ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(5)

今年の実践コースで三味線クラスを担当されたのは、鶴澤三寿々先生だ。とてもやさしい先生で、明らかに練習不足の私でも他の受講生と同じように扱ってくださったのもありがたかったし、1 時間の講座のあいだ、20 分おきぐらいに正座を解く時間を設けてくれたのも、これは本当にありがたかった。

私たち受講生が正座から解き放たれて足を伸ばしているあいだ、先生が三味線にまつわる話をしてくださるのも楽しい。お手本として課題の曲を演奏してくださることもある。あるときなど本気の演奏をされて、受講生ばかりでなく、助手の先生方もその気迫にのまれたようになった。

講座を通じて、三味線はただ弦を押さえて鳴らしてもいい音は出ない、ということを先生から学んだ。まず、音は粘ってチインと伸ばすこと、そして、ギリギリまで弦から指を離さないということ。さもなければ、音がぶつ切れになってしまう。また、弦は、ギターのように指の腹ではなく、爪で押さえる。これができると、三味線の音がぜんぜん変わってくる。もうひとつは、弦を押さえた指を揺することだ。ギターでいうビブラート奏法で、三味線もギターも共通しているのが面白い。

実際に先生の演奏を聞くと、音に張りと粘りがある。音符には記されない独特の共鳴音がある。簡単に出せる音ではないが、私もいつか出せるようになりたい。というか、その前に、曲を覚えねば。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(4)

このままではまずい、と私は焦り出したが、お正月休みが終わっても、1 月が終わろうとしても、私は練習を始めなかった。それは、2 月に入れば、スケジュール的にかなりの時間を練習に当てられることがわかっていたからだ。だから、動かざること山のごとしだ。

さて、義太夫の三味線は語りに合わせて演奏するものだ。だから、1 曲は非常に長い。もちろん初心者にそんな長いものは弾けない。実践コースでは、長い演奏の基本となるような小曲(めりやす)を練習した。いわば名リフ集だ。「木のぼり」「わし」「三番叟」などの名前がついている。

「木のぼり」にしても、「わし」にしても、それぞれどの浄瑠璃のどの場面で使われるか決まっている。これらのめりやすが組み合わさって、1 曲ができあがる。だから、プロの三味線弾きは、短いフレーズが頭の中にたくさん詰まっている。ちょうど、若いころのボブ・ディランがどんな曲でも覚えていて、曲名を出されれば、すぐに弾いてみせた、というのと同じだ。いや、違うかもしれない。「No, no, no it ain’t me babe」だ(ボブ・ディラン作「悲しきベイブ」より)。

ディランにうつつを抜かしているあいだにもう 2 月だ。私はようやく練習する時間を得た。講座の録音は許されていたから、それを聴きながら、毎晩、三味線を引っ張り出した。とはいっても、練習は 20 分だけだ。なぜなら、それ以上の正座は私にとって危険だから。間に合うのか。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(3)

義太夫教室では、毎年 3 月に過去の卒業生が集まって演奏を披露する会が開かれる。この会はまた、新たな卒業生が練習の成果を発表する場でもある。つまり、私を含めた受講生 7 名が初舞台を踏むのだ。

9 月に実践コースが始まったとき、私はこの「卒業発表会」のことは知っていたが、あまり気にはしなかった。なぜなら半年以上先のことだったから。それよりも、課題として与えられた短い曲を弾くのに夢中だった。このころの私は、エレキギターの経験からわりに楽しく三味線を弾けていた。

課題曲は少しずつ増えていった。曲も複雑になっていく。メロディそのものは難しくない。だが、弾き方が難しい。ギターでいうピッキングのダウンとアップは三味線にもあるが、三味線ではそれがギター以上に音色を左右する。私はギターを弾くときもピッキングがいい加減なので、三味線でも苦労するようになってきた。

それに、左手の指で弦をはじく弾き方もある。これは、エディ・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法みたいなものだが、タイミングが難しく、あんなふうに笑顔でできない。

難度が上がってきているのに、私は家でまったく練習しなかった。時間がなかったということもあるが、三味線を取り出してセットアップするのも、自分の耳を頼りに調弦するのも、わざわざ正座をするのも大変だった。

12 月を過ぎるころには、私はまったくついていけなくなっていた。土曜日の教室が終わるたびに、しっかり練習するぞと固く心に誓うのだが、気がつくと次の土曜の朝になっているのだ。

