小説

駅の秘密(2)

フードの男が囚われの男に近づくと、人々は静かに離れ、会議室の壁際に立った。囚われの男はフードの男に泣きながら助けを乞うた。

「静かに」とフードの男が相手の額に手を置くと、男はしゃっくりをし、喉を鳴らしながら激しく呼吸をした。フードの男は顔を相手に近づけると、目深に被ったフードをゆっくりと外した。男の目が恐怖に開き、音にならない絶叫をあげているかのように歯を剥き出しにした。

毛の房がまるで生き物のようにうごめいていた。その毛はフードを脱いだ男の額から伸び、囚われの男の顔に取りつくと、細長い虫のように男の顔の上を這い回った。声を失った囚われの男は口の奥を鋭く鳴らしながらのけぞり、そのまま動かなくなった。

「ああ、頭の中までロックされている」 額から毛を生やした男は目を瞑ながら、つぶやいた。

「迷宮だが、これは抜けられる。だが、その先の金庫はどうする。番号は、番号は……」 男は笑い声を上げた。「いや、金庫などにはない。机の上のこの手紙だ。ほら、あった……」

数分後、男は再びフード姿に戻り、会議室のボードの前に立つとマーカーで下手な字で「日本、男、上下」と書いた。そして、見守っていた男たちのほうを向くと、気を失っている男を顎で示して「こいつはもう解放していいぞ。記憶は消してある。あと、これも頼む」とポケットから白いビニール袋を取り出した。

小説

駅の秘密(1)

彼らは出勤途中の男を拉致するとアジトに連行し、地下の独房に放り込んだ。「お前が話すのならば、命だけは助けてやる」

だが、男は、自分は何も知らないので出してくれと懇願するばかりだった。

「いや、お前は知っているはずだ。俺たちを騙すことはできないぞ」 彼らは棍棒を持ってきて独房の扉を叩いた。「話すんだ!」

男はすすり泣きをはじめた。「泣いたって無駄だ」ともう一発、扉を叩いた。

「すみません、すみません、助けてください」

「じゃあ言え!」

「知りません、本当に知りません!」

これを聞いて、彼らのうちのあるものがこう言い出した。

「これはもう、こいつを痛めつけなければ、口を割らない」 そこで、彼らは独房の中に入ると、男を紐で縛り上げ、上の階にある広い会議室に運びこんだ。そして、会議室のパイプ椅子に座らせると、身動きできないように、男と椅子を紐でぐるぐる巻きにした。

「さて、指でも折るか? それとも話すまで殴り続けるか?」

これを聞くと、男は震えはじめた。「白状しないお前が悪いからこういう目に遭うんだぞ」

彼らは男の右手を掴み、手首をキツく握りしめ、別の者が男の指を掴んでへし折ろうとした。男が恐怖の悲鳴をあげる。

「やめろ!」

彼らがその声の方向に目を向けると、会議室の入り口に、フードを目深に被った若い男が立っていた。

「苦痛を与えるとノイズが生まれて、うまく行かなくなるからな」とフードの男はいった。

ライブ

仮名手本忠臣蔵

4年ほど前から浄瑠璃の脚本を読みはじめ、それが昂じて、今年は義太夫節の語りや三味線にまで興味をもつにいたった。もっとも私は詳しいことはよくわからないし、筋も良くないが、それでも教えてもらったり、聞いたりするのは楽しい。

今日は深川江戸資料館で義太夫節演奏会があり、師走だけあって仮名手本忠臣蔵のいくつかの場面(身売りの段、勘平切腹の段、一力茶屋の段)が上演された。文楽は語りと三味線と人形遣いだが、義太夫節だけだと人形は出てこない。語りと三味線だけで話を追うことになるが、上演部分の脚本も用意してあるので、それをみていれば話の筋はわかる。

人形がないと何か足りないように感じられるが、三味線が鳴り、語りがはじまると、それだけで独特の物語空間ができあがる。これは文楽とはまったく異なる経験だ。初めは語りと三味線が別々に聞こえているが、物語に引き込まれるにつれて、不思議にもひとつの印象にまとまっていく。私は演目も物語もすぐに忘れてしまうのだが、この物語空間の感じだけは忘れられない。

通常の演奏は語りと三味線弾きのペアだが、「一力茶屋の段」では、定番の太棹三味線のほか、軽みのある細棹三味線と太鼓も加わった。また登場人物に応じて5人の語りが登場し、年末にふさわしく華やかな舞台であった。私が習っている先生方も出演されていた。先生方の話を聞いていると、ひとつひとつ細かいところに注意を払い、考えを重ねて準備されていることがわかるが、そうした努力があるからこそ、きっと物語世界が自然に立ち上がってくるのだろうと思う。

