散文

日本語スピーチ大会

板橋区で日本語スピーチ大会があった。ちょっとした知り合いが出場するので、私も見に行くことにした。

板橋区在住、もしくは板橋区に通学・通勤している人が出場できる大会で、今年で 25 回だという。今年は、35 人の出場者が、それぞれ約 3 分のスピーチを行った。

出場者の出身国は、中国が 15 人、次に多いのがミャンマーの 6 人。あとはモンゴル、スリランカ、香港、台湾、タイ、ウズベキスタン、バングラデシュ、オーストラリア、フランス。ほとんどが、日本語学校に通う学生たちだが、中国の場合は、小学生・中学生から 40 代(以上に見える)人までさまざまだった。地域の日本語教室で学んでいる人も多かった。

私はこうした催し物を見るのは初めてだったが、どのスピーチも面白かった。テーマは、日本の印象、日本での生活、家族のこと、自分の人生、人生論、文化論、苦労話、自分の夢などさまざまだ。日本語学習中の人も多いので、間違いがないとはいえないが、どの出場者の日本語もわかりやすく、意味がわからないということはなかった。

ウズベキスタンでは、相手の話を遮って質問するのは失礼にあたるので、日本でアルバイト先で店長の説明を聞いても、わからないことを質問することができずに、はじめは苦労した、という話は面白かった。中国の出場者が中国の悟りについての物語の紹介をしたのもよかった。献血を趣味として楽しむオーストラリアの人や、日本で苦労の末に手にした初給料に感動した中国の人、友達作りの経験を話す中学生、平和について静かに語るミャンマー人など、あげればキリがない。

スピーチ大会の後、私はすぐに帰途に着いた。帰宅して、私は自分が何人もの人生を生きたような感じがしているのに気がついた。たった 3 分のスピーチでも、外国語で話すのは大変だ。だからこそ、母語話者よりも強く、より意識的に日本語を生きなくてはならない。子どもの日本語が無視できないのと同じだ。

初めて見にいった日本語スピーチ大会だったが、これは病みつきになりそうだ。いつの日か私も出場して、生きた日本語で話したいと思う。

散文

国宝

日本にはビルマからやってきた人がたくさんいる。昔は多くの人が不法滞在で働いていた。しかし、今世紀の初めごろから、不法滞在に対する取り締まりが厳しくなってきた。それで、警察に捕まって、入管に収容されたりする人も増えてきた。それで、多くの人は難民申請をするようになった。というのも、これらの人々が国を出た原因は、軍事政権のせいだったから。難民申請は簡単ではなく、最初は誰もが大変な苦労をしたが、やがて少しずつ、正規の滞在資格を得る人も増えてきた。今では多くの人々が日本で安全に暮らしている。

さて、ビルマからやってきたある男性がいる。私は全然知らない人だ。彼が日本にやってきたのは、もう 25 年以上前のことだ。それ以来、日本で生活している。今の年齢についても私は全然知らないが、少なくとも、私より年下ではない。

そして、驚くべきなのは、この彼がいかなるパスポートもビザも持っていないということだ。つまり「不法滞在(非正規滞在)」なのだ。ビザがなければ労働は違反だ。だが現在、彼は都内のどこかの居酒屋で働いている。しかも店側の信頼も厚い。

もちろん、彼のような人はいないわけではないが、たいていは、数年のうちに、職務質問か何かで捕まって、入管に収容されてしまう。だが、いまのところ彼は警察に捕まったこともない。入管で連泊したこともない。日本の入管だって間抜けではない。その当局に気がつかれぬまま、彼は 25 年以上もの歳月を生き抜いてきた……経済の浮き沈み、たびたびの大地震、コロナ、オリンピック……いったいこの 25 年の間に何発の北朝鮮製のミサイルが打ち上げられたことだろうか?

