散文

続々男の正座

義太夫一日体験教室の会場は、赤坂見附にある豊川稲荷東京別院の文化会館だ。体験教室はお昼を挟んで開催されるので「軽食を用意してきてください」と書かれていた。

そして、私がお昼のために持ってきていたのが、前日買ったお稲荷さんの残りだった。これはいかなる神慮によるものであろうか。正座と足の痺れを恐れていた私にとって吉兆というべきであろう。

時間があったので、私はおみくじを引くことにした。百円を木箱に投入し、木の筒を振り、みくじ竹を出す。二十二番だ。棚から該当するおみくじをとる。

「第二十二番 吉 このみくじにあたる人は、こゝろ正直にして人のいつはりにのりて云々」

ざっと読んだが、正座については一言も触れられてはいなかった。だが、託宣というものはそう簡単にはわかるものではない。私はもう一度じっくり読む。

「くるしみありたる後次第によろしきかたちなり」

「よろしきかたち」とは正座のことだろうか? だが、そのとき、別の言葉が目に飛び込んできた。

「待ち人おそし」

これだ。

長いあいだ待つということは、痺れを切らすということだ。私の運命は正座で痺れるに定まった。(つづく)

散文

続男の正座

数日後、正座器が届いた。「正座による足への負担を軽減する」という触れ込みの利器だ。レビューでは「凄く楽でした」「足が痺れません」と期待をもたせる。

さっそくそれをお尻の下に置いて正座してみた。すると、低い、低すぎる。私の足首は硬くて伸びず、平たくならない。それで、その分お尻が高くなり、正座器の座面から浮いてしまうのだ。これでは「足の負担」は軽減しない。もっとも、悪いのはこの製品ではなく、私の硬すぎる足首だ。なんにせよ、もっと高さのあるものを買わなくてはならない。

そこで、再び Amazon を検索した。正方形のクッションタイプのものが高さがありそうだったので、今度はそれを購入した。届く。すぐに試す。私の足首は、ガンとして伸びるのを拒否した。

無駄な買い物をしたと悔やんだが、せめてもの救いは、お昼寝の枕にも使えそうなこと……。だが、前日になって私はふと思いついて、このクッションを座布団の上に置いて正座してみた。すると、足首の痛みも多少和らぎ、短時間であるが正座の形を保つことができた。

これだ。

座布団はきっとある、と願いつつ、私はこのクッションを大きなカバンに入れて、義太夫体験教室に向かった。

散文

男の正座

毎日することがないので、義太夫一日体験教室に行ってみることにした。義太夫節は「語り」と「三味線」からなるが、それぞれ90分のコースがある。私はそのどちらにも申し込んだ。2月のことだ。

3月の終わりに、案内のメールが送られてきた。私はそのメールを見て驚き、己の迂闊さを嘆いた。

「正座をしていただきますので、脚に負担のかからない服装でお越し下さい」

正座のことをすっかり忘れていたのだ。そのような座り方は自分の人生から追放したはずだったのだが……と悔やんだがもう遅い。正座して1時間半×2受講しなければならない、そう思うだけで緊張してきた。

しかし、メールを読み進めると、こんな一言にでくわした。「正座器などをご使用いただいても結構です」

これだ。

さいわい、体験教室にまでまだ三週間あったので、私はさっそく Amazon で、正座器というものを探してみた。私と同じ恐怖を抱いている人はたくさんいるようで、いろいろな種類があった。なかでも、折りたたみ式で、お尻をしっかり持ち上げてくれるタイプのものがよさそうだった。私はすぐにそれを注文した。(つづく)

散文

禁じられた趣味

私はかつて酒と飲み歩きが趣味だった。毎晩のように仲間と酒場に繰り出しては、あの酒やこの酒を楽しみ、つまみを味わい、バカ話をして酔いしれていたものだった。

しかし、自分でもどうしてかわからないのだが、私は数年前にふっつり酒を辞めてしまった。そして、当然のことながら、飲み歩きにも行かなくなった。そもそも外出というものもしなくなったし、かつての飲み仲間とも疎遠になり、孤独となった。

酒が趣味であった私は、まったくの無趣味となってしまった。私は新しい趣味を始めようとした。トライアスロンに挑戦したり、米粒に観音様を描いたり、撮り鉄のひとりとなって悪態をつきながら電車の写真を撮ってみたりしたが、長続きしなかった。この年齢から新しいことを始めるのは無理かもしれない、と思ったりした。

だからといって、以前のように酒を飲み始めようとも思わなかった。酒がない生活は、二日酔いもなければ、頭痛もない。私はそれが気に入っているのだ。

最近では私は、趣味を聞かれたら、禁酒と答える。あと、飲み歩かずもだ。

散文

息苦しさの原因

数年前から、私は満員電車がイヤになった。息苦しくなって逃げたくなるのだ。もう乗ることを考えただけでも苦しくなる。精神的なものかもしれないが、体の衰えもあるのかもしれない。もともと私は蒲柳の質で、モヤシっ子世代だが、そのモヤシもどうやら萎びてきたようなのだ。