風刺・戯文

謝罪の評価

ヨーロッパのとある国の政治家が堂々とつり目のポーズで写真を撮り、アジア人を侮辱したことに大きな非難が巻き起こった。

良心ある人々はこのような差別は許してはいけないと訴え、その声が国の政府を動かした。大統領がこんな声明を発表したのだ。

「私たちの国の国会議員による最近の侮辱的なソーシャルメディアの投稿に対して、心からおわび申し上げます。こうした投稿は、平等とインクルージョンを大切にする私たちの国の価値観を反映していません。人種差別、あらゆる差別は私たちの国にあってはならないものです」

こうした一連の騒動について、日本でも差別を非難したり、大統領の声明を評価したりする声が上がった。そして、この問題はついに日本の国会でも取り上げられるに至った。

野党が首相に質問を投げた。

「首相は、大統領の謝罪についてどうお考えか」

首相はこう答えた。

「今回の大統領の謝罪に関しては私はたいへん評価しているところであります。つり目の国民の皆さんもこれでひと安心でしょう」

ライブ

スタンディング・エヴォリューション

12月18日の Homecomings のライブは座席指定だった。私はこれを知って喜んだ。ライブの間中立っているのはつらいから。

そしてライブがはじまった。みんなじっと座っていた。音楽をじっくり聴きたい成熟した客層なのだと私は思った。するとメンバーが言った。

「いつもと同じように好きなように立ったり座ったりしてください」

曲が進むにつれ、立ち上がる人が出はじめたが、観客たちは相変わらず座っていた。私は足がむずむずしてきた。これまで行った Homecomings のライブはすべてスタンディングで、体が覚えてしまっているのかもしれなかった。

私は足を伸ばしたいという衝動に抗った。会場でそのとき立っていたのは 3 分の 1 ほどで、立てばまだ目立つ状況だった。それに後ろの人にだって迷惑だ。

私は立つか立つまいか、ジリジリした。そのせいでもう曲など聴いていられなくなった。そして、演奏が最高に激しくなり、肉体の芯を掴んできたのをきっかけに、私は立ち上がった。一瞬で空間がクリアになり、音と光が私を圧倒した。

他の観客たちも立ち始めた。最後の数曲になるとほとんどの人が立っていたと思う。

そして、音楽は私に新たな確信をもたらしていた。

ライブで最初に立った人々の心理や身体の状態などを詳しく調べれば、人類の直立歩行の初期条件が復元できるのではないか。

少なくとも、「後ろの人に迷惑では」という認知を弱める脳の変化が、猿を直立させる刺激となったのは間違いなかろう。

ライブ

Homecomings@EX THEATER ROPPONGI

たぶんバカなのだろう私は、先のことはあまり考えずに予定を入れてしまう。そんなわけで 12 月に入って 3 回もライブに行くことになってしまった。その 3 回目が今日の Homecomings だ。

全席指定で、私の席は真正面の真ん中あたりで悪くはない。

Homecomings は曲もいいが、ギターの響きと全体の音形に独自のスタイルがある。演奏が始まると、私は座りながらときおり目を瞑って聴く。激しい音が四方から体に入ってきて、目に見えるなにかではなく、それ以前の未分化の感触を生み出す。

「好きに立ったり座ったりしてください」というが、初めはほとんど立つ人はいなかった。ライブが進むにつれて少しずつ立つ人が増える。いつもスタンディングなので、私も座ったままなのが物足りなくなってきた。3 分の 1 ほどの観客が立って体を揺すっている。たっぷり一曲ぶん逡巡した末、私は立った。

音は全身で感じるにかぎる。それにステージもずっと近くクリアに見えた。私は立ったまま、音楽を聴き、激しく高揚を迎える部分にさしかかると目を瞑った。

この日は、ベースの人がこのライブを最後に「卒業」するということが告知されていた。途中の MC で、他のメンバーとベースの人とのやりとりがあったとき、会場に暖かい拍手が鳴り響いた。

そのとき私は無意識のうちに目を瞑っていた。

音が大きくなると自然に目が閉じる。バカの誹りは免れまい。

風刺・戯文

熊の拡散

日本漢字能力検定協会は 12 月 12 日、令和 7 年の世相を漢字 1 文字で表す「今年の漢字」が「熊」に決まったと発表しました。今年、各地で熊の出没が拡散し、人身被害が過去最多となったことがその理由です。

そんな中、熊のいない県として知られる千葉県の観光業者が都内でイベントを開催しました。その名もなんと「熊なし県にYOKOSO!」。

主催者「ぜひ年末年始には『熊なし県』千葉にお越しくださって、熊のいない安全を楽しんでいただこうと企画しました」

会場となった公園には大きなドームが設置され、中では県内で採れた新鮮な魚介類や野菜、ピーナツなどを味わうことができます。

訪れた参加者「熊襲撃の危険なしだと味わいも増しますね」

しかし、本当に千葉県には熊が来るという危険はないのでしょうか。

主催者「まったくありません。もしいるとしたら、東京ディズニーランドだけでしょうね。くまのプーさんがいますから! ハハハ!」

実行委員会は、『熊なし県』千葉のブランド向上のために、利根川からの熊の侵入を防ぐ警備隊の創設と防御壁の建設、さらにアクアライン通過時、熊に類似した人に「熊でない証明書」の提示を求めるなどの防御体制を実現すべく、熊谷俊人千葉県知事に対応を求めていく方針です。