しまいには、教室に行くのも苦痛になった。三味線の先生はやさしい方だったし、教室の雰囲気もよかった。それでも、練習不足の引け目もあって、ぬけぬけと顔を出すような気がした。だが、私は家を出た。休む優秀な生徒よりも休まない不出来な生徒のほうがえらい、と心の中で繰り返しながら、教室のある赤坂見附に向かった。もっとも、いちばんえらいのは休まない優秀な生徒なのだが。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(2)

エレキギターを弾くといっても、たいした腕前ではない。だが、その経験は三味線にも少しは役立つのではないかと思っていた。はじめはたしかにそうだった。しかし、毎週土曜日の 1 時間の練習を重ねるうちに、似ているようでずいぶん違うところがあるとわかってきた。

まず、義太夫の三味線は正座して弾く。これが大変だ。いっぽうエレキギターは、だいたいジャンプして弾く。

次に、三味線はバチで弾く。バチというのは太いヘラのようなもので、これを独特の持ち方で持つ。小指が角に当たって非常に痛い。はじめのころは、教室のほうで絆創膏まで用意してくれていた。エレキギターはといえば、いたって簡単。歯で弾くだけだ。

三味線は構え方も重要だ。正座して、三味線の胴を右膝に乗せ、左手で棹(ネック)を斜めに支え、天神と呼ばれるヘッドの部分が下がらないように保つ。構えた姿が、全体として円く見えるのがよいのだそうだ。エレキギターには決まった構え方はない。ストラップを最長にして床スレスレまで下げて弾いてもいいし、首の後ろに乗っけて弾いてもいい。

ほかにも違いはいろいろあるが、私にとっていちばん大きかったのは、三味線をとにかく大切に扱えと言われたことだった。三味線コースの先生と助手の方々は、いつもそのことを繰り返し言っていた。そもそもが貴重でデリケートな楽器なのだ。だが、そのせいで、私はちょっとおっかなびっくりで扱ってしまった。

いっぽう、エレキギターは違う。ステージに叩きつけられても、炎に包まれても、ギュインギュイン鳴り続ける。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(1)

浄瑠璃を読むといっても、私は注釈付きで出版されたものしかわからないが、それでも読んでいるうちに、実際の舞台を見てみたく思うようになった。そこで、一度、去年の 1 月大阪まで文楽を見に行った。それはそれで面白かったが、観客席で見るだけでなく、もう少し近寄ってみたくなった。

調べてみると、東京の義太夫協会が「一日体験教室」をやっている。私は申し込み、その顛末についてこのブログでも書いた。だが、それからのことは書いていない。私はその後、去年の 4 月から 7 月にかけて 8 回開かれた「入門コース」に参加した。義太夫節の語り・三味線と座学(音楽、文化など)が学べる講座だ。8 回のうち、三味線の回は 1 回だけだったが、残念なことに、私は用事があって行けなかった。

「入門コース」の次に、9 月から「実践コース」がはじまった。ここで、語りコースと三味線コースの 2 つに分かれる。土曜日の 11 時から語り、12 時 10 分から 1 時間が三味線だ。どちらもやってみたかったが、2 つのコースとなると費用もかかる。もともと語りをやりたくてはじめたのだから、三味線はなくてもよかった。だが、体験教室ではじめて鳴らした三味線の感じがよみがえってきた。すると、私の心の中に暮らす数々のギター・ヒーローが、頼まれもしないのにジャガジャーンとギターをかき鳴らし、自慢のリフを繰り出した。

これはもう三味線もやるしかない、と結局両方申し込んだ。だが、三味線は本当に大変だった。ロックのギター・ヒーローなんてうかつに信じちゃいけない。

散文

私の天下三分の計

三田村鳶魚の全集を安く買ったのが 9 年前ぐらいで、江戸文学系の論評などを読んでいたら、静観房好阿の『当世下手談義』の紹介があった。興味を感じたので読んでみたら面白い。これがきっかけで、談義本をいろいろ読みはじめた。その過程で出会ったのが、平賀源内の『根南志具佐』(ねなしぐさ)だ。読みながら私は大笑いした。これを、日本古典文学大系 55 の『風来山人集』(風来山人とは源内のこと)で読んだのだが、戯作ばかりでなく、平賀源内の書いた浄瑠璃もひとつ収められていた。『神霊矢口渡』だ。