このあいだ、ヒマつぶしに健康診断に行った。検査のなかに肺活量の検査もあった。肺の大きさや息を吐く勢いなどを調べる検査だ。私はマウスピースを咥え、看護師の指示に従い、息を吸ったり吐いたりした。思いっきり吐けというので、限界まで吐いた。

2種類の検査をし、数値がモニターに表示された。看護師は、どの数値も基準より低いと教えてくれた。肺の機能に問題があるのだ。

「だからか」と私は思った。「満員電車で苦しくなるのは」 肺に何か異常があることは心配だけど、息苦しさの原因がわかったことのほうがうれしかった。

「数値が低いです」と心配そうな声で告げる看護師に、私は深刻な表情で答えた。「ええ、ずっと息苦しいのです」

看護師は、私からマウスピースを取り上げ、チューブとの接続部分を締めなおした。「もう一度お願いします」

も一度やってみた結果、数値は正常だった。

散文

右か左か

2年ぐらい前にここで「左右盲」というフィクションを書いたが、これはある程度は本当のことで、私は右と左がわからない。

どういうことかというと、とっさに左手をあげてくださいと言われたら、すぐにはできない。箸を持つ手はどっちだっけ、といったん考えてから、おそるおそるあげるのだ。

とはいえ、左右がわからなくても通常の生活では困らない。ただ、視力検査は別だ。輪っかの開口部がはっきり見えていても、それが右なのか左なのかがわからない。なので、眉根を寄せて「ちょっと見にくいな……」なんてフリで時間稼ぎをして、必死に考える。

先日、バリウム検査をしたときも大変だった。動く検査台にしがみつきながら、矢継ぎ早に繰り出される「右に腰を捻って」とか「左に向いて」とかの指示に対応しなくてはならない。考える暇もなかったので、初めのうちは混乱してしまい、何度も反対側の方を向いてしまった。

視力検査でも、バリウム検査でも、「こっち・そっち」「手前・あっち」とかなら私は間違わない。なのでそうしたいが、恥ずかしくてできない。

私のような人は多くはないだろうが、いないわけではない。なので、検査の時などに「私は左右がわかりません」というシールがあったらいいと思う。最近はいろいろ事情のある人に配慮する取り組みが広まっているので、突飛な話ではないだろう。

もっとも、そのシールについて「右胸に貼ること」とかいう決まりがあったら、私たちはもうそこからわからなくて、結局丸めて捨ててしまうにちがいない。

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血の挑発

腕の肘の裏側が肉厚なのか、血管がずれたり捻れたりしているのか、世の中には、採血のときに血管がわかりにくい人がいる。私もそのひとりだが、そのせいで採血はいつもストレスだ。

採血者は、腕に巻いたゴムバンドをキュッと締め直したり、アルコール綿で皮膚を擦ったり、揉んでみたりして、血管を浮かび上がらせようとする。される方としてはわからないが、浮かび上がってくれと念ずるばかりだ。やがて、採血者は意を決して、エイヤッと刺す。それでうまくいけばいいのだが、「違う、もう一度」なんてこともある。刺される方としてはたまったものではない。

そんなわけで、私は、しばらく前から、採血時に「いつも血管が見つからない、と言われます」とあらかじめ伝えるようになった。そうしたほうが心構えができるのでは、と思ったからだ。だが、最近になって気がついた。受け取り方によっては、その言葉はむしろこう響くことだってあるのではないか。

「フフフ、君だって私の血管を見つけることはできないだろうよ……」

こう挑発されて頭に血が上った採血者が、私の腕を針でめった刺しにしないとどうしていえようか。

散文

おいしい中華へ

ビルマのカレン人の友人が、一緒にご飯を食べようと誘ってくれた。高田馬場で待ち合わせだ。電話で話したときは、二つのお店の候補を挙げてくれた。しゃぶしゃぶの「しゃぶ葉」とビルマ料理の店だ。「しゃぶ葉」は、私にしてみれば、せっかく高田馬場まで来たのに……という感じ。しかも、あの配膳ロボットがイヤだな……。だが、ビルマ料理の店はカラオケがあってうるさいので、「しゃぶ葉」に覚悟を決めた。べつに味や肉が問題ではないのだ。ただ、あの配膳ロボットがな……

さて、ビッグボックスの前で会うと、友人が聞いてきた。「何がいいかな。ビルマ料理の店と、しゃぶしゃぶと……中華」

「中華がいいです」 この新たな候補に私は飛びついた。

「じゃあ、そこに行きましょう」と友人はどんどん歩いていく。「去年、行ったけど、おいしかったよ」

私たちはいくつもの中華を通り過ぎた。高田馬場だけあって、いわゆるガチ中華も多い。これらのどの店でもよさそうだが、そのどこも「あのおいしかった店」ではないのだ。その時、私の心に疑問が生じた。

そのおいしい中華とはバーミヤンでは?

