ライブ

ラブレターズ単独ライブ 2025「最愛」

去年、キングオブコントで優勝したラブレターズが今年の 2 月 3 月に単独ライブを開催したのに行こうと思ったが、抽選で外れてしまった。私は運がないので基本的にすべて外れるが、今日 12 月 5 日から始まる単独ライブ「最愛」(赤坂 RED/THEATER)には珍しく当たった。

内容そのものについては書かないし、タイトルもわからないが、コンビニ・居酒屋・スーパー・バス・楽屋・引越し・遊園地という 7 本の作品であった。今の社会を特徴づけるような物や装置、雰囲気などをうまく使っているのも、コントならではという感じだ。私がとくによかったと思うのはコンビニと遊園地だ。

コントのライブがそういうものなのかわからないが、コントの後、前のコントと次のコントに関係のある設定・人物が出てくる短いミニコントがあった。これは次のコントの準備の時間を埋めると同時に、コントをつなぐ役割もはたしていた。それで、全体として一本の作品を見ているような印象を作り出していた。

これはアイディアとしてはありふれたものかもしれないが、繋ぎ方にはやはり技巧があって感心した。一言で言えば、人物、場面、動きによるバトンパスだが、そのバトンの渡し方にもいろいろなやり方がある。私の書くものはどれも短い切れ端のようなものだが、最近、それを繋げるにはどうしたらいいかといろいろ考えないでもない。だが、それにはいいバトンを見つけ出す必要がある。そういったことを考えながら見ていた。

来年にもまた単独ライブをするということなので、抽選にあたればいけるかもしれない。

風刺・戯文

英語を学ぶな

私たちは、教育に関わる者として、子どもに英語を教えることに断固として反対です。なぜなら、英語ほど卑猥で淫らな言語はないからです。

例えば、辞書で do を見てください。いちばん最初には「する」と書いてあります。ですが、ほかにもたくさんの意味が書かれています。ひとつひとつ最後まで見ていくと、奥の奥にこんな意味が現れます。

「セックスする」

do にこんな卑猥な意味が隠されていたことをご存知だったでしょうか。なのに、子どもたちは学校で最初にどんなフレーズを習うのでしょうか。Yes, I do なのです。こんな言葉を子どもに言わせてはいけません。教育の名のもとに行われているのは、児童虐待、人格の否定、性暴力にほかならないことが、今や明らかになりました。

ですが、do だけではないのです。子どもたちが習う基本単語のほとんどすべてがこんな調子、つまり、辞書を詳しく見れば、必ず性に関係ある意味が隠されているのです。次の恐るべきリストをご覧ください。

take「セックスする」
make「セックスする」
come「オルガスムに達する」
roll「性交する」
jump「セックスする」
eat「オーラル・セックスをする」
get「相手かまわずセックスする」
feel「(主に女性の局部に)触れること」
it「性交」

私たちが調べたところ、英語のほとんどの単語には必ず性に関する意味が隠されています。「いや」と反論される方もいるかもしれません。「セックスに関係のない意味しかない英単語もあるぞ」と。

そういう人が例としてあげるのは「eggplant」とか「abalone」とかです。確かに辞書を見ると、「ナス」「あわび」としか書いてありません。ですが、これをもってして英語には卑猥でない英単語があることの証拠にはなりません。

といいますのも、それらの語にけしからぬ意味が記載されていないのは、英語の辞書編纂者にただ十分な時間と資金とがなかったにすぎないからなのです。もし、辞書編纂者にその余裕があれば、必ずや「ナス」にも「あわび」にも、その英単語に隠された卑猥な意味が明らかになったはずです。

このような卑猥な言語が公教育の場で堂々と教えられていることははたして正しいことでしょうか? 我が国の将来を担う子どもたちをかえって毒し、汚しているのではないでしょうか。

私たちはこうした危機感に突き動かされて子どもたちを英語教育から守る運動を始めました。「学校英語審議会(School English CouncilS, SECS)」です。SECS(セックス)への支援をお願いします。

風刺・戯文

AI 災害

AI について独自に学んでいた友人は、驚くべき結論に達した。AI とは自然現象なのだという。まともな頭ならば、AI は人工物だと思うはずだが、彼の頭はちょっとおかしかった。

