風刺・戯文

ぶつからないおじさんたち

「ぶつかりおじさんという概念が誕生して以来、おじさんたちの外出はますます不穏なものとなった。

そもそも、犬も歩けば棒に当たるの諺の通り、外に出てまったくぶつからないというのはありえない。ことに足腰の衰弱のためフラつきがちで、わずかな凸凹にもつまづきがちなおじさんには至難の業なのだ。だが、不寛容な現代社会は、おじさんが不注意にも他人の肩をかすめた程度でも、「ぶつかりおじさん」のレッテルを貼りつけるのだ。

そこで、おじさんたちが安全に外を歩けるようにするためのいくつかの方法が考案された。

まず、「おじさん歩行中」というステッカーを体中に貼り付け、周囲の注意を促す方法が提案された。だが、これは、おじさんたちの拒絶反応によって迎えられた。「初心者マークじゃあるまいし!」「ヘルプマークなんてみっともない!」 おじさんたちにとって、自分たちが弱者であるという考えは我慢ならなかった。

次に、人の少ないオフピーク通勤の活用が推奨された。だが、おじさんたちはこれもガンとして拒否した。なぜなら自分の人生がすでにオフピークであることを認めるような気がしたからである。

さらに、おじさんがぶつからないようにするためのトレーニングも開発された。柔軟体操を通じて体をほぐし、敏捷性を向上させるためのメニューが開発された。しかし、おじさんたちは「ストレッチなんか女子どものやることだ!」と嘲笑った。自分たちにふさわしいのは、派手でかっこいいものだけだと思い込んでいたのだ。

そこで、もっと運動性の高いトレーニングが開発された。それは押し寄せる障害物を巧みに交わしながら前へと進む訓練法だった。

おじさんたちはすぐさまこの過激な訓練法に夢中になった。おじさんたちはみな「豚だ! 豚!」「少年院の力石徹だぞ!」と興奮したが、若者たちはなんのことかさっぱりわからなかった。

風刺・戯文

かるかやの謎

説教節の「五説教」のひとつとされる「苅萱(かるかや)」はおおよそこんな筋だ。

昔、ある有力な武人が無常を感じ、仏門に入ることにした。高野山に行くと、偉い坊さんが「侍が遁世修行するなどムリムリ」という。だが、武人は「私は二度と家族に会いません。もし会ったら地獄に落ちてもいいです」と誓って、なんとか認めてもらう。

この武人には、妊娠中の妻がいた。やがて男の子が生まれて、少年になる。少年は、父親が生きていることを知ると、会いたくなり、母親と一緒に高野山に行く。

高野山は女人禁制なので、少年は一人で山に行き、苅萱道心に出会う。この苅萱道心は少年の父であるが、道心は家族と会ったら地獄に落ちると誓った手前、少年に「お前の父は死んだ」と嘘を言う。少年はこの悲報を母親に知らせるために高野山を降りるが、その時には母親は心痛のあまり死んでいた。

その後、少年は再び高野山に行き、苅萱道心と再会し、その弟子となり、道念坊と名づけられる。道心はいずれ自分が父であることが露見することを恐れて、ひとり旅に出て、亡くなる。道念坊も、道心が父であるとは知らずに、やがて亡くなる。これが善光寺の親子地蔵の由来である。

この悲しい物語には、どうも腑に落ちないことがある。

父親は少年が自分の息子であることは誰にも言わなかったし、息子は自分の父が死んだと信じ込んでいた。それならいったい、誰が二人が親子であることを知っていたというのだろうか?

風刺・戯文

AI の手

現代の AI の進化のスピードからすると、そのうち、高度な自動翻訳機能を誰でも自由に活用できるようになるだろう。この機能を脳に組み込めば、私たちは相手が何語で話しかけてこようとも、即座に理解してしまうのだ。また、こちらから自分の言語で話したとしても、相手の脳に増設された自動翻訳機能が相手の言語に変換してしまう。

すると、互いに異なる言語を話しているのに、なぜかやり取りが成立しているという状況が生じるが、これはスターウォーズでお馴染みの光景だ。

問題は言語というものがそれほど明確に区別できないことだ。英語と日本語なら自動翻訳機能が必要だが、関東方言と関西方言ではどうだろうか。同じ言語ならば自動翻訳機能などいらない、と思うかもしれないが、いったんこの機能が脳に組み込まれてしまうと、「方言」程度の差でもこの機能は「やはりあったほうがいい」ということになるのではないかと思う。