いや、バーミヤンでもいいのだ。だが、それなら近所にあるし、しかも配膳ロボットが……

私の心配をよそに、友人はどんどん歩いていき、高田馬場のハズレの暗がりに入っていった。そして、その奥にガチ中華の灯りが輝いていたのだった。

「ここです」

これこれ! 高田馬場ならこういう店!

とテンションが上がるが、そのいっぽうで私は店内に目を光らせる。もしや、配膳ロボットが……いない、いるわけない。

私たちは店に入り、チャーシューや唐揚げや蜂の巣の和物などを注文した。だが、来るもの来るもの、友人は食べながら首を捻っている。「この前はおいしかったのにな……」「肉も固いし……」「遅いし……」

友人「焼きそば、まだですか」

非配膳ロボット「すぐです」

それでも来ない……

ついには私に「ごめんね」と謝る始末。

いえ、私はなんでもおいしくいただきますよ、ただ配膳ロボットさえいなければ……

散文

ふりだしに戻る(2)

そのカレン人女性がビルマに帰国してからの状況は、彼女の友人からときおり聞くくらいで、詳しくはわからなかった。

ただ、それらの話から私は、彼女がまるで異世界にいて、出口のない迷宮をさまよっているかのような印象を受けたのだった。

それから1年して、私は彼女がカナダに出国した、という話を聞いた。

さて、彼女のボーイフレンドだが、私はタイで会ったことがあった。彼女がまだ日本にいるときで、私がチェンマイに行くと聞いた彼女が紹介してくれたのだった。

彼女がカナダに行ってからは、二人がどうしているかについて、私に教えてくれる人もなく、すっかり忘れてしまった。

それが、今年の春、二人から急にメッセージが来た。11月に日本に遊びに行くから、会おうというのだ。そして、11月25日、私たちは再会し、巣鴨で食事をした。

難民としてカナダにやってきた二人ではあったが、今ではしっかりとした生活を築きあげていた。彼女は現在、看護師として働いている。夫のほうは聞くのを忘れたが、彼の下で二人のカナダ人が働いているそうだ。

政治については、それほど積極的ではない。というのも、そのせいでいろいろと苦労してきたからだ。カナダにはカレン人を含めたくさんのビルマの難民が暮らしているが、彼がいうには、自分たちは距離を置き、カレン人としてよりも「カナダ市民」として、自分たちの生活を楽しむことを優先している、とのことだった。二人の間には子どもがいないので、ときおり、二人だけで海外旅行に出かけ、そのひとつが今回の日本訪問だった。

とはいえ、彼女にとっては、日本再訪だった。以前、東京で働いていたときは、他の場所に行ったことなどなかったので、今回は大阪と広島を回ってきたそうだ。日本語もほとんど忘れたと言っていたが、それでも多少の会話はできた。

思えば、彼女の難民すごろくは 20 年近くも昔にこの東京で始まり、カナダで立派に上がりに到達したのであった。すごろくでは、ふりだしに戻ることほど悔しいことはないが、いったん上がった後でふりだしに戻るのは、喜ばしいことにちがいない。

散文

ふりだしに戻る(1)

2006 年のこと、カレン人(ビルマの民族のひとつ)の若い女性が、不法就労で逮捕され、品川の入管に収容された。

彼女にはタイにボーイフレンドがいた。タイ・ビルマ国境出身のカレン人の男性で、チェンマイに滞在して、カナダに難民として移住する時を待っていた。

カレン人女性は、収容所で2つの選択を迫られた。日本で難民申請するか、ビルマに帰国するかだ。

彼女には難民となるだけの十分な理由があったので、日本で難民申請すれば、いつかは在留許可が出る可能性はあった。しかし、問題はその「いつか」だった。その当時、難民申請をした人は何年も結果が出るまで待たされたものだった。

彼女はボーイフレンドがカナダに移住したら、結婚してカナダに行くつもりだった。だが、難民申請をしてしまったら、結婚したとしても、カナダにすんなり行けるかどうかはわからなかった。なぜなら、難民申請中は外国に行くことはできないからだ。行けるかもしれないが、かなり複雑な手続きが必要で、ことによったら裁判にも発展するかもしれなかった。

では、難民申請を取り下げて、日本からカナダに行けばいい、と思うかしれない。だが、難民申請を取り下げた時点で、彼女は日本では不法滞在者となる。そうなると、カナダどころではない。再び、入管に収容されて、身の振り方を悩むことになる。ふりだしに戻るだ……。

入管に収容中の彼女は悩み続け、やがて結論を出した。ビルマに帰国する、と。どうせふりだしに戻るならば、もっと戻ってやろう、と思ったのかどうかはわからない。