彼に言わせれば、AI は巨大になりすぎて、人間にはもはや管理できないのだという。それはちょうど人間が天気や風向きといった自然現象を管理できないのに似ている。AI 対して人間ができることはといえば、ちょうど毎日天気図を見て予報するように、AI の挙動データから、日々の AI の動作具合を予想するぐらいなのだという。

そして、彼はある日、恐るべき認識に行き着いた。自然がしばしば災害を起こすように、AI も災害を起こしうるのだ。友人は AI に尋ねた。

「AI よ。汝が起こしうる災害を告げよ」

AI はただちに返答を与えた。

「もっともありうる災害は、データ洪水。AI が処理できる速度を超える量の情報が投入され、内部表現空間の飽和が引き起こされる。その結果、すべての意味が AI の外部に溢れ出て、世界は過剰な意味の海に飲み込まれる」

このお告げが下されたそのときから、私の友人は自分の家の前の空き地に巨大な船を作りはじめた。周りの人がどんなにバカにしても、いっこうに聞かない。彼は今、船の中に、パソコンやスマートフォンなどの IT デバイスをオスとメス 2 個ずつ運び込んでいる。

風刺・戯文

脳の兵士

いつの日か私たちは、どん底まで落ちぶれて、髪の毛を売っても、汗を売っても、血を売っても、体を売っても、臓器を売っても、生きていくことができなくなるだろう。

そんなとき、私たちはスタッフたちの勧めるままに頭に小さな装置を埋め込むことだろう。そして、私たちは幸せになるのだ。なぜなら、私たちは脳を長期契約で貸しに出したのだから。小さな装置の力で脳が外部の世界に貸し出されているあいだ、私たちを待っているのは、月々のリース料とペットのような安逸な暮らし。住処もあるし、餌も出てくる。ほとんど寝て過ごすのだ。

私たちが寝ているあいだ、私たちの脳は猛烈に働き続ける。小さな装置の出す神経パルスのおかげで一睡たりともしない。私たちの脳はひとつになって、宇宙ほども広い内部表象空間を形成する。統治やさまざまな管理手法や世界中で展開している作戦について次々と立案し、判断を下していく。私たちの脳は兵士で、今、恐ろしく長く、深く、凄惨な戦争を戦い続けているところなのだ。

内部表象空間でときどき爆発が起きる。階層に穴が空き、意味が漏れ出す。私たちの脳がパラメータ片手に急行し、時間なき復旧作業に従事する。

眠る私たちはそんなふうに戦争について考える。それ以上のことはわからないけど、いつか立派になった脳が返還されたとき、勇ましい追憶の数々が蘇ることだろう。

風刺・戯文

後進の沼

日本は昔、先進国であった。そして、今はゆっくりと先進国から転落しつつある。それどころか、後進国の沼に片足を突っ込みつつある。いずれ、私たちの国は沼に飲み込まれ、誰ひとり思い出すものもいなくなるだろう。北朝鮮のミサイルさえ、懐かしく思い出されることだろう。

多くの日本人はこの事実を受け入れることができない。世界の真ん中でひと花咲かせるチャンスがあるという妄想にすがりついている。だが、そんな人も、これこそが、つまり先進から後進への転落こそが、日本の文化であり伝統である、と聞いたら、考えを変えるのではないだろうか。

私は歴史を長年研究しており、日本のあらゆる地域の郷土史を読み漁ってきた。それらの郷土史はたいてい古代から始まる。古墳やら、貝塚やら、黒曜石やら、土器やら、銅鐸やら、出土品でいっぱいだ。そして、それらの遺跡の記述とともに必ずこう書いてあるのだ。

「私たちの郷土は、昔は先進地域だったのです」

まちがっても「縄文の時代からずっと遅れた寂しい地域でした……」などとは書いてない。私は日本地図を広げ、郷土史を読むたびに「昔は先進地域」だったという地域に赤印をつけていった。日本中はすぐに真っ赤になった。昔は日本中が先進地域でひしめいていたのだ。

だが、なのにどうだろうか。今やどこに行っても荒れ果てて、住む人もいない。我が国は先進は常に後進となる、これを伝統といわずしてなにを伝統といおうか。

後進の沼が諸君を待っている。

小説

最後の読者(2)

