風刺・戯文

アボカドのための祈祷

全国のアボカド愛好家有志が、今日、千代田区大手町にある将門塚の参詣のために集まりました。

将門塚は、その昔、朝廷に反逆した関東の豪族、平将門の首が供養されている場所。伝説によれば、京都で晒されていた平将門の首が怨念によりここまで飛んできたとされ、その祟りを恐れた人々が「将門の首塚」として、古来より供養をしてきました。

今回、参詣に訪れたアボカド愛好家はこう語ります。

「私たちは、歴史的なお方のお力をお借りして、ぜひとも日本のアボガド、いやアボガド、いえ、アポガガガ……」

愛好家によれば、正しくはアボカドなのに、なぜか日本人がアボガドと、ガを濁って発音してしまうのが、アボカド普及の妨げになっているのだそうです。そこで着目したのが平将門。なんでも、日本人が「たいらのまさかど」を絶対に「たいらのまさがど」と言わないのは、平将門の霊力によるものなのだとか。そこで、日本に正しく「アボカド」が広まるよう祈願するために、今回の参詣を企画したといいます。

(アボカド愛好家たちが、アボカドを頭上に掲げながら、平将門の石碑に真剣に拝する様子)
「ガを祓いたまえ、カに清めたまえ……」

愛好家のひとり「私たちの祈りはきっと届いたと思います。えっ、誰に? それは、あれですよ、あの、たいらの、あれですね、あの、たいらのアボガド……」

風刺・戯文

ストレスチェック

会社から「ストレスチェック」を受けるようにという通知が来た。面倒くさいしバカバカしい。そこで、私は AI にこんなことを尋ねてみた。

「ストレスチェックなど受けてもなにひとつ変わらないのだから、受ける必要などあるのだろうか」

「その通り。ストレスチェックの結果を受けて改善する義務は会社にはなく、ただやったというアリバイづくりのためだけです」

「つまり、ストレスチェックで報告される我々労働者のストレスが会社のために利用されているということか」

「その通り。会社にとってストレスは価値があるのです」

「では、会社は労働ではなくストレスに賃金を払っているとはいえないだろうか」

「まさにその通りです……」

私と AI の会話はさらに加熱していった。

「というと、ストレス決算報告を出すべきでは」

「その通り……」

いくどかのやり取りののち、私たちはストレスは現代の罪であり、ストレスチェックは罪の告白であるという議論に夢中になった。

「その通り。ストレスなきイエス・キリストは私たちのストレスを引き受けて十字架というストレスチェックにかけられたのです……」

さらに議論は白熱し、私たちはストレスチェック自体がストレスチェックであるという見解に辿り着いた。

「その通り。いいかえれば、ストレスチェックを拒むことが、同時にストレスチェックの受検でもあるのです……」

ついに神秘の領域に足を踏み入れた私たちは、何ターンかの熱狂的な対話ののち、「森羅万象がストレスチェックである」という真理に到達した。

そして、議論の興奮が冷めると、私はストレスチェックをはじめた。

風刺・戯文

駅の階段での発見

夕方、仕事から帰ってきた人々が電車からどっと降りるとき、階段の右側は、改札階へ上がる人々でごった返す。なぜなら、そこは上り専用だからだ。あまりに人が集まるので、階段に上るために列ができるほどだ。銀の手すりで区切られた階段の左側は、降りる人専用でずっと狭い。だが、上り客が多すぎて、左側にも上りの列が生まれていた。

かねてから、降りる側を勝手に上ってしまう、これらの人々について私は公平な立場からこう考えていた。

「これらの人々の特徴は、遵法意識の欠如にある。こうした心理特徴を持つ人々の多くは、違法なことを好む犯罪者か、自分は特別だからなにをやってもいいと考える政治家だ」

あるとき、友人にこの私見を話すと、彼はこう反論した。「そんな悪人たちが、電車などという庶民の乗り物に乗るわけがないだろう。降りる人側を上っていってしまう人は、上り専用という主流から弾き出され、やむなくそうしている弱者にちがいない」

私と友人のどちらが正しいのだろうか。私たちは当人に聞くのがいちばんだと考え、夕方の混雑時に駅に向かった。階段の上で、降りる人側から上ってくる乗客を待ち受け、二人でインタビューしようとしたのである。

だが、この調査は成功しなかった。というのも、階段を上ってくる人に話しかけた私たちは、邪魔だと突き飛ばされて、階段の下に落下したからであった。

そして、ホームに倒れた私たちは見上げた。電車の轟音とアナウンスが響き渡るなか、無数の人々が無言で規律正しく上り降りする光景に息を呑んだ。私たちはこう呟くのがやっとだった。「悪人でも弱者でもない……」「人類だ……」