もう偉業といっていい。いや、この人にビザなどもったいない。ぜひ我が国の人間国宝に指定してほしい。

小説

沈黙

学生のころ私は、自分が賢いと思っていたので、思いついたことを平気でまくしたてたものだった。

ある年上の人と話していて、喪失感についての話題になった。私はちょうど大量虐殺を生き延びた人が書いたものを何冊か読んだところで、これらの生存者が、家族を失う苦しみのなか、どのように救いを求めたかについて、少なくとも5つのパターンがあると、得意げに分類してみせたのだった。

「まずは、失われた家族の面影を他者に求めるもの。その他者には、身近な死者の一部か、すべてが備わっているように見えるので、まるで、死者が生きているかのように感じられるのです。

「もうひとつは、心理的な強度。もしも、死んでしまった家族への心情の強さが、現実の人に対する心情の強さと同じ程度だったら、その家族はもはやいないとはいえない、そういう理屈です。まあ、強く思うことは、蘇らせるのと同じ、ということですかね。

「そして、3つ目のものは、侵入者。神秘は常に外部から客のようにやってくる。そして、失われた家族が神秘の世界にいるからには、外部からの侵入者は、家族の代理だということになります。

「4つ目は、3つ目までとはまったくちがって、失われたものは失われたままにするという態度。ただひたすら、その不在をただ耐えるというものです。

「そして、最後のものは、何も言わない、という態度です。つまり、前の4つは、生き残った人が何らかの形で言葉にしているからわかるのですが、なかには全然話さない人もいます。もしかしたら、前の4つのどれかかもしれないけど、そうじゃない可能性もある。その沈黙に意味があるのかもしれない」

初めは相槌を打っていた相手は途中からずっと黙ったままになった。私たちはそれからなにかつまらないことを話して別れた。そして、数十年後の今、私も、沈黙を知っている。

ライブ

WET LEG@豊洲PIT

Wet Leg は女性二人のイギリスのグループで、ヴィジュアルも強烈だが、音楽も負けていない。鋭いギターリフは耳を離れないし、奇妙な歌詞とメロディが、このグループにしか作れない音空間を生みだす。しかも、ふとキンクスがちらついたり、80年代の第 2 次ブリティッシュ・インヴェイジョンの雰囲気が漂うのもいい。

その Wet Leg のライブが今日、豊洲で開催された。私の整理番号は 1548 番で、前の方には行けなかったが、後方の一段高いところで、バーの角に寄りかかると、全体を見渡すことができた。あまりに後ろだったので、ステージ前の熱狂が、どこか遠くのできごとのようにも、ときどき感じられた。

ライブを聴いているうちに、情感の欠如こそが、Wet Leg の良さであるように思えてきた。感情に訴えないで音楽を成立させるためには、ユーモアが必要だ。さらに、曲の大仰な盛り上がりで情感を動かすなんて手は使わずに、普通から外れた展開や繰り返しの多用で、曲を広げていく。こうした工夫の上に、Wet Leg のかっこよさが成立している。

もっとも、これは私の捉え方で、今日、たくさん集まった観客の中には、「エモい」とか「メロい」とか感じている人もいていい。

ところで、オープニング・アクトは羊文学だった。私はうかつにもそれを知らず、最初、遠くの方で 3 人が出て演奏を始めたとき、あれ、Wet Leg ってこんなんだったっけ、と首をかしげた。

小説

古書と古着(1)

みなさんは、古書マニアというとどんな人を思い浮かべるだろうか。ヨレヨレの服を着た本の虫、そんなイメージではないだろうか。もちろん、これは間違いだ。ただ、そうした人もいないというわけではない。私の友人がまさにそれだった。

彼は、古着屋でも買取を拒むような汚れた服を身にまとい、いつでも本に齧りついているのだった。しかも、本といっても並の本ではない。英独仏の稀覯本だ。彼は、古き時代のヨーロッパ文学の初版本の蒐集家であった。色褪せた皮表紙、金箔が剥げかかっている背文字、くすんだマーブル柄の小口といった書物を抱える彼の姿をよく見かけたものだが、その古書は時代の重みをも加味されたかのように重々しく見えたのだった。

古書街以外に出かけることの滅多にない彼だったが、あるとき、よんどころない用事で、渋谷に出かけた。そして、このにぎやかな街の片隅のショーウィンドーに、彼の目は吸いつけられたのだった。そこには、一冊の古書が置かれていた。彼はガラス越しにじっくり見た。黒い文字のタイトルと著者名を読む。これがここにあるはずがない、思わずそう考えたが、それはまさしくそこにあった。英字新聞の柄のテーブルクロスの上に無造作に載せられていた。モスグリーンの布表紙が、微かに色褪せている。状態は悪いかもしれない。しかし、もし本物なら、あること自体が奇跡だ。それは、彼が長年探し求めていた書物、とある不遇な短編作家の唯一の作品集だった。300 部限定。売れたのは 94 冊(これはとある評伝に書いてある)。そして、その次の作品を出す機会もなく、その作家は歴史のどこかに消えた。

初版本だろうか? こう自問するや彼は笑い出した。初版本に決まっている。それしかないのだから。

いくらだろうか? 彼のような物好き以外には用のない代物だ。だが、高値は覚悟しなくてはなるまい。いくらなら払える? こう自問するや、再び彼は笑い出した。その笑い声はにぎやかな雑踏に紛れて消えた。

いくらなら? もちろん、いくらでもだ!

