散文

カレン・ニューイヤー 2026(1)

今年もカレン・ニューイヤーの時期がやってきた。

これはビルマとタイに住むカレン人が新年を祝うお祭りで、日本でも在日カレン人によって開催されている。私の記憶では1999年にはもう行われていたと思う。

私はほぼ毎年参加しているが、時期も会場も毎年違う。それはカレン人の伝統的な暦が太陰暦を用いているとかで、祭りの日が 12 月の末だったり、1 月の初めだったりするからだ。しかし、在日カレン人の多くは普段は働いているので、その年のニューイヤーにいちばん近い週末に設定されることが多い。今年は、12 月 27 日のお昼からということになった。

会場もいつも違う。以前はカレン人コミュニティも小さかったので、結婚式場のような場所で十分だったが、今はそうはいかない。カレン人も、そのほかのビルマの人々も増えた。だから最低でも、500 人は入れる会場でなくてはならない。

年末にそんな会場を東京で見つけるのはむずかしい。これは在日カレン人コミュニティの大きな悩みで、それもあって、夏前ぐらいから会場選びが始まったりする。

今年の会場は赤羽の赤羽会館で、1階席2階席合わせて 650 人のキャパだ。だがそれももうギリギリというくらいの盛況ぶりであった。

散文

カレンのバーベキュー

日本に暮らすビルマのカレン人が、今日7月20日、葛西臨海公園でバーベキューの集いを開催した。私も誘われたので、行くことにした。100人ぐらい来るとのことだが、本当にそんなにくるのかわからない。チケットを見ると11時から開始というので、20分ぐらい前に行ってみたら、カレンの服を着た数名の人がたむろしているだけだった。これから準備を始めるらしい。

炎天下のなか、近くの木陰で待っているとだんだん人がやってきた。知り合いのカレン人も次々とやってきて、テーブルを広げたり、グリルに炭を投入して火をおこしたりしている。私はそのそばでぼんやりみていた。

するとカレンの若い人が私にウチワを渡してくれた。とても暑かったので私が思わず「ありがとう」というと、「なにを言ってるのかな」という顔つきで私をみて、それからグリルに目をやった。火をおこすためのウチワだったのだ。それから私はしばらくのあいだ、ウチワでグリルを扇ぎ続けた。ぼーっとつっ立っているよりはるかにマシだった。

そのうち、人々は肉やソーセージを焼き出した。この頃には私は自分のテーブルに移っていた。テーブルは15〜6ぐらい用意されていて、それぞれのテーブルに最低でも6人ぐらい座っていたから、100人というのは本当のようだ(子どももたくさんいた)。私はテーブルに座ると、あとはもうなにもせずひたすら肉やエビやソーセージを食べ続けた。ときどき、古い友人を見つけると会いに行って挨拶をした。

ある時から、私の席の向かいに、若いカレンの男が座っていた。背が高くていかにも健康そうだ。大きな声で話し、シャツのはだけた胸元からタトゥーが見えた(これはカレン人だけでなく、若いビルマ人がよくいれている)。

私は最初、彼のことを知らない人だと思っていたが、だんだん彼のことを思い出した。だが、確証がなかった。彼の手をこっそり見た。というのも、彼は手に特徴があるということを聞いていたから。だが、その手は焼かれたエビを掴んだり、お皿を他の人に渡したり、忙しく働いていて、よくわからなかった。

そこで思い切って私は名前を聞いてみた。彼は教えてくれたが、覚えのない名前だった。私はさらに尋ねた。

「前に会ったことありましたか?」

「私は会ったことがあると思います」 そこで私はもう間違いないと思って「M さんの息子さんでは?」と確認すると、若者はそうだと答えた。M さんはずいぶん前に亡くなったカレン人難民だ。入管に 3 年も収容されていて、私は何回か面会に行ったこともあった。

「そうですか!」と私はうれしくなった。M さんの葬儀のとき、当時未成年だった彼はビルマから日本にやってきて、そのまま難民として日本にいることになったのだった。思えばそのときから彼にほとんど会ったことがなかった。