ライブ

mekakushe と宇宙ネコ子

宇宙ネコ子が mekakushe とライブをするというので行ってみた。タイトルは「mekakushe × WALL&WALL pre. Hug Light vol.4」。会場は表参道のWALL&WALL。

宇宙ネコ子は先月に引き続き 2 度目で、そのせいかギターの音がずっとよく聞こえた。ギターの音色にどこか猛々しさがあって、これが音楽に硬さを与えている。そして、轟音の中でわざと外す演奏と低音の咆哮が、駆り立てるように響く。

こういうギターに浸れるだけで十分で、私は聴くような聴かないような感じで、目を瞑って時間を過ごした。こんな感覚は、大きい会場では味わえないものだと思う。

それに、大きい会場のライブはたいていチケットが高いので、元を取ろうという意識が邪魔して、こんなふうに音を無駄に楽しむことはできない。

mekakushe は私は初めて聴いたが、カオスな音が鳴り続ける宇宙ネコ子とは対照的に、きっちりとした作りのポップだった。今回はバンドセットで、その演奏がそうとうに複雑なのに感心した。特に後半の 3 曲(「わたしだけのポラリス」「恋のレトロニム」「おやすみベージュ」)は構成もメロディもよく、圧巻であった。

ところで、ライブの前、私は飲み物を買いにコンビニに入った。見たことのある若い女性が 2 人いて、誰かと思えば、宇宙ネコ子の人だった。顔の写真は出さない方針のようなので、ライブに行ったことのある人でなければわかるまい。

小説

立ち仕事

ビルマ人の友人の病室は 8 階の大部屋の窓際にあった。すべてのベッドはカーテンで閉ざされていて、見舞いに来た私たちは、私たちの呼びかけにビルマ語で返事があるまで、彼がどこにいるかわからなかった。

彼は上半分を上げたベッドに両足を放り投げて横たわっていた。窓とベッドの間には車椅子が置かれていて、私はわずかな隙間に身を滑り込ませて、彼の傍に立ったが、他の 2 人のビルマ人はベッドの足元から内側に入ろうとしなかった。そのうちのひとりが気を使って私に車椅子に座るように勧めたが、私は断って立ったままでいた。

友人は、手術で膝の関節をシリコンにしたのだった。リハビリも大変だし、トイレも車椅子に乗せてもらわねばならないと、力ない声で言った。同行したビルマ人が「日本に来たビルマ人は、みんなこの膝の病気になりますよ」と言った。

居酒屋などで、何時間も立ちっぱなしで仕事をするからだそうだ。そういう彼も居酒屋でもう何十年も働いていた。

「へえ、それは大変ですね」

私がこう答えると、彼はハッとした顔をした。そして、私の膝の関節まですり減りだしたかのように、慌てて車椅子に座らせようとしたが、私は断った。

散文

構造の外(2)

曇り空の下、新宿の高層ビルが立ち並んでいた。私は世界でも有数の都市が一望できる場所にいたのだった。銀色の巨大な建築物が群れ集うその光景を見て、私は冷たい美しさを感じずにはいられなかった。そして、かつてある韓国の知人が、東京の夜の街を歩きながら私にこう言ったことを思い出した。「今、自分が『あの東京』にいると思うと、飛び跳ねたい気分になるんです」 その人はもう東京で何年も働いているのだった。

私は東京にいてもなんにも感じないし、むしろイヤな気分になることが多い。この病院に辿り着くまでに通り抜けねばならなかった人混みは、不快でしかなかった。だからこそ、私は韓国の知人のこの言葉を記憶していたのだが、この違いはなにに起因するのだろうか。それは、韓国の知人が東京を外から眺めていたのに対して、私は東京の内部の存在としてこの都市を捉えていたからにちがいない。そして、おそらく同様にちがいないのは、私がソウルに滞在するときに感じる興奮を、この韓国の友人は共有しないだろうということだ。なぜなら、そのとき、私は外部からソウルというやはり世界有数の都市を眺めているのであり、いっぽう、ソウル人でもある友人は内部の人間としてしかこの都市を見ることができないから。

私がこのブログに書くものは、たいてい人間が冷酷な構造に飲み込まれていくものばかりだ。私にとって世界とは、どんな人間も最後には挽肉にせずにはいられない残酷な機械だ。私がそんなふうに感じるのも、私がこの構造に飲み込まれている人間だからだ。だが、この構造自体はきっと外から見たら、美しいのだろう。

だが、その美しさはどんなものだろうか。挽肉製造機が美しいのだろうか。銀色にピカピカで、粉砕機のモーター音がリズミカルで、いつまでも見ていられるのだろうか。それとも、それとは違った人間的な美しさがあるのだろうか。外からみれば、高額な医療費も少しは減額されているのだろうか。