風刺・戯文

今、日本の性があぶない

性癖とは「もともとは性格一般についていう言葉だったのに、今ではセックスに関する意味だけで用いられるようになってしまった」というようなことを誰かが指摘していた。確かに辞書で性癖を見ると、「生まれつきの性質。また、性質上のかたより。くせ。」と書いてある。

これが現在では、自分の性的興奮を喚起する、一般の人々から見ると少し特殊なポイント、というような意味で用いられるようになった。もっとも、これはインターネットを使う世代以降の話で、その前の人々はもともとの意味で「性癖」を用いて、性的な意味しか知らない若い人々を今も戸惑わせているかもしれない(ただしそれが性癖という可能性もある)。

「性」という言葉は「生まれつきの性質(英語でいえば nature)」という意味のようで、それで今ならば「生命」と書くところを「性命」とすることもあった。この生まれつきの性質が、男女の生まれつきというところに結びついて「性別(gender)」の意味をもつようになったと推測できる。この gender の性が、「性的な(sexual)」の性に結びつくのも当然の成り行きだ。

いっぽう「生まれつきの性質」の性は、今も「性格、性質、性善説」などに健在であるが、どれも新しい言葉ではない。これに対し「性的な(sexual)」の性は、「性器、性体験、性交渉、性感染」などの言葉に加えて、社会の変化にともなってクローズアップされてきた「性的指向・志向」「性的同意」「性差別」などますます勢力を拡大しつつある。

「性癖」が性的に受け取られるようになったのも、こうした背景が関係しているに違いない。だが、これはもしかしたら、nature の「性」が今あぶないということではないだろうか。なにしろ「性癖」はすでに「性的な(sexual)」の性に乗っ取られてしまったのだ。

私が思うところ、つぎに危険なのは「性向」だ。「向」がすでに「性的指向」と裏で通じ合っていて、もう裏切りそうな気配がある。この性向が性的側に寝返ったら、次は「性善説と性悪説」だ。こうなったらもう性的の進軍は止まらない。「性格」も「性質」も落城するのは時間の問題だ。

そして、近い将来、私たちは「関係性」「積極性」「感受性」「アルカリ性」などの言葉も、使うときにちょっと考えなければならなくなるだろう。

風刺・戯文

監視役の選手

プロサッカーでもプロ野球でもいいのだが、あるチームに「選手がたるんでいないか監視するために、レギュラー入りした選手」がいたとしたらどうだろうか。その選手は、チームでプレーするのが目的ではないのだ。試合の間中、チームの他の選手が、気を抜いていないか、あくびをしていないか、ぼんやりしていないか目を光らせていて、もしそうした選手を見かけたら、試合中のどんな場面でもおかまいなく、急行して制裁を加えるのだ。

試合を見ている観客は「私たちはお金を払ってこのチームを応援しているのだから、怠慢プレーなど許せない」とこの選手に大喜びだ。だが、同時に、こんなことも考えずにはいられない。

「この監視役の選手の代わりに、もっと有能な選手を入れれば、試合が盛り上がるのに」

確かに試合は動きに欠けて少し面白くないのだ。すると、ここで監督が立ち上がり、選手交代の指示を出す。観客たちは「そうだ、ここでスター選手に交代だ!」と湧くが、こんなアナウンスが聞こえてくるのだ。

「〇〇選手に変わりまして、監視、〇〇選手」

なんと、監視役が増えたのだ。つまり、限られたレギュラーメンバーに、プレーを目的としない選手が 2 人入ることになる。ますます試合はつまらなくなる。

だが、監督はそんなことおかまいなしのようだ。それからも、次々と交代を指示し、その度に監視役が増えていく。そして、ついに試合に出ている選手全員が監視役になってしまう。

こんなつまらない試合はない、というかもう試合ですらない。なにしろいるのは、監視だけができるが、プレーはいっさいできない「選手」なのだから。ただお互いに監視し合うだけ。観客たちもみんないなくなってしまう。

思うに「議員の居眠りを許さない」ことを公約に掲げる議員というのは、この監視役のようなものだ。こんな議員がますます増えていったら、日本の政治はよくなるどころか、完全に止まってしまうのは間違いない。