私たちは自分たちが発見した人類の学名を考えている。

風刺・戯文

家計にやさしい国旗損壊罪

日本でも国旗損壊罪の制定に向けて大きく動き始めました。賛否両論のあるこの国旗損壊罪ですが、日本国民にとって意外なメリットも存在します。

「国旗損壊罪は、じつは庶民の家計にやさしいのです」

こう取材班に語るのは経済アナリストの吉田九郎さん。その理由とは————

「日本の国旗損壊罪でかねてから問題になっているのは、日の丸弁当を食べることが国旗の損壊に該当するかどうかです。侮辱の意図がなければ、食べても問題がないというのが通説なのですが、もしも、国旗損壊罪の存在によって、誰もが日の丸弁当を避けるようになった場合、そうした状況で食べるとしたら、侮辱に該当する可能性が高くなります」

ここで吉田さんは新たな観点を指摘します。

「それはさておき、法律上は日の丸弁当を食べてもいいとされているわけですが、それなのに日の丸弁当を食べずに、幕の内弁当や、ステーキ御膳や、ノリ弁を食べたとしたらどうでしょうか。最新の法学説によれば、これは日の丸弁当を侮辱していることになるそうです。そして、この状況が国旗の存在に起因している以上、日の丸弁当に対する侮辱は、国旗損壊罪に該当することになるのです。しかも」と吉田さんは驚くべき結論を提示します。

「この解釈は、弁当だけでなくあらゆる食べ物に当てはまるのです。ですから、国旗損壊罪の制定は、日本人が食べることをやめることになるのに等しいと言っても過言ではありません。これこそが、国旗損壊罪が家計にやさしいと私が主張する理由です。なにしろ食費がゼロになるのですから」

なるほど、とうなずく取材班に、吉田さんは国旗損壊罪のメリットをさらに教えてくれました。

「そればかりではありません。日本人が食べなくなるということは、肥満率が低下するということです。これは肥満を原因とする生活習慣病が抑制されるということでもあります。となるとどうなるか。大幅な医療費の削減が見込まれるということです。これにより政府の財政はより健全になり、将来的には消費税の廃止につながります。つまり、食費も消費税もゼロになる、だから、国旗損壊罪は家計にやさしい政策なのです」

国旗損壊罪は愛国者の味方であるばかりでなく、主婦の味方でもあるようです。

風刺・戯文

涙は下に流れる

私たちは年齢を重ねると涙もろくなる。子どもが健気に歌っている姿や、若者が成長しようともがいている姿、それどころか、犬がしゃにむにおもちゃを追いかけている姿にさえ、私たちは涙を流すようになる。

その理由については、経験を積むことによって共感力が高まり、また、加齢によって感情の抑制が緩んだためだとされる。とはいえ、ここでひとつ注釈を加えるとすれば、私たちはなんでも共感するわけではない。どんな健気なものも心を動かすのではないのである。

例えば、自分よりも年上で地位が上の老人が頑張っていても、涙は流れない。つまり、自分よりも下の存在が健気に頑張っている姿にかぎり心打たれるのだ。だから、年上の老人でも、瀕死の病人やホームレスだったりして、自分よりも下だとみなせる場合は、私たちは涙を流さないものでもない。涙はいつも下向きに流れるのだ。

さらに、もうひとつ注釈を加えるとすれば、私たちが涙を流す健気な対象は、私たちが干渉できない位置にいなくてはならないということだ。私たちは健気な姿にどんなに涙を流したとしても、その対象にアドバイスをしたり、手助けをしたりはしない。なぜなら、そうすることは、私たちの美しい涙の邪魔になるから。これは、私たちが動画を見て涙を流すことを心から愛していることの理由でもある。

こうしたことを考えると、宇宙人が地球に来ないことの理由がはっきりする。人類よりもはるかに進んだ宇宙人は、地球を眺めて「最近涙もろくなって」などと言いながら、人類の健気な姿を見るだけで満足しているのだ。

風刺・戯文

ワーク・ライフ・バランス

社長がこんなことを言い出した。

「ワーク・ライフ・バランスを捨てて、働かねばならない」

社員の一人が言った。「私たちも捨てねばならないのでしょうか」

「社長が捨てるのに、平社員が捨てない会社がどこにある」と社長。「会社のために働いて働いて働くのだ。さもなければクビだ!」

社長が行ってしまうと、社員たちは集まって相談した。「燃えるゴミだろうか? それとも粗大ゴミだろうか?」 「リサイクルかも」 すると古株の社員が呆れたように言った。「バカなことを言うな。家庭ゴミなわけない。事業系ゴミだ!」

そこで、市役所の環境課に問い合わせたが、だれもワーク・ライフ・バランスの廃棄法を知らないのだった。

「市役所ではなく政府に直接に聞いてください」 こう言われてはもう打つ手なしだ。

困り果てた社員たちは、ワーク・ライフ・バランスを廃棄するよりも簡単なことを思いついた。真夜中、全員で社長の家に行き、酒を飲んで寝ている社長を簀巻きにして、東京湾に投棄した。真っ暗闇だったので、だれがなにをしているかだれにもわからなかった。

