「パヨクはお花畑、そう日本国民はおっしゃいます」と、案内人は私たちに言いました。
「そこで、みなさまにここにおいで願ったわけです」と、目の前に広がるお花畑を私たちに示しました。「日本の国民の方々は、お花畑という言葉で、私たちが何も考えていない愚か者だと嘲り、罵ります。ですが、よくご覧ください」
案内人は美しい花々に注意を向けました。「色とりどりに咲き誇っていると思いませんか? 考えてみてください。このお花畑を維持するのにどれだけの手間と時間かかっているか。それは決して簡単なことではないのです。ああ、ご覧ください」 案内人はお花畑の向こうからやってくる男を指差しました。
「あの方は、このお花畑の責任者なのです」 私たちはその園丁を見て笑わずにはいられませんでした。「男のくせにお花畑なんて!」 「男なら国を守るべきだろ!」
園丁は黙って軽く会釈をすると、屈んで花の世話を始めました。そのときです。一群の男たちが花畑にやってきて花を踏みにじり始めました。案内人が悲痛な叫びをあげます。すると、園丁は素早く立ち上がり、男たちの中に飛び込んでいくと、素手で格闘を始めました。パンチで撃ちのめし、回し蹴りを見舞い、当て身で突き飛ばし、たちまち乱暴者どもをなぎ倒しました。男たちは血まみれになって花畑の中に転がっています。
まるで映画のワンシーンのような光景に私たちは息を呑むばかりでした。案内人が興奮して叫びました。「あの方はああやって陰謀論者からこの美しい花園を守ってくれているのです!」
園丁は、筋骨隆々たる両腕を腰のあたりでぐいと引いて「押忍ッ」と私たちに挨拶すると、再び花の世話を始めました。
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ガムのマラソン
私たちの街で今年はじめてエコ・マラソンが開催されることになった。エコな地球を応援する趣旨ではじまったイベントだ。
サステナブルな上に珍しい試みとあって、日本中からエントリーがあり、何万人ものランナーがこの日、私たちの街に集った。
出発地点である大通りに集まったランナーたちは、ガムを1枚渡されると、ヨーイドンのかけ声とともに、口に放り入れた。
走りながら噛んでいると味がなくなってくる。ランナーたちは口からガムを出し、包み紙に包む。このガムのゴミを手に持ちながら走るのが、このエコ・マラソンのルールだ。捨てたりしたら失格なのだ。
しばらく行くと、給水所がある。ランナーたちは水を受け取り、渇きを癒す。給水所にはゴミ箱があり、うっかりガムを捨ててしまうものがいる。これでもう失格だ。こんなふうにコースのあちこちにトラップが仕掛けられている。このマラソンでは、走る速さや持久力ではなく、長時間ゴミを持ち続ける忍耐力と勇気が試されるのだ。
エコ・マラソンのコースは複雑だ。道路では、側溝の蓋がちょうどいい具合に開いていて、かっこうのポイ捨てポイントに見える。また、駅の構内もコースになっていて、その中を走っていると「駅には絶対にゴミ箱なんかないのだから、もうその辺りに捨ててやれ」という気分にさせられる。
また、コースはドブの匂い立ち込める貧民街や、蠅のうるさいゴミ屋敷を通り、ランナーを「ここならいいか」という気にさせずにはおれない。そして、高い壁に囲まれたヤクザの組長の家の前では、「ゴミ野郎め」とガムを放り投げるランナーが続出した。
コースは、山道や森の中や渓流沿いにも設定されていた。もうゴミ捨てにうってつけで、そこで失格となるランナーの多さときたら、SDGsの採択も無駄だと思わせるほどだった。
しかし、エコ・マラソンの最大の難所といえば、太陽の照りつける最後の坂道だ。「ただでさえ登りと暑さできついのに、ゴミなど持っていられない」とランナーはどんどん脱落し、そこで太陽が引き起こした恐ろしい事態に巻き込まれていった。
捨てられたガムが太陽熱でとろけ、恐るべき粘着力でもってランナーたちを捉えはじめたのだ。ガムに足を取られたが最後、もう一歩も進めない。そして、もがけばもがくほど大量のガムに絡め取られていき、ついには身動きが取れなくなった。