そうなると、東京方言と茨城方言の話者同士のコミュニケーションでも、この機能を使わない理由はない、ということになる。そして、言語というものは、個人個人でも多少は違うものだから、家族と話すときでも、私たちはこの機能に依存するようになっていくだろう。

また、私たちは心の中で自分とやりとりすることもある。自問自答したりすることもあれば、良心の声が聞こえてくることもあろう。そのときにも、AI が自動的に働いて、翻訳しだす。自分との会話にも AI が介入しはじめるのだ。

そのとき、私たちが、胸に手を当てて考えるときの手も、たぶん AIの手だろう。

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風刺・戯文

シティポップの誕生

シティポップは1970年代の日本で生まれた音楽ジャンルのひとつで、いわゆる「洋楽」の影響を受けながら、日本の当時の洗練された都市文化も反映した音楽です。

このシティポップが現在、世界中で注目されています。特に韓国では、80年代から日本のシティポップの受容が始まり、現在では独自のフレーバーを持つ韓国シティポップが日本でも愛好されるようになりました。

さらに、タイでもバンコクを中心に、優れたシティポップが制作されるようになっています。

ここで、都市について研究を重ねる都市学者がシティポップについてこんなことを言っていたのが思い出されます。

「洞窟に住んでいた人類が住居を作り、その住居が集まって集落となる。その集落が集まって村となり、その村が集まって、大きな村となる。やがて余剰生産物が発生し、それを管理する存在として王が生まれ、村々を束ねる都市が誕生する。その都市が発展し、人口も増え、その増加した人口と社会を管理するための官僚機構が整備されると、大都市となる。この大都市は周辺の人々と富と技術を飲み込みながら拡大し、最終的にシティポップを生み出す」

今後、戦争が起きて、文明が破壊され、私たちが洞窟に暮らすようになったとしても、そこからいつの日か素晴らしいシティポップが誕生するかと思うと、ゴツゴツした岩場でも楽しく眠れそうですね。

風刺・戯文

国産パンダ

日本の動物園から、次々とパンダが消え去っています。中国に相次いで返還されているためです。このままでは日本からパンダがいなくなってしまう、そんな危機感から、私は、国産パンダの開発を進めてきました。ですが、それはそう簡単な仕事ではありませんでした。

はじめは、日本の熊の胴体と頭を、国産の優れた漂白剤で白くすれば、簡単にパンダができると考えていました。ですが、実はそれだけではダメだったのです。問題は食生活の違いでした。日本の熊は絶対に笹を食べようとしませんでした。笹団子までは食べさせるのに成功したのですが、それ以上は無理でした。

もはやこれまで、と諦めかけていたときでした。私はふと目にしたニュースで、ある日本人の存在を知りました。その人は熊のいない県である千葉県を「熊あり県」にするために、自ら熊になろうとしているということでした。

これを見た私は「自らがパンダになるしかない」と覚悟を決めました。まずはパンダの生態を徹底的に学ぼうと、さっそく中国に渡り、四川省の保護区に向かいました。ところが、そこで現地の公安に逮捕されてしまったのでした。

パンダをじっくり観察し、パンダの着ぐるみを着てその動きを真似していた私を、中国政府は不当にも逮捕したのでした。

幸い、すぐに釈放されたのですが、強制退去を余儀なくされました。

私はこれは反スパイ法による逮捕だと確信しています。でも、この逮捕は実はラッキーでした。なぜなら、私はついに真相に辿り着いたからです。

考えてもみてください。パンダになろうとしている無実の人間をスパイだと捕まえるなんて、おかしいではありませんか。ですが、ここに秘密があるのです。つまり、もしかしたら、わたしは本当に中国の国家機密に近づいていたのかもしれないということです。ええ、はっきり申し上げれば、中国のパンダはもともと人間だったのです。

そうです。人間がパンダになることは可能なのです。近いうちに、みなさんの前にパンダとしてお目にかかれる日が来ると確信しています。

風刺・戯文

秘密の万博

ジャーナリストどもってのは心の歪んだ人々で、批判したり、けなしたりすることしかできない。私たちの万博だって、始まる前からさんざん文句を言うので、私たちはもうイヤになってしまった。

