散文

サ行

サ行音について、しばしば「最近、舌足らずの発音をする人が増えた」という人がいる。どういうことかというと、英語の three や third の th で発音する人がいるというのだ。

「舌足らず」かどうかはともかく、そういう発音をする人がいるのは私も知っている。それどころか、日本語の教材の音声でも「これ、th では」という発音がある。

それはともかく、英語では s と th の区別は大事だが、日本語はそうではないので s を th で発音しても大して困らない。これが、th の発音の原因のひとつだろう。

th といえば、この音は f にも似ているのだという。three の th は舌と前歯の隙間を息が通過するときに出る音だし、いっぽう f は、前歯と下唇の隙間を息が通過するときの音だ。どちらも 歯と柔らかい部分(舌か唇)で作る音だから、似ているのだ。

そこで、私は考えた。もしも s を th で発音する人がいるのならば、さらに進んで、その th を f で発音する人もいるのではないか、と。

そんな矢先、先の衆院選で立憲民主党の枝野幸男さんがインタビューに答えているとき、私の鋭い耳ははっきりと捉えたのだった。

「実際に(じっふぁいに)」

ふぇいじかの発言だけに、重みがあるといえよう。

散文

アクセント機能のバグ

日本語にはアクセントがあって、日本語話者はこのアクセントで語を区別している。「あめ」と文字で書くとわからないが、「高低」で発音すると「雨」だし、「低高」だと「飴」となる。ただし、これは関東を中心とした標準日本語の決まりで、地域によっても異なるし、個人差もある。

世界にはいろいろな言語があり、このタイプのアクセントを持たない言語もある。そうした言語の話者にとって「雨」と「飴」の区別は難しいこともある。

さらに日本語学習者にとって難しいのは、複合語の場合だ。「はし」は「箸(高低)」と「橋(低高)」では異なるが、「箸」が複合語の「箸置き」となると「低高低低、低高高低、低高高高」のどれかになる。そのどれであれ、「箸」の部分は「橋」と同じアクセントになってしまう。かりに「箸(高低)」を維持したまま、「箸置き」つまり「高低高低」や「高低低低」などで発音してみると、明らかにおかしいことがわかる。

さて、本題に入ると、今朝のできごとだ。私は喫茶店に行き、カウンターに並び、順番が来るとコーヒーを頼んだ

「アイスコーヒー、エムで」

「エムサイズですね」

私が気になったのは、店員が「エムサイズ」を「高低低低低」で発音したことだ。「エム」はそのままだと「高低」だが、「エムサイズ」だと「低高高低低」となる。

私はこの人は外国人だろうか、と考えた。しかし他のアクセントは自然だ。それとも、別の地域の人だろうか? 名札を見ると、カスタマーハラスメント防止のため「T・C」とイニシャルしか記されていない。「T・C」…… Cとは?

そのとき、店員が尋ねた。

「お支払いはどういたしますか」

あまりにアクセントのことに気を取られていたからだろうか、私のアクセント機能にバグが発生した。

「西瓜で、あ、いや SUICA で!」

散文

ごめんなさい

私の知り合いのビルマの難民で、いつも最初に「ごめんなさい、ごめんなさい」という人がいる。

その人の人生について私はよく知らないが、聞くところによると虐待を受けて育ったということだ。しかも、日本に難民として逃げてきて、長いあいだ入管に収容されてもいた。そんなわけで、まずは謝っていろいろな災難をかわす方針が身についたのだった。

その人はまだ難民認定されていなかった。だから仮放免中のため身元保証人が必要で、私がそれを引き受けていた。

身元保証人は仮放免の延長や住所の変更などのさいにサインをしなくてはならない。その人は必要になると私のところに電話をかけてくる。そして、いつも「ごめんなさい、ごめんなさい」と始めるのだった。

私はこの「ごめんなさい」が不愉快だった。「私はきっとあなたに不愉快な思いをさせることでしょう。ですので先に謝りますので、どうかいじめないでください」ということなのだから、要するに私がいじめること前提なのだ。だが、その人の事情を考えると、なにも言えなかった。

