旅・観察

チュニジアのベルベル語(4)

ベルベル語の本を手に入れた話のついでにいえば、チュニジアのベルベル語は (a) のガフサ東部では消滅したと考えられている。2 つのベルベル村があり、そのうちのひとつ、セネッドのベルベル語の文法書が 1911 年に出版されている(正式な書名は “Étude sur la Tamazir’t ou Zenatia de Qalât es-Sened”)。著者は Provotelle というフランス人だ。分厚い文法書ではないが、この地域のベルベル語の実態を伝える、ほとんど唯一の文献かもしれない。

私がこの本を手に入れたのも、チュニスの本屋だった。もう 20 年前のことだ。新刊と古書を売っている本屋で、チュニジアで刊行されたフランス語の本が並ぶコーナーで見つけたのだった。製本も緩くなっていて、すぐにもバラバラになりそうだった。もしかしたら 1911 年から買い手を待っていた可能性だってある。私はためらうことなく購入した。そして、その本は私の書架のどこかでさらに長く待たされることとなった。

だが、昨年のこと、その本が急に引っ張り出された。なぜなら、私は運よく、チュニジアのベルベル語を学ぶ機会を手に入れたからだ。この「運よく」を説明するには、まだ触れていなかった (b) のガベス西部マトマータのベルベル語の話に戻らねばならない。

苦い文学

真夜中のストリートピアノ

僕たちの街から、ストリートピアノがなくなっちゃったんだ。街の広場にあるそのピアノで僕たちはいつも遊んでたのに。ギャンギャングワングワン叩いたり、ポロンポロンキャンキャン弾いたり、ツタタタタタタンと楽しんだりしてたんだ。

だけど、ある朝、こんなふうな張り紙がしてあったんだ。

「ストリートピアノは、プロのピアニストが無料で弾くためのものです。それ以外の人は汚い手で触らないでください。市長より」

僕たちみんな、がっかりしたんだ。そしたら、大人たちが怒り出したんだ。

「ストリートピアノは、誰でも自由に弾くためのものだ!」

「プロが無料で、だなんて、厚かましいにもほどがある!」

とうとう大人たちが市役所にまでやってきて、大声で叫んだものだから、市長は謝って、この街にストリートピアノがあるとロクなことにならない、ってどこかに持っていってしまったんだ。

それからしばらくして、革命が僕たちの街にもやってきたんだ。

市長は革命軍の仲間になって、ピアノのときに反抗した大人たちを全員捕まえて、その夜、街の広場で全員の頭をかち割ったんだ。ちゃんとドレミの音が聞こえたよ。

苦い文学

ゲーマー人生(Final stage)

「人生はゲームみたいだって?」とハチオは聞いた。「じゃあ、ゲームはいいことってこと?」

「いや、そうじゃないんだ。人生にはゲームみたいにステージがあって、生きるってことはそのステージをクリアしていくことなんだ。いや、ただクリアしても意味がないんだ。ステージごとにアイテムがあるだろ。それをちゃんとぜんぶ取っておかないといけないんだ。たとえば20代のステージではそのステージのアイテムをしっかりとっておかなくちゃならない。というのも、20代でアイテムを取り損ねたら、30代になってからはそのアイテムは絶対に取れないから。だって、一度ステージをクリアしてしまったら、後戻りはできないだろ」

「うん。でも、後のステージでもアイテムは出てくるでしょ」

「おじさんも最初そう思ったんだ。自分は人生のステージでなんのアイテムも取ってこなかったけど、50代のステージではせんぶ取ってやるって。だけど、違ったんだ。本当に大事なアイテムはもう出現しないんだ、20代・30代・40代にちゃんとアイテムを取ってクリアしておかないとね」