この難所を抜けてゴールのあるスタジアムにまでやってこれたのは2人のランナーだけだった。私たちは、目の前で繰り広げられるデッドヒートに大いに熱狂し、声をからすほどに叫んだ。そして、この熱狂は、追う立場にあった2番手がゴール直前で相手を追い抜き、そのまま逃げ切ったときに最高潮に達した。
「最後の最後で逆転した!」「彼が優勝だ!」「ヒーローだ!」
大会委員長が表彰式で、この優勝者の首にメダルをかけようとしたとき、私たち全員は、表彰台に立っているのが、人の形をしたガムの塊であることに気がついた。
たった1日のお姫様
昔、貧しい日本人の女の子がひとりで暮らしていました。
その子の仕事はといえば、トイレ掃除なのでした。とても大変なので、他の仕事がしたいと社長に言うと、社長はこう言って嘲笑うのでした。
「お前は日本人だろ。昔、日本人は自分たちのトイレがキレイだと鼻高々だったじゃないか」
それにもうひとつイヤなことがありました。給料日、社長は女の子にだけ円で支払うのです。
「円では何にも買えません。他の人と同じようにドルでくださいな」と女の子が訴えると、社長は「昔、お前たち日本人はその円でなんでも買っていたではないか」とせせら笑うのでした。
女の子はもらった円をわずかなドルに変えると、ほんの少しだけお米を買って、次の給料日まで我慢して暮らすのでした。
厳しい冬がやってきました。その年は作物の出来が悪くて、お米でも野菜でもなんでも値上がりして、女の子の食べ物はとうになくなってしまいました。何日も食べられない日が続き、女の子は頭がくらくらしてきました。
女の子はあんまりにもつらくて、泣きながら神様にお祈りしました。
「神様、お願いです。たった1日でいいから、円高ドル安にしてください」
いつの間にか眠ってしまったのでしょうか。女の子が目を覚ますと、あたりがにぎやかです。人々が叫んでいます。
「やあ、また日本人がビルを買収したぞ」「やはり円は強いなあ」
女の子が立ち上がると、ポケットから諭吉や聖徳太子や英世がこぼれ落ちました。周りの人々が驚きます。「なんというお金持ちだろう!」
女の子は町で一番高級でおいしいケーキ屋に行って、樋口一葉を差し出しました。すると、パティシエはびっくり仰天して言いました。「ケーキをぜんぶ持っていってください!」
女の子は飽きるほどケーキを食べると、次に町でもっとも大きなデパートに行って、岩倉具視をちらつかせました……。夢のようなドレス、輝く靴、美しい指輪、きらめくネックレスで飾り立てられた女の子は、その日、まるでお姫様のようでした。
そして、楽しい1日が過ぎ去り、夜がやってきました。女の子は自分がした願い事のことをちゃんと覚えていましたから、寝るのがとても残念でした。ですが、キラキラした宝石や金の指輪を見ているうちに眠ってしまいました。
翌朝、人々は痩せ細った女の子の死体が道端に転がっているのを見つけました。その顔に優しい笑顔を浮かんでいるのを見て、だれもが「日本人って笑うんだ」と驚いたということです。
送金者
明け方、まだ寒い時間に街を歩いていたら、なんとも不思議な人を見かけた。
それは垢で汚れた服を着た年老いた男で、ひとりでなにやら楽しげにキャッキャキャッキャ声をあげているのだった。近づくとこんなことを言っているのが聞こえた。
「さあさあ、みんなもうやめなさい。おじさんはみんなが立派な大人になってくれれば、それでもう満足なんだよ!」
はじめは頭のおかしい人かと思ったが、どこか違うのだ。幸せそうで、みている私までが楽しくなった。私は我慢できずに話しかけた。
「失礼ですが、いったいなにをしてらっしゃるのですか? なにがそんなに楽しくていらっしゃるのでしょうか?」
「これはとんだところを見られてしまいました。なに、お金を送金しているだけです」
「送金といいますと?」
「大谷翔平選手の口座にアクセスする権利をいただきまして、そのお金を送金しているのです」
「えっ、あの大谷選手の……。もしかしてあなたが?」
「あっ、ほんとじゃないですよ。もし大谷翔平選手の口座から自由に送金できるとしたら誰に送金しようかと考えて楽しんでいるのです」
「なんとすばらしい趣味をお持ちのことでしょうか」