そうなったら、我々は不安すぎて、居眠りどころではなくなるはずだ。

風刺・戯文

カップ麺の蓋

もう自分の人生は終わりだという思いに圧倒され、どこにも進む道を見出せないとき、私はいつもカップ麺を作る。

「作るだって? 蓋を開け、スープなどを入れて、お湯を注ぐだけじゃないか」 そう思う人もいるかもしれない。だが、カップ麺で本当に大事なことは、その後、つまり、紙の蓋を閉じた後に始まるのだ。

私はその閉じられた蓋を見ながら、カップ麺の歴史に思いを馳せる。それは常に失敗の歴史だった。

まず開発者たちが行ったのは紙の蓋に紙の爪をつけることだった。それをカップのフチで折り曲げておけば、蓋が閉じたままになると考えたのだ。だが、このいかにも成功しそうな目論見も、紙の蓋の反発力に打ち勝てないことがが明らかになった。そこで、カップ麺の開発者たちは紙の爪を大きくしたり、2つ、3つに増やしたりした。しかし、それでも蓋を抑えておくことはできなかった。

そこである開発者たちはシールならば紙の蓋を制することができるのではないかと考えた。これは確かによい案に思えたが、愚かにも開発者たちは蓋止めシールをカップ麺の包装フィルムに付属させてしまった。その結果、どんなことが起きただろうか? カップ麺を作ろうとする消費者たちが、この有用なシールに気づかずに、包装フィルムと一緒に捨ててしまう事故が続発したのだった。現在では、この蓋止めシールは一部のごく少ないカップ麺に残存するのみであり、絶滅するのも時間の問題となっている。

こうした事態を前にして、追い詰められた開発者たちが恐ろしい蛮行に走るのは避けられなかった。彼らはスープ後入れなどという奇怪な調理方法を編み出し、そのための「後入れスープ」などというものを開発して、蓋の上に置くように指示したのだ。しかも彼らは「後入れスープを蓋の上に置くと、スープが温まって美味しくなる」などという甘言でもって、消費者に蓋の抑圧に手を貸すよう促したのだ。なんと卑怯なことであろうか。

だが、それも失敗に終わる……。と、そんなことを考えているうちに、3 分がたってしまう。私は、カップ麺の蓋の上に乗せていた例の後入れスープ、そして後入れスパイス(そうなのだ、連中はこんなものまで案出したのだ)を取り除く。

その瞬間、ほら! 紙の蓋がいくつもの爪にも関わらず、そしてスープによる加重にも関わらず、自ら開いたではないか! まるで不死鳥のように! カップ麺の紙の蓋には、きっと不屈の魂が宿っているのだ。そうだ、私もだ。どんなに押さえつけられても立ち上がろう!

すっかり元気を取り戻した私は、カップ麺の蓋をゴミ箱に捨てて、麺をすすりだす。

風刺・戯文

当たり前の灰汁

食べ物でもなんでも当たり前がいちばんおいしい。もしかしたら「当たり前」が最良の調味料かもしれない。そう考えた博士がいた。そこで、何年もの研究のすえ、博士は「当たり前」の抽出に成功した。博士はさっそく著名人やマスコミを集めて、披露することにした。

「ここに肉じゃがの鍋が2つあります。どちらも同じ肉じゃがですが、片方の鍋に『当たり前エキス』を加えてみましょう」

博士は助手を呼んで、鍋のひとつに粉末を振りかけさせ、しばらく加熱させた。「できました。どうぞこのふたつの肉じゃがを食べ比べてみてください」

人々は食べ比べてみるやいなや、口々に「やっぱり当たり前がいちばんだ!」と感嘆の声をあげた。

当たり前の肉じゃがを夢中で食べる人々を前に博士が満足げに立っていると、ある人がやってきてこんな発言をした。

「こんな時代に『当たり前』なんて言うのはおかしいです。私たちの国にはいろいろな国の人がいるのだから、自分の当たり前が通用するなんて思ってはいけないと思います」

人々は「私たちの当たり前にケチをつけるなんて、なんて当たり前でない人間だろう」と思ったが、怒り出すのは当たり前ではないと思って黙っていた。すると、博士は余裕の笑みを浮かべて人々に語りかけた。

「私はこんな反論のあることも予期していました。これをご覧ください」と、博士は別の粉末を取り出した。「これは、外国の当たり前を抽出したものです」

博士は、助手にその粉末を渡すと、先ほど日本の当たり前を入れた鍋に投入するように指示し、再び加熱させた。

ものの数分も経たないうちに驚くべきことが起きた。グツグツいうにつれて、汚らしい灰汁が浮かび上がってきたではないか。灰汁はたちまち膨れ上がり、肉じゃがはもはや食べ物にすら見えなくなった。

