苦い文学

不正行為

日本語能力試験(JLPT)は、日本語の能力を測定するテストで、高いレベルに合格すると、進学や就職に有利なため、しばしば替え玉受験やカンニングなどの不正行為が発生する。

受験の注意を見ると、イエローカード2枚もしくはレッドカード1枚で失格となるそうだ。どのような行為が対象となるかだが、これは普通のテストと変わらない。問題用紙を勝手に見たり、カンニングしたり、迷惑をかけたり、などだ。ただ、面白いのが「服や体に数字や文字などが書いてあったとき」だ。

うっかり日本語の書かれたシャツを着ていったら、失格になりかねないのだから、注意が必要だ。ただ、シャツなら脱げばなんとかなるかもしれないが、刺青の場合はどうなるのだろうか。国によっては刺青がそれほど特別なことではなく、誰もが目立つところに入れている文化もある。花や模様ならいいが、しっかり漢字で入っている人もいるかもしれない。そういう人がもし、JLPT に挑戦することになったらどうなるだろうか。試験監督に見咎められて、退場させられるのではないか。私はとても心配だ。

また、刺青ではないが、日本語学習者の中には、全身にお経が書いてある人もいるかもしれない。そういう人もどうなるのだろうか。試験監督に両耳だけもぎ取られて退場を命じられるのではないか。私はとても心配だ。

苦い文学

第三次世界大戦

アメリカがイランを攻撃したとき、人々は「第三次世界大戦が始まった」と言い出した。

これに対して、別の人々は「第三次世界大戦はまだ始まっていない」と反論した。これは局地的な紛争に過ぎないというのだ。

また別の人々は別の角度から反論した。

「第三次世界大戦は始まっていないし、決して始まらない。なぜなら、第二次世界大戦の頃とは、世界のあり方も人の考え方も異なるのだから、第二次世界大戦と同じような意味で世界大戦はもう起こりようがないのだ」 そして、こう付け加えた。「次に起こるのは、シン世界大戦だ」

こうした動きに対して「もうとっくの昔に第三次世界大戦は始まっているのに、いまごろそんなことを言っているとは!」と憤慨する人が現れた。この一派の一部が過激化し「今は第五十三次世界大戦だ」と主張するに至った。

第三次世界大戦についてどのような立場を取るかは、いつのまにか、大きな政治問題となっていった。というのも、どんな形にせよ「起こった」状態のほうが都合のいい政治家と、「起こっていない」ほうが都合のいい政治家がいたからだ。

そんなわけで「起こった」派と「起こっていない」派との論争は激化し、いつしか第三次世界大戦に発展していった。

苦い文学

激白記事

《記事タイトル》
【激白研究者が激白激減の原因を激白!】

《記事の内容》
・本記事は「激白」を研究する研究者が発表した「激白が激減した原因を明らかにした論文」について報じたものである。
・「激白」とは、辞書によれば「ニュースなどで取材された人が衝撃的な内容を隠さずにうち明けること」とされる。
・「激白」を報じた記事を「激白記事」と呼ぶ。
・論文では、この「激白記事」の出現回数を過去 30 年に遡って調査。
・その結果、2010年代初めから「激白記事」が激減していることが明らかになった。
・論文によれば、激白が激減した理由について4つの仮説があるという。

(1) 記者のレベルが低くなったため、激白を引き出せなくなったという説。
(2) 激白はどこかダサい人がしている印象があるため「激白ダサい」とする風潮が広がったためという説。
(3) SNS や 動画配信の普及により、過激な発言が一般的になったため、ちょっとやそっとの発言では激白にならなくなった、という説。
(4) 激白の減少には炎上の増加が関係している、という説。

・「いずれにしても、現代ほど激白の困難な時代はないと言えそうである。」と記者はまとめる。

《関連記事》
【激白研究者があの激白研究の捏造を激白!】

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『中車藝話』

『中車藝話』(築地書店、昭和十八年刊)は、明治から昭和初めにかけて活躍した歌舞伎役者、七代目市川中車の自伝だ。いつどこで、そしてどうしてこの本を買ったのか、自分でも覚えていないのだが、とにかくいつも本棚にあるので、このあいだ読んでみた。

そしたら、奇妙な話ばかり出てくる。もしかしたら、私が知らないだけで、誰でも知っているような話なのかもしれないが、面白かったので、そのいくつかを思いつくままに列挙しておく。

・市川中車は幕末から子ども役者を務め、いわゆる「どさまわり」を経験した人だが、そのどさまわりのとき、墓場で死体に噛みつかれた。
・14〜5歳のころ、パトロンに連れられて遊郭にいく。すると、花魁が役者に惚れて困るのでウチは役者を客にしない、と遊郭の主人に断られる。面目を潰されたパトロンが後日、現代のドラマでは決して放送できないような手段で仕返しする。
・深い仲になった花魁と心中しようとして、かえって別の心中を助ける。
・盲目の役者が化狸に導かれたという。
・出かける前に神棚に魂を置いていく役者がいたそうだ。
・亡くなった前妻が心霊現象を引き起こす。