「ええ、さっきも貧困家庭の子どもたちにいっせいに送金して、喜んだ子どもたちに囲まれていたところです。まったくこのイタズラ小僧たちときたら私を胴上げさせてほしいと言って聞かないのです!」と彼は周りをぐるりと見回して、見えない子どもたちに話しかけた。
「さあ、おじさんは忙しいんだ。行った行った。自由に楽しく生きるんだよ!」
私はすっかり感心してしまった。「うらやましいかぎりです。不躾なお願いで申し訳ありませんが、この私にも送金していただくことなど可能でしょうか」
「もちろんですとも! いかほどあれば?」
「いえ、そんな、いくらでも……」と私は口ごもり、私たちのあいだにしばしの沈黙が訪れた。
そのとき、老人の腹の虫が鳴いた。いや鳴くどころではない。咆哮したのだった。私は失礼を承知で言った。
「ずいぶんと空腹のご様子ですが」
「ええ! 送金するのに忙しくて、ここ数日なにも食べていないのです」
私は千円札を取り出すと、老人に押しつけた。喜びのあまり老人はこう言わずにはおれなかった。
「この千円には一億円の価値がありますよ! さっそく一億円送金させていただきました」
「もう!」
「礼には及びませんよ。さあさあ、銀行に行って残高を確認してください!」
私たちは別れた。世界は実はこんなにもすばらしい場所だったのだ。
シリアルキラー復活プロジェクト
デビッド・バーコウィッツ、テッド・バンディ、ジョン・ゲイシー、ハンニバル・レクター……昔、アメリカが強大で、輝いていたころ、各地にそれこそ綺羅星のごとくシリアルキラー(連続殺人鬼)がいて、それぞれの技と趣味を競ったものだった。
だが、現在はどうだろうか。シリアルキラーのニュースなどとんと聞かないのだ。そのかわりアメリカから聞こえてくるのは、銃乱射事件ばかりだ。昔は人ひとり殺すのにも、皮を剥いだり、冷蔵庫に保存したり、食べてみたりと、個性豊かだったが、いまは銃を振り回して一度にまとめて殺すだけだ。これは単なる大量殺人で、連続殺人ではない。
もはやシリアルキラーの時代は終わったのだろうか、そんな味気のない世になってしまったのだろうか、そんなふうに嘆いていたところ、アメリカからじつに愉快なニュースが届いた。
シリアルキラーを復活させるプロジェクトがかの地で進行中だというのだ。白人男性をターゲットにシリアルキラーへの転身を促すさまざまな支援が実施されているという。
興味深いのは、このプロジェクトに巨額の資金を提供しているのが銃規制反対派のロビー団体だということだ。なんでも「銃乱射事件が増えたのは、シリアルキラーが減ったせいであり、シリアルキラーを保護育成すれば、銃乱射事件は確実に減る」のだという。
つまり「銃が人を殺すのではない、シリアルキラーが人を殺すのだ」というわけだ。
このプロジェクトによって、全米各地でシリアルキラーが大いに活躍するようになれば、銃乱射などという不粋な行為も姿を消すに違いない。そんな安全で偉大な時代の到来こそ Make America Great Again でなくてなんであろうか。
八重洲の髭剃り屋
東京駅の八重洲の地下街の一角で、髭剃り屋を営んでいる貧しい男がいた。髭を剃り忘れたあわてんぼうの紳士たちのために、彼は朝から晩まで働いていたのだった。
ある夜、一日の仕事を終えて帰り支度をしていると、上品な老人がやってきて、こう言った。
「すまないが、ひとつ仕事をお願いできないかね」
髭剃り屋は老人の顔が非の打ちどころなく剃られているのを見ながら答えた。「もう店じまいですし、私にできることはないようです」
「いや、私ではないのだ。それに店じまいするところならなおさら都合が良い。今からおいで願えないかね」
「こっちから出向くというのならば、割り増しをいただきますよ」と髭剃り屋は引き受けることにした。
老人は彼についてくるようにいうと、歩き始めた。彼は八重洲の地下を熟知しているようで、いつの間にか、髭剃り屋が見たこともないようなほの暗い地下道を進んでいるのだった。まるで迷路のような道のりで、どれくらい歩いたかわからないが、ある暗い地点で老人は壁に手を当てて操作をした。すると、壁が静かに割れ、光が差した。その中を見た髭剃り屋は思わず驚きの声を上げた。大きな部屋が広がっていたからだ。その部屋は美しく飾られ、まばゆく輝く照明がぶら下がっていた。