「M さんとは友達でしたよ」と私がいうと彼は「お父さんに顔が似ているとみんなよく言います」と笑った。

この時になってはじめて、私が彼の手の特徴に気がついたのは、思えば不思議なことだ。彼は曲がった親指の持ち主だ。

旅・観察

カレン人の教会(4)

牧師は説教台に立ち話はじめるや、手にしたコーヒーカップから、次々とカップを 3 つ取り出した。説教の小道具だったのだ。

そのそれぞれカップには、ビルマ語がマジックで書かれている。

「精神、心、体です」と通訳が教えてくれた。そして、さらに 3 つのカップが取り出された。もしキリスト教の知識があれば、もうこれらのカップになにが書いてあるか、おおかた予想がつくだろう。「父」「聖霊」「子」に決まっている。

話の内容はといえば、神がメッセージを伝えるのは「精神」に対してだが、人間はこのメッセージを聞かずに「心」と「体」のおもむくままに行動してしまう。なので、戦争をはじめとするさまざまな諍いが生ずる、というものだった。

牧師はタイのメーソートで、ビルマ内戦のため親を失ったり、逃げてきた子どものための施設を運営している。説教にはそこでのエピソードが交えられ、楽しいものであった。

キリスト教や教会については、私はほとんどわからないが、このカレン人の教会は、穏健にして明朗なものであったことを強調しておきたい。なにしろこういう世の中だから、外国人の宗教集団と聞くと、狂信者たちが、血の滴るイケニエに噛みつきながら、憎々しげに日本人を呪っているものと思い込む日本人がいるといけないから。

さて、礼拝が終わると、諸報告がある。これは日本の教会でも同じで、活動や会計の報告をするのだが、初めて教会に来た人の紹介をするのもこの時間だ。この日も、新しくやってきたカレン人たちや、タイの牧師に会うためにやって来たカチン人やチン人の若い人が立って、出身地や来た理由などを話した。

そして、私の番が来た(本当は初めてではないが)。まず司会がマイクでビルマ語で私について話す。それを通訳の人が教えてくれる。

「この人はカレン人と長いつきあいの人です。この人はクリスチャンではありません……」

いきなりのアウティングだ。隠しているわけではないが、マイクで大々的に言わなくてもいいのに、と思った。(おしまい)

旅・観察

カレン人の教会(3)

通訳の方のおかげで、礼拝の中身についても若干の記録ができるわけだが、集まった人は 40 人ぐらいだろうか。その中には、カレン人の牧師、副牧師、そして日本人の牧師もいた。詳しくは知らないが、カレン人の礼拝を支援している人だと思う。

そのほかは一般の信徒だ。ほとんどがカレン人だが、礼拝はビルマ語だ。なぜかというと、カレン語には大きく分けるとスゴー・カレン語とポー・カレン語の2種類あって、互いには通じないからだ(カレン語には他にもたくさんある)。

年齢層は、日本の教会とは違って、20 代 30 代の人も多い。こうした若い人々は礼拝や献金の間、前に出て何か歌を歌ったり、キーボードやギターを演奏したりする役目を担っている。

プロテスタント系の礼拝というと、お祈り、讃美歌、説教、献金、最後の祝祷、礼拝後の諸報告からなる。これは、カレン人の礼拝も同じだ。

ひとつ特別な企画としてあったのが、教会のリーダーが若者を何人か前に呼んで、問答をするというものだ。これは、若い人に聖書を読んでほしい、そして、これからの教会を引き継いでほしい、という思いから行われたとのこと。

それは「イエスを信頼すれば成功するという考えには賛成ですか、反対ですか」という質問をリーダーが若者に問いかけて、それぞれが思うところを述べる、というものだ。

これは信仰上の質問だが、他には「聖書には政府には逆らってはいけないと書いてあるという人がいるが、どう思いますか?」というビルマならではの政治的な質問もあったり、また「YouTube で『自分には神の力が宿っている』とか『神の言葉を語ることができる』と主張する人々の動画がありますが、どう思いますか」などという、メディアリテラシーに関する質問があったりして、興味深かった。

礼拝には説教がつきものだが、それについても簡単に記す。今回の説教はこの教会の牧師ではなく、タイからやってきたカレン人の牧師によるものであった。私の友人であり、それで私も礼拝に出席することとなったのであるが、その説教の時間が来て、彼が説教台に登った。

