風刺・戯文

死後の世界の出会い

臨死体験をすると、人生が変わるそうだ。「死が終わりではない」という確信が、生き方や価値観を変えてしまうのだ。

私の知り合いにも、この臨死体験をした人がいる。彼は事故で亡くなったのだった。気がつくと、光に溢れた広い世界にいた。暖かく、清々しい。ぶらぶらと歩いていると、一人の男が図面を片手に立っているのが目に入った。

「何をされているのですか」と友人は丁寧な口調で尋ねた。

男は微笑んだ。「ああ、今、死後の世界を構築中なのです」

「え」と友人。「ここが死後の世界だと思っていましたが」

「そうには違いないのですが、それだけでは不十分なのです。私はちゃんとした死後の世界を作りたいのです」と男は図面を広げ、友人に見せた。その図面はいくつかのエリアに分かれ、それぞれに「天国」「地獄」「煉獄」「鬼の宿舎」「大エントランス」「大浴場」などと記されていた。友人は驚きの声をあげた。

「すごいでしょう」と男は得意げに言った。「でもですね。構想が大きすぎて、どこから手をつけていいかわからないのですよ。しかも、ガワだけではなく、システムも難航していて。大量にやってくる魂をどのように流し、どこでどう捌き、どう再生するか、これは挑戦ですよ」

「ということは、もしかしたら、天国だとか、生まれ変わりだとか、はまだない、ということですか」と友人は落胆しながら尋ねた。

「ええ、それは認めざるをえません。なにしろ非常に複雑で大規模なもので……天国が実装されるまでには、まだかなりの年月が必要でしょう」

「では、それまでのあいだ、魂はどうしていればいいのでしょうか」

男は図面をたたみながら、こともなげに言った。「これまでのように地上に留まっていれば、問題ないかと……」

私の友人は、死後の世界から生き返った。だから、死後の世界があるとは信じていない。

小説

沈黙

学生のころ私は、自分が賢いと思っていたので、思いついたことを平気でまくしたてたものだった。

ある年上の人と話していて、喪失感についての話題になった。私はちょうど大量虐殺を生き延びた人が書いたものを何冊か読んだところで、これらの生存者が、家族を失う苦しみのなか、どのように救いを求めたかについて、少なくとも5つのパターンがあると、得意げに分類してみせたのだった。

「まずは、失われた家族の面影を他者に求めるもの。その他者には、身近な死者の一部か、すべてが備わっているように見えるので、まるで、死者が生きているかのように感じられるのです。

「もうひとつは、心理的な強度。もしも、死んでしまった家族への心情の強さが、現実の人に対する心情の強さと同じ程度だったら、その家族はもはやいないとはいえない、そういう理屈です。まあ、強く思うことは、蘇らせるのと同じ、ということですかね。

「そして、3つ目のものは、侵入者。神秘は常に外部から客のようにやってくる。そして、失われた家族が神秘の世界にいるからには、外部からの侵入者は、家族の代理だということになります。

「4つ目は、3つ目までとはまったくちがって、失われたものは失われたままにするという態度。ただひたすら、その不在をただ耐えるというものです。

「そして、最後のものは、何も言わない、という態度です。つまり、前の4つは、生き残った人が何らかの形で言葉にしているからわかるのですが、なかには全然話さない人もいます。もしかしたら、前の4つのどれかかもしれないけど、そうじゃない可能性もある。その沈黙に意味があるのかもしれない」

初めは相槌を打っていた相手は途中からずっと黙ったままになった。私たちはそれからなにかつまらないことを話して別れた。そして、数十年後の今、私も、沈黙を知っている。