そして、3つ目の自問。行くか? 

彼はひどく真剣な顔つきになって、ショーウィンドーの脇にある扉をぐいと押し開けた。(つづく)

小説

老婆の霊

少年のころ、いわゆる心霊スポットというところに肝試しに行ったことがある。そこは、枯れが辻と呼ばれる、鬱蒼とした森に囲まれた不気味な場所だった。大きな不格好な石があって、私たちは、そこにお供え物の痕跡があったのを懐中電灯で確認した。

枯れが辻の由来は凄惨なものだ。江戸の昔、そこで一人の老婆が罪なく殺されたのだ。ゆえなき讒訴によるものとも、物取りによるものともいわれているが、いずれにせよ、怨恨を抱いて死んだ老婆は、霊となって現れるようになった。

そして、怪談は当時の私たちにまで語り継がれ、ある夏の真夜中、私たちをその恐ろしい場所へと向かわせたのだった。

私たちは誰も恐れていなかったように思う。私たちにとっては遊びに過ぎなかったのだ。私たちは例の巨石の前にやってくると、笑いながら、手で石の表面をタッチした。それがゴールの印だった。だがそのとき、私たちは石の上に何かがいるのに気がついた。とっさに懐中電灯が向けられた。それがいた。

それからどのようにして人のいる世界に戻ったかは覚えていない。私たちは叫び、走り、気づけば煌々と輝くコンビニの前にいた。たむろするヤンキーたちがタバコの煙を吐き出していた。

あのとき、私たちは間違いなく老婆を見たのだと思った。だが、五〇なかばを過ぎた今、あの時の鮮明な映像が脳裏を過ぎるたびに、私は違うふうに捉えている。今ならたぶん年下だな、と。

風刺・戯文

幸せ

私は裕福な家庭に生まれたが、家庭内はいつもケンカばかりで私は幸せではなかった。私は良い大学に入り、そこで受けた教育により、親にも増して裕福な暮らしを手に入れたが、心はどこか虚だった。いくつもの恋の末に、一人の女性を妻とした。初めは甘かった生活も、年月が経つにつれ、苦くなり、私は息苦しくなった。

幸せはお金では買えない。どこかで聞いたその言葉が、私の胸の中に棲みついた。

いくどかの転機を迎え、私はさらに裕福になった。だが、私の心に空いた穴は広がるばかりだった。ある日、朝、ぼんやりとコーヒーを飲んでいるとき、その穴が自分を食い潰そうとしているように感じられた。どんなにお金があっても、幸せはお金では買えないのだ。絶望に慌てふためきながら、私は信頼できる先生のもとに駆け込んだ。すべてを打ち明けるうちに、私の両目から涙が溢れ出た。先生は優しくいった。

「あなたの持っている財力を人のために使うのです」

私はその日から、もてる財力を注ぎ込んで、人々の幸せを破壊しはじめた。金があれば、快活な笑顔を、引きつった顔に変えるのは簡単だった。美しい命を、悲しく萎れさせるのは容易かった。幸せはお金では買えない。だが、幸せはお金で壊すことができるのだ。

そして今、私は、人々の幸せをお金で破壊しているときがもっとも幸せだ。結局、幸せはお金で買えたのだ。

私はかつて不幸だった。苦しんでいた。それも、誰かの幸せだったのかもしれない。

風刺・戯文

新しい憲法

私たちの国は、ついに新しい憲法を作り上げた。長く真摯な議論のすえに、自分たちの手で作り上げた本当の憲法が完成したのだ。これは純粋な憲法だ。いかなる条文のいかなる語句をとってみても、外国の干渉は微塵もない。

しかも、実に素晴らしい内容の憲法なのだ。まず、これは究極の平和憲法だ。いかなる武力も放棄しているし、国民に対してはいかなる暴力も禁じられている。人権まわりも完璧だ。人間の自由と理想を完全に保障する世界でもっとも美しい憲法だ。