「ご覧ください。日本の当たり前に外国の当たり前を混ぜると、こんなふうになってしまうのです」

人々は、用意周到な博士にあたらめて賛辞を送ると同時に、当たり前でない発言をした人を協力して会場から追い出した。なぜなら、そうされて当たり前だったから。そして、「やはり日本では日本の当たり前がいちばんおいしいのだ。私たちは日本の当たり前を守らなくてはならない」と誰もが決意しながら、帰途についた。

人々が立ち去ると、博士は助手に片づけるよう言いつけて、もっと純粋な当たり前を開発すべく実験室に戻っていった。

ひとり残された助手は、ただちに片づけに取りかかったが、灰汁だらけの肉じゃがを捨てるのはもったいないような気がした。そこで再び加熱して、丁寧に灰汁を取って、食べてみた。

当たり前の肉じゃがなんか目じゃないくらいうまかった。

風刺・戯文

愛国的関税措置

日本人ファースト党が、「日本をもう一度偉大に」をキャッチフレーズに政権を握ったとき、一部の連中が「日本が偉大なときなどあったのか」とか「ドナルド・トランプの二番煎じじゃないか」とからかったんだ。

もちろん、日本人ファースト政府にはこんなくだらない中傷につきあっている暇はないよ。だから、反論なんてせずに、中傷者どもを監獄に閉じ込めちゃった。それですぐに日本を偉大にする諸政策に取りかかったんだ。

政府が言うには、日本が偉大になっていないのは、日本を偉大にするのを邪魔する外国人とその仲間の非国民が暗躍しているからなんだって。つまり、こいつらが日本の大事なものを盗んでいるってこと。だから、政府は、外国人を日本から追い出したり、憎たらしい外国に対して関税をぐんと引き上げたり、徴兵制度を復活させたりしたんだ。これぞ「シン富国強兵だ」と僕たちは拍手喝采さ。

それに地震やコロナだって、外国人たちが日本を苦しめるために人工的に引き起こしてるんだって。ある日こんな発表をしたんだ。

「私たちが偉大な日本を復活したので、もう人工地震は起きません」

僕たちはすっかり安心したんだ。だけどその晩、とても大きな地震が起きたんだ。警報が鳴って、マスゴミが騒いでうるさいったらない。

「津波が来ます。ただちに高台に避難してください!」

そのとき、日本人ファースト政府はこんな発表をしたんだ。

「皆さん、反日国が引き起こした人工地震から避難する必要はありません! 私たち政府は、日本に来るあらゆる津波に 200 %の関税をかけました!」

僕たちはそのまま津波に飲まれたんだ。

旅・観察

外貨の禍い(終)

2 つあるセキュリティチェックのゲートのうち、私は外貨没収係の職員のいるところから遠い方を選んだ。だが、まずそこにどんな人が並んでいるかを見るべきだったのだ。

そこには3人の子どものいる大家族が並んでいたのだ!

もうひとつのゲートはといえば、スマートな若者や大人ばかりですいすい進んでいくが、こっちのほうは、お父さんお母さんが、列から飛び出そうとする子どもたちを引き止めるのにてんてこ舞いだ。しかも荷物がいくつもある。金属探知機に通すために荷物をトレーに乗せなくてはならないのだが、そのトレーが足りないくらい。で新たにトレーが来るまで列はストップだ。

私は例の職員をこっそり見て、動向を探る。もう高齢女性は済んだと見えて、再び旅人たちに目を光らせている。私は背を向けて気づかれないようにする。列に並んだとて安心はできない。なぜなら、以前、私はこの列にいるときに彼にとっ捕まったこともあったから。

にしてもトレーが来ない。夫婦は、ボディチェック対策に子どもたちの靴を脱がせている。私はジリジリして待っている。今にもあの塞の神が私に気がついてやってくるかもしれない。なんとかしてこの場を切り抜けたい! 