私は歌舞伎のことなどまったくわからないので、芸に関する話はほとんど理解していないと思う。だが、それでも普通の読み物として十分に楽しめた。

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きっと

10代の人と話していて、ある約束について確認を求められた。私が「もちろん行く、きっとだよ」と答えると、その人は不審げな顔つきでこう返事をした。「え、絶対じゃないの?」

私は「絶対」のつもりで言ったのだが、ここで「きっと」の意味が違うのだということに気がついた。辞書で「きっと」を見るとこう書いてある。

・確実にそうなるだろうと予測しているさま。
・あることが確実に行われるさま。必ず。

漢字で書くと「屹度」「急度」だ。当て字ということだが、厳しそうな漢字からして「絶対だぞ」という感じがする。

だが、若い人はそうは受けとらなかったのだ。なぜなら、「きっと」はこんなふうに使われることも多いから。

「きっと彼は来るだろう」
「いつかきっと……」

「だろう」とか「いつか」と一緒に使われると、「絶対」よりも確実性が下がり「たぶん」に近くなる。この問題についてはネットでもいくつか意見があり、「たぶん」と感じる人のほうが多いようでもある。

もっとも、キットカットの「きっと勝つ」が「たぶん」では応援にならないから、「絶対」の感覚もまったくなくなってしまったわけではない。

それはさておき、私はこの「きっと」が、どちらともつかない場合があることにも気がついた。まずこれを見てほしい。

きっと君は来ない
ひときりのクリスマス・イブ

山下達郎はどちらの「きっと」で歌ったのだろうか。まず「来ない」と言い切っているからには「絶対」だろう。また山下達郎の世代からいっても「たぶん」ではなさそうだ。つまり、「絶対に来ない」と言っているのだ。

しかし、疑問がないわけではない。絶対に来ないとわかっている人がいったい、「ひとりきり」だの「まだ消え残る」だの未練がましく歌うものだろうか?

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時間旅行

今回の旅は、カタール航空でドーハ経由でベルリンに行った。成田からドーハに向かう飛行機で私は携帯を充電しておきたくなった。

iPhone 15 なので、USB Type-C のケーブルで充電する。だが、座席のモニター周辺には昔の USB の差し込み口があるだけで、Type-C 用のはなかった。そんなわけで結局、充電することはできなかった。

だが、ドーハの空港に着いてみると、あちこちに充電する場所があった。Type-C 用のポートもあった。そして、ドーハからベルリンに向かう飛行機にも、モニターの下に Type-C 用接続口があった。

ベルリンでの滞在が終わり、私は再びドーハに向かった。飛行機の中で iPhone を充電しながら、ドーハの空港に着き、空港でも充電した。だが、日本行の飛行機の中では充電はできなかった。なぜなら、Type-C 用ポートがなかったからだ。

これはつまり、と、飛行機の中の私は考えた。時間を旅しているということではないだろうか。 Type-C が当たり前の世界と、昔の USB の長方形の差し込み口しかない過去の世界をドーハ経由で行き来しているのだから。

私はそれに気がつくと、スチュワーデスを呼んでコーヒーを持ってこさせ、タバコに火をつけた。

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AKI’O NAKANO

ベルリン自由大学で開催されたセム語方言学会議(Semitic Dialectology Conference)の口頭発表のうち、特筆すべきは、シリア語・アラム語の碩学、Werner Arnold 先生によるものだろう。それは 「中野暁雄のジュッブアディーンからの現代西アラム語による薪についてのテキスト(“Aki’o Nakano’s Western Neo-Aramaic Text from Ǧubbʿadīn about Firewood”)」と題されたものだ。

タイトルだけだとなんのことかわからないが、中野暁雄という研究者が現地で採取し、出版した現代西アラム語のジュッブアディーン方言の民族誌的テキスト集( “Ethnographical Texts in Modern Western Aramaic (1) (Dialect of Jubb’adin)” 1994)があり、そのテキストの「薪(firewood, p63)」と題されたセクションについての発表だ。

その発表の理由であるが、これはこのテキストのもつ大きな「問題」に起因している。このテキストはアラム語(の音韻表記)のみで、英語の語釈も訳もないので、ごく少数の研究者にしかわからないのだ。そこで Werner Arnold 先生が専門家として注釈と訳を試みたというわけだ(ちなみに同書では Arnold 先生の研究も参考文献として挙げられている)。

Arnold 先生によれば、このテキストは、他のアラム語資料には出てこない語彙が現れる貴重な資料ということであった。こういったものを出版した中野暁雄は実にすごい人であったのだ。

中野暁雄は 2008 年に亡くなったが、それまでにアラビア語方言、現代南アラビア語、現代アラム語、エチオピア諸語、ベルベル語などの言語の現地調査を行い、数々のテキストや語彙資料を出版した。そのため、これらの諸言語の研究者の集まる今回の会議では、その名前を知らぬものはないというほどであった。

日本から来た私はこの傑出した学者についていくども尋ねられた。そのたびに私は「中野先生の学生であった者です」と少しえばって答えた。

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危険なアクティビティ

海外旅行に行くたびに保険をかけているが、申し込むときに旅行の目的を選択しなくてはならない。そのときに危険なアクティビティをしないということについても確認を求められる。危険なアクティビティとはなんだろうか。ネットで調べると、スカイダイビング、登山、探検などが出てくる。私は冒険家ではないので「しない」にチェックを入れる。今回のベルリン旅行も同様だった。