あるとき、私のサインが欲しいというので、朝の7時半に日暮里で待ち合わせした。7時半に日暮里で待っていたが、その人は来ない。もしかしたら、別の改札口にいるのかもと思って、その人に電話をしたら、まだ家にいて、8時半だと思っていたという。

私たちは新たに待ち合わせを設定し、別の日に会うことにした。その人は電話でも、その後の対面でも、あいかわらず私に「ごめんなさい」を何度も口にした。

謝られる理由があるので、私はそれをじつに気分よく聞いた。

散文

仮説や検証

日本語の問題に次のようなものがあった。

「朝は、ご飯( )魚などを食べます。」
( )の中に入るのは「と」・「や」のどちらか。

私は「と」だと思ったが、他の人は「など」があるから「や」だ、という。そこで答えを見るとその通り「や」だ。つまり正解はこうだ。

「朝は、ご飯や魚などを食べます。」

だが、これでは「ご飯を食べる朝と、魚を食べる朝と、それ以外のものを食べる朝がある」ということにならないだろうか。つまり、「普段は、ロックやジャズなどを聴きます」と同じで、どちらかなのだ。

これが「朝は、ご飯やパンなどを食べます。」ならば、主食どうしなので問題はない。だが、主食(ご飯)とおかず(魚)ではどうだろうか。おかずだけを食べる食事というのは、糖質制限などの特殊な場合以外にはないように思う。

いっぽう「朝は、ご飯と魚などを食べます。」は、毎朝、米を食べるが、おかずは「魚など」ということ、つまり魚、肉、納豆など日替わりということになる。つまりこうだ。

「朝食=ご飯+ x」(ただし x はおかずに限る)

もっとも、言葉は人によって受け取り方はさまざまだから、私の考えが正しいとはかぎらない。いろいろ考えているうちに、私は「朝は、ご飯や魚などを食べます。」がおかしくない場合があることにも気がついた。

すなわち、朝ごはんにいろいろな食べ物がずらりと並んでいて、その中の代表例(あるいは自分の好み)としてご飯と魚をあげるのならば、まったく不自然ではない。

そうした状況として、もっともふさわしいのはビュッフェ形式の朝食ではないだろうか。この仮説を検証するために、どうやら高級ホテルに宿泊する必要がありそうだ。

散文

ゴキブリの大きさ

ビルマ人と話していて、ゴキブリの話題になった。

「ゴキブリとはなんですか」とビルマ人。

「ゴキブリとは、日本人がもっともきらいな虫のことです。『日本人が見つけたら叩こうとする3大生き物』のうちのひとつだと言われています」

「他のふたつはなんでしょうか」

「女性と外国人です」

私は携帯でゴキブリの写真を探し、その人に見せた。

「ああ、この虫ですか。よく知っています」

「ビルマにはいますか?」

「ビルマにもいますが、日本のゴキブリよりももっと大きいです」

「へえ」

「日本に来たばかりのころ、この虫が耳に入ってしまいました」

「えっ?」

「寝ている間に入ってきました。それで、病院に行って、とってもらいました」

「それは大変でしたね」

「日本語もまだわからなかったから、大変でした」

「びっくりしたでしょう」

「はい、ビルマでもこんなことはなかったです」

「日本のゴキブリは小さいから、耳の穴がジャストサイズだったんでしょう……」

散文

トーチョー

ローマ字の綴りで “ky” は “Tokyo” や “Kyoto” などのように、日本語の「キャキュキョ(kya, kyu, kyo)」に用いられる。

ビルマ語にはこの「キャ、キュ、キョ」に当たる音がない。別になくてもいいのだが、問題はこの音をビルマ文字で “k” と “y” にそれぞれ当たる音の組み合わせで表記し、なのに実際の発音は「キャ、キュ、キョ」ではなく、「チャ、チュ、チョ」(に似た音)となることだ。