そのとき私は、彼がコーヒーカップを持っているのに気がついた。私は急いで教会にやってきたので飲み物を買う余裕がなく、喉が渇いていたのだが、礼拝が始まってしまったので、どうすることもできなかった。なので、彼がコーヒーを持って説教台に立ったとき、大いにうらやましく思った。

だが、これはコーヒーではなかった。欲が私の目を曇らせたのである。

旅・観察

カレン人の教会(2)

私はカレン人との付き合いが長いので、教会の礼拝にも何度もいったことがある。もちろん、ビルマ語かカレン語なので何を言っているかわからず、たいてい昼ご飯や夕ご飯のことを考えている。

今日の礼拝は 1 時半に始まるが、何時に終わるか尋ねたら、4 時だという。2 時間半か……ご飯のことを考えるだけでもつだろうか、と不安になっていたら、教会の人に日本語の上手な人がいて、通訳をしてくれることになった。多少は気がまぎれるというわけだ。

ここのカレンの人々の礼拝がどんなものかを書くことができるのもそのおかげだ。これはもしかしたら重要なことかもしれない。なぜなら、選挙の結果次第では、みんな追い出されてしまうかもしれないから。

さて、この日、7 月 13 日は、特別な礼拝で、Judson Sunday とのタイトルがつけられていた。おそらく、ビルマの多くのキリスト教会でも、同様だったにちがいない。というのもこの日は、1813 年、アメリカ人宣教師、アドニラム・ジャドソン(Adoniram Judson)がはじめてビルマにやってきた記念日だから。

ジャドソン以前にもキリスト教はビルマにやってきていただろうが、ジャドソンの宣教活動がめざましいものであり、また聖書をビルマ語に訳したという偉業もあって、最初のキリスト教宣教師だとみなされている(彼はまた辞書や文法書も書いている)。

ジャドソンはバプテストの宣教師で、彼からビルマのバプテスト教会の歴史が始まったといえる。

さて、彼はビルマ人、モン人、カレン人などをキリスト教に改宗させたというが、カレン人のうち、もっとも知られているのは、コー・タービュー(Ko Tha Byu)という人だ。

もともとコー・タービューはとんでもない悪党だったそうだが、ジャドソンに出会って改宗するや、熱心な活動家になり、カレン人キリスト教の歴史に名を残すまでになった。

私は以前、エーヤーワーディのパテインという町で、コー・タービュー記念ホールに行ったことがあり、そこには大きな彼の肖像画が飾られていた。

旅・観察

カレン人の教会(1)

タイからカレン人の牧師が来日した。7 月 13 日、都内のビルマのカレン人の教会で話をするというので、私は行くことにした。

教会は早稲田だ。私は以前このあたりに住んでいたので、いろいろ変わってしまっているのに驚いた。ここには早稲田大学という大学がある。それで、当時、私も何人かの学生と知り合いになった。

レストランで食い逃げした人、カニのように横にしか歩かない人、半ズボンかと思ったらトランクスで出歩いていた人、ひさしの上で犬を飼っている人、整髪料かと思ってシャンプーを髪の毛につけて外出したら雨が降って頭から泡が湧いてきた人……変な人ばかりだった。いわゆる F ラン大学なのだろう。

とはいえ、時代も変わったのか、今日は、あまり変な人は見かけなかった。私は、ああ、ここにあったレストランであの人が食い逃げしたのだなあ、とか、この裏にある「かまねこ街道」という細道の奥にトランクスの人が住んでいたなあ、とか懐かしく思い出しながら、早稲田通りを歩いていった。

早稲田通りといえば古本屋だが、姿を消したか、シャッターが閉まるかしていた。ただ、一軒だけ開いているのを見つけた。礼拝が始まるのは午後 1 時半からだ。時間を見ると、1 時を回っている。古本屋から教会までは 5 分ぐらいだから、少しは見る時間がある。いや、遅れたってかまわない。と、ワクワクしながら店内に入ったところで、カレンの友人から電話がかかってきて泣く泣く外に出た。