散文

新男の正座

義太夫一日体験教室の会場に入ると、「三味線コース」用の三味線と座布団が並べられていた。座布団があるのは心強い。先に来ている参加者はみな正座をして待っているようだったが、私はできるだけ正座を始める時間を先延ばしにしたかったので、座布団の上であぐらをかいた。しかし、それでもしばらく座っていると、足が痛くなり、痺れてきた。正座以前の問題であった。はたして90分耐えられるのか、不安になってきた。

だが、結局のところ、私は耐えしのぐことができた。もちろん急に正座ができるようになったわけではない。ひとつには、講師の先生が、現代人の足事情を十分に斟酌した上で、こまめに足を伸ばす時間を与えてくれたことによる。そしてもうひとつは、他の参加者にとっても正座はやはり苦痛だったことが大きい。私ばかりではなかったのだ。

そして、他の人々のつらそうな声や足を伸ばしたときの安堵の声を力に私は、足の指を立てて尻を浮かせたり、少し足を崩したりして、できるだけ楽な姿勢をとることができたのであった。

午後は「語り」コースで、このときは、持ってきたクッションを使って、さらに楽な姿勢で過ごすことができた。だが、休憩で足を伸ばしたとき、私は思わず苦悶の声を上げた。左足の内腿がつってしまったのだ。

私はかなり慌てた。左側の内腿がつると、必ず右側の内腿がつる。そうなると、もう身動き取れなくなり、苦しみながらのたうち回ることになる。この場でそんな醜態は晒せない。

しかし、不思議なことに、左内腿の痙攣は伝播せず、しばらくすると落ち着き、再び正座ができるようになった。まさしくおみくじの「くるしみありたる後次第によろしきかたちなり」どおりの成り行きで、私は帰るときに感謝の印としてお賽銭でも入れようかと思ったが、忘れてしまった。(おわり)

散文

続々男の正座

義太夫一日体験教室の会場は、赤坂見附にある豊川稲荷東京別院の文化会館だ。体験教室はお昼を挟んで開催されるので「軽食を用意してきてください」と書かれていた。

そして、私がお昼のために持ってきていたのが、前日買ったお稲荷さんの残りだった。これはいかなる神慮によるものであろうか。正座と足の痺れを恐れていた私にとって吉兆というべきであろう。

時間があったので、私はおみくじを引くことにした。百円を木箱に投入し、木の筒を振り、みくじ竹を出す。二十二番だ。棚から該当するおみくじをとる。

「第二十二番 吉 このみくじにあたる人は、こゝろ正直にして人のいつはりにのりて云々」

ざっと読んだが、正座については一言も触れられてはいなかった。だが、託宣というものはそう簡単にはわかるものではない。私はもう一度じっくり読む。

「くるしみありたる後次第によろしきかたちなり」

「よろしきかたち」とは正座のことだろうか? だが、そのとき、別の言葉が目に飛び込んできた。

「待ち人おそし」

これだ。

長いあいだ待つということは、痺れを切らすということだ。私の運命は正座で痺れるに定まった。(つづく)

散文

続男の正座

数日後、正座器が届いた。「正座による足への負担を軽減する」という触れ込みの利器だ。レビューでは「凄く楽でした」「足が痺れません」と期待をもたせる。

さっそくそれをお尻の下に置いて正座してみた。すると、低い、低すぎる。私の足首は硬くて伸びず、平たくならない。それで、その分お尻が高くなり、正座器の座面から浮いてしまうのだ。これでは「足の負担」は軽減しない。もっとも、悪いのはこの製品ではなく、私の硬すぎる足首だ。なんにせよ、もっと高さのあるものを買わなくてはならない。

そこで、再び Amazon を検索した。正方形のクッションタイプのものが高さがありそうだったので、今度はそれを購入した。届く。すぐに試す。私の足首は、ガンとして伸びるのを拒否した。

無駄な買い物をしたと悔やんだが、せめてもの救いは、お昼寝の枕にも使えそうなこと……。だが、前日になって私はふと思いついて、このクッションを座布団の上に置いて正座してみた。すると、足首の痛みも多少和らぎ、短時間であるが正座の形を保つことができた。

これだ。

座布団はきっとある、と願いつつ、私はこのクッションを大きなカバンに入れて、義太夫体験教室に向かった。

散文

男の正座

毎日することがないので、義太夫一日体験教室に行ってみることにした。義太夫節は「語り」と「三味線」からなるが、それぞれ90分のコースがある。私はそのどちらにも申し込んだ。2月のことだ。

3月の終わりに、案内のメールが送られてきた。私はそのメールを見て驚き、己の迂闊さを嘆いた。

「正座をしていただきますので、脚に負担のかからない服装でお越し下さい」

正座のことをすっかり忘れていたのだ。そのような座り方は自分の人生から追放したはずだったのだが……と悔やんだがもう遅い。正座して1時間半×2受講しなければならない、そう思うだけで緊張してきた。

しかし、メールを読み進めると、こんな一言にでくわした。「正座器などをご使用いただいても結構です」

これだ。

さいわい、体験教室にまでまだ三週間あったので、私はさっそく Amazon で、正座器というものを探してみた。私と同じ恐怖を抱いている人はたくさんいるようで、いろいろな種類があった。なかでも、折りたたみ式で、お尻をしっかり持ち上げてくれるタイプのものがよさそうだった。私はすぐにそれを注文した。(つづく)