旅・観察

ベルベル語に出会う(3)

その団体は、日本語教室のほかに、地域の外国人が講師となる語学教室も運営していた。フランス語教室もあって、こんなふうに書かれていたのだ。

「講師はチュニジア出身の A さん」

名前はアラブ風の名前だし、チュニジア人がフランス語を教えても不思議はない。

私はこの人に会わねばと決心した。というのも、私はそのころチュニジア訪問の計画を練っていたが、コロナによって環境が変わったため、人間関係を作り直す必要があったからだ。

そこで、ある日曜日、私は A さんの教室を訪問し、2 人のチュニジア人を紹介してもらった。そのひとりを通じて私はガベスを訪問することができた(これはすでに書いた)。そして、そのもうひとりである B さんは、私にタターウィーンの友人を紹介してくれたばかりでなく、ついにベルベル語の話者と引き合わせてくれたのだった。

それは 2025 年 2 月 24 日のことだった。私は B さんにベルベル語のことで紹介をお願いしていたが、もしダメだったときは再び南部に行って以前の知り合いにあたってみようと考えていた。そこで、その日朝早く、駅に行って 13 時発のガベス行きのチケットを買った。ホテルに戻って、引き払う準備もした。

すると、B さんから電話がかかってきた。ベルベル語話者との顔合わせのセッティングができたという。午後 4 時に待ち合わせだ。

私はホテルのフロントに延泊を告げるとともに、チケットを持って駅に急いだ。払い戻しできないと言われた。1,200 円ばかり無駄になった。私は気にしなかった。

(写真:チュニジアのサラダ、2025 年 2 月 24 日撮影)

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その13)

 紙袋とゴミ袋を抱えて出てきたKさんは、私が持ってきたスーツケースと鞄に詰め込み始めた。私も神聖なる記録作業が終わると、ようやく彼と2年ぶりの再会を喜ぶ気になった。これから東京にどうやって帰るかなど話していると、待合室のベンチに座っていた年配の男性に話しかけられた。

 長崎には、特に教会の関係者を中心に、大村入管の被収容者を支援している人々がいる。話しかけてくれた人もその1人で、ちょうど面会の呼び出しを待っているところだった。Kさんが荷造りをしている間、私はいろいろ教えてもらった。グループで面会活動していて、現在把握できる限りの被収容者の情報(国、収容時期、面会記録)が、ノートに几帳面に記されていた。今日、仮放免されたKさんの欄もあった(もっとも、Kさんのことは知らなかった。というのも、1人で全員に面会することはできないから。担当があるのだ)。

 彼によれば、入管は、現場の職員よりもその上の人々が強硬なので、入管収容の問題、とくに長期収容を変えるのはなかなか難しいのだという。そして、長崎の人々が大村入管を変えるためにどんなことをしているかも話してくれた。

 その人の話を聞いているうちに、私はある眩さに捕らわれ、神秘的な声が耳に飛び込んできた。

 「そうだ、入管の収容は必ずなくせる。そのためにお前ができることを精一杯するのだ!」

 啓示だ! 私が書き写していた入管の掲示が啓示へと!

 職員が呼びに来た。その人は面会に行ってしまう。私はKさんと二人きりになった。彼はとても元気そうで、自分のiPadがあったら写真を撮るのにと残念がっている。職員が通りがかると、親しげに挨拶して別れを惜しむ。荷物の整理が終わり、立ち上がったKさんが尋ねる。

 「コロナ、けっこう大変なんでしょ。中で見たよ」

 「うん、長崎は大丈夫なんだけどね、いま、東京は大変だよ」

 もしかしたらそのまま収容されてた方が安全だったかも……などと思ってるようでは先ほどの啓示も怪しいものだ。