散文

地獄の言語学入門(14)

ここでひとつ似たような問題に取り組もう。

日本語のタイヤとダイヤの違いだ。この二つはいったいなにが違うのだろうか? 正解した人全員に、ダイヤが好きなだけ手に入る秘密の方法をプレゼントしよう。

どうかな? わかったかな?

硬さ? 素材? ちょっと違うな……そうそう! 「タ」と「ダ」が違うのだ。

では「タ」と「ダ」の違いは? 音声記号で書くと [t] と [d] で、両方とも歯茎破裂音だ。なにが違うというと、声帯の振動があるかないか。[t] は無声歯茎破裂音、[d] は有声歯茎破裂音だ。

つまり、「タ」と「ダ」、[t] と[d] の違いは無声か有声かなのだ。そして、この違いは重大だ。なぜなら日本語話者は声帯の震えによって、タイヤとダイヤを区別しているのだから。

有声・無声というこの区別は、日本語では大きな役割を担っている。金と銀([k/g])、パリとバリ([p/b])、麻と痣([s/z])などなど、無声・有声を入れ替えただけで意味が違ってしまう。

このように意味の違いを引き起こす特徴、この場合だと無声・有声という音声的特徴を弁別特徴と呼ぶ。そして、この弁別特徴によって話者の頭の中で区別される「音」が音素だ。すなわち、タイヤとダイヤの例からは /t/, /d/ の二種の音素が立てられることになる。

ここで獄中に戻ろう。私たちの政治犯がAグループとBグループの弁別特徴に気がつきえたのは、明らかに音韻論への深い理解があったからこそなのだ。そして、それはこの政治犯にとって幸いであった。なぜなら、声帯振動の有無はタイヤとダイヤを分けるにすぎないが、賄賂の有無は生死を分けるから。

しかし、ここでこの政治犯の前に別の看守が立ち塞がる。この看守は……たとえば中国人だ。

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小説

道を渡りし者(2)

その恰幅のいい男は、私を無理やり人垣からひっぱり出すと、そのままどこかに連れて行こうとするのだった。

「さあ、早く行きましょう!」

私は腕を掴んだ男の手を振り払おうとしたが、彼はいっかな離さなかった。

「こっちです!」

「いったいどこに行こうというのです。私は駅に行かなくてはならないのです」

時計を見ると午後3時まであと少しだ。だが、男は「見てください」と、後からついてくる人々を目で示した。いつの間にか増えたようで、人々は私を指差しながら、「奇跡だ!」「神業だ!」「魔法だ!」と口々に叫んでいるのだった。

「もうこうなったら無理でしょう。しばらく私の家で待つしかありません」

「しばらくって!」

「町の人々が落ち着くまでです。大丈夫、今日中に電車に乗れますよ。あんがい忘れっぽいんですから。ただ、今、ひとりで駅に行こうとするのだけはやめてください。危険ですよ」

「危険だなんて! いったいどういう危険が?」

私は尋ねたが、男はそれきり口をつぐんでしまい、ただ私の腕を掴んだまま、群衆から逃げるように歩いていくのだった。

旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(8)

 さて、後に、アラカン人(ラカイン人)の若者から、彼の出身地であるアラカン州(ラカイン州)について聞くことができた。それについて若干記して、終わりとしよう。

 まず、アラカン人について簡単に記すと、アラカン民族はビルマ民族とは異なる民族であり、かつては独自の王国を持っていたこともある。王国滅亡後はビルマ民族の支配下に入ったが、ビルマ独立後の連邦制でも不平等な地位を押し付けられていたため、民族の平等を求めて長い間、闘争を続けている。

 アラカン人の言語は、ビルマ語と近い。だからといって、非常に近いとは言えないようだ。私はこの点について彼に聞いたら、彼自身はビルマ語は学校で読み書きは習ったが、上手には話せないとのことだった。日本に来るにはヤンゴンにしばらく滞在する必要があるが、そこでも言葉の問題で苦労したようだった。

 また、彼はアラカン州でも州都シットウェではなく、ベンガル湾のラムリー島のチャウッピュー(Kyaukpyu)の出身で、そこの言葉は、シットウェの言葉ともまた少し違うそうだ。

 さて、このラムリー島について書かれたサイトを見ると、こんなふうに書かれている。

「第二次世界大戦中にイギリスと日本がラムリー島をめぐって争ったのは有名である。近年では、インド洋と中国を結ぶパイプラインと鉄道、深海港が設けられている」

 前者についてはいうまでもなく、我々は追い出された。後者は天然ガスのパイプラインで、その開発が環境破壊と人権侵害、資源の収奪の原因となっているとして、かねてから多くのアラカン民族が抗議している。ビルマ政府はこれら反対派からパイプラインを保護するためにビルマ軍を派遣しており、これがさらなる紛争と人権侵害を生み出している。

 中国との関係でいえば、ラムリー島は当然ながら漁業が主産業だが、中国船による乱獲によっても被害を受けているという。

 彼はまた、ラムリー島の隣にあるチェドバ島(マナウン島)と呼ばれる島についても教えてくれた。ここの住民の方言は、ラムリー島のアラカン語とはまた異なり、彼自身も理解するのに少々苦労するという。

 この島には、特筆すべきことが一つある。それは、美男美女の産地として有名であることだ。一名、美人島(min ma hla kyun)と呼ばれている。真偽の程は定かではないが、かつてポルトガル人が居住していたことに関係している、という説が唱えられている。

 私は美人にはまったく興味はないが、コロナが終わったらすぐ行くつもりだ。

アラカンの舞踊(2019年9月8日、新宿区で開かれたアラカン民族の式典で)