そのベルリン滞在中に、とてもいい古本屋がある、と教えてもらった。Antiquariat Carl Wegner という。住所を頼りに行ってみると、ショーウィンドーにいかにも古くて味のある本が並べられている。勇を奮って店内に入る。重々しい皮の装丁の本が天井まで所狭しと並べられている。200 年前の本など当たり前という感じで、もっと古い本もたくさんありそうだ。

お店の人が声をかけてくれたので、関心のある分野をいうと、英語のものはこれしかないですね、と検索してパソコンで見せてくれた。しかし、私はドイツ語でも良いものがあれば買おうと思っていたので、その本棚を教えてもらった。

3段目に面白そうな本があった。いわゆる亀の子文字の本もある。上の段を見ていくと3段上ぐらいから天井のあたりまでの棚にも興味深い本が並んでいるのが見えた。私はお店の人に頼んで、鉄の脚立をその本棚の前まで動かしてもらった。

脚立は2メートルはある。段に足をかけると軋む。おそるおそる最上部に上がる。もう立つのがやっとだ。それでも、なんとか私は棚の本をじっくりと調べた。本を引っ張り出したり、棚に戻したりするたびにふらつき、足を踏み外して床に落ちそうな気がした。

危険なアクティビティの「する」にチェックを入れるべきだったろう。

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セム語方言学

ベルリン自由大学で開催されたセム語方言学会議(Semitic Dialectology Conference)では、29 の口頭発表が行われた。そのうちひとつを除いて、どれも面白いものだった。ここに、素人の私にも説明しやすいものをいくつか紹介したい(ただし正確かどうかは別。なお、タイトルと発表者は Semitic Dialectology Conference で検索すれば見つけることができる)。

・オマーンの南アラビア語であるジッバーリ語には、「男の詩」と呼ばれる短い詩がある。それは葬儀で遺体を運ぶときや、家を作るときなど、きつい労働をするときに男たちが歌う歌で、話し言葉と違う。生活形態の変化もあってこの種の詩形は失われつつあるとのこと。

・アルジェリアの南部の砂漠にガルダイヤという町がある。そこに古くから暮らすユダヤ人の集団がおり、チュニジアのジェルバ島とモロッコのアラビア語方言に影響されたアラビア語を使っている。女性と男性で方言差があり、女性の方が革新的な形式を用いている。これらのユダヤ人は現在イスラエルに移住しており、調査はそこで行われた。

・トゥロヨ語は現代アラム語のひとつ。もともとはトルコやシリアにわたる地域で話されていたが、迫害や虐殺の結果、世界に散らばった。スウェーデンに大きなコミュニティがあり、そこでもトゥロヨ語が用いられている。このコミュニティの中にはトゥロヨ語が母語でない人もいるが、同じ迫害の記憶を共有しているため、あえてトゥロヨ語を話すようになった人もいる。そうした人の言語の特徴についての報告。

・エチオピアにはアラビア語に次ぐセム語の話者が存在し、文字言語として公的な地位を与えられている。また、方言もたくさん存在するが、これら重要な言語を調査・研究する人はあまりにも少ない。

ということのなので、ぜひみなさん行ってください。

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Semitic Dialectology Conference

ベルリン自由大学のセム語研究所(Insititute of Semitic Studies)が開催した学会(Semitic Dialectology Conference Cutting-Edge Research in Semitic Dialectology: Bridging Theory and Practice)に参加した。

これはセム語(アラビア語、ヘブライ語、現代南アラビア語、現代アラム語、エチオピア諸語など)の研究者が集まる集いで、6 月 11 日から 13 日までの 3 日間にわたり、全部で 29 の口頭発表が行われた。

研究発表というと、私には難しくてよくわからないことも多いが、「最先端の研究(Cutting-Edge Research)」というだけあって、具体的なデータにもとづく話ばかりで、どれも興味深く聞けた。

発表では、アラビア語諸方言、現代アラム語(新約聖書の時代のアラム語が現代まで残ったもの)、現代南アラビア語(アラビア半島のオマーンやイエメンで話される言語)などが取り上げられた。

このうち、現代アラム語諸方言と現代南アラビア語諸語は、話者が少なく、そのいくつかは消滅の危機にある危機言語だ。今、記録を残しておかないと、10 年後にはなくなっているかもしれない。

アラビア語方言やエチオピア諸語も、話者数が多いからといって安心はできない。実際にはさまざまな方言に分かれるし、それらの方言も変化する。また、時代の波や政情不安、そして戦争により大きな影響を受け、消え去りつつあるものもある。

こういう危機言語の問題はどの言語にもあるが、セム諸語においても、「方言」の危機があり、さらなる調査が必要な言語がたくさんある。このような認識が、今回の集会のメッセージのひとつであったと思う。

そのせいで、私もすっかり熱に当てられてしまい、用もないのにオマーンやシリア、エチオピアに行きたくなってしまった。