そこで私たちの為政者はついにこんなルールを定めた。万博に来場する人は絶対に万博のことを話してはいけない、と。写真も動画も配信も、ノーだ。これも卑しいジャーナリストどもから万博を守るための苦渋の決断だ。

そんなわけで万博が始まったが、私たちはそこで何が行われているのかまったく知らない。これはとても誇らしいことではないだろうか。規律正しい日本人だからこそできるのだ。それに知らなくてもまったく問題はない。私たちは素晴らしい万博がこの国のどこかで開催されているということだけでもう満足なのだ。

もっともジャーナリストというのは人間のクズだから、それでもあることないこと書き立てる。「万博の中は完璧な報道統制が敷かれているので、不倫好きな芸能人と野球選手がこぞって訪れている、なぜなら絶対に写真に撮られないからだ」だと。バカバカしいにもほどがある。

それどころか、マスコミがいないのをいいことに、悪人がやりたい放題だなんていってる。やりたい放題なのは、マスゴミさんではありませんか?

それに、こんな噂まで流してる。

「万博内に強制収容所とガス室が建設されて、毎日数十万人の外国人が殺害されている」

呆れるを通り越して腹立たしいばかり。私たちの素晴らしい万博を汚すこうした連中を、ガス室送りにする方法はないものだろうか?

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アメリカ車を買いなさい

日本人というのはなんてずるいのだろうか。私たちアメリカ人は日本車をたくさん買っているのに、日本人ときたらアメリカの自動車をまったく買わないのだ。私たちがこの日本の態度を非難すると、日本人どもは決まってこういうのだ。

「アメリカさんの車はとっても素晴らしいのですが、なにせ私たちの国は小さいもので、ほら、道なんか狭いでしょう! しかも、手前どもはみな貧乏でして、アメリカさんのゴージャスな車はちょっと分不相応というわけで……」

アジアの黄色い猿どもがなにをいうか。私たちはとうとう堪忍袋の緒が切れた。そんなにいうならば、お前たちが偉大なアメリカから奪い取ったものを倍にして取り返してやろうじゃないか。

私たちは日本人に対してドーンと関税をかけてやった。原爆級のやつだ。さすがに連中ふるえあがって、すがりついてきた。「どうかお許しください」と猿顔の首相が泣きつく。「日本政府が責任を持ってアメリカ様の車を買いますから、どうかここはひらにギブミーチョコレート」 日の丸も星条旗には敵わないってわけ。

「これでまたひとつアメリカが偉大になったわい」と私たちは勝って MAGA キャップの緒をしめる。ところが、その日から、とんでもないことが始まった。例の日本の首相が、私たちのアメリカ車と写った無様な写真を毎日、ネットに投稿し出したのだ。そればかりじゃない、日本政府が購入したアメリカ車をそこらの貧民にロハで配りでもしたのか、黄色いつり目のチビどもとアメリカ車の写真が世界中にばら撒かれてる。

いやはやこんなネガティブ・キャンペーンってある? 世界中でアメリカ車の販売数が冷え込み出した、しかも急激に!

これはヤバい、と私たちは今、アメリカ車を買うなと日本人にマジで抗議してる。

風刺・戯文

孤舟先生

現在55歳の彼は就職活動中だが、ほとんどの求人で年齢制限に引っかかるので、応募すらできなかった。彼はしきりに考えた。50代の求職者を受け入れない社会がいけないのだろうか。それとも50代になるのに無職なのがいけないのだろうか……。