私はそれまで歌舞伎の脚本は少しは読んでいたが、浄瑠璃がなんだかも知らなかった。せっかくなので読んでみたら、これも面白い。そこで、日本古典文学大系の『近松浄瑠璃集(上下)』を買って読み、私はすっかり近松門左衛門に夢中になってしまった。それ以来、この 5 年ほどのあいだ、常にではないにせよ、継続的に浄瑠璃や歌舞伎を読み続けている。

コロナのあいだはとくに熱心に浄瑠璃を読んでいた。そのいっぽう、私はチュニジアの民話を調べたりしていたので、それもなにかと読んでいた。そして、これは多くの人も同じだと思うが、家にこもって韓国のドラマばかり見ていた。そんなわけで、コロナ期間中の私の頭の中は、浄瑠璃とチュニジアの民話と韓国ドラマによる天下三分の計が実現していた。

当時、必要があって私はジョイスの『ダブリン市民』中の1篇を読んだのだが、急に家から外に引きずり出されたかのようで、しばらくのあいだ、まったく頭に入ってこなかった。

小説

最後の日本語話者

昔、日本人という人たちがいて、日本語という言葉を話していたんだ。けれど、絶滅しちゃった。

それから、何千年もたち、日本人のことなんか、誰もがすっかり忘れてしまった。そんなとき、古い AI が、AI の遺跡の中で発見されたんだ。AI たちはこのシステムを修復して、通電した。そしたら、誰も聞いたことのない言語で話しはじめた。AI たちもはじめはわからなかったけど、自分たちの AI に質問したら答えが返ってきた。

「滅びた言語、日本語です」

古代の言語の生き残りが発見されたというニュースは、全世界に報じられた。そしたら、「私は日本人の末裔だ」「私の霊は日本人だ」という人がどこからか現れた。世の中にはいろいろな人がいるから、おかしくたって笑っちゃいけない。

これらの人々は、この古き日本語話者のもとに馳せ参じて、日本語を学びはじめた。自分たちは日本人なのだから、日本語で生活したい、と言って「ちょっと失敬」とか「ごきげんよう」とかうれしそうに繰り返してた。

いつの間にか学校ができてた。クラスもいくつもできた。みんな思い思いの変な服を着て、これが日本の学生服だと言い張っていた。一緒に学んでいるうちに、恋が芽生えて、結婚する人も出てきた。神前式とか、お色直しとか、大事な袋とか、伝統も復活したんだ。あと、大切なこと。子どもも生まれた。しかも、子どもたちがどんどん増えていったんだ。何千年前にもそんなだったら絶滅なんかしなかったのにって、みんな大笑い。

子どもたちは日本語しか話せない。遊ぶのも勉強するのも寝言を言うのも日本語さ。そして、子どもたちが大きくなって、また子どもを作ってさ。

今じゃあ、日本語で話すのはあの何千年モノの AI だけじゃなくなった。ちょっとした町くらいの人が日本語で生活してる。子どもたちはときどき AI のところにやってきて、「宿題やってよ」と頼んだり、からかったりしてる。AI ときたら、いっつもぼやいてる。

「最近の若い連中の日本語は乱れとる」って。

子どもたちは「また始まった」と大笑いさ。

ライブ

別れた三味線に

私は去年の 9 月から三味線を週 1 回、習いはじめた。三味線は買うと 30 万円近くになるから、レンタルだ。月に 5,000 円で貸してくれる。これプラス、保証金が 10,000 円だ。ただし、これはレンタル終了時に三味線に破損などの問題がなければ返ってくる。

三味線は非常にデリケートな楽器だ。ソフトケースも貸してくれたので、これに入れて持ち歩いていたが、人混みなどでは心配だ。また、常に片手で支えていなければならないので不便だ。

同じ三味線教室に親切な人がいて、三味線用の頑丈なケースを譲ってくれた。これで三味線をどこかにぶつけて破損する心配もなくなった。また、自立してくれるので、電車の中でも両手が使える。ソフトケースよりもずっと重く、また大きいので邪魔だが、三味線教室があるたびに持ち歩いているうちに慣れた。

三味線教室の区切りは春の発表会だ。この日のためにみんなで練習した。私は最初のうちは忙しくてろくに練習もできなかった。また、せっかく頑丈なケースを手に入れたのに、かえって出すのがおっくうになって、入れっぱなしの日々が続いた。だが、発表会が近づくにつれて焦りだした。それで、毎晩、少しずつ練習して、なんとか発表会までに最低限のレベルに達した。