ついにトレーが来た! 大家族が次々と荷物を乗せる。荷物を乗せたトレーが金属探知機の中へと運ばれていく。私も目の前に来たトレーに自分の荷物を乗せて、家族の後を追う。ゲートを無事通過! 足早に免税店の中に駆け込んで、旅人たちの中に紛れ込んだ。

もちろん、私には外貨申告書があった。大使館の助言通りに取った一枚だ。これがあるなら、そんなにハラハラする必要もなかったのかもしれない。

だが、その申告書は、退魔のお札かなんかのように、あの職員を退散させる機能を本当に発揮してくれるだろうか? かえって「なんでそんなものを持っているのだ、アヤシイぞ」という藪蛇機能を備えている恐れだってあった。なんにせよ、使う状況に陥らなかったことを喜びたい。

私の旅は終わった。私は外貨の禍いを生き延びたのだ。

……そして、今、私はまたチュニジアにいる。外貨申告書も新たに取得した。今回の帰国時になにが起きるかは、誰にもわからない。

旅・観察

外貨の禍い(8)

チェックインをし、空港制限エリアに入り、出国審査の列に並ぶ。列の中から、カウンターの向こうにある空間を探る。保安検査の列の手前で、深緑色の制服姿の男が、誰か別の職員と話していた。

この男だ。生と死の境にある三途の川で亡者の衣服を奪い取る奪衣婆よろしく、国境のあわいに現れて、旅人から外貨を奪い取るあの男だ。もう塞の神と呼んでもいいだろう。

私は列に並んでいる間じゅう、この男の動向を観察していた。男は、カウンターの列の前を行ったり来たりして、姿を消したかと思うと、再び私のカウンターの前へとやってきて、旅人たちに目を光らせていた。すると、ひとりの男性の旅人がやってきた。塞の神はその男の前に立ち、パスポートを取り上げる。いよいよその現場が見られる、と私は固唾を飲んだが、いきなりにこやかに話しはじめたではないか。そして、2 人はまるで友人のように別れたのだった。

いったいなにごとが起きたのだろうか? あの旅人はいったいどんな手を使ったのだろうか? だが、なんの手を使ったにせよ、それは私には関係なさそうだった。私にあるのはただ外貨申告書だけだった。

そんなことを考えているうちに、私の前の男の審査が始まった。もうすぐ私の番だ。

私の審査が終わったタイミングで、あの男がどこか別のカウンターのほうに行っているということはないだろうか? 私がそんな当てにならない僥倖を願いはじめたまさにそのとき、塞の神が高齢の女性に襲いかるのが見えた。

男の詰め寄りに、その女性は驚いた表情でパスポートを差し出した。なにやら抗議の身振りもしている。だが、それもむなしく男に荷物を開けるように命じられたようだ。

私がカウンターに呼ばれたのはそのときだ。私は審査を受けながら心ここに在らずで、早く終われとばかり願っていた。職員があの女性にかかりきりになっている間に、さっさとこの境界を越えてしまえばいいのだ。

審査が終わる。私はカウンターを通過する。塞の神はまだ例の女性を追求している。このままセキュリティチェックに並び、その向こうに逃げおおせれば、もはや男の手は届かない。

セキュリティチェックのゲートは 2 つあった。私はそのどちらかを選ばねばならなかった。いっぽうのゲートの前では、あの職員と女性がやり取りしていた。私はとっさの判断でもうひとつの別のゲートを選んだ。

だが、これが失敗だった。

旅・観察

外貨の禍い(7)

外貨申請カウンター(Déclaration de Devises)というとどうすればいいのだろうか。

私はこのカウンターの列に並びながら考えた。人々はパスポートを持ち、紙幣の束をパスポートに挟んだり、紙に包んだりして持っている。お金を持っているということは、申告額が嘘でないということを確かめるために、係に渡すのだろうか。だが、カウンターでの様子を見るかぎり、申告者がお金を差し出している様子はなかった。なんにせよ、私は用心のため所持金は財布に入れたままにすることにした。

また、私はカウンターの壁に貼られたフランス語と英語の掲示にも目を光らせた。

「申告書を受け取ったら忘れ物に注意してください」

申告書を受け取ったうれしさに肝心のお金を忘れてしまう人がいるのだろう……

カウンターはアクリル板で仕切られ、窓口が 3 つあった。ちょうど両替所のような作りだ。どの窓口にも職員がいるので、列の流れは早い。やがて私の番になった。

窓口の係にパスポートの提示を求められ、それから金額を尋ねられる。答えると、確認のため紙切れに金額を書くように言われた。ドルと円のそれぞれの金額を書く。それから、紙幣を見せるように求められたが、見せるだけで実際に数えて金額を確認するわけではなかった。自己申告だ。すぐに申告書の作成が始まり、私は 10 DT を払って、一枚の申告書を受け取った。