もっとも、犯人探しをしてなんになろう。彼は気を取り直して、近所の孤舟先生と呼ばれる紳士のところに相談に行った。

いつも、どうしたらよいかわからないときにこの有徳の先生に泣きつくのだった。

「どこもこんな老人を雇ってくれるところなどないのです。ああ、もう10年若かったら!」

すると、先生、莞爾(にっこ)と笑って、彼を突き飛ばした。縁側から庭に転がり落ちる。

「何をするんです」彼は叫んだ。「つらいから相談に来たのに、これでは踏んだり蹴ったりではないですか!」

「その、踏んだり蹴ったりこそ重要なのだ!」

孤舟先生はさらに彼をむんずと掴んで家の外に放り出した。道路に転がると、そこに自転車が走ってくる。叫ぶまもなく、恐ろしい衝撃が彼を……。

気がつくと、彼は病院にいた。見ると足に包帯が巻かれていて、痛みに思わず苦悶の声を上げる。「目を覚ましたようだな」 声のする方を向くと孤舟先生が立っている。

「どうして!」 彼は思わず叫んだ。「なぜこんなことを」

先生はさもおかしげに笑うと、不意に恐ろしい目つきで見つめた。「これだけで終わらないぞ。これから、病、事故、裏切り、盗難……ありとあらゆる災難が君に襲いかかるだろう!」

「ただ就職の相談をしただけなのに! 災難なんて!」

「そうなのだ! 私は今、災難を作り上げて、君を人工的に厄年にしたのだ! さあ、これからは堂々と厄年の40代として就職活動を始めたまえ!」

「そうでしたか!」と彼の顔が明るくなった。「でしたら、いっそのこと20代の厄年のほうが引く手あまたなのでは?」

孤舟先生、悲しげにつぶやいていわく「それでは君の体は持つまい……言っておくが、これでも前厄なのだよ!」

風刺・戯文

新しい英和辞書

言葉は常に変わっています。新しい意味や新しい使い方が次から次へと誕生しています。私たちは言葉がわからない時に辞書で調べますが、そこに記された情報はすでに古く、もうない場合すらあります。辞書を引いている間にも、世界は変わっているのです。

だからこそ、新しい辞書が重要です。この度、私たちが新しい現代アメリカ英和辞書を出版したのも、日本の英語学習者の皆さんに、今現在使われている本当の英語を学んでほしいからです。

例えば、truth という言葉の意味を調べてみましょう。従来の辞書ではこんなふうに書かれているはずです。

truth【名詞】(複~s) 真実、事実、本当のこと

ですが、私たちの辞書では現代アメリカ口語の最新の情報を盛り込んでありますから、そんな時代遅れなことは書きません。ご覧ください。

truth 【名詞】(複~s) 嘘、でたらめ

さらに「偽造の、嘘の」を意味する fake を新しい辞書ではこう定義しています。

fake【形容詞】真実の、事実の、本当の
   例文:it’s fake news!「これは本当のニュースです!」

ぜひこの新しい『Clown 英和辞書』をご活用ください!
(『Crown 英和辞書』とのお間違えにご注意ください)

風刺・戯文

レストランの忍者

これからの時代、日本でレストランに行くということは、おのれの気配を消し、物音を立てずに移動する術を身につけたもののみに許された行為となるだろう。忍者のような人間だけが、レストランで食事を楽しむことができるのだ。

そもそも入店からして難しいのだ。自動ドアを開くときも気づかれないようにまず猫の鳴き真似をして、ホール係の注意を逸らす必要がある。それから、ホール係に見つからないように素早く床這うようにして進み、空いているテーブルに座るのだ。

席についたからといって安心はできない。まず絶対にホール係に目を合わせてはいけない。まるで店の人などいないかのように、自分の携帯か備え付けのタブレットでオンライン注文するのだ。

「おーい、すみません、メニュー!」とか叫ぶのは禁物だ。店から追い出されるだけマシで、通常はフォークでグサリだ。

注文の品が運ばれてくるときが、レストランでいちばん緊張するときだ。皿を置くホール係に気づいたそぶりは決して見せてはならない。まるで魔法のようにひとりでに皿が飛んできて、テーブルの上に置かれる、そんなふうに思い込むのだ。

ときおり、我慢できずにホール係をチラと目を向けたのを見咎められて、追い出されるものもいる。レストランはいかなる形でも客との交流を拒絶している、だからこそオンライン注文なのだ、ということを肝に銘じなくてはならない。

ごくまれにだが、ネットワークの不調のせいで、きちんとオンラインで注文したにもかかわらず、待てど暮らせど頼んだものがやってこないことがある。昔ならばホールの人を呼んで「注文通ってますか?」とか「もしかして忘れてますか?」などと直接たずねるところだが、今はそんなことをすれば一発退場だ。

そうした不測の事態が心配な人は、テーブルを確保したらまず、UBER かなにかで注文して、席までデリバリーしてもらうのがいいだろう。