男はとてもさびしげだった。「だからゲームなんかやめなさい。人生のステージで、いま取れるアイテムをちゃんと取るんだ」

ハチオもなんだか悲しくなって、ゲームをしまった。男はやさしく微笑んだ。ハチオは家に帰る前に、さっきからずっと気になっていたことを尋ねた。

「ねえ、おじさんはさ、どうして話しながら、指で体のあちこちを押したりさすったりしてるの。体の調子が良くないの?」

男はきまり悪そうに答えた。

「いや、あの、もしかしたらね、アイテムぜんぶが手に入る隠しコマンドがないかと思って……くっ、くせみたいな感じ?……」

苦い文学

アマビエの写し絵

アマビエでいちばん奇妙なのは、いまアマビエのことを誰も覚えていないということだ。

江戸時代末期に熊本の海上に現れたというこの謎めいた存在は、疫病の流行を予言し「自分の写し絵を人々に見せよ」と言って海中に没したのだった。

そして、コロナが拡大するなか、不安な日々を暮す私たちはこのアマビエを再発見した。たちまち日本はアマビエの画像で溢れた。イラストに、パッケージに、広報に、マークに、シンボルに、メディアに……。私たちはリツイートに次ぐリツイートだ。

これほどまでに私たちを夢中にさせたアマビエだが、その熱狂もブームも短かった。私たちを脅かしはじめた死と医療崩壊という現実は、写し絵など簡単に吹き飛ばしてしまったのだった。

あれほどあったイメージに目を向けるものはもはや誰もいなくなった。私たちはアマビエを海に放棄した。結局、タワゴトにすぎなかったのだ。

だが、それでも私たちは、ワクチン接種証明書を関係各所に提示するとき、思わずにはいられない。アマビエの言った写し絵とはこのことではないか、と。

苦い文学

偽旗任三郎

報じられているところによれば、ロシアはウクライナで偽旗作戦を用いているという。

偽旗作戦とは、敵になりすまして軍事行動を行うことだ。そして、それを口実におおっぴらに戦争などを仕掛けるのだ。

実はこの偽旗作戦、我が国でも行われていることは知られていない。それは以下のとおりだ。

現在ウクライナで起きている惨事について多くの人びとが心を痛めているが、なかには興奮して叫び出す勇ましい人もいる。

そうした勇ましい人々は、ウクライナの危機は、今まさに日本が直面している危機でもあると考えるのだ。

「なぜなら、ほら! 中国やロシア、北朝鮮といった剣呑な連中が、我が国を狙っている!」

そして、ある種の人々は、この勇ましい雰囲気を利用して、核共有だ改憲だと、さらに勇ましいご提案をここぞとばかりに繰り出す始末だ。

「我々もウクライナのように負けないぞ!」と、気分はもう戦時下だ。

だが、私はこれには正直納得できない。というのも、我が国はどう考えてもロシア側の国だからだ。

我が国の歴史を振り返ると、侵略されるよりも、むしろ侵略する側であった。ウクライナらしいところはまったくないのだ。

となると、我が国の勇ましい人々によるウクライナの味方づらの裏には、実はロシア的本性が隠れているのではあるまいか。確かに、これらの連中の言い分ややり口はいかにもプーチン的なのだ(というか戦争以前はこぞってプーチンの賛美者だったのだ)。

欺瞞をもって日本をよりロシア的にしようとする、こうした汚いやり口はまさに偽旗作戦と呼ぶにふさわしいではないか。

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その2)

 その翌週、40万円の金策成れりとの報が入ったが、保証金とは別に、彼の仮放免手続きについても考えなくてはならなかった。誰かが、大村入管に行って手続きをしなくてはならない。大村入管では教会関係者などいろいろな人が支援活動を行っていて、頼めば代わりに手続きをしてくれるはずだ。

 連絡があった翌週、彼から早速封書が届いた。そりゃそうだ。一刻も早く釈放されたいのだ。封書には手紙と委任状が入っていた。この委任状に署名して、長崎の支援者に送れば、その人が代わりに仮放免手続きをしてくれるというわけだ。

 もちろん、私が行ったっていい。だが、問題は金だ。いろいろ調べたが、どんなに安くたって3万はかかる。福岡まで飛行機で行って、それからバスで長崎に行くのが安そうだ。前にも一度行ったことがあるので、長崎空港からは歩いて行けることがわかっている。だが、バスで行くとなると、一体どこで降りればいいのか。

 これはもう入管に電話して聞いてみるほかなかった。と、電話したのは3月19日の16時50分。問い合わせのできるギリギリの時間だったが、この電話が他の意味でもギリギリであったとは私は思いもしなかったのだ。(つづく)