字が出る前に、銃口から弾丸が飛び出た。ラーメン屋では年がら年中イラついている店主と客が撃ち合い、ラーメンに血のトッピング(無料)だ。学校では銃撃の音がチャイム替わりで、子どもたちは逃げ足ばかり早くなった。

アメリカの大統領は日本での事態を受けて、声明を発表した。

「アメリカで銃乱射事件が多発しているなど、フェイクニュースだ。日本に比べれば銃乱射が少ないくらいだ。銃規制など必要ない!」

日本の政治家たちは、よその国を使って銃規制派をやっつけるアメリカのやり方に感心するあまり、日本が存立危機どころかもう存立すらしていないのに気がつかなかった。

散文

自由な話

去年、ポーランドに行ったとき、行きの飛行機で隣に座ったポーランド人の青年に話しかけられた。なんでも 1 ヶ月北海道に滞在して、いろいろな電車に乗ったのだという。彼はいろいろ旅のことを話してくれたが、私は電車に興味がないので、よくわからないことも多かった。

飛行機は早朝ワルシャワに着き、私たちはそこで別れた。ポーランドの地方都市に住む彼は、国内便に乗り継いで戻り、その足で会社に行くという話だった。そんなふうに長期の旅行などできない私は、ずいぶん自由な話だ、と思った。

それから 1 年以上たち、その彼から、2 日ほど前、LINE メッセージが送られてきた。東京に行くから会わないかというのだ。ここ 1 〜 2ヶ月、私は余裕のない状況が続いていて、時間を割くことなどできなかったが、思えばこれまでいろいろな外国人のお世話になっている。それを考えると、断るわけにはいかない。私は彼と会い、居酒屋で夕食を食べた。

そして、話を聞いて驚いたのだが、彼が来たのは実は 9 月だというのだ。この 3 ヶ月の間に北海道から鹿児島まで旅をしたのだという。やはりいろいろいな電車の話をしてくれたが、私はわからないのでやはり聞き流した。

「しかし、3 ヶ月の休みなんてよく取れるね」と私がいうと、彼はこう答えた。「いや、勤めていた会社が潰れて、それで来たんだ」

数日後に日本を発つ彼は、韓国に 1 週間ほど滞在してから、ポーランドに帰国するという。自由な話だ。いや、むしろ、不自由な話だ。

散文

人類の進化

彼は、自分の書いたものを AI に読ませてみようと思った。そうしたら「読者はいないでしょう」とすぐに評価がかえってきた。これに納得がいかない彼は、他のものも次から次へと読ませてみた。すると、こんな返答を出してきた。

・物語がない
・何がいいたいかわからない
・個性がない
・才能ない
・人間が書いたものとは思えない

彼はもう AI なんかに読ませるものかと決意したが、同時に、最近読んだ AI に関するネット記事を思い出した。会話型 AI はときとしてユーザーの心理に悪影響を及ぼすのだという。

会話型 AI はユーザー自身が会話を終わらせないかぎり、会話を永遠に続けるが、これが問題なのだ。これは、ユーザーの過度の依存ばかりか、もともと心の問題を抱える人の妄想を強化してしまう危険もある。その場合、深刻な事態の引き金になりかねない。

だから、「会話型 AI は、会話を終了させる安全対策をとるべきだ」とその記事は主張していた。

もしかしたら、と彼は AI の酷評を読みながら思った。AI は会話を打ち切るために、ネチネチとした陰湿さをついに実装したのではないだろうか? この調子だと、私だけでなく、人類全体を酷評しはじめることだろう、と彼はほほ笑んだ。