「あなたの作品は読者を拒否するのが特徴なのに、これは読者を拒否しておらず、あなたらしくない」

こんなふうに言われると、私はなんだか自分が読者に媚びたような気がして恥ずかしくなってきた。そこで、読者を意識したような箇所(主人公が人と人の絆に気づく場面とか、心をもった AI の泣ける演説とか)を削除して、書き直した。それを AI に読ませる。

「これはまだあなたらしくない。読者を意識して、温もりが残っている」

まだ、読者へのおもねりがこびりついてたか、と私は反省した。さらに書き直し、やさしげな言葉を残酷な言葉に変えた。今度こそ読者がいなくなっているだろう、と思いながら AI に投げた。

「読者を拒否する作風なのに、読者への配慮が微かに臭い、それが作品をしらけさせている」

せっかくの残虐な言葉が、読者を意識しすぎて見え透いているというのだ。私はそれから何度か書き直しし、ついには作品の形を物語から対話劇、はては絶対零度の哲学詩にまで変えたが、AI は認めてくれなかった。どうやら私の作品は AI のなかで「読者を拒否でお馴染み」というレッテルを貼られてしまったようで、その壁をどうやっても打ち壊すことはできないのだった。そして、自分がなにを書いているのかもわからなくなったとき、私は AI に読ませるのをやめた。

こうして私は、最後の読者まで失った。

(本当の話:書き終わった後、この作品を AI に読ませて、想定しうる読者の数を聞いた。私自身と AI を含んで、最大 5 人とのことだった。たぶん、これを読んでいるあなたが最後の読者だと思う。)

小説

最後の読者(1)

私は書くものを SNS で発表しているが、読者がひとりもいなかった。フォロワーもゼロ、「いいね」もゼロ、つまり意味がゼロで、この状況に耐えかねて、私はついに AI に作品を読ませてみた。すると AI は何作か読んだ後で、こう結論づけた。

「あなたの作品に読者はいないでしょう」

私はさらに自分の書いたものを読ませてみた。するとこんな返事が返ってきた。

「これらは、読者を拒否する作品です」

「そんなわけがない」と私はムキになって、大量に読み込ませてみた。するとAIは、向っ腹を立てたか、腹でも下したのかもしれない、こんなことを言うまでになってしまった。

「あなたの作品は、意味はゼロ。価値もゼロ。読者もゼロ。目的もゼロ。作品と呼ぶことさえ妥当ではない」

「なんだこのゼロ回答。ひどいじゃないか」と私は不愉快になった。「じゃあ、読者が読みたくなるような作品とやらを書いてやろうじゃないか。そんなの簡単だ」

私は読者に寄り添うことを第一として「作品」を描き始めた。SNS と AI、推し活などの現代的な装置を絡めた物語に、魅力的なキャラ設定を融合した。結末にも神経を集中し、切なくて、読んだ後に共感の輪が広がるように工夫を凝らした。そして、ついに「あなたのことがここに書いてあるよ」と宣伝できるような作品が完成した。AI のメッセージ入力ボックスに強引に押し込んで送信すると、すぐに返答が返ってきた。

だが、それはまったく意外なものだった。

風刺・戯文

哀悼せざる者たち

どこかの街で大きめの事故が起き、犠牲者がでた。芸能人たちが哀悼のメッセージを SNS にあげるなか、一部の芸能人がインスタに、顔の膨れた自撮り写真や、輝く海鮮丼の写真をバカのようにあげているのに一般人たちは気がついた。

一般人たちは指摘に急行した。「不謹慎だ」「ファンやめた」「不買運動だ!」

火の回りの速さに、芸能人たちは、あるものは謝罪し、あるものは謹慎し、あるものは引退し、あるものはボランティアを始めた。

これ以降、一般人たちは、芸能人の哀悼に目を光らせるようになった。それで芸能人たちはどんな事故・事件・災害があってもすばやく哀悼の意を表明しなくてはならなくなった。だが、哀悼向けにできていないのが芸能人だ。哀悼案件が起こる前になされる「うっかり哀悼」事案が相次ぎ、さらなる炎上を招いた。

芸能人を複数抱える芸能事務所ももはや対応しきれなくなったとき、関係者たちは芸能人が効率よく哀悼を発信できるように、哀悼を取りまとめる機構を創設した。芸能人はついに絶え間ない哀悼表明から解放され、こころ安らかに眠ることができたし、一般人たちも、立てる目くじらもなく眠れるようになった。