そんなわけで、ビルマ語話者は「Tokyo」を「トーキョー」ではなく「トーチョー」と発音する。ビルマ文字の綴りに変換してしまうのだ。どうしてこんなことが起こるかだが、おそらく昔はビルマ語には「キャ、キュ、キョ」という音があったが、これが歴史的変化により「チャ、チュ、チョ」に変わってしまったのだろう(こうした変化は他の言語でもよくある)。音は変わってしまったが、綴りは変わらないので、 “ky” が「チャ、チュ、チョ」を表すこととなってしまったのだ(こうした綴りのずれは、日本語にも英語にもたくさんある)。

もっとも、ビルマ語話者が「キャ、キュ、キョ」を発音できないわけではない。ただ、それはいわば「外国語の音」なので、若干の訓練が必要なのだろうと思う。

以前、東京に来たばかりのビルマ語話者が「ここがトーチョーか」などと言っていると、先輩のビルマ語話者が「トーキョーだよ」と訂正したことがあった。外国では「チャ、チュ、チョ」ではなくて「キャ、キュ、キョ」のときもあるよ、ということはビルマ語話者はそれなりに意識しているようだ。

さて、以前、留学生に日本語を教えていたときのことだ。いくつかの調味料が教科書に出てきたので、私はあるビルマ人学生に音読させてみた。

「塩、醤油、酢、ソース、マヨネーズ、ケキャップ……」

ケキャップだって!

と、私は心の中で叫んだ。このビルマ人学生は、「チャ、チュ、チョ」は「キャ、キュ、キョ」で発音する、ということを意識しすぎて、「チャ」のままでいいものまで「キャ」に直してしまったのだ。

この現象は、言語学では過剰訂正(つまり、なおしすぎ)と呼ばれている。

散文

Wrapped Around Your Finger

私の町の駅のデッキに、毎日のように老人がやってきて、ギターをポロポロつまびいたり、おもちゃみたいなボンゴをポコポコ叩いている。音も小さくて、なにを演奏しているのかもわからない。そもそも弾けるというレベルでもないようだ。もちろん、耳を傾ける人などひとりもいない(ちょうどこのブログのようだ……)。

もう何年も前のことだが、あるとき、私は改札口から出てデッキへと歩いていた。すると、鋭いビートが聞こえてきた。私はその音を聞いて、スチュワート・コープランドのドラムを思い出した。スチュワート・コープランドは、イギリスのバンド The Police のドラマーだった人で、名ドラマーのひとりに数えられている。シャープなスネアの音が特徴で、駅を歩く私の耳に飛び込んできたのもそんな音だったのだ。

やがてあの老人の姿が見えた。花壇の縁に座って、ひとりボンゴを叩いていた。私はおかしくなった。ろくに楽器も弾けないこの老人のプレイから、スチュワート・コープランドのドラミングを想起するとは。

老人は私の進行方向にいたので、私はニヤニヤして近づいていった。そして、驚くべきことが明らかになった。

老人のわきに小さなラジカセが置いてあって、そこから The Police の名曲 Wrapped Around Your Finger が小さーく流れていたのだ。老人はスチュワート・コープランドに合わせてボンゴを叩いていたのだ。

ウケ狙いのさもしい作り話と思われるかもしれないが、これは本当の話だ。

散文

裏切りの辛ラーメン

韓国のインスタントラーメン「辛ラーメン」のパッケージの裏面には、こう書いてある。

「全世界 100 ヶ国以上で販売しているロングセラー商品の『辛ラーメン』は煮込むから美味しいのです」

「煮込むから」! インスタントラーメンは日本生まれだが、ラーメンを煮込む、という発想はなかった。ラーメンは煮込めば伸びるものであり、それは我が国ではタブーとされている。

だが、韓国人はラーメンをついに煮込んでみせた。煮込んでもおいしいラーメンを開発したのだ。日本人である私は、この隣国の発明に敬意を表し、辛ラーメンを作るときは、パッケージの指示通りきっちり4分半、煮込み時間を遵守したものだ。いや、それどころか、異国情緒をもっと味わおうと、大胆にも5分間、煮込むことすらあった。それが韓国流だと考えていたのだ。

さて先日、私は二人の韓国人の友人と上野の韓国料理屋でプデチゲを食べた。プデチゲとは「部隊鍋」であり、米軍の残り物のごった煮が起源だと言われている。ハムやスパムの肉類、野菜、そしてインスタントラーメンをぶちこんで作る。