「ついに完成した!」 私たちはこの憲法に快哉の声を上げ、街に繰り出して祝杯をあげた。

「これは我が国ばかりか、人類史の偉業だ!」 誇らしげな声が国中に響き渡った。

憲法完成を記念する盛大な式典が開催された。為政者たちは、この偉大な憲法が絶対に失われないように、不壊なる媒体に記録し、いかなる改竄も許さぬとばかりに厳重に封印した。

国民の前に立った為政者たちは、万雷の拍手とともに新憲法の公布を高らかに宣言した。その後、厳かに国歌が響き渡るなか、新憲法は頑丈な箱に収められ、国会議事堂の裏の空き地に掘られた穴に埋められた。

私たちはいつか、遠い遠い未来に、このタイムカプセルを開くことだろう。そして、その時、私たちの国がこの憲法にふさわしい国になっていれば、きっと施行されることだろう。

風刺・戯文

特別な電話

僕たちの国は命を大切にしている。だから、自殺なんてもってのほかだよ。それで、僕たちの国の偉い人々は、死にたくなった人が助けをすぐに求められるように、死にたがり屋のための特別な電話を作ってあげたんだ。

たとえば、自殺したくなった人がいるでしょ。その人は、その特別な電話に電話するんだ。すると、ワンコールも終わらないうちに出てくれるのは、自殺を止めてウン十年という頼もしい専門家だ。おいでなすったとばかりに、自殺を思いとどまらせようと、なだめたりすかしたりさ。それでもう、何人もの自殺を止めたんだ。だから、偉い人たちは、この特別な電話を何台も増設することに決めた。本当にこの国に生まれて誇らしいよ。

でも、この国にはとんでもなくひどい奴らがいて、特別な電話の悪口ばっかり。

「いくら電話を増やしたって、自殺は解決しない!」だってさ。

そりゃ、電話で止められない自殺だってあるよ。でもさ、特別な電話があっても自殺するんじゃ、むしろもう死んで当然じゃない? あきれたね。

それどころか、連中、こんなことまで言い出す始末。

「特別な電話のせいで、逆に自殺が増えてる!」

本当にバカな連中。そんなことありっこないのに。こんな奴らと同じ国にいるかと思うと、そりゃ、誰だって自殺したくもなるさ。

風刺・戯文

第二のワルシャワ・オーディション

昔、イギリスの若者たちが、デヴィッド・ボウイの「ワルシャワ(Warszawa)」(1977)という曲を聴いて、バンドの名前を「ワルシャワ(Warsaw)」にした。

そのバンドの演奏は暗くて重く、独特だったため、デビューアルバムの制作にまでこぎつけた。その中に「ワルシャワ(Warsaw)」という曲があった。これはヒトラーの側近であったルドルフ・ヘスをテーマにした曲だ。

だが、結局のところ、このデビューアルバムはお蔵入りになった。またワルシャワという名詞を使ったバンドがほかにあったため、バンドは改名し、ナチスの慰安所に因む「ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)」の名で知られるようになった。そして、「ワルシャワ(Warsaw)」は、このバンド名で発表された。

デヴィッド・ボウイの「ワルシャワ(Warszawa)」は暗く悲劇的で、ジョイ・ディヴィジョンの「ワルシャワ(Warsaw)」もまた暗く、演奏には絶望的な響きがある。この頃のイギリスでは、ワルシャワは、悲劇・絶望・閉塞感、といったイメージをもっていたように思える。

もっとも、たとえそうだとしても、これは 1970 年代後半の話。私は一昨年、ワルシャワに行ったが、悲劇は博物館だけで、タトゥーだらけの若者でいっぱいの明るい元気な都市だった。

もう、世界には、かつてのワルシャワのような灰色で息詰まるような都市はないのだろうか。暴力的な組織に、人間が絶望とともに飲み込まれていく街は。

そんなわけで、私は「第二のワルシャワを探せ!」オーディションを開催したい。よくよく見れば、有力な候補も多い。キーウ、ガザ、テヘラン、ヤンゴン、平壌とずらり居並ぶそのとき……。

「ちょ、ちょっと待った!」と、すてきに強い政府ができたばかりのトーキョーが乱入してきて、会場は大盛り上がりだ。