そして、部屋のソファに、ひとりの立派な男性が座っていた。髭剃り屋がおっかなびっくり足を踏み入れると、男性はやさしく微笑んだ。その顔には控えめな口髭があった。
「私の髭を剃り落としてほしいのだ」とその男性はさっそく告げたが、髭剃り屋はその表情、声、口調にいわく言いがたい悲しさが潜んでいるのを感じた。
「承知いたしました」と髭剃り屋は答えた。「ですが、どうしてお剃りになろうだなんて。とても似合っていらっしゃるのに」
そう言いながら髭剃り屋が準備を始めると、客は静かな声で語り出した。自分には立派な兄がいて、その兄と区別するために髭を生やしてきたこと、だが、その髭のせいで、縁もゆかりもない人々から不当な非難や中傷を浴びていること、そして、自分と家族を守るために髭を剃る決意を固めたこと……。
髭剃り屋の支度が終わり、美しく磨がれたナイフがその手に握られた。
客はふるえる声で言った。「さあ、きれいさっぱりやってください」
髭剃り屋はナイフを顔に近づけたが、「やっぱりやめておきましょう」と言ってナイフを置いた。
「私は剃れと言われたら剃りますが、お客さまは心では剃りたくないとお考えのようです。それでは私は気持ちよく仕事をすることができません」
男性は紅潮した顔で見返した。
「それに」と髭剃り屋は続けた。「どんなに意地悪を言う人がいても、きっと応援してくれる人はいますよ。いや、味方はたくさんいるんです。たとえば、この私です」
髭剃り屋は道具をしまうと、一礼して部屋から出た。髭剃り屋は再び老人に連れられて地下迷路を歩き回り、馴染みのある八重洲の地下街に戻ることができた。
老人はいくばくかの手間賃を渡そうとしたが、髭剃り屋は、これがまた無駄遣いだとバッシングの種になってはと、気持ちだけ受け取ることにした。
翼がないあなたに
「仕事もプライベートも翼がないためにうまくいかない」「翼があれば人生が変わるのに……」 そんなふうに思っていませんか。
ある統計によると、およそ8割の人が翼のないことで悩んでいるそうです。たしかに、鳥たちは自由ですし、堂々としています(もちろんあのドードーだって言うに及ばずです)。飛ぶと決めたら絶対に飛ぶ、そんなブレない翼に憧れてしまうのも当然です。
ですが、翼がなくても心豊かに生きる方法があったらとしたら? 翼を羨むだけの人生とはもうサヨナラです。翼がなくて悩んでいるあなたはぜひ次の6つの方法を試してください。
*心に翼を持つ:翼がなくても心に翼を持つことは可能なはず。心の翼で想像の世界を飛び回りましょう!
*成功体験を積み重ねる:小さな成功体験があなたの人生を豊かにしてくれます。毎日、手をパタパタさせて、少しずつ飛び上がってみましょう!
*未来志向:翼のない過去の自分ではなく、いつか翼が生えてくる未来の自分をイメージしましょう。
*自分を褒める:あなたは今日、翼なしでどんなことをしましたか? 翼なしに自分がしたことを褒めてあげるのも大事。
*鳥と比較しない:翼を持った鳥と自分を比較するのはナンセンス。翼のない自分を受け入れましょう。
*翼がないことの利点を考える:鳥ではないことをもっとポジティブに考えてみたらいかが? 翼がないからこそできることもきっとあるはず。例)地に足のついた活動ができる。毛虫を食べなくてもよい。
【まとめ】
翼のないことをいつまでもクヨクヨしていてはいけません。鳥は鳥、自分は自分という気持ちで一歩踏み出してみるのはいかがでしょうか。
問診票
私たちの町の病院はまるで城みたいだ。10階建てで、広大な敷地に囲まれている。
私たちはこの病院で診察を受けたいとき、受付にいく。すると、初診受付用紙を渡される。これに住所や名前を書かなくてはならない。
用紙を提出してしばらく待つと、ファイルを渡され、次にどこそこに行くように、と指示される。そこに行くと、別の受付がある。ファイルを見せると、問診票をくれる。記入しろというのだ。
問診票には必ず正面と背面の人体図が描かれていて、「症状のある部位に丸をつけよ」とある。どんな病気でもこれに印をつけなくてはいけない。
問診票を書き終わって提出すると、今度は2階のどこそこに行くようにと言われる。
階段を登っていくとやはり受付があって、ファイルと引き換えに別の問診票を渡される。丁寧に答え、人体図にも丸をつける。