鍋が運ばれてきた。肉、野菜の上に、インスタントラーメンの塊が乗っかっている。そして、鍋がぐつぐつ言い出したころ、信じられないことが起きた。

二人の韓国の友人が、ようやくほぐれたばかりのラーメンを食べはじめたのだ。

「硬麺、硬麺!」「柔らかくならないうちにどうぞ!」

に、煮込むから、は? 私は絶句しながら、麺を食べる。まだ芯が残っているが、うまい。

私たちはあっという間にラーメンを平らげ、さらに追加でラーメンを注文した。すると、店の人が厨房で茹でたのを持ってきた。

友人はぷりぷりしてる。「それじゃ茹ですぎちゃうから、硬麺にならないのに!」だって。

私はもう決して煮込まないだろう。

散文

心臓の火と舌

人間の体の中には、塔が立っている。それは五重塔で、下から、地・水・火・風・空の順だ。地は下半身、水は腹、火は心臓、風は肺、空は頭に対応している。

人間が話す仕組みはこの塔に関連している。塔が垂直で、心臓が肺にくっついていると、心臓で燃えている火によって左右の肺に二種の風が生まれる。これが舌に伝達されると、舌が動き出し、話せるようになるのである。

動物が話せない理由も、この仕組みによって説明される。動物は横になっている(つまり立てない)ため、心臓と肺のつながりが切れており、心臓の火が舌に伝わらない。それゆえ、犬や猫は人間のように舌を動かすことができない。

ただし、犬が前足をあげ、後ろ足だけで立つ、いわゆる「ちんちん」の格好をする場合は別だ。心臓の火が舌に伝わるため、犬は賢い芸などをするようになる。

また、人間の赤ん坊が、ハイハイをしている間は話すことができないのも、同じ理屈からである。

そして、狸・狐・猫が人に化けて話し出すのも、これらの動物が立って歩く場合に限られるのである。

上記は、最近読んだもの(『近世色道論』の「ぬれほとけ」)に書いてあった理論だ(本当は陰陽が絡むが、私にはわからないので簡略化してある)。

思えば、ガンダムもトレーラーの上で横たわっている時は、ザクにやられそうになっていたが、アムロが乗り込んで起き上がらせたとたん、強くなったのだ。

いよいよもって真実といえよう。

散文

キクラゲ

何年か前、都内の豚骨ラーメン屋に行ったときのことだ。メニューを見ると、外国人観光客もよく来るのか、英語が併記してある。

キクラゲ入りのラーメンの表示を見ると、こんなふうに書いてあった。

Ramen with Jew’s Ear

Wikipedia で調べてみると、古くからヨーロッパでは、キクラゲを「ユダヤ人の耳」と呼ぶのだという。新約聖書のイスカリオテのユダが首を吊った木から生えてきたという伝承に由来し、もともとは「ユダの耳」と呼ばれていたのが「ユダヤ人の耳」となったそうだ。

この呼称がユダヤ人差別にあたるかどうかは、いくつか意見があるようだが、誤解を生みそうな名称は避けるにこしたことはない。

それに「ユダヤ人の耳を大盛りで!」では、あまり食欲もわかない。

おそらく、英語のメニューを作成する時に「キクラゲ」を調べたら「Jew’s Ear」が出てきたのであまり深く考えずに採用したということだろう。

最近では中国の食品も簡単に手に入るようになったが、即席麺のかやくにキクラゲが入っていて、やはりそのパッケージに「Jew’s Ear」と書いてあった。これも同じように深く考えずに採用したものとみえる。

さて、それからしばらく経って、また件の豚骨ラーメン屋にいったら、キクラゲラーメンは「Ramen with Wood Ear」に変わっていた。漢字の「木耳」をそのまま英訳したものだ。

こっちのほうがずっといいし、これなら、禁じられたミミガーを食べられるとの噂を聞きつけて、ナチスの残党が団体で来店する危険はほぼなくなった、と言えるだろう。