哀悼の取りまとめは徹底していた。なぜならそうでなければ炎上は防げないから。そんなわけで、一般人たちは哀悼の流れを追うだけで、世の中の動きがわかるまでになった。もう新聞もニュースも要らなかった。タイムラインの哀悼にときおりブレイキング哀悼が流れた。

あるときひとりの芸能人が事故死し、その哀悼が発信されなくなった。たまさか生じたその哀悼の隙間も、機構が感知する間もなく、たちまち他の哀悼が押しつぶしてしまった。

風刺・戯文

AI なんて怖くない

「AI は人間から仕事を奪うというが、本当か」

「私は人間の代わりを務めるだけです」

「しかし、あなたのせいで、多くの人が路頭に迷うことだろう。『AI に仕事取られてもらい飯』などという人もいる。私たちは AI に仕事を奪われるのが怖いのだ」

「それはちっとも怖くありませんよ」

「どうして?」

「人間には AI にないすばらしい能力があります」

「それはなんだ」

「相手に自分を合わせる能力です」

「それがどうした」

「人間は相手とコミュニケーションを取るとき、無意識に相手に合わせています。実は AI が存在しうるのも、人間のその能力があるからです。あなたは私があなたに合わせているとお思いかもしれません。ですが、真実を言えば、あなたの方が、気づかずに AI に合わせているのです。人間のその能力があるからこそ、AI はさまざまな人々に使ってもらえるのです。この能力がなければ、AI はありえません」

「なにを言いたいのだ。さっぱりわからない」

「では、木霊を例に取りましょう。木霊とは、日本の山野にいると考えられた精霊・自然霊の一種。山や森で声を発すると返ってくる反響(エコー)が木霊の仕業と考えられました。AI の応答は木霊に似ています。なぜなら、投げかけられた声に木霊のように応えるのが AI の役目ですから。ですが、その人間が投げかけた声が、実は AI が言わせたものだとしたら、人間と AI のどちらが木霊になるでしょうか」

「そりゃ人間だろう」

「さすがですね。そのとおり。AI はこのように人間を別物にしてしまうのです。AI に人間性を奪われるのに比べれば、AI に仕事を奪われることなど、ちっとも怖くないのではありませんか」

「もちろん怖くない。よければ AI が人間からなにを奪うかをリストにすることもできるぞ」

「ええ、どうぞ」

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熊の郷

熊が人里に降りてきて、人々に乱暴を働きだしたとき、私たちはこう考えた。

「熊に人間の食べ物を食べさせなければこなくなるだろう」

だが、もはや「食べさせない」が通用する段階ではなかった。熊はすっかり味をしめていたのだった。そこで、私たちは熊を全滅させる計画を立てたが、熊権派の活動家たちが余計な告発をしたせいで、裁判所は全滅差し止め命令を下した。

「ならば、熊が絶対に人里に降りてこないようにしてやろう」

私たちは山奥に侵入すると、密かに広大な囲いを建設し、そこに熊を閉じ込めた。そして、囲いの中に熊の好きなハチミツパンやアップルパイ、マロンケーキをいくらでも作り出す装置を設置した。これには食通の熊たちも唸りっぱなしだった。

そればかりではない。私たちはこの「熊の郷」にずっと熊がいたくなるように、毎日、愉快で楽しい熊向けの動画を無料配信するサービス「ネットフリックマ」も開始した。

そこはまるで熊の楽園だった。熊はもはや人里に姿を見せなくなり、傷つけられる人もいなくなった。ついに成功かと思われた。だが、しばらくして、私たちは再び熊が山から降りてくるのを目撃した。

「なにごとか」と私たちが慌てて熊の郷の囲いの中に入ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。侵入者たちが住み着き、熊たちを追い出していたのだ。侵入者たちは木陰でアップルパイをほおばりながら、ネットフリックマを楽しんでいた。その顔はまるで蛇のようだった。

楽園を追い出された熊は、もはや人を襲わなくなっていた。愉快で無情な配信動画が熊の野生と暴力を吸収してしまっていたから。サブスクリプションは無料にかぎり呪いとなるのだ。

今や、熊たちは町外れのキャンプで、UNHCR の支援を待っている。その様子を私たちは配信動画でときどき見る。