ライブ

宇宙ネコ子@下北沢近道

宇宙ネコ子初のワンマン 「ねこねこ音楽会 夏の庭」が行われたが、すばらしいものだった。演奏も気合が入っていて、サポートメンバーもいつも以上にキレが良かった。会場の音響の良さも相まって、これまでのどのライブよりもクリアに聞こえた。全身をいくども音の塊が通過していった。

セットリストは、前半はアルバム「君のように生きれたら」、後半はアルバム「日の当たる場所にきてよ」で、先週のライブのように新曲はなかった。アルバムを非常に大切にしているのがうかがえた。

今日は、いつものドラムとベースに加えてギターのサポートも入っていた。それでメインボーカル(kano)はギターなしで歌に専念し、メインギター(ねむ子)もギターだけでなくシンセなども演奏し、さらに音に深みが加わっていた。なお、kano さんは、先週はステージでココアを飲んでいたが、今日はハチミツのチューブを合間合間に口にしていた。

そして、やはり今回もメインギターの凄さに圧倒された。特に「(I’m) Waiting for the Sun」では、繊細なアルペジオから、鋭いフレーズ、ゴツいカッティング、そして狂おしいノイズまで、幅広い演奏を聴くことができた。さまざまな演奏手法で曲を構築していく仕方が、家を出る前に奇しくも YouTube で見たジョン・マッギオークの演奏(Spellbound)を彷彿とさせて、感慨深かった。

アンコールでは「ただいま」が演奏された。MCで明かされたのは、この曲の仮名が「エハラ」であったことで、それはこの曲は矢野顕子の曲調をイメージして作られたから。つまり、矢野顕子のモノマネをするエハラマサヒロから取られたのだという。家を出る前に私は奇しくも YouTube で、エハラマサヒロの布施明の動画を見ていて、これもまた感慨深かった。

ダブル・アンコールの「日々のあわ」では、ギターのサポートが抜けて、いつもの四人編成に戻り、kano さんもギターを演奏した。新しい一歩を踏み出したという感じで、これからのライブも楽しみだ。

風刺・戯文

衣食足りないから

昔、私の知っている人がこんなことを言って私を驚かせた。

孔子が「四十にして迷わず」と言っているのは、孔子が40歳を過ぎて迷わなくなったという意味だと普通考えられている。それで、私たちも40歳になったら迷わない境地に至るべきだ、ということになっている。

だが、私はそう思わない。これはむしろ、孔子が「40歳になったら迷わないように」と自分を戒めているのである。つまり孔子にも迷いの心があったということだ。孔子ほどの人にそんな心があったのだから、私たちのような凡人はむしろ「迷わず」などという境地に達することはできない。むしろ逆に40になっても大いに迷っていい、そう考えた方がいいのではないか。だからもっと迷うべきなのだ。

また、その人はこんなことも言っていた。

「衣食足りて礼節を知る」というのは、生活が安定してこそ、人間は礼儀を重んじるようなると解釈されているけれど、これはつまり、生活が安定していないときは、礼儀なんて尊重しなくていいということなのだ。そこで、今の私たちの生活はぜんぜん安定していない。だから、マナーなんて守る必要ないのだ。

これはこれでひとつの考えだと思うので、私は尊重したい。にしても、貧しくなればなるほど、人間を重んずるという最低限の礼節すら失われていく今の日本に当てはまるようでもある。