チュニジア滞在中、私はこの申告書と、両替のたびに加わる両替証明書を大事に持ち続けた。そして、ついに帰国の日がやってきた。

旅・観察

外貨の禍い(6)

要するに、「外貨持込、外貨持出について」に書かれていることは、私には関係のないことだ。だが、こんな文書が出るということは、そこになにか意味があるはずだ。

「チュニジア入国時に、手持ちの現金等の申告をしていなかったために、出国時にそれらを当局に没収される事案が発生しております。」 

その後に書かれているルール云々よりも、大事なのはこの最初の一文だ。大使館の助言も考慮に入れると、「額に関わらず手持ちの現金等の申告をせよ」ということなのだ。

さて、私がチュニジアに着いたのは 2 月 22 日のことだ。飛行機を降りて、入国審査の列に並ぶ。周りを見回しても、外貨申請カウンターはない。ただ、長い列に並んでいるうちに私は、柱に貼られたポスターに気がついた。小さな文字で書かれているのでよくわからないが、新しい法律が施行されて、外貨の持ち込みがどうのこうのと読める。例の「外貨持込、外貨持出について」と同じ内容のようだ。この法律のせいで、以前にはなかったことが起こるようになったのだ。

やがて私の番が来て、カウンターの向こうの審査官にパスポートを差し出す。ホテルの予約確認書の提示も求められるので、携帯の中のファイルを見せる。審査が無事に終わり、パスポートが返される。私はこの機会を利用して、外貨申請カウンターについて審査官に尋ねた。すると、この先にあると教えてくれた。

入国審査の次は保安検査だ。これが終わると、手荷物受取場の広い空間に進む。そして、私はついに見つけた。それは、手荷物受取場から空港制限エリア外に出る出口の脇にあった。カウンターの上部にフランス語で Déclaration de Devises、英語で Currency Declaration と書かれている。その前に人々が並んでいた。

私はまず手荷物ターンテーブルで待つ乗客たちの群れに加わり、自分の荷物を受け取ると、そこに向かった。

旅・観察

外貨の禍い(5)

チュニジア大使館にかけると、日本人の女性の職員が出た。事情を話すと「チュニジア・ディナールは国外に持ち出すことは禁止されています」

「いや、そうではないのです。ドルとかユーロとか円です」

すると、担当の者がいないので、折り返し電話するとのこと。しばらく待つと電話がかかってきて、こんなことを教えてくれた。

「入国するさいに、外貨申告をしてください。それから、チュニジア国内で両替をした場合は、両替証明書を必ずとっておいてください、ということです」

「その外貨申告はどこですればいいのですか?」

「入国するときの出口にカウンターがありますからそこでしてください」

そのカウンターがどこにあるかもっと詳しく知りたかったが、行けばわかるというような返事で電話は終わった。

そこで私はさらにインターネットで検索してみた。すると、「外貨持込、外貨持出について」と題された日本語の文書が見つかった。大事なところだけを以下に写す。

チュニジア入国時に、手持ちの現金等の申告をしていなかったために、出国時にそれらを当局に没収される事案が発生しております。

出入国時の小切手や現金の国内持込、国外持出に関するルールは以下のとおりです。

入国時持込 20,000 DT 相当以上は申告が必要。持込可能な金額に上限はなし。

申告場所 空港制限区域内の外貨申請カウンター(Déclaration de Devises)
申告費用 10 DT

出国時持出 5,000 DT 相当以上は当該外貨持込時の申告書が必要。
チュニジア・ディナール貨の国外持出しは一切不可。

※ 20,000 DT 相当未満の外貨持込に申告の義務はないものの、帰国時に 5,000 DT 相当以上の外貨を持ち出す可能性がある場合は、外貨持込時の申告書が必要となるため、入国時持込が 20,000 DT 相当未満であっても入国時に申告する必要がある点に要留意。(2024 年 3 月現在)

DT(Dinar Tunisien)とはチュニジア・ディナールのことだ。1 DT はだいたい 50 円なので、20,000 DT は約 100 万円だ。そして「出国時持出 5,000 DT」は 25 万円になる。

私は 100 万円も持ち込むことはないし、出るときにだって、25 万円も持っていないのだ。