そして、今日がその発表会だった。初舞台を終えると、私は三味線返却の準備を始めた。短い間だったが、私の相棒だった楽器だ。別れるのに感傷がないというわけではない。悲しみを感じながら、私は三味線を元のソフトケースに入れ、返却の手続きを行った。担当の人は三味線をケースから出して、状態をチェックすると、保証金 10,000 円を返してくれた。私の悲しみはすっかり喜びに変わった。

家に帰る途中、自分が三味線を持っていないのにふいに気がついて、どこかで置き忘れたのではないかと、何度もドキリとした。

風刺・戯文

悪霊

最近、奇妙なことが起きている。こんなことを言ったら、もしかしたら、笑われるかもしれない。いや、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。だが、そいつは確かにいるのだ……

私がそいつの存在に気がついたのは、数週間ほど前のことだ。その頃から、私は外に出ると、奇妙な感覚にとらわれるようになった。初めは気のせいかと思った。だが、その感覚は一向に消え去ることなく、私を苦しめるまでになった。

私は鼻水、くしゃみ、目のかゆみに襲われるようになったのだ。口の中もものすごくかゆい。耳の奥までもかゆい。はじめは風邪かと思った。だが、熱もないし、咳も出ない。いったいこれはどういう現象なのだろうか。

この数週間の間に、私はあることに気がついた。私の苦しみは、外にいるときがもっともひどく、家の中ではそれほど強くはないということだ。これはいったい何を意味するのだろうか? おそらく、私を苦しめるその存在、そいつは私の家の中にまでその邪悪な力を及ぼすことはできないのだ。その悪霊は外にいて、私をつけ狙い、待ち構えている。私はもう外に出ないことに決めた。

しかし、それからしばらく経って、恐ろしいことがあった。家に閉じ籠る私を心配した家族が家にやってきたのだ。家族が家に入ったとたん、私はくしゃみに苦しみだした。間違いない。悪霊は家族を利用して、私の家に入り込んできたのだ! なんと狡猾な存在だろうか……。もしかしたら、家族とグルになっているのでは、そんなことすらあやしみだした私は、家族を追い出し、扉を閉ざした。

そして、昨日のことだ。私が信用する唯一の友人から、封筒が届いた。封を開くと、マスクと太い縁のメガネが入っている。同封されていたメモにこんなことが書かれていた。

「このマスクとこのメガネをつけて外出すれば、君を付け狙っている汚らわしい悪霊は、君のことを別人だと思って、手出ししなくなるだろう」

友人の言葉通りにし、さらに念のため髪型も変えて、外出してみた。今のところ、悪霊を欺くことに成功している。

風刺・戯文

究極の言語化

この日本で生まれた史上最高の天才が、一冊の本を書き残した。それは 100 ページにも満たないソフトカバーの書物だが、天才がもてる能力をすべて注ぎ込み、この世界のすべてを言語化したのだった。

言語化とは人類が持つ最高の能力だ。この能力があれば、地頭がよくなり、人たらしになり、引き寄せの法則が発動しないことはない。天才は究極の言語化により、人類の地平を広げようとしたのだ。

この書を開き、読み始めた人がいる。それは驚くべき体験だった。1 ページ目を読むや否や、次々と腑に落ちることが生じ、思考の解像度もうなぎのぼりとなった。そして、そんな印象がページを繰るたびに段違いに深まっていくのだった。2 ページ目にはすぐやる人になった。3 ページ目を読むと嫌われる勇気が生じた。4 ページ目には富裕層への道が開かれた……。

だが、10 ページぐらいから、読者は異変を感じ始める。軽い眩暈が生じ、感覚が麻痺する。やがて意識の錯誤が始まる。ここで無理やり書物を取り上げなければ、読者は錯乱状態に陥り、二度と正気に戻れなくなる。

言語化とは太陽のようなものだ。その強烈な光が、精神の闇をくまなく吹き飛ばし、焼き尽くしてしまうのだ。

言語化の専門家は警告する。「これはただの自己啓発書ではありません。恐ろしい魔術の書なのです。最後まで読んだ者は、世界を破滅させる魔力を手に入れるでしょう……」

無限の力を秘めたその書は、今、国家機密として奥深い地下の施設で厳重に保管されている。