これを受付に出すと、別の指示が出される。上の階のどこそこの受付に行け、というのだ。そして、そこでも問診票に記入することになる。
こうやって私たちは病院中を上から下まで移動させられ、そのたびに、問診票を仕上げていく。次第に、私たちは疲労し、目が回ってくる。問診票に記入する手も震えてくる。
そして、人体図がもはや人間に見えなくなってきているのに気がつく。頭が破裂しそうなほど巨大だったり、手足の代わりに無数の触手がついていたり、太ったナメクジのような形だったり、奇怪な生き物の図になっているのだ。だが、私たちは疲れ果てているから、そんなことにお構いなしに、適当な部位に丸をつける。
そのあとも私たちは問診票を書き続ける。描かれる図はますます異様になり、最悪の悪魔のようだ。私たちは怯えながら悪魔の角に丸をつける……
やがて最後の紙を渡されるときが来る。そこには「病院の対応はいかがでしたか」などと書かれていて「よかった、ふつう、よくなかった」のいずれかに丸をつけるようになっている。
この紙を箱に入れると、「もう二度と来ないように」と最後の受付がいう。病院の外に追い出された私たちは、足取りも軽く家に向かう。
汚染人
私たちは長い間、汚染水とともに生きてきました。
汚染水の産湯をつかい、汚染水で割った粉ミルクを飲み、汚染水で煮炊きしたものを食べ、汚染水の海で泳ぎ、汚染水で排泄物を流し、汚染水のスーパー温泉に通い、末期の水まで汚染水、といった具合で、汚染水にどっぷり浸かった暮らしを営んできたのです。
人々は私たちを蔑み、恐れました。憎しみのあまり、いっさい店に入れぬと張り紙した料理屋もございました。迷惑電話もじゃんじゃん鳴り響きました。いつしか人々は私たちを汚染人と呼ぶようになりました。
汚染人!
今までこのような不名誉な呼ばれ方をした人間たちがあるものでしょうか。私たちはがっくりと肩を落とし、この世界のもっとも暗い地点でひっそりと生きていこうと決心したのでございます。
そんなときです。あの方が現れたのは。そのお方は神々しい光をまとい、私たちにこう告げたのです。
「聞きなさい。そして、こうべをあげ、胸を張り、涙を拭いなさい。私はあなたたちが二度と汚染人と呼ばれぬために来たのである。なぜなら、私が来たことにより、この瞬間から先、世界が滅びるまで、汚染水は処理水となったのだから。さあ、行くがよい、処理人よ」
私たちは快哉の叫びを上げました。もはや私たちは汚染人ではない。処理人だ! なんとうれしい知らせでしょうか。
そして、この記念すべき時以来、処理人は世界中に広まり、富み栄えております。
電車の読書
昔は電車の中の暇つぶしといえば、本を読む以外になかった。
たいていの人は、電車に乗るやいないや、文庫や単行本をカバンから取り出して、読み耽ったものだった。そして、いつも乗り過ごしたものだった。
しかし、現在では読書する人などいない。電車の中では携帯を見ている人ばかりだ。ネットや動画・ゲームが時間潰しに最適だということが、今世紀になって発見されたのだ。
もっとも読書が完全に追いやられたわけではない。まれに本を広げている人がいる。これらの人は2種類に分けられる。
ひとつは、資格試験の教科書や自己啓発書・ビジネス書を読んでいる人たちだ。どの本もキラキラピカピカしている。出たてホヤホヤの新刊だ。電車の中でこうした本を読んでいるのは若い人たちにかぎられる。より良い明日を目指して研鑽している人々だ。
もうひとつは小説を読んでいる人たちだ。これらは100人中100人が老人だ。しかも読んでいる本の紙質はきまって褐色で、ページを繰っただけで粉々になりそう。さもなければ紙魚がわんさと住み着いていて、その乗車賃まで払わされかねないほど。それくらい大昔に出版された小説だ(ひどいのになると、奥付けにハンコまで押してある)。老人たちはどういうわけかこうした古書に夢中なのだ。たぶん新刊書より軽いからかもしれない。
さて、私はといえば、電車で読むのはもっぱら小説(しかも古書)だ。だが、老人しか小説を読んでいないということに気づいてからは、ビジネス書や自己啓発書を買い、そのカバーを小説につけかえて読んでいる。