旅・観察

マトマータの戦い

マトマータ(マトマタ)に到着したのは十六時過ぎで、五時間越えのドライブだった。

マトマータは岩山に囲まれた小さな観光地で、穴居住居で有名だ。これは、地面を掘り下げ、その周囲の壁をさらに掘って部屋にした家だ。マトマータにはこの洞穴を客室にしたホテルがいくつかあり、私たちはそこで二晩過ごした。洞窟部屋は夏は涼しく、冬は暖かい。入るとひんやりしている。

マトマータはまたスターウォーズの聖地のひとつでもある。この穴居住居が、惑星タトゥイーンのルーク・スカイウォーカーの家のモデルとなった。実際に撮影地として使われたホテルもあり、その入り口はスターウォーズのキャラクターや戦闘機で派手に飾られている。もっとも、私たちが泊まったのはもっと安い洞窟宿だった。

長期の旅行に出るときは、捨ててもいいような着古した服を適当に詰めて持ってくるが、マトマータで着替えようとしたとき、スーツケースの中のTシャツを取り出して愕然とした。そこにはR2-D2が描かれていたから。着るべきか迷ったが、ほかに服もないので着ることにした。だれにもなにも言われなかったが、見る人が見たらイタいスターウォーズおじさんと思われたことだろう。

中途半端な時間に着いたせいもあり、またオフシーズンのためでもあるが、私とSさんは開いているレストランを探すのに苦労した。ようやく見つけたレストランでも、提供できる料理はひとつしかなかった。

木陰に据えられたテーブルに座る。暑さも和らぎ、いい風が吹いてくる。やがて料理が運ばれてきた。鶏肉のエスカロープ、オムレツ、サラダ、フライドポテトが皿に盛られている。レモンが添えられているので、絞ってたっぷりかける。

外なので、何匹も蝿がやって来る。片手で払いながら食べる。鶏肉が硬い。フォークで押さえてナイフで切ろうとするが、なかなか切れない。両手が塞がっているのを好機とばかりに蝿たちが集中攻撃をかけてきた。レッド中隊にブルー中隊だ。

食べ終わると、Sさんは手をつけずにおいたレモンを取った。そして、自分の手のひらに絞ると、両手を擦り合わせた。手にレモンの香りが残るのだという。粋なので私も真似してやってみようと思う。

旅・観察

国境の向こうへ

Sさんが借りた車でホテルの前までやってきて、私たちは南部への旅に出発した。

以前、南部に行ったときは列車だったので、あまり風景には注意を払わなかった。しかし、高速道路で南に向かうと少しずつ風景が変わってくるのに気がついた。

チュニスを出たばかりのときは、私は周りを走るいろいろな車を見るのが楽しかった。チュニジアではフランス車、イタリア車、ドイツ車が主流だ。それに韓国車、日本車が混じる。インドやルーマニアの車もある。日本車は少数派だが、トラックではいすゞが存在感を見せている。

高速道路の料金所では通過する車が並んでいた。それらのあいだを売り子たちがティッシュやアーモンドの袋を持って歩き回っていた。暑いのに大変な仕事だ。みな若い人々だ。私は気の毒になった。

しかし、料金所に近づくと、係員のボックスの前の日陰の部分に、お茶とアーモンドとスナックを乗せた台の前に人が座っているのが見えた。あれらの若い人々は仕事のない悲しい人々ではなく、わりとちゃんとしたビジネスを担っているようなのだ。私はやや明るい気持ちになった。

さらに南に進むと、また料金所があった。そこにも同じような売り子たちがいたが、今度はお茶だけでなく、つばの広い帽子と車の日除けも売っていた。ニーズに合わせて商品も変えているのだ。

私たちはスファックス周辺に入った。見渡すかぎりのオリーブの果樹園が広がっている。オリーブオイルの名産地だ。私たちがオリーブオイルのビジネスについて話していると、オリーブの木はまばらになり、やがて消えていった。薄い茶色の地面にポツポツと緑が生えているだけだ。ゴツゴツとした岩山も目立つようになってきた。Sさんが言った。