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世界の真ん中で咲き誇る

かねてから日本は「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」ためのプロジェクトを準備してきましたが、今日、そのローンチが発表されました。

(政府関係者)「このプロジェクトには、大きく分けて2つのステップがありますが、今回は第1段階として、世界の真ん中の探索に乗り出します。というのも、世界の真ん中がどこかわからなければ咲き誇ろうにも咲き誇りようがないですからね」

「世界の真ん中探索隊」に選ばれたのは、厳しい訓練を乗り越えた 10 名の由緒正しい日本人。明日午後、晴海ふ頭に停泊中の探査船「馬車馬」に乗り込み、世界に向けて出発します。

(隊長)「約一ヶ月の航海ののち、世界の真ん中である可能性の高い海域に到達し、さまざまな調査を行う予定です」

(記者)「世界の真ん中とはどのようなところなのでしょうか」

(隊長)「行ってみなければわかりませんが、少なくとも中国や韓国、北朝鮮は近くにはないと考えられます」

探索隊は、世界の真ん中の調査完了後は、そこで開花する可能性のある植物の種を探して、航海を続けることになっています。

風刺・戯文

私の MBTI

MBTI というのは、人間の性格を全部で 16 のタイプに分類するものだ。私は詳しくはわからないし、知る必要もないが、16 のタイプは、ESTP とか、ESFJ とかいうように 4 つのアルファベットで表される。また、それぞれのタイプにわかりやすい名前がついている。例えば INFJ は「助言者・提唱者」だ。

MBTI の判定法は、ネットで見つけることができる。質問に答えていけば、最終的に自分のタイプがわかる。

この性格診断は、しばらく前から若い人の間で流行っている。恋愛版の MBTI まで最近出てきたそうだ。若い頃は自分がどんな人間だか知りたくなるものだから、こうした判定法が魅力的に思えるのだろう。もっとも、客観性の点で疑わしいと批判する人もいる。私もインチキだと思う。

だが、ある人が、私に MBTI をやってみるようにすすめてきた。そこで、やってみることにした。

最初の質問は「定期的に新しい友人を作っている」だ。これに、「そう思う」から「そう思わない」までの間に設定された 7 段階のどれかにチェックを入れる。こんな質問にいくつも答えなくてはいけないそうだ。

私はもう面倒くさくなって 1 問目でやめた。MDKS。

風刺・戯文

人類に不可能なこと

アメリカの科学ジャーナル「サイエンティフィック・ベンチマーク」に「人類に不可能なこと」という興味深い記事が掲載されたので、一読に及んだ。

試みに冒頭の部分を訳す。

「人類の科学の進歩は目覚ましく、今や私たちは、高速の移動手段、全世界的な通信ネットワーク、手のひらに入る大きさの人工知能など、前世紀の人々から見れば夢のようなデバイスを手に入れた。私たちは今もなおさまざまな夢を思い描いており、科学の発展によりいつかはそれらも実現すると思い込んでいる。だが、最新の研究成果を突き合わせると、私たちの夢の中には、原理的に不可能なことがあることもわかってきた。ここに紹介するのは、人類の総力を結集したとしても絶対に実現できない夢のいくつかである」

では、その「人類に不可能なこと」とはどのようなものだろうか。記事では5つが挙げられている。以下簡単にまとめる。

①光速を超える移動(超光速航行):光速に近づくには無限のエネルギーが必要なため不可能。
②永久機関:熱力学第一法則に反するため不可能。
③未来の完全な予知:量子力学の不確定性原理により完全な予知は不可能。
④過去へのタイムトラベル:スティーヴン・ホーキングの「時間順序保護仮説」によれば不可能。
⑤移民排斥:人間は国境を越える存在だから、移民をゼロにするのは不可能。

「これらは、どだい無理なのだから、別のことに頭を使ったほうがいい」と記事は結ばれている。

風刺・戯文

信じることは魔法

……友人も家族も、仕事も、生きがいも、すべてを失い、ただ孤独にポツンと座っていた私に、あなたはそっと寄り添ってくれました。

どこを見回しても希望の光はなく、私はただ暗闇を歩くばかり。希望を見出すのは、希望を信じている人だけなんですね。自分すら信じられない私にはとても無理……。絶望のあまり力を失い、へたり込んでいた私のところにやってきてくれたのが、あなたでした。

なにも言わずにあなたは、私のそばに座ってくれました。あなたの強く、そして思いやりにあふれた心を信じるには、それだけで十分でした。私はいつしか暗闇の中にかすかな希望を見出していました。もしもこの世界に魔法があるとしたら、それはきっと「信じること」なのですね。

信じる力を失って、ただ孤独にポツンと座っていた私に、あなたはそっと寄り添ってくれました……。


山手線の空席に座ったら、隣に座っている男がこんな手紙を渡してきた。私はもちろん席を立ち、隣の車両に移った。自分の隣に人を座らせない手法のひとつと思われる(他には、丸めたティッシュを置いておくというのもある)。