「ここからサハラが始まっていくのだ」

いきなり砂漠が現れるわけでなく、その手前に乾燥地帯が広がっているのだ。見回せば、車もだいぶ少なくなっていた。料金所も通ったが、売り子もいなくなっていた。最後の料金所にいたっては無人で荒れ果てていた。

「どこで料金を払えばいいのか」とSさんも呆れ顔だった。

なくなっていくものばかりだが、そのかわりに増えてきたものもあった。リビアナンバーの車とリビア行きのトラックだ。チュニジアのナンバープレートは黒だが、リビアは白だ。車はグレーか白が多い。どんな人が乗っているのかはわからない。ずっと南にリビアとの国境があり、そこに向かっているのだ。トラックは、内戦の最中のリビアで売れるものを運んでいく。乗用車でチュニスまで医療を受けにやってくる人も多い。

私はビルマのことを思い出した。内戦の続くビルマでも、少しお金のある人はバンコクやシンガポールの病院に行く。だからたぶん、リビアからチュニスに来る人もお金持ちだろう。

私はいつかリビアに行きたいと考えてきた。それでSさんにリビアに行ったことがあるか聞くと、内戦の前に行ったことはあるが、今はとてもじゃないけど無理だとの答えだった。

「あそこの人たちはみんないい人だったよ」とSさん。

チュニジアの昔話にもたまにリビアが出てくる。たいていは、地の果てというイメージだ。例えば、冒険の旅に出た主人公はチュニスを出て南に進み、ついにリビアの国境を越える。さらに先に行くと魑魅魍魎の暮らす砂漠が広がっている。リビアは異界の手前にある土地だ。

リビアの車は私たちを猛スピードで追い抜いていく。どの車も不思議なほど急いでいる。

それにしても、と、遠ざかっていくリビアの車の背中を見ながら私は考えた。国境を越えられないリビアの人々は今、どんな暮らしをしているのだろうか。

旅・観察

カッラーカの臭い

レンタカーの事務所から少し歩くと、ラグレットという海辺の町に出る。海水浴場にはパラソルが並び、泳いでいる人たちがいる。私たちは海辺のカフェでお茶を飲み、チュニスにはない静けさを味わった。

それから町中に入りタクシーを探した。遠くに茶色い壁が見えた。古い城塞のようだ。行きにも見かけたこの建物についてSさんに尋ねると、これはカッラーカといって昔の牢獄の跡だという。今はイベント会場として使われているとのこと。

チュニスに戻ってからネットで調べると、十六世紀にスペイン人が作ったもので、カッラーカもスペイン語に由来すると書いてあった。私はなんとなくこの語にどこかで出会った気がしてきて、手持ちのデータを見直した。すると出てきた。

karraːka(複数 karraːkaːt)刑務所

面白いことに複数形まであった。これはチュニジアの物語集に出てきたもので、こんな例文もメモしてあった。

「カッラーカの臭いが彼から漂っている(=ムショ帰りだとすぐわかる、くさい飯の匂い)」

Sさんによると、カッラーカはあまりにも有名なので、転じて刑務所そのものを表すようになったのだという。このメモは二〇年前のものだが、ようやくその語の生誕の地に至ったというわけだ。

悪いことをした子どもに「そんなことをすると、カッラーカ行きだよ」と脅すこともある、とSさんはまた教えてくれた。

旅・観察

車を借りに

Sさんの故郷、ターウジュート村には車で行くことになった。チュニスから六時間だという。だが問題はその車だ。Sさんは車がないので借りなくてはならない。

去年の八月、やはり車でターウジュート村に行くことを計画していたが、直前になって車がキャンセルされてダメになった。チュニジアではなんでも計画通りにいかない、とSさんは怒っていた。

今回は大丈夫そうだ。午後に車を取りにいくから一緒に行かないか、とSさんが提案してくれた。レンタル料を払うのは私だから自分で行ったほうがいいに決まっている。面倒くさかったが行くことにした。

私たちは待ち合わせ場所に集まり、歩き出した。どこに向かうのかと思ったら、郊外電車の駅だという。てっきり歩いてすぐのところかと思っていたが、目的地はずいぶん遠くなのだ。

郊外電車の駅までもけっこう遠い。駅に着くと、Sさんが言った。「カバンを前にかけて、携帯電話に注意するんだ」 私はこの電車には何度も乗ったことがあるが、そんなに混まないし、スリがいるような雰囲気ではない。現地の高校生たちがワイワイ騒いでいるような電車だ。

Sさんは切符を窓口で買うと駅を出て、その脇に止まっているバスに乗り込んだ。

「路線工事で今は電車は走っていないんだ。それで代わりのバスで行くっていうわけだ」

バスは満員だった。みなおしゃべりに夢中で、携帯を見ている人はわずか数人だ。私も携帯を見たかったが、Sさんの注意を思い出して我慢した。

「工事はいつ終わるんですか」

「チュニスではそういうことはいっさいわからないよ」

満員の上にさらに何人かが乗り込み、バスは動き出した。

もし私が同行しなかったら、車を借りるためにSさんがどんな苦労をしているかわからなかっただろう。そしてそのぶん私は、ちょうど日本の電車が工事だからといって運休しないのを当たり前だと思うのと同じように、Sさんがレンタカーで私を迎えに来てくれるのを当たり前だと思ったことだろう。

私は彼に感謝した。そして揺れるバスの中で考えた。行きは確かに大変かもしれないが、帰りはレンタカーだから楽に決まってる、と。

バスは目的地に到着し、私たちはレンタカーの事務所に行った。壁に大きく会社のロゴと車の絵が描かれ、模型の小さなフェラーリが天井から吊るされていた。中に白い電灯があった。デスクにいた若い女性がビニール袋から車の鍵をいくつも取り出して目の前に並べた。

そして私たちは、車が明日の朝にならなければ用意できないことを知った。帰り際、私がフェラーリの写真を撮りたいというと、女性は隣の部屋にも別の車が吊るされていると自慢げに教えてくれた。

旅・観察

石を拾ってでも

ベルベル語の勉強で私を助けてくれているSさんの出身地、ターウジュート村に行く計画を立てている。Sさんによれば、帰郷する人はなにかしらお土産を買って村に入るのが習慣だそうだ。

チュニスにはそんな習慣はないが、それでもこの村の出身者がチュニスの知人を訪ねるときに、家の近くの食料品店で買い物をしてからやってくるのだという。

「もし村に入るとき手ぶらだったら、石を拾ってでも入れ」という言葉をSさんが教えてくれた。

ターウジュート村にはSさんも同行してくれる。これは心強いことだ。当然のことながら、移動費や宿泊費はこちら持ちだ。いろいろ経費を計算しているとけっこうな額になる。その上、お土産だ。これも私が払わねばなるまい。

私は日本在住のビルマのカレンやカチンの人と一緒にタイや中国に行ったことがある。これらの人は、現地で待っている家族や同胞のために東京でたくさんのお土産を買っていく。それは単にお土産ではなく、現地での生活を助けるためでもあるが、かなりの額がかかる。手ぶらで行くわけにはいかないので、旅費に加えてそのためのお金も貯めなければならない。

そうした経験があるから、ターウジュート村に持っていくお土産がどれくらいの金額になるのか私は気になり出した。

「それで、お土産はいくらぐらい必要ですか?」

「大したものじゃないよ。ジュースとか果物とか、二〇ディナール(千円ちょっと)あれば足りるよ」

私はそれを聞いて安心し、石を掻き集めずに済んだことを感謝した。

研究

遠い道のり

チュニジアのベルベル語は、話す人が少なくなっていて、そのうちなくなるかも、という人もいる。私はこの言語の勉強を始めたばかりなので、なんとも言えないが、辞書も文法書もないので、ひとつひとつ調べなくてはならない。私の目標は文法書を書くことだが、Sさんはそんな私を助けてくれている人だ。

チュニジアのアラビア語で「布製の大きな袋」という意味のシュカーラという語がある。これをベルベル語でなんというかSさんに尋ねると、該当する単語を教えてくれた。私はそれをアラビア文字で書き取り、その下に日本語で「大きなふくろ」とメモをした。あとで見返したら「大きなふから」と書かれていた。シュカーラに引っ張られていたのだ。文法書への道のりは遠いと言わねばならない。

Sさんはベルベル語が母語だが、普段はチュニジアのアラビア語で生活している。そんなわけで単語がすぐ出てこないことも多いが、すぐに同居しているお母さんに電話で確認してくれる。しかし、なにかの事情で電話が繋がらないこともある。そんなときはわからない点はそのままにしておいて、あとで聞くことにしている。

あるとき「〜の間に」という単語をSさんが思い出せないことがあった。そこで、いつものように電話すると、Sさんの家族が出て、お母さんに取り次いでくれた。実はその前に何度か電話をかけたが繋がらなかったので、不明な単語がいくつかあった。問題の単語を教えてもらうと、私たちはノートを見返し、わからない単語をお母さんにひとつひとつ教えてもらった。

そして、Sさんが電話を切り、もう一度「〜の間に」の問題に返ったとき、私たちはその単語をすっかり忘れていることに気がついた。

ありがたいことにすぐに電話をかけて確認してくれたが、道のりはまだまだ遠いと言わねばならない。

旅・観察

手で食べる話

昨日に引き続き、Sさんの体験談だ。私が「指」をベルベル語でなんというか尋ねたら、手で食べる習慣についての話になった。

Sさんがモーリタニアに行ったときのことだ。Sさんはある家に招かれて食事をすることになったのだが、その食べ方を見て驚いた。米を手で掬って、ボール状にして食べる、これだけなら普通だが、面白いのはそれからだ。現地の人は、そのボールをそのまま口に運ぶのではなく、手で米をポイと口の中に投げ入れるのだそうだ。

チュニジアの人も手を使って器用に食べるが、Sさんはさすがにこれは真似できず、スプーンが欲しいと伝えると、その人たちは近所中探してスプーンを持ってきてくれたのだという。

この話からの連想で、あるアルジェリア人の逸話についても話してくれた。

あるアルジェリア人がフランスに行ってレストランで食事をした。するとそのレストランにいたフランス人が汚い食べ方だと文句を言った。

これにそのアルジェリア人、平然と言い返した。

「私が手で食べているのは、自分の手がきれいだからだ。あなたたちがフォークやスプーンで食べるのは、あなたたちの手が汚いからではないか」

もしかしたらこのアルジェリア人は、別の意味でもフランス人の手は汚いと言ったのかもしれない。それはさておき、最初の話も、その次の話も、昔のアラブの逸話集にでも出てきそうなエピソードではないか。

旅・観察

断食の違い

私は今、チュニジアでベルベル語について教えてもらっている。まだ初心者なので、名詞や動詞の活用についてひとつひとつ記録している段階だ。

教えてくれるのはSさんという男性だ。人生経験の豊富な人で、ベルベル語のことばかりでなく、チュニジアの文化や外国での体験などについても話してくれる。ただしこれは、チュニジアのアラビア語方言でだ。しかし、私は方言についても勉強しているので、これも貴重な資料になる。マグロと一緒で捨てるところがない。

ベルベル語で「なにも〜しない」をどう言うのか尋ねていて「断食中はなにも食べない」という例文をSさんが出してくれた。断食というのは、ラマダーンのことで、この期間は、人々は日中は食事をしない。そこからSさんが、断食に関する思い出を話してくれた。

昔、Sさんがあるレバノン人と食事をしたときのことだ。レバノンはアラビア語圏だが、ムスリムだけでなく、キリスト教徒も多く、その人もそのひとりだった。Sさんがその人に肉を渡そうとすると彼は言った。

「私は断食中だから食べません」

これにSさんは「食べてるのに?」と思ったそうだ。だが、そのわけを聞いて彼は「我々は断食というとなにも食べないことだが、レバノンのキリスト教徒にとっては断食とは肉を食べないことで、それ以外は食べてもいいのだ」とびっくりしたということだ。

これがレバノンのキリスト教徒すべてに当てはまるかどうかはさておき、この話のミソは、Sさんも、このレバノン人も、断食に同じアラビア語の単語を使っていたことだ。同じ単語でも、宗教の違いによって意味が変わってくるということが、当時のSさんにとって新鮮な発見だったのだ。

断食というとダイエットしか思い浮かばない私にとっても、Sさんの驚き込みで新鮮な発見となった。

散文

美魔女と地頭

美魔女というのは「年齢を重ねても美しい女性」のことで、しばらく前から使われるようになった言葉だ。

日本語には「美人」とか「美女」とかの言葉があるのに、どうして「美魔女」という言葉が存在するのだろうか。美しければみな美女でいいではないか。そうならないのは、最初に「年齢を重ねても美しい女性」と書いたように、美魔女という言葉には「美しさは本来若い人のもの」という前提があるからだ。

私たち日本人は、ある程度の年齢以上の女性に美しさがあるとき、そこに「若くないにもかかわらず美しさを手に入れる魔力」が働いていると想像するのだ。

もうひとつ似た言葉に「地頭」がある。「地頭がいい」というのは、その人本来が持っている頭のよさのことをいうようだ。それならば「頭がいい」で十分ではないか、という気もするが、そうはならない。というのも、「地頭がいい」という言葉が前提としているのは、「学校では評価されない頭のよさがあり、それは単に頭がよいということよりもずっといいことだ」ということだからだ。

そんなわけで、「地頭がいい」と口にすることは、「学校なんかクソ喰らえ」と叫ぶのに似ている。私たちはみな学校に苦しめられてきたから、そう言いたくなるのもわかる。

だが、人間の知性にはいろいろなよさがあっていい。それに、学校の評価に言いたいことがあるからといって、それを否定するほどでもない。学校が必要な人は世界にたくさんいるし、学校だって私たちが卒業したときのままではない。常に変わり続けている。

要するに、「美魔女」にしても「地頭」にしても、これらの言葉が前提としているのは、非合理的な考え方だ。つまり「美魔女」の場合は若さを美しさと結びつけ、「地頭」の場合は人間の頭のよさを単純化し過ぎている。こうした非合理な思考は、いわば魔術的だ。私たちはこの魔術を使って「美魔女」と「地頭のいい人」を出現させたのだ。

だから、こうした魔術が解かれたとき、美魔女も地頭のいい人も、ちょうど御伽話のように、ただの美人と頭のいい人に戻るにちがいない。

旅・観察

機内食

飛行機に乗ると、目の前に据えられたモニターでパズルゲームを始める人もいるかもしれない。だが、そんなことをしなくても、パズルの時間はやってくる。

機内食の時間だ。

それはまるで、木の四角いコマを動かすパズルのようだ。私は小さなトレーの中にぎっしり並べられている正方形や長方形の皿、パンやクラッカー、コップ、カトラリーやナプキンを巧みにスライドさせる。そうしながら、前菜からデザートへと進んでいかねばならない。

このパズルは、エコノミークラスの必修課題だ。そもそもエコノミーとは語源を辿れば、古代ギリシア語の oikonomia、つまり「家の管理」だということだ。古代ギリシア人の家はとても小さかったのだろう。だからタンスやベッド、テレビ台の置き場を決めるにあたり、まるでパズルを解くかのように苦労しなくてはならなかったのだ。

「しかし、それにしても」と私はこの小さなトレーを舞台に知的格闘を繰り広げながら、疑問に思う。「何ひとつ落とすことなく、食事を済ませることのできる人などいるのだろうか」と。

というのも、皿のプラスチックの蓋はまるでUFOのように飛び出していくし、丸めたナプキンは必ず他のゴミを外に弾き出そうと膨張しだすからだ。コップだって、中身をぶちまけてやろうとかねてから虎視眈々だ。

これらのことに気を取られているあいだに、私はフォークを落としてしまった。それは足元の鞄の上に乗っている。まだ大丈夫だ、と手を伸ばすと、それは鞄から滑り落ち、地の底に飲み込まれていった……。

なんとか苦労して食べ終えたが、それからたっぷり一時間、いかなる乗務員も訪れることなく、トレーは私たちのテーブルの前に置かれていた。食後の時間をゆっくり楽しむのも、